さかもとじょう

坂本城

兵庫県姫路市

別名 : 堀ノ城、御構ノ御所
旧国名 : 播磨

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征32日目(最終日):坂本城 (2026/06/11 訪問)

姫路駅から神姫バスを利用して西坂バス停に向かいました。朝のラッシュ時でバスの到着時間が10分ちょっと遅れました。
西坂バス停から徒歩5分くらいで、土塁前(34.873542、134.652596)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、 室町幕府の初代播磨守護・赤松円心則村によって14世紀初めに築かれたと云われています。
坂本城は播磨国守護赤松氏が室町時代に守護所を置いて本拠とした城です。
1441年(嘉吉元年)赤松満祐は室町将軍足利義教を京の赤松邸で暗殺し、嘉吉の乱が起こります。
満祐は播磨の坂本城に下向して幕府方の討伐軍と戦いますが、要害ではない坂本城を破棄して城山城に籠もって防戦。しかし幕府方の攻撃を防ぐことができず、満祐は城山城で自刃して果てました。
その後、播磨は山名宗全の分国となり、宗全は坂本城に入って播磨を統治します。
しかし、応仁の乱勃発後、赤松政則が山名氏を播磨から追い出し、赤松氏が播磨を再び平定します。
その間の1469年(文明元年)政則は新たに置塩城を築いてそこを本拠としたため、その後、坂本城は廃城となったようです。

城跡碑が歩道上に設置してあり、その前の壁に説明板があります。
城址は宅地化され、かろうじて土塁と堀跡が残存していました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=楯岩城を攻城する為、西坂バス停から神姫バスを利用して姫路駅でバスを乗換、太田バス停に向かいました。
ちなみに現地での西坂バス停の時刻表が、攻城計画時より若干ですが変更されていました。

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カズサン

書写山南麓にある坂本城 (2025/11/02 訪問)

 書写山圓教寺参拝見学を終えて書写山南麓、天神山東麓にある坂本城を目指す、書写山ロープウェイ山麓駅から西に約1.4km程の桜池南住宅街の道路沿いに石碑と堀跡、土塁が残って居る。
 駐車場:無し、土塁南東のゴミ集積所、空エリアに路駐(34°52'24"N 134°39'09"E h=30m)
 参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 通路側の歩道に石碑が在る石碑の北面と西面に書写坂本城跡が刻まれて、南面には歴史、規模が刻まれている。石碑の歩道南に土塁と堀が残り、土塁石垣に坂本城跡の説明板が有り地図、土塁写真が付図されて居る。
 其れに依ると、室町時代の播磨国「守護所」、15世紀初頭に赤松氏が築城、守護行政上の拠点、戦国期赤松氏の拠点が置塩城に移ると廃城。城の規模は東西170m、南北170mあり段丘端に立地する平城。と記されていた。
 土塁と堀跡、石碑、説明板を観て終了。
 坂本城へは姫路城、帰省の途中に寄ったらと長年思っていましたが結局今回の10日間の城探訪の最後に初登城と成りました。

 今回の鳥取城中ノ御門復元渡櫓門、福岡城三の丸復元潮見櫓、軍機震電、二式大艇を主目的に九州一周城探訪企画10日間では46城探訪、内未踏の城初登城は31城、内城びと登録城郭は26城、大刀洗の震電、鹿屋基地の二式大艇と言う結果に成りました。
 新し処を訪ねて、登城数を重ね、復元の建物を観察し、古を偲び感嘆し、城旅以外の軍機、軍船の探訪旅も合わせて10日間のうち1日は雨でしたが残り9日間は晴天良い探訪日でした。
 夕方に浜松自宅着、走行距離は約3600km程、足腰足裏疲れました。費用の内高速代が一番高く、ガソリン代、ホテル代、飲食代の順でしょうか?一回出ると結構掛かります。

 この坂本城投稿が今年最後の投稿です、1年間投稿を見て頂きありがとうございました。皆さん良い年をお迎えください。
   

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todo94

イベント前の攻城① (2025/03/08 訪問)

この日は夜にお楽しみのイベントがあるので、前泊ではなく、始発のしなので西下しました。11時に姫路駅前でレンタカーを借り受け、書写山に向かう前にここに立ち寄った次第です。空堀を確認するためだけの再訪でした。書写山ロープウェイが運休していたので、圓教寺再訪は断念いたしました。

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しんちゃん

宅地に土塁と堀が残る。播磨守護・赤松氏の守護所 (2023/12/30 訪問)

坂本城は室町時代の播磨国の守護所で14世紀~15世紀の初めに赤松氏によって築かれたとされています。現在では宅地に飲み込まれていますが堀と土塁が部分的に残り市指定史跡として保存されています。
発掘調査の結果、周囲に堀と土塁をめぐらせた170m四方の規模だったことが解ってきています。嘉吉元年(1441)の嘉吉の乱によって赤松満祐が一時的に籠り追討軍の山名宗全と戦ったそうです。赤松氏は一旦滅びますが、後に再興し、勢力を伸ばした山名氏とこの地で攻防を繰り返したそうです。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 赤松則村
築城年 南北朝時代
主な城主 赤松氏、山名氏
廃城年 文明元年(1469)
遺構 土塁
指定文化財 市史跡(坂本城跡土塁)
再建造物 石碑、説明板
住所 兵庫県姫路市書写2465(地図は石碑の場所を示す)
問い合わせ先 姫路市文化財課
問い合わせ先電話番号 079-221-2786