郷六城は仙台宮城ICの出口周辺、国道48号線や県道31号線が複雑に絡み合う部分のやや北側の丘陵上に築かれていました。北側の道路沿いに空堀が良く残っており、主郭への入り口があり、標柱が立てられています。
主郭はやや広めの単郭のようですが、道路の向こう側に位置する宇那禰神社も城址の一部だったのかもしれません。
郷六氏は国分盛氏の庶子・盛政を祖とし、宮城郡国分荘のうち愛子・郷六の二郡を有し郷六城を居城にしていたようです。天正年間に国分氏が伊達家家臣に組み込まれてからは、郷六村を没収され愛子村に移り住みました。郷六氏は慶長3年(1598)森田と姓を変え屋敷と家中屋敷23軒を持っていたようです。
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