こつくりじょう

木造城

三重県津市

別名 : 木造御所
旧国名 : 伊勢

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①木造城址
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昌官忠

(東海&関西)遠征22日目:木造城 (2025/06/05 訪問)

宿泊先のホテルの朝食前に、八太城(城びと未登録 三重県津市)と木造城を攻城しました。
桃園駅から徒歩30分弱で、城址跡(34.658824、136.497666)に着きました。

木造城は2024年9月25日に攻城する予定でしたが、バス遅延により乗り継ぎがかなわず断念しました。今回はリベンジです。
1366年(貞治5年・正平21年)木造顕俊によって築かれました。 顕俊は北畠顕能の次男で木造城を築き木造氏を名乗ったそうです。
二代目の俊康は京都に住み足利将軍と親しかった為、本家北畠氏の南朝と対立しました。
1569年(永禄12年)織田信長の南伊勢侵攻時は、それに従い信長の次男信雄が北畠氏の養子となり家督を嗣ぐことで和解した後は、それに従いました。

田園の中の土盛りの上に石碑と説明板が建っています。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=舟木家の長屋門(城びと未登録 三重県松阪市)を攻城する前に、ホテルに戻り朝食を食べました。

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ぴーかる

木造城 (2024/11/23 訪問)

【木造城】
<駐車場他>駐車場はなし。車はあまり通らないので土塁横に停車
<交通手段>車

<感想>日帰り伊勢山城攻め旅3城目。現地説明板によると木造城は1366年北畠顕能の3男顕俊が築城しました。顕俊は木造氏とあらためこの辺り一帯を支配しました。1528年7代城主の木造俊茂が古城の北300mのこの地に新たに城を築き、後1584年に城を明け渡すまで使われました。とあります。
 現地には小さくなった土塁がポツンと1つ残されており、その上に城跡碑と説明板があります。

<満足度>◆◇◇

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しんちゃん

北畠氏族、木造氏の栄華のあと (2017/06/11 訪問)

木造城は正平21年(1366)北畠権大納言顕能(あきよし)の三男、顕俊が築城しました。(現地案内板による)
彼が初代城主として木造氏を名乗り天正12年(1584)まで56年間、木造氏の城でした。
この時に織田氏がやって来て城をあけわたしたのでしょうね。
いまでこそ、でかい土まんじゅうに石碑を建てただけに見えますが
れっきとした北畠氏族の城郭だったようです。
かつて周囲は沼地で敵は攻めあぐねたようですが、今ではすっかり開墾されています。

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木造氏の城 (2022/07/21 訪問)

田園地帯の中に石碑と案内板がありました。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 北畠顕俊
築城年 正平21年〔南朝〕/貞治5年/(1366)
主な城主 北畠氏
遺構 土塁
指定文化財 市史跡(木造城阯)
再建造物 石碑、説明板
住所 三重県津市木造町字城
問い合わせ先 津市教育委員会事務局
問い合わせ先電話番号 059-229-3248