枳城は標高180mの尾根の頂部に築かれています。阿坂城の出城とされ、「附」として国の史跡に指定されています。林道が近くまで続いていますが、状態が悪く車が大事な人は歩いてきた方が無難です。主郭は頂部に築かれ、東西に堀切が配されています。北側には帯郭が配されており、南側の通路も帯状の平坦地とされています。主郭には案内板が設置されており、仏像が一体据え置かれ、訪問者を出迎えてくれます。
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2024/07/06 21:31
阿坂城の「附(つけたり)」 (2024/02/17 訪問)
枳城は標高180mの尾根の頂部に築かれています。阿坂城の出城とされ、「附」として国の史跡に指定されています。林道が近くまで続いていますが、状態が悪く車が大事な人は歩いてきた方が無難です。主郭は頂部に築かれ、東西に堀切が配されています。北側には帯郭が配されており、南側の通路も帯状の平坦地とされています。主郭には案内板が設置されており、仏像が一体据え置かれ、訪問者を出迎えてくれます。
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2024/05/17 08:06
迷うことなく登城できる…はず (2024/03/09 訪問)
阿坂城の南東約1kmの丘陵上に位置し、高城とともに阿坂城の出城とされますが、築城時期や城主等、詳細は不明です。
「松阪の城50選」で案内されていた阿坂運動公園の駐車場から伊勢自動車道沿いに南下してガードをくぐり、あとは山見老人会による案内標識に従って進めば迷うことなく城跡に行ける……はずが、登城口のゲートから入ってしばらく進んでも、右手に見える枳城のある丘陵に近付くどころかむしろ遠ざかるようで、不安になってGoogleマップで確認すると、より丘陵に近い側にもう一本別の道があるようです。曲がるところを間違えた!? と引き返してそちらの道に向かったのが運の尽き、進んでも進んでも案内標識は無く(当たり前)、ついには丘陵の中腹で行き止まりになってしまい、もう一度引き返すくらいなら、この丘陵の上にあるのは間違いないんだから、と直登して丘陵東端の尾根に出て、尾根伝いに西に向かって何とか主郭にたどり着くことができました。やれやれ…。
主郭は東西に細長く、説明板と「大日さん」と呼ばれる石仏がありました。南側の眺望は開けていますが、北西側の阿坂城(南郭)は樹木の合間にわずかに覗く程度です。主郭から下りると主郭の周囲をひとめぐりします。東側の尾根との間には堀切が設けられています。「この先、道無し。来た道を戻ってください。」 堀切付近の山見老人会の案内表示が身に染みます。…ええ、身をもって承知していますとも。北側に回り込むと、主郭の切岸と帯曲輪が続いています。帯曲輪は切岸から続く竪土塁でいくつかに区画されていました。西側の尾根も堀切で断ち切り、堀底を南側に抜けると登城道に出ました。登城道が南側の帯曲輪のようです。
その登城道を下って行くと、道沿いのあちこちに案内表示が設けられています。みかん山の作業道から山道に入るところにも案内表示があり、先ほど引き返したあたりを過ぎて登城口のゲートに到着。なるほどこれなら普通は迷うことはないでしょうなぁ……わざわざ途中で引き返したりさえしなければ。…ということで、普通なら登城口から15分程度で行けるところを40分以上も要してしまった枳城でした。
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2023/12/30 17:57
阿坂城の出城 (2023/12/30 訪問)
阿坂城の出城と伝わっています。尾根の東西に堀切を設けている比較的シンプルな縄張りです。城域はあまり広くありません。松阪市のHPによると「阿坂城から東南に1km隔たった標高180mの山頂に築かれた山城である。城跡は東西に長い、60×30m、高さ6m規模の台状地を中心に、東と西側に堀切りを備え、北と南側には幅5~10mの平坦地が巡っているだけのものである。」とありました。北側は明瞭な帯曲輪がありました。南側の平坦地は5mもありませんが、細い登城路となっている所でしょうか。
山見老人会による案内標識があり、迷うことなく城跡へ行くことができます。ありがたいことです。
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分類・構造 | 山城 |
---|---|
築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 不明 |
遺構 | 曲輪、堀切、切岸 |
指定文化財 | 国史跡(阿坂城跡附 高城跡 枳城跡) |
再建造物 | 説明板 |
住所 | 三重県松阪市小阿坂町坊谷、枳 |
問い合わせ先 | 松阪市教育委員会事務局 |
問い合わせ先電話番号 | 0598-53-4393 |