前回、訪問した際にハンターのいた北側から入って行ったのですが、ここからだと道が途切れていて途中から直登に近い感じになります。城址の場所は合っているはずなのですが、藪がきつくて見通しが悪い。土塁らしきものがあるような気がするが間にヤブが立ちふさがります。今回は最高所まで登って元来た道を帰りました。
イオさんの投稿にあった南東側の登城口から登るべきでしたね‥。今回の登城で3回目になりますが、初回は写真が喪失して、2回目は頓挫。これは4回目もありそうですが季節を選びたいですね。
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2024/10/02 18:56
南東から訪れるべき (2024/09/28 訪問)
前回、訪問した際にハンターのいた北側から入って行ったのですが、ここからだと道が途切れていて途中から直登に近い感じになります。城址の場所は合っているはずなのですが、藪がきつくて見通しが悪い。土塁らしきものがあるような気がするが間にヤブが立ちふさがります。今回は最高所まで登って元来た道を帰りました。
イオさんの投稿にあった南東側の登城口から登るべきでしたね‥。今回の登城で3回目になりますが、初回は写真が喪失して、2回目は頓挫。これは4回目もありそうですが季節を選びたいですね。
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2024/05/16 08:04
警戒しつつ登城… (2024/03/09 訪問)
阿坂城から北東にのびる尾根の突端に位置する丘城で、詳細は不明ながら阿坂城の出城として北畠氏重臣の大宮入道含忍斎が守ったとされ、阿坂城の落城に伴い廃城となったと思われます。
阿射加神社の駐車場に駐めさせてもらい、南東側の登城口(道沿いに案内表示あり)から登城開始。水路を渡り石仏に登城中の無事を祈りつつ登って行くと、緩やかに傾斜した削平地に高城跡の説明板が立てられていました。その先の虎口を抜けると主郭に至ります。主郭内には用途不明の窪地がいくつも見られ、前夜の雨が溜まっているところもありました。主郭の西半分(北辺~西辺~南辺)には土塁がめぐり、北西隅と南西隅は特に分厚く高くなっていて櫓台だったものと思われます。西側の虎口は枡形状で、北西隅の櫓台の麓を回り込むように登城道が設けられていました。そして最後に、主郭北辺の踏み跡をたどって下りて行き、北尾根を遮断する二重堀切を確認して高城をひとめぐり。
登城の3週間ほど前にしんしんちゃんさんから注意喚起の投稿があり、猟犬に襲われるのも撃たれるのもイヤだなぁ…と思いつつも、松阪市内の城めぐりは今年の一年の計でもあるので、ヤバそうな雰囲気を感じたらすぐに撤退しよう、と警戒しつつの登城でした。小さな城ながら虎口も土塁もなかなか見応えありますし、そんな心配をすることなく登城できればいいんですが…。
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2024/02/19 19:31
今は入らない方がよさそう (2024/02/17 訪問)
実は高城は2017年の6月に阿坂城と一緒に訪問しています。でも後付ハードディスクのデータが2回破損して阿坂城の写真ともども消えてしまいました。写真が残っていないのも寂しいのでもう一回やってきました。
北側の菰池から道が続いているのですが何か雰囲気がおかしいですね。西手の橋からアクセスしようとしたらゲートの奥に犬を連れたオヤジがいます。話をしてみると猟〇〇の人で、ここは人が来ないのでアレをアレしているとのこと。さっきは気づきませんでしたが手には立派なラ〇〇〇を持っています。うるさい団体が騒ぐと困るので伏字が多いですが、撃たれてはかなわんので、ここはおとなしく退散です。枳城行くかな。
4月以降にまた来てみようかなと思いますが、この城は危ないとおもったらサッと引き返してポチっても良いと思います。個人的意見ですが必要以上の危険に見合うだけの城なんて無いと思います。安全第一ですよ。
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分類・構造 | 平山城 |
---|---|
築城主 | 北畠氏 |
築城年 | 室町時代 |
主な城主 | 北畠氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、堀切、枡形虎口 |
指定文化財 | 国史跡(阿坂城跡附 高城跡 枳城跡) |
再建造物 | 説明板 |
住所 | 三重県松阪市大阿坂町市谷、百々向 |
問い合わせ先 | 松阪市教育委員会事務局 |
問い合わせ先電話番号 | 0598-53-4393 |