NHK Eテレ 先人たちの底力 知恵泉「松平家忠日記に見る戦国処世術」を見て興味を持ち、家忠の誕生地と紹介されていた深溝城と瑞雲山 本光寺に行きました。
「松平家忠日記」は、家忠自筆の天正3年(1575)から文禄3年(1594)までの17年間の日記で、戦国時代の様子を伝える貴重な史料として重要文化財に指定されています。
深溝城は、鎌倉時代又は室町時代前半に三河大庭氏により築かれました。
16世紀前半に大庭氏が松平氏に討たれた後は深溝松平家の居城となり、深溝松平家4代の家忠も城主を勤めました。
後の寛永16年 (1639)、板倉氏が深溝陣屋を構えました。
城跡は工場と宅地になってますが、周囲を散策すると高台にあることが分かります。
工場西側の一角に城址碑が建てられており、工場東側と宅地の間の道沿いに遺構と思われる高い土塁が一部見られました。
深溝陣屋の門が医師の名家であった高橋家に移築され、今でもお宅に立派な門が残されていました。
瑞雲山 本光寺(深溝松平家の菩提寺・墓所)
深溝松平氏は各地に移封を重ね、島原7万石の大名となり明治を迎えましたが、当主が死去しても遺をこの地に運び埋葬されました。
島原藩主深溝松平家墓所として国史跡に指定されています。
東西の御廟所に分かれ、初代忠定から19代忠諒までの墓所があり、家忠のお墓にもお参りできました。6代から19代までのお墓は神殿石造りで珍しいです。
ちょうど紫陽花まつりが開催されていて、見頃前でしたが綺麗でした。
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