おおのじょう

大野城

和歌山県海南市

別名 : 藤白城
旧国名 : 紀伊

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主郭
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ぴーかる

大野城 (2024/03/02 訪問)

【大野城】
<駐車場他>森林公園雨の森駐車場に駐車するのがよいかと。登城口前まで車で行けますが公園から先が悪路なのでお勧めしません。
<交通手段>車

<見所>堀切
<感想>日帰り和歌山山城攻め1城目。現地の説明板が劣化で真っ白になってしまっていた為、まだ文字が残っていた頃の方の写真から。大野城の築城は1378年の南北朝時代に紀伊国守護に任ぜられた山名義理が紀伊府中から移転し築城したとあります。
 森林公園雨の森から悪路ですが道幅の道を徒歩で行くとカモシカに出くわしました。近畿の和歌山で出逢うとは嬉しい発見、登城口は案内があり遊歩道階段が付けられているのですぐ分かります。階段を登ると鉄塔があり、そこから海南市の港の眺望がいいです。そこから山の側面を渡って行って主郭の背後の堀切にでます。堀切から右にターンして尾根を直登すると主郭の連段に着きます。主郭は小さな削平地が3連段になってそこそこの大きさになっています。段壁に石積みがあるようですが現在は埋まっていました。主郭から西方向に堀切を渡り、土塁付の副郭があります。南方向に竪堀もあります。副郭辺りから西方向に尾根曲輪になっていて、最初主郭西にだけかと思いきや、西に行く程だんだんといい遺構が現れ楽しめました。

<満足度>◆◆◇

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キンヤ

大野城の出城とされる西ノ城 (2024/01/07 訪問)

東ノ城に続きまして、西ノ城を投稿させて頂きます。
西ノ城は大野城の出城ともされ、別名 藤白城と呼ばれます。

東ノ城から向かうと岩盤を利用したような片堀切・土橋状を通ります。

山頂の主郭から南西に曲輪が連なっていますが木で見辛いです。

北側に堀切があり、土橋が付いてますが、後世の改変の可能性があるかもしれません。

南西側にクランクした横堀があり、西ノ城での見所でした。その更に南下に堀切があります。

東ノ城よりインパクトは弱いですが、東ノ城にはないクランクした横堀が見られ興味深いです。

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キンヤ

畝状竪堀が見所の紀伊守護本拠の山城 (2024/01/07 訪問)

南北朝時代に紀伊守護山名氏が築城したとされ、南北朝合一後は紀伊守護畠山氏の本拠になったとされます。
1460〜1466年頃に畠山政長が守護本拠を広城へ移したと伝えられますが、その後も畠山氏が1568年まで使用したともされます。

東ノ城と西ノ城から成る一城別郭の大規模な山城で、東西に長い尾根上に築かれています。

まずは東ノ城を投稿させて頂きます。

東側の本城は、3段の曲輪で整備されており、1番上の主郭に城址碑が建てられています。
ここは発掘調査がされており、礎石・石列等が検出され、出土遺物は土師器の皿等が出土したそうです。
北西下に堀切があります。

その西側下の曲輪群は、中ノ曲輪とも呼ばれ、東側と中央の二つの堀切で区切られています。
堀切の間の曲輪の北側には土塁があり、南下の厩の段では石積が見られました。

中ノ曲輪の中央の堀切は大野城の中で最も大きく、南下へ竪堀が長く続き圧巻です。
その竪堀から西へ向けた中ノ曲輪の南斜面で、大小8条程の竪堀が連続しています。
和歌山県北部では珍しい畝状竪堀群で1番の見所と思います。
この南斜面で石積を4箇所で見つけることができました。
中には自然や後世のように見える箇所もありますが、事前リサーチより多くの石積があり驚きました。
中ノ曲輪は、本城よりも堅固な造りで、思っていた以上に見応えありました。

最後に本城の東側下の曲輪に行き、竪堀が1条、尾根に長い土塁がありました。

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todo94

2年越しの攻城 (2016/03/26 訪問)

2014年2月の大雪で道路が雪でふさがれていて登城を断念したそのリベンジを漸く。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 山名義理
築城年 天授4年〔南朝〕/永和4年〔北朝〕(1378)
主な城主 山名義理、畠山基国、大内義弘、浅間氏、保田氏、細川氏、山名氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、竪堀
指定文化財 市史跡(大野城趾)
再建造物 石碑、説明板
住所 和歌山県海南市大野中、鳥居
問い合わせ先 海南市教育委員会生涯学習課社会教育係
問い合わせ先電話番号 073-492-3349