おおのじょう

大野城

和歌山県海南市

別名 : 藤白城
旧国名 : 紀伊

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東の城と西の城を結ぶ尾根道
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イオ

西の城(藤白城) (2025/04/20 訪問)

(続き)

東の城から西の城へは尾根伝いに徒歩10分の距離で、堀切っぽい地形はあるものの、明瞭な城郭遺構は見られません。

西の城は大野城とは別個の城として藤白城とも呼ばれ、曲輪群の最高所が主郭にあたります。主郭の北裾には帯曲輪がめぐっていて、遊歩道を北に下って行くと北尾根を堀切で遮断していました。主郭から西に一段下の曲輪から南に下りた先には、何段かの腰曲輪の下に横堀がめぐらされています。横堀は西側上段から東側下段まで斜めに落ちながら続いていて、浅くなってはいるものの見応えがありました。横堀を越えた先は南尾根を堀切で断ち、堀切の両端は竪堀となって続いています。

西の城をひとめぐりすると、東の城を通り抜け、来た道を戻って雨の森へ。雨の森展望台から眼下の大野守護所跡を見下ろして、大野城を後にしました…って、東の城の東尾根の曲輪に行くのを忘れてたーっ! いつの日かリベンジします…。
 

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イオ

東の城 (2025/04/20 訪問)

詳細は不明ながら、南北朝期に南朝方の浅間氏や保田氏が藤白山系に築いたとされ、山名義理により北麓に大野守護所が置かれると、守護所の背後を守る山城として機能したと考えられます。その後、紀伊国守護は山名氏から大内氏、畠山氏へと代わり、畠山基国が守護所を広に移した後も戦国末期まで活用されましたが、畠山氏の没落とともに廃城となったようです。

森林公園 雨の森駐車場から登城開始。大野城は「東の城」と「西の城」と呼ばれる二つの曲輪群からなり、東の城の登城口まで林道が通じているようですが、雨の森からの高低差はほとんどない上に、途中から未舗装になるらしいので無難に徒歩を選択。駐車場から約20分で登城口に着きました。

案内表示に従って登城口から階段を上って行くと送電鉄塔があり、振り返ると市街から和歌浦方面の眺望が開けています。さらに上って道をそれると主郭北裾に浅い堀切がありました。堀切から直登した主郭は三段の曲輪からなり、頂部に大野城趾の石碑と文字が消えてしまった説明板が立てられています。主郭から西尾根へと下りたところには藪化した堀切があり、南側に竪堀となって落ちていました。

西尾根には尾根に沿っていくつかの曲輪群が展開し、北辺には尾根を削り残した土塁が設けられています。曲輪群は堀切により東西に区画され、堀切の南側は竪堀となってずっと下まで続いています。竪堀に下ろされたトラロープを頼りに下りて行くと、西尾根曲輪群の南面には竪堀群と腰曲輪が縦横に設けられ、南側への警戒感が窺えます。

さて、竪堀群から尾根まで戻って、尾根伝いに西の城を目指します(続く)。
 

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ぴーかる

大野城 (2024/03/02 訪問)

【大野城】
<駐車場他>森林公園雨の森駐車場に駐車するのがよいかと。登城口前まで車で行けますが公園から先が悪路なのでお勧めしません。
<交通手段>車

<見所>堀切
<感想>日帰り和歌山山城攻め1城目。現地の説明板が劣化で真っ白になってしまっていた為、まだ文字が残っていた頃の方の写真から。大野城の築城は1378年の南北朝時代に紀伊国守護に任ぜられた山名義理が紀伊府中から移転し築城したとあります。
 森林公園雨の森から悪路ですが道幅の道を徒歩で行くとカモシカに出くわしました。近畿の和歌山で出逢うとは嬉しい発見、登城口は案内があり遊歩道階段が付けられているのですぐ分かります。階段を登ると鉄塔があり、そこから海南市の港の眺望がいいです。そこから山の側面を渡って行って主郭の背後の堀切にでます。堀切から右にターンして尾根を直登すると主郭の連段に着きます。主郭は小さな削平地が3連段になってそこそこの大きさになっています。段壁に石積みがあるようですが現在は埋まっていました。主郭から西方向に堀切を渡り、土塁付の副郭があります。南方向に竪堀もあります。副郭辺りから西方向に尾根曲輪になっていて、最初主郭西にだけかと思いきや、西に行く程だんだんといい遺構が現れ楽しめました。

<満足度>◆◆◇

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キンヤ

大野城の出城とされる西ノ城 (2024/01/07 訪問)

東ノ城に続きまして、西ノ城を投稿させて頂きます。
西ノ城は大野城の出城ともされ、別名 藤白城と呼ばれます。

東ノ城から向かうと岩盤を利用したような片堀切・土橋状を通ります。

山頂の主郭から南西に曲輪が連なっていますが木で見辛いです。

北側に堀切があり、土橋が付いてますが、後世の改変の可能性があるかもしれません。

南西側にクランクした横堀があり、西ノ城での見所でした。その更に南下に堀切があります。

東ノ城よりインパクトは弱いですが、東ノ城にはないクランクした横堀が見られ興味深いです。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 山名義理
築城年 天授4年〔南朝〕/永和4年〔北朝〕(1378)
主な城主 山名義理、畠山基国、大内義弘、浅間氏、保田氏、細川氏、山名氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、竪堀
指定文化財 市史跡(大野城趾)
再建造物 石碑、説明板
住所 和歌山県海南市大野中、鳥居
問い合わせ先 海南市教育委員会生涯学習課社会教育係
問い合わせ先電話番号 073-492-3349