はつたじょう

八田城

三重県松阪市


旧国名 : 伊勢

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大多和監物 (2025/02/01 訪問)

 織田信長の伊勢侵攻に際して木下藤吉郎がこの城を攻めましたが、大多和監物が濃霧の助けもあり守り抜いたと伝わる城です。土塁に囲まれた主郭を中心にして、東と北に曲輪があります。また堀切を隔てて南東の尾根も曲輪であったと思われます。主郭の出入り口は東と南にありました。南の虎口から出ると堀切があり橋が架かっていましたが、ロープで遮られ通行できません。裏登城路と標識のある井戸跡から堀切付近を通って行くと南東の尾根に行くことができました。南東の尾根の西と東に堀切があります。東の堀切は浅くなっていますが、西側の堀切は見応えがあります。井戸のある場所は谷と思っていましたが、歩いて見ると空堀のようにも思えます。井戸は2カ所あると記載された情報もありましたが、一つしかわかりませんでした。
 城域は広くありませんが、堀切、土塁、曲輪などが明瞭で楽しく散策できる城址です。

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ぴーかる

八田城 (2024/11/23 訪問)

【八田城】
<駐車場他>駐車場はなし。車が停まっていなければ、登城口前<34.615830, 136.449558>に1台入れれる。
<交通手段>車

<見所>土塁・櫓台・横堀・虎口
<感想>日帰り伊勢山城攻め旅5城目。現地説明板によると八田城は同時代の資料は見当たらないようです。近世の地誌「勢陽五鈴遺響」には大多和兵部少輔が居たとし、明治に作成された「伊勢名勝志」には大多和氏の前身三浦氏の築城とする。とあります。
 城跡は北の入口から模擬城門の櫓がこしらえてあり楽しめます。登城路を登って行くと主要部虎口は東側から入りますが、正面に土塁があり左右に別れさされます。右へ行くと横堀に突き落とされ、左に行くと主郭虎口に入れる技巧的な虎口です。主郭は高い土塁囲みで、南側にひと際高い土塁の見張り台、北西隅に模擬櫓があります。主郭の北西部に腰曲輪が付いています。主郭の南側に深い堀切兼横堀が走っていて東側は井戸跡・切通し道と繋がって東に落ち込んでいます。西側へは搦手の登城路になっていて、八田池の方へ行けます。
 遺構の感じからは伊賀・甲賀の単郭方形高土塁の構造で戦国期に手を加えているように思いました。凸凹の遺構が明瞭に残り、模擬櫓も造られていてなかなか楽しめるいい城跡でした。

<満足度>◆◆◇

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しんちゃん

伝説の残る城 (2024/02/17 訪問)

八田城は小振りではありますが、訪れやすく遺構が良好に残る良い城です。害獣除けのゲートを開閉するだけで良く、地権者や地元の方々の、多くの人にすばらしい城跡を見て欲しいという気持ちが伝わってきます。有り難く訪問させていただきます。
北から東を回り込むようにして主要部に向かっていきます。南側には大堀切があり井戸もありました。東の曲輪を見てから虎口を通って主郭に到達します。主郭の周囲には分厚い土塁が良好に残っており、南側には見張台と見られる箇所が有りました。
八田城は鎌倉時代に相模から三浦五郎左衛門尉盛時が来て築いたとされています。後に大和田氏と姓を改め、11代盛成は伊勢国司・北畠顕能に仕えたとのこと。永禄12年(1569)織田信長の命を受けた羽柴秀吉が攻めたが、城主大和田監物が良く防ぎ、秀吉は攻めあぐね、山から濃霧が発生したため撤退したと伝わっているようです。

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イオ

小さな良城 (2024/03/09 訪問)

多くの山城が点在する中村川沿いの丘陵地に位置する城で、鎌倉期に三浦氏が築いたと伝わり、戦国期には大多和氏を称して北畠氏に仕え、織田信長の伊勢攻めにも籠城して耐え抜きましたが、和睦後に北畠具教が謀殺されると大多和氏は帰農し、八田城も廃城となったと思われます。

カズサンさんに倣って登城口前に駐めさせてもらい登城開始。防獣柵の扉を開閉して城内に入ると、右側に城跡碑と説明板が、左側奥に丸太を組んだ「砦門」があります。砦門の並びの東屋にはテーブルと椅子が設置され、東屋の隣の小屋は物置とトイレになっているようです。

登城道を進むと道は切通状となって東曲輪の麓を北側から半周し、その間、逃げ場のないまま東曲輪から横矢を受け続けることになります。東曲輪の南側に回り込んだところに裏登城道への分岐があり、そちらに下りて行くと井戸跡と北東方向に下る竪堀がありました。この竪堀が裏登城道にあたるようです。

分岐に戻って主郭に向かう前に、まず東曲輪から。東曲輪は周囲を高さはないものの厚みのある土塁で囲み、灌木越しながら切岸の下には先ほど登ってきた登城道が見渡せます。そして主郭へ。東虎口は枡形状に設けた土塁によって動線を屈曲させています。主郭は北東辺を除いて分厚く高い土塁で囲まれ、南東隅の南虎口脇のひときわ高い部分は櫓台と思われます。北西隅の土塁上には丸太組みの櫓が建てられていますが、老朽化しておりトラロープが張られていて登れませんでした。櫓の脇から土塁を北に下りたところが北曲輪で、西辺に土塁が続いています。土塁の西下には帯曲輪が設けられていました。

主郭に戻って南虎口を出たところには堀切があり、丸太組みの橋が架けられています。こちらもトラロープが張られているので渡るのは控えて、堀底まで下りて堀切を越えるとなだらかな自然地形の尾根が東にのびていて、尾根の南西側を堀切で遮断していました。尾根の東側にも浅い堀切が見られ、出曲輪的な位置付けだったのかもしれません。

30分あまりでひとめぐりできる小さな城ながら遺構はなかなか見応えがあり、砦門も櫓も橋も老朽化してはいるものの、城内はよく整備されていて地元から大切にされていることが感じられる良い城でした。
 

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 三浦氏?
築城年 鎌倉時代
主な城主 大多和(三浦)氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡
再建造物 碑、説明板
住所 三重県松阪市嬉野八田町