現地の案内板から情報をいただきました。西館の跡地にはかつて、伊達家の家臣・山木氏修理之助の屋敷が有りました。元和7年ごろから仙台藩の重臣・茂庭了庵(綱元)の屋敷となり、伊達政宗が何度か訪れたことが有るようです。
伊達政宗が無くなった寛永13年(1636)に了庵は栗原郡文字村に移り、屋敷は修築され政宗と愛姫の長女・五郎八(いろは)姫の仮御殿になりました。
いろは姫は徳川居家康の六男・松平忠輝ち結婚しましたが、忠輝が改易になると離縁し、江戸屋敷に戻った後、仙台城西屋敷に移り住みました。仙台城では「西館様」と呼ばれていたので、姫がこの地に移り住むようになってから「西館」と呼ばれるようになったそうです。
比瑪は43歳の時から、仙台城と西館の両方で生活し、68歳の時に仙台城で亡くなりました。
館跡には池跡や土塁、井戸跡などが残っています。
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