鎌倉前期に長瀬左衛門が宇治川の中州に築いた城で、後鳥羽上皇方の城として鎌倉方と対峙しました。室町期には畠山氏内紛の中で細川政元の居城となり、戦国期には足利将軍家に仕えた真木島氏の本拠として、織田信長に反旗を翻した足利義昭が籠城するも、織田方に攻められて開城。義昭は京を追われて室町幕府終焉の地となりました。その後、豊臣秀吉が伏見城を築き、宇治川の流路を付け替えたことにより廃城となったようです。
軍事上の要衝として様々な合戦の舞台となった地ですが、現在は宅地化していて遺構は消滅しており、城跡推定地の児童公園と児童公園から北に徒歩5分の槇島公園に、それぞれ石碑と説明板が立てられているのみです。駐車場はありませんが、石碑と説明板しか見るところもないので、両公園の脇に路駐してささっと写真を撮って退散しました。
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