永正年間(1504-20)轡田氏が築城した。瑞円寺周囲には堀や土塁が見られるが、更に大規模な城と推定されている。天正6年(1578)上杉方河田長親に攻められ城主轡田雅正は討死、落城した。城の北を通る浜街道(旧北国街道)沿いに轡田氏をはじめとする戦死者を弔った精霊塚がある。
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2024/01/03 17:13
上杉勢に攻め滅ぼされた越中国人轡田氏の居館
永正年間(1504-20)轡田氏が築城した。瑞円寺周囲には堀や土塁が見られるが、更に大規模な城と推定されている。天正6年(1578)上杉方河田長親に攻められ城主轡田雅正は討死、落城した。城の北を通る浜街道(旧北国街道)沿いに轡田氏をはじめとする戦死者を弔った精霊塚がある。
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分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 轡田氏 |
築城年 | 永正年間(1504〜1521) |
主な城主 | 轡田氏、丹羽源太 |
廃城年 | 天正6年(1578) |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
再建造物 | 説明板 |
住所 | 富山県富山市海岸通字古城跡割(瑞円寺) |