つねやじょう

恒屋城

兵庫県姫路市

別名 : 高岡城、中嶋城
旧国名 : 播磨

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恒屋城を遠望南側県道409号線沿い
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カズサン

麓より景観整備した恒屋城が良く見えます (2022/10/24 訪問)

 置塩城跡を終えて北東に播磨山地を越えて恒屋城を目指す、ガイド情報は古城盛衰記さんに依ります。
 駐車場(34°56'37"N 134°43'07"E)は古城盛衰記さん案内の様に登城口前に砂利舗装で10~15台可能、祐光寺横少し北です。
 私は集落に入り道が細く北に曲がる道が不安で県道409号線に出て、県道沿いに在る恒屋公民館の道の前山手に駐車可能エリアが有り此処に駐めて登城口に行きました。
 登城口には害獣除けゲートがりますが開閉して出入り可能。登城口横に縄張図付き解説板、各種資料ペーパーが掲示されてる掲示板が有ります。
 比高150m程であり登城しようかと思って居りましたが昼過ぎから黒い雲が走り始め雨も降って来ましたので、景観整備された本丸後城も遠望良く見えましたので山麓で終えました。

 恒屋城は縄張図付解説板を見て頂くと歴史、構造が良く分かります。

 登城のきっかけは城びとの投稿でぴーかるさん、あさん、の内容から私でも登れそうかな?と行って見たい城に登録して今回になった次第です。
 皆さんの投稿写真を眺めて登城した雰囲気を味わいます。
 

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おっちゃん

恒屋城跡縄張図 (2017/12/17 訪問)

現地案内板より抜粋。

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小城小次郎

まるで東国の土の城を見ているかのよう (2022/01/10 訪問)

赤松氏傘下の恒屋氏が本拠としていたお城で羽柴秀吉の播磨攻めで落城したと伝わるお城だが意外に大きくて意外なくらい技巧に富んでいる。主郭に至る曲がりくねった城内通路など、なんだか東国の土の城を見ているかのようだ。

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ぴーかる

恒屋城 (2021/12/25 訪問)

【恒屋城】
<駐車場他>登城口前に城跡専用駐車場10台分程あり。
<交通手段>車

<見所>横堀・畝状竪堀・竪堀・堀切・曲輪
<感想>赤松氏関連の山城攻め、この日の2城目。恒屋城の築城年は定かではないが、15世紀中頃に恒屋氏によって築かれました。恒屋氏は赤松氏の臣下で恒屋城は置塩城の北北東数キロの場所に位置することから支城として重要な役割をしていたと思われます。秀吉によって落城したものと伝わりますが資料に乏しいようです。
 恒屋城は全景を撮った添付写真に見られるように、二つの山の山頂部分を主曲輪として前城後城とに分けています。鞍部は馬場のような平坦な広い曲輪で繋いでいます。
 登山道はまず前城に出ます。登りきる少し手前から竪堀と並行して登るので山頂近くの目安になります。前城山頂の下段の畝状竪堀群に出ます。かなり薄まっていますがそこそこ見応えあります。山頂曲輪の切岸に発掘された五輪塔が並べられています。鞍部を通り、二郭が最大の見所で長い横堀があります。高さも7mあるそうで行った関西の中世山城のなかでは最大級、武田流の城をも彷彿とさせます。二郭横堀の反対側に大竪堀があり、これも見応えあります。二郭~主郭までの段曲輪や堀切が未整備でちょっと鬱蒼としているのが勿体ないところ。ここから麓まで続く大竪堀が1条あるようですが木々で埋もれさっぱり分かりませんでした。主郭帯曲輪に瓦片が落ちていて発掘でも出てきているので早い時期から瓦が使われていたのだろうか?主郭虎口には数個の石が見受けられたので虎口は石積みであったことを思わせます。主郭から違うルートの方向版があって北側を少し攻めましたが藪化で無理でした。上り下り道は1本のようです。
 下山後駐車場で保存会の会長さんにお声がけ下さいました。駐車場、登山道が綺麗に整備されている事と曲輪内が少し鬱蒼としている事を伝えさせてもらいました。会長さんは盛り上げたい為に御城印を作りたいそうです。二郭周辺が見応えある城跡、応援します。

<満足度>◆◆◇

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 恒屋氏
築城年 長禄2年(1458)頃?
主な城主 恒屋氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀
指定文化財 市史跡
再建造物 碑、説明板
住所 兵庫県姫路市香寺町恒屋字城山
問い合わせ先 姫路市文化財課
問い合わせ先電話番号 079-221-2786