せんごくじょう

千石城

宮城県大崎市

別名 : 千石館、松山城、松山館、文覚館
旧国名 : 陸奥

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

しんちゃん

弁慶坂から本丸へ (2025/01/03 訪問)

千石城は県道242号線の東の丘陵上に築かれていて、三の丸が駐車場になっています。三の丸から南に二の丸、本丸と続き周囲に曲輪などが残っています。今回は南の県道沿いから「弁慶坂」を登って行って本丸からアクセスしています。
弁慶坂を登って行くと周辺に曲輪などが見られるため、駐車場から訪問するより多めに城址の雰囲気を楽しむことができます。

遠藤盛遠(文覚上人)もしくは、その後裔によって築かれたとされ、天正16年(1588)には遠藤高康が千石館の主であったとされています。
同年の中新田合戦では伊達の軍勢が千石館を基地として参集し、天正18年の大崎一揆の平定に際して、伊達政宗が入城しており、遠藤氏は伊達氏に従い大崎氏と対抗していたと見られ、千石館はその拠点であったようです。
遠藤氏が領地替えになった後も、江戸期を通して使用されますが、館主である茂庭良元が慶安4年(1651)に上野館に隠居し、子の定元も上野館に移り、千石館には三の丸に家臣が一名置かれるのみとなりました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり⑰ (2025/04/27 訪問)

朝田辰兵衛さん、神奈川コンプリートおめでとうございます。遠方への遠征に力点を置いている私にとって、関東地方のコンプリートは非常にハードルが高くなっています。古希を迎える前に達成できるかどうか、かなり怪しい状態です。

さて、4月27日の攻城も終焉が見えてきました。千石城はコスモス園(松山御本丸公園)という広大な公園として整備されています。駐車場のキャパシティも非常に大きいです。公園としての整備が加えられすぎているようにも感じますが、堀切など、城の遺構も楽しむことはできました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

刑部

季節外れのコスモス園 (2023/01/04 訪問)

秋は沢山の人がいると思うが今は誰1人いませんでした。まるまる城址をコスモス園にしたようです!

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

山口駿河守幻夢斎

公園整備された古城跡の裏の顔は・・・ (2021/06/01 訪問)

こちらも以前から訪れたかった城跡。

JRの駅からは、遠いこととかなりの山の上になるので、車での訪問が吉。

駐車場が、だんだんに数か所設置されている。

完全に公園整備されており、遺構の破壊もされているのかと思いきや、堀切の遺構は完璧に残されており、城跡の雰囲気を損なうことなく、良好な整備が施されている点に、感動を覚えた。

特に、岩盤を断ち切る大堀切は迫力満点。

丁寧に見て回ると、支尾根にも、堀切や竪堀などもあるようだが、散策路周辺の遺構だけで、十分に満足して公園を後にした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 山城
築城主 遠藤盛継
築城年 応永8年(1401)
主な城主 遠藤氏、石川昭光、古田重直、茂庭良元
遺構 曲輪、腰曲輪、土塁、堀切
再建造物 説明板
住所 宮城県大崎市松山千石字本丸(御本丸公園)
問い合わせ先 宮城県北部地方振興事務所地方振興部
問い合わせ先電話番号 0229-91-0763