せんごくじょう

千石城

宮城県大崎市

別名 : 千石館、松山城、松山館、文覚館
旧国名 : 陸奥

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本丸
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todo94

ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり⑰ (2025/04/27 訪問)

朝田辰兵衛さん、神奈川コンプリートおめでとうございます。遠方への遠征に力点を置いている私にとって、関東地方のコンプリートは非常にハードルが高くなっています。古希を迎える前に達成できるかどうか、かなり怪しい状態です。

さて、4月27日の攻城も終焉が見えてきました。千石城はコスモス園(松山御本丸公園)という広大な公園として整備されています。駐車場のキャパシティも非常に大きいです。公園としての整備が加えられすぎているようにも感じますが、堀切など、城の遺構も楽しむことはできました。

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刑部

季節外れのコスモス園 (2023/01/04 訪問)

秋は沢山の人がいると思うが今は誰1人いませんでした。まるまる城址をコスモス園にしたようです!

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山口駿河守幻夢斎

公園整備された古城跡の裏の顔は・・・ (2021/06/01 訪問)

こちらも以前から訪れたかった城跡。

JRの駅からは、遠いこととかなりの山の上になるので、車での訪問が吉。

駐車場が、だんだんに数か所設置されている。

完全に公園整備されており、遺構の破壊もされているのかと思いきや、堀切の遺構は完璧に残されており、城跡の雰囲気を損なうことなく、良好な整備が施されている点に、感動を覚えた。

特に、岩盤を断ち切る大堀切は迫力満点。

丁寧に見て回ると、支尾根にも、堀切や竪堀などもあるようだが、散策路周辺の遺構だけで、十分に満足して公園を後にした。

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カズサン

岸壁切岸、堀切が凄い大城郭です (2020/10/27 訪問)

 彫堂七館を終えて南に約4km程の千石城を目指す、千石城も4年前素通りした城、今回初登城です、城跡の松山御本丸公園頂部まで車で登れるとの情報でナビを御本丸公園に合わせ走行、頂部の前に三段に成って駐車場が在るので三の丸直ぐ下の駐車場を利用、トイレ完備。
 標高70m程、駐車場から三の丸へ御本丸公園と成って居りコスモス園とも、コスモスの盛りは過ぎてましたが花は残ってます、駐車場には熊注意の看板、コスモス園のスピーカーから音楽が流れて居り熊予防に成ってる。
 丘陵先端が広い三の丸、西奥に大きな櫓台の様な展望台、南側の高みに向かって続曲輪、堀切、二の丸、堀切、本丸と続く、南側は崖、三の丸より本丸に向かって切岸下に通路が通ってる、特に二の丸南側は岸壁を削った様な垂直な切岸で絶品である、現在各曲輪は橋で繋がってる。
 本丸南側、東側下にも曲輪群が備わって居り、本丸南下に大堀切が有るとの情報でしたが登り降りが大変なので頂部の曲輪のみ、また三の丸周辺には土塁の跡が残って居り三の丸北側にも曲輪群が備わってる、丘陵全体を要塞化したような大城郭です、ここを探訪するまでこれ程の大きさとは想像もしませんでしたチョイ寄りは難しい。
 案内説明板は駐車場、三の丸、各堀切下、本丸に在ります。
 兎に角いい城です東北宮城にお越しの節は是非とも寄って見て下さい車で上がれて便利です。

 歴史的には鎌倉時代遠藤氏によって築かれた、戦国期伊達氏の対大崎構えの城、北の鳴瀬川が境か?奥州仕置き大崎葛西一揆を経て伊達領に遠藤氏は御一門として登米に移封、伊達家臣が城主と成り、麓に館を造り城主は移り、三の丸に城番が務めたと。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 遠藤盛継
築城年 応永8年(1401)
主な城主 遠藤氏、石川昭光、古田重直、茂庭良元
遺構 曲輪、腰曲輪、土塁、堀切
再建造物 説明板
住所 宮城県大崎市松山千石字本丸(御本丸公園)
問い合わせ先 宮城県北部地方振興事務所地方振興部
問い合わせ先電話番号 0229-91-0763