千石城は県道242号線の東の丘陵上に築かれていて、三の丸が駐車場になっています。三の丸から南に二の丸、本丸と続き周囲に曲輪などが残っています。今回は南の県道沿いから「弁慶坂」を登って行って本丸からアクセスしています。
弁慶坂を登って行くと周辺に曲輪などが見られるため、駐車場から訪問するより多めに城址の雰囲気を楽しむことができます。
遠藤盛遠(文覚上人)もしくは、その後裔によって築かれたとされ、天正16年(1588)には遠藤高康が千石館の主であったとされています。
同年の中新田合戦では伊達の軍勢が千石館を基地として参集し、天正18年の大崎一揆の平定に際して、伊達政宗が入城しており、遠藤氏は伊達氏に従い大崎氏と対抗していたと見られ、千石館はその拠点であったようです。
遠藤氏が領地替えになった後も、江戸期を通して使用されますが、館主である茂庭良元が慶安4年(1651)に上野館に隠居し、子の定元も上野館に移り、千石館には三の丸に家臣が一名置かれるのみとなりました。
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