淀山城から車で10分弱で、禅昌寺手前空スペース(35.072690、135.347073)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、永正年間(1504年〜1521年)籾井照綱によって築かれたと云われています。
織田信長の命を受けた明智光秀によって、1576年(天正4年)、1577年(天正5年)と二度にわたる攻撃を受けて、籾井城は落城し、籾井氏も没落しました。
黒井城主赤井(荻野)直正が波多野氏の赤鬼と呼ばれたのに対して、籾井城主籾井教業が青鬼と呼ばれ勇猛な武将として伝承されていますが、教業に関してはその実在が疑われているようです。
籾井川沿いから山に登る図がインターネットにあったので、川沿いを歩きましたが、金網で上に登る道がありません。
戻って墓方向に歩いてみましたが、ここも上に登る道がわからず、時間も押していたので攻城を諦め麓で撤収しました。
家に戻り、調査したところ籾井川と墓方向の道の中間辺りに城跡公園に登る道があることがわかりました。
入口は分かりづらいみたいですね。
攻城時間は25分(城跡公園に行く道を捜した時間になります)をくらいでした。次の攻城先=丸山城に向かいました。
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