【籾井城】
<駐車場他>駐車場はなし。登城口そばの道路脇に停めれます。
<交通手段>車
<見所>堀切
<感想>日帰り光秀丹波攻城の旅1城目。この城は籾井氏の本城で、波多野氏と婚姻関係があるのでその旗下で足利義昭に従っていたが、義昭追放後波多野氏と共に抵抗して、光秀が丹波攻めの際に落城した。丹波の青鬼である籾井教業の実在が疑わしいが、当時の当主籾井綱利は18日間の必死の抵抗をみせたそうです。京都の亀岡市方面から進撃するとまずぶつかる所です。
登城口はお寺さんのすぐ西側にあり、登山道はほぼ真北に尾根をまっすぐ登り、主郭の西側切岸下からはいります。
城跡は主郭の南側に2段の曲輪、北側は広い2段の曲輪、さらにその北に堀切を挟んで尾根状の細長い曲輪がある。その細長い曲輪の北端から西にまっすぐ尾根道が続いていたがその先は見ていない。主郭の東側は切岸樹木で遺構は確認出来ず、西側は切岸、堀切を挟んで西に曲輪が伸びていた。
規模が小規模で攻め手であろう南・南西方向の防備が薄い感じがしたのにもかかわらず、よく耐えたものだと感じた城でした。
<満足度>◆◆◇
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