いなやつまじょう

稲八妻城

京都府相楽郡

別名 : 稲屋妻城、南稲八妻城、狛稲八妻城、狛稲八間城、政ヶ谷城
旧国名 : 山城

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北稲八間城山
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山城一揆 (2023/07/20 訪問)

山城一揆の中心的役割を担ったとされる城で、後には松永久秀が治めたこともあるとされています。稲八妻城の場所はいくつか説があるようです。京都府埋蔵文化財情報を見ると①植田②北稲八間③南稲八妻が比定地とされています。城びとでは南稲八妻が城址となっています。かなり大規模な城であったという説もあります。京奈和自動車道の跨道橋を渡った所が登城口らしいのですが、ネットの情報で立ち入り禁止になっているとのことでした。行ってみるとやはり柵がありましたので無理をしないで撤退しました。それなりの興味を持っていたので少し残念でしたが、仕方ありませんね。他の候補地である北稲八間城山に案内板があるとのことで写真に収めて帰って来ました。精華町教育委員会が作成している案内板を見ると城山説が有力となっています。

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畠山政長と畠山義就の狭間で (2020/01/18 訪問)

応仁の乱に先駆けて大和は、動乱にあった。畠山の影響を排除したい国人、農民が最期に立て籠ったとのこと。
比高はないが、登城側の東を除いて急峻。本郭から南と西に尾根が続く。尾根の付け根を掘って平削地と土塁を作っているので、尾根道よりも本郭が低い。倒木、倒竹で、遺構が見辛い。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 奥田甚助、稲八妻氏
遺構 曲輪、横堀(空堀)
住所 京都府相楽郡精華町南稲八妻皿池他(推定地)