のまじょう

野間城

大阪府豊能郡


旧国名 : 摂津

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野間氏の城 (2024/01/11 訪問)

 妙見山に続く南嶽山から派生する城山にあり、北へ階段状の曲輪、尾根側(南西側)に堀切と竪堀を設けています。主郭背後の堀切は倒木があるものの迫力があります。その堀切の北側に複数の竪堀があり、もうひとつ堀切がありました。
北の麓には野間館跡があります。

 案内標識等が全くなく、登城口を見つけるのに少し彷徨いましたが、ネット情報等を参考に何とか主郭まで行くことができました。登城路を見つけてしまえば道はわかりにくくなっている所もありますが、迷うことはありません。

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野間中城 (2024/01/06 訪問)

ぴーかるさんが一番槍を付けた野間城に登城し、返す刀で、野間川を挟んで北側の野間中城にも登城して参りました。
野間城、野間中城とも説明板や道標はありません。ぴーかるさんの的確な登城ルート説明のおかげで、迷うことなく、野間城及び麓の館跡を訪れることができました。Ⅰ郭背後の二重堀切、大きいですね。東側に多くの郭が連なり、結構規模が大きかったです。
Google mapを見ると、すぐ近くに、野間中城の表示があり、他サイトの記事を参考に登城しました。野間中城は、尾根先端にあり、その麓の集会所のような建物の背後から登り始めましたが、いきなりの腰高さの笹叢。今の季節なので、薄い道痕をたどって北面のⅡ郭にたどり着くことができました。城域は、Ⅰ〜Ⅲ郭からなり、杉が植林されて下草がなく、遺構がよくわかりました。野間城よりは規模が小さく、野間城の支城かと。
Ⅰ郭の南側は、高い切岸や竪堀、そして鞍部を経て、ピークがありますが、人の手は入ってなさそうです。このピークから麓までは、杉の植林地で下草もなく、春〜夏は、こちらから直登するのがよいかも。
野間城、野間中城は、狭い盆地の南端にあり、北端には、能勢氏の丸山城が見えました。

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ぴーかる

野間城 (2021/02/11 訪問)

【野間城】
<駐車場他>駐車場はなし。能勢町立けやき資料館駐車場10台程度あり。
<交通手段>車

<見所>堀切・竪堀り・土塁
<感想>日帰り府またぎと蜜にならない城攻め3城目。野間城城びと初投稿いただきます。野間城は1168年に多田源氏の流れを汲む野間高頼によって築かれたと伝わります。野間氏は、この地方の国人領主で摂津能勢地方において同族の能勢氏、余野氏と共に能勢三惣領の一つとされています。天正8年(1580年)に野間資持の代に信長の召し出しに応じなかった丸山城の能勢頼道と共に誘殺されました。その後城は廃れたようです。

 城跡への行き方はポイント<34.942851, 135.456618>から農道を南にまっすぐ進みます。行き着く少し手前の左手一帯が野間氏居館跡になります。(次に投稿します)土手に行き着くので、土手を登った所に溜池がありますので、すぐに左に向きを変えて南東方向に少し進むとトタンの波板を壁にした道が造ってありますのでそこを通ります。更に少し進むと添付写真の赤い鳥居がありますのでそこが登城口となります。
 登山道は途中薄くなっていて道がわからなくなっていますが、中腹に石灯籠がポツンとありますので目指して登ってください。15分程度で登れます。
 城跡は櫓台を備えた主郭にその北側から東側にかけての半面大きい副郭が取巻いています。副郭の北の斜面にかけて小さい連郭があります。主郭西側には2重堀切があり、主郭から1条目は大堀切になっています。2重堀切の北側斜面は畝状竪掘りが薄くなっていますがなんとなくわかります。この2重堀切のさらに西側の山の高くなっている方向に数百㍍進んでみたが遺構は見られなかったので、城跡は堀切までのようです。
 麓居館と山の詰め城のオーソドックスなパターンだが、手を加えつつも鎌倉時代以前からあるのがすごい城跡です。大堀切見応えありです。

<満足度>◆◆◇
<周辺観光>野間の大けやきは樹齢千年を超える全国4位の巨樹です。大けやきに隼?かなにかの猛禽類の巣があるようです。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 野間高頼
築城年 仁安3年(1168)
主な城主 野間氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、竪堀、木戸跡
住所 大阪府豊能郡能勢町野間中