さわだじょう

沢田城

兵庫県丹波篠山市


旧国名 : 丹波

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六神合体

割と見所あり (2021/07/25 訪問)

籾井城は閉業中?と言うグーグル先生の怪情報のせいで籾井城を断念したわけですが・・・・(実際は営業中です。グーグルのミスです)

代わりに行ったのが篠山城からも近いこの澤田城だったわけですが。
小林寺の背面がほぼ城跡なのですね。

堀切っていうか空堀かなぁって部分が通路になっていてそこから二重堀切など見所はいっぱいありました。

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カズサン

八上城の支城、土居ノ内の帰りチョイ寄り (2021/05/14 訪問)

 舞鶴若狭道丹南篠山口ICを降りた辺りからナビに篠山城、八上城が画面に表示され存在の大きさが分かります、先に土居ノ内(大渕館)の探訪を終えて、西に直線2、3km程の沢田城に初登城、八上城からは北西に2、3km程、篠山城からは北東に1km程の所で直ぐ近くです。
 Googleの地図で見ると篠山盆地の田圃に浮かぶ小山に築城した様子が分かります、小林寺のすぐ裏が切岸で本丸、両翼に出丸か?出羽丸を控て馬蹄形、北奥が二の丸、搦手、周囲に池が点在し外濠の名残なのでしょうか?(現地案内板の城址平面図参照)

 先ずは小林寺を目指します。
 駐車場:小林寺山門前に参拝者駐車場(N35°04'45" E135°13'36") 10台以上は可能。

 登城ルート:駐車場⇒山門を潜り⇒本堂参拝⇒奥、本堂横の渡通路を潜り⇒長い階段を登る⇒三蔵法師聖骨塔⇒左横登城口⇒堀底道を歩き本丸、城石碑、説明板が有る⇒更に奥の北が二の丸搦手、回り込むと東の出羽丸、馬場と成る。私は本丸城石碑辺りで引き返す。
 お寺さんのお陰か地元保存会のお陰か本丸までは整備され歩きやすく見学しやすい城跡です、西の出羽丸は檀家さんの墓場に成ってます、東の出羽丸は行ってません。車で行け駐車場も有り大変ありがたい。
 
 歴史:同説明板によると沢田城は戦国の昔八上城主波多野秀治の命令で小林氏が此の地、滝山に築造したものである。小林氏は沢田及び、現在の黒岡・郡家の1100石余を領してた、小林氏4代が城主を務め初代城主長任が築城天文年間(1540年頃)、2代城主長治が父の菩提とし庵を建つ、4代重範天正7年(1579年)柏原八幡山で戦死、沢田城落城。(沢田城案内板による) 光秀の丹波侵攻で波多野氏と共に小林氏も滅亡。

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ぴーかる

沢田城 (2020/06/20 訪問)

【沢田城】
<駐車場他>小林寺駐車場あり。
<交通手段>バイク

<見所>本丸横堀・堀切
<感想>沢田城は八上城主波多野秀治の武将小林長任が、永禄年間(1558~70)に築いたものという。1579年頃に時の城主小林修理進(平左衛門)重範は、明智光秀勢の攻撃をうけ討死して落城した。

 登城口は小林寺境内奥から階段を登って、三蔵法師聖骨塔の左奥の山道を少し登るとすぐ城跡碑のある主郭に着きます。主郭は広い楕円形で南側には横堀がはしっている。北東側に二の丸があるが藪化して入れない。東側は階段状の腰曲輪がいくつかある。曲輪には伐採した竹が積んであり、物置になってます。更に東に下ると堀切があり舌状の馬場があります。そこは果樹園になっているようです。馬場を抜けると毘沙門堂があります。主郭の南西側にある出羽丸という曲輪は墓地になっていました。

 比高がそれほどない丘城で、他の波多野氏に従属した城、荒木城や籾井城程の堅固さはあまり見られなかった。

<満足度>◆◆◇

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シロマサ

小林寺の裏山が城跡 (2019/11/13 訪問)

この城は八上城主波多野秀治の武将小林長任が、永禄年間(1558〜70)に築いたものという。
天正7年時の城主小林重範は、明智光秀の攻撃を受け落城した。
篠山城の北東の沢田にある小林寺の裏山が本丸跡です。
小林寺は小林氏の菩提寺であり、本丸に行くにはお寺のお堂の横を潜ると、石段があり登って行くと三蔵法師のお墓があります。
その墓の横を登って直ぐに本丸に着きます。

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 小林長任
築城年 天文年間(1532〜1555)
主な城主 小林氏、澤田長治
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 石碑、説明板
住所 兵庫県丹波篠山市沢田334