八上城の支城、土居ノ内の帰りチョイ寄り
(2021/05/14 訪問)
舞鶴若狭道丹南篠山口ICを降りた辺りからナビに篠山城、八上城が画面に表示され存在の大きさが分かります、先に土居ノ内(大渕館)の探訪を終えて、西に直線2、3km程の沢田城に初登城、八上城からは北西に2、3km程、篠山城からは北東に1km程の所で直ぐ近くです。
Googleの地図で見ると篠山盆地の田圃に浮かぶ小山に築城した様子が分かります、小林寺のすぐ裏が切岸で本丸、両翼に出丸か?出羽丸を控て馬蹄形、北奥が二の丸、搦手、周囲に池が点在し外濠の名残なのでしょうか?(現地案内板の城址平面図参照)
先ずは小林寺を目指します。
駐車場:小林寺山門前に参拝者駐車場(N35°04'45" E135°13'36") 10台以上は可能。
登城ルート:駐車場⇒山門を潜り⇒本堂参拝⇒奥、本堂横の渡通路を潜り⇒長い階段を登る⇒三蔵法師聖骨塔⇒左横登城口⇒堀底道を歩き本丸、城石碑、説明板が有る⇒更に奥の北が二の丸搦手、回り込むと東の出羽丸、馬場と成る。私は本丸城石碑辺りで引き返す。
お寺さんのお陰か地元保存会のお陰か本丸までは整備され歩きやすく見学しやすい城跡です、西の出羽丸は檀家さんの墓場に成ってます、東の出羽丸は行ってません。車で行け駐車場も有り大変ありがたい。
歴史:同説明板によると沢田城は戦国の昔八上城主波多野秀治の命令で小林氏が此の地、滝山に築造したものである。小林氏は沢田及び、現在の黒岡・郡家の1100石余を領してた、小林氏4代が城主を務め初代城主長任が築城天文年間(1540年頃)、2代城主長治が父の菩提とし庵を建つ、4代重範天正7年(1579年)柏原八幡山で戦死、沢田城落城。(沢田城案内板による) 光秀の丹波侵攻で波多野氏と共に小林氏も滅亡。
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