くさじじょう

草路城

京都府京田辺市

別名 : 草内城
旧国名 : 山城

投稿する
①横堀1
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)11日目:草路城 (2024/10/02 訪問)

同志社前駅から徒歩20分ちょっとで、咋岡神社(くいおかじんじゃ)鳥居前(34.811577、135.786096)に着きました。

草路城の築城年代は定かでないようですが、国人草内氏によって築かれたと考えられているようです。
応仁・文明の乱(1467年-1477年)後も南山城では東西両軍の対立は続き、1482年(文明14年)に東軍の畠山政長が東軍の諸勢を草路城へ集め、西軍の畠山義就に備えたが西軍に攻められ落城しています。
1485年(文明17年)の山城国一揆では東軍の拠点となっています。

草路城は、草内地区の咋岡神社境内一帯の築かれていました。
神社の参道入口脇に神社の案内板がありますが、破れた案内板に草路城の文字が見えます。
遺構は、神社境内の西面と南東角に土塁跡、神社社殿の北側に横堀が残っていました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=稲八妻城を目指す為、興戸駅から電車で新祝園駅に向かいました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

秋の乗り放題パスでの攻城② (2024/10/12 訪問)

JR乗り放題なのに来た道を戻るのが嫌で近鉄線を利用してアプローチしました。咋岡神社がその故地になります。城址碑の向かいの標柱はフィルムがはがれかかっていて、咋岡神社の説明板の文字も半ば消えかかっていました。かすかな土塁と濠跡だという用水路が残りますが、山城国一揆の故地だと思うとありがたみがじわじわとわいてきました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

咋岡神社一帯が城址 (2024/04/19 訪問)

咋岡神社周辺が城址となっているようですが、うっすらと土塁が見える以外は、特に遺構を見つけることは出来ませんでした。
応仁の乱の後、畠山氏の跡目争いの舞台になり、文明14年(1482)畠山政長勢のこもる草路城を畠山義就勢が攻撃し、草路城は落城、数十人が切腹させられたとのことです。両畠山氏の争いは山城国の国一揆を招き、両畠山氏は山城国から撤退するも、明応2年(1493)一揆勢力内の対立に乗じて古市澄胤が抵抗する勢力を破って一揆は終結したとのことです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

咋岡神社 (2023/07/20 訪問)

近鉄京都線興戸駅から徒歩約15分、咋岡神社境内一帯が跡地です。石碑があり土塁、水堀の一部が残っています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 平城
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 遊佐氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(水堀)
再建造物 石碑
住所 京都府京田辺市草内宮ノ後
問い合わせ先 京都府教育庁指導部文化財保護課
問い合わせ先電話番号 075-414-5903