「落ちない城」として有名になったが実際に落ちてないのかは横に置き(汗)、赤松円心が新田の大軍を引き付けたことに始まり、その後も赤松氏の重要拠点であり続けたという点で難攻不落の名城であったことに疑いはなかろう。
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2023/06/11 10:25
2022/11/20 16:13
西播磨の山城「落ちない城:白旗城」 (2022/11/19 訪問)
「西播磨山城11」の投稿です。
まずは登城口に「落ちない城 白旗城」とタイトルのある説明板が目を引きます。
「落ちない城」であるから受験生向けに上郡町の何か所かで白旗城の絵馬が販売されており、
ふもとと山頂の絵馬掛所で願掛けするのだそうです。
獣除けの柵の中に入りほどなく進むとふもとの絵馬掛所があり、それを過ぎると登りとなります。
尾根までは踏みしめる足元の石や山肌に散らばる石、立っている大岩も青く、また周りの杉の木も
幹が青く、幻想的な青い森の中を進んで行きます。不思議な場所に居るような感覚に包まれました。
その途中には石垣や木に止められた大岩などがあり、ここで既に見どころ満載。
石垣は斜面に長く伸びており、登り石垣のような造りとなっているように見えます。
尾根に上がると様子は一変して、山城の領域と入って行く。
堀切があり、櫛橋丸跡や二の丸、本丸と山城の遺構を満喫しながら歩いていると広い三の丸に到着。
青い森の上にこんな広大な曲輪があり、またその先まで進むと、また堀切や竪堀も残っており、
最後まで飽きさせません。
山頂の広大な山城跡を十分に楽しんだ後、登ってきた幻想的な青い森、途中にあった石垣や大岩を
山下りの目線で見て下りると二重の楽しみを味わえる印象的な山城です。
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2022/03/06 13:34
侍屋敷、大手郭の石垣! (2022/03/05 訪問)
太平記を読みいつか登城してみたいという念願を果たした。
実現のきっかけは石垣も残るという情報を得たからだ。新田義貞と攻防した際に存在していたのであれば700年以上もたっており、また初期の技術で組まれた石垣でもあり自然破壊はかなり進んでいた。それでも見応えはあり感動!
道案内はまったくなかったが、二の丸から目視で侍屋敷を確認して降りたのち、谷筋を下りて行けばいいので問題なかった。しかし、見学終了後下りてきた道を戻ろうとしたとき大手郭から侍屋敷の間で左折すべきところを直登、しかたなく低木常緑樹の生い茂る谷筋沿いに尾根を目指してさらに直登。登り切ったところはなんと本丸を囲む帯曲輪。結果、直進して攻めあがってくる敵を防御する設備が大手郭、侍屋敷だったことを実体験してしまった。
行かれるかたは急な坂を下りる足元の装備、また地図での地形確認を十分したうえで。
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2021/12/20 12:37
赤松氏3大山城(続々100名城) (2021/12/18 訪問)
赤松氏3大山城の最後の城である白旗城跡に登城してきました。当日は午前中が大雪で登城を諦めるか迷いましたが、山城への情熱に負け、意を決して登城してきました。遺構は標高440mの急峻な白旗山上にあり、東西約560m、南北約400mにわたって残っています。急峻な大手道?を登る途中破却された石垣址が鮮明に残っており、見どころ満点でテンションが上がりました。尾根筋に入ってまず櫛橋丸が出現。眺望が素晴らしく、街道や、登城してくる人が監視できるように作られているのが分かります。更に尾根伝いに進むと広い二の丸、その奥に本丸があり、その奥に三の丸などの主要な遺構が見られました。城跡の各所に堀切や石積、土塁などの防御施設が残り、戦乱に耐られる強固作りであることがわかります。さすが「落ちない城」で有名なことだけあるなと感じました。帰りに赤松公民館で「落ちない城絵馬」を購入。価格は白旗城パンフレット、鉛筆3本、絵馬でなんと500円。記念にぜひ購入を。
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分類・構造 | 連郭式山城 |
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天守構造 | なし |
築城主 | 赤松則村 |
築城年 | 元弘3年(1333) |
主な城主 | 赤松氏 |
廃城年 | 嘉吉元年(1441) |
遺構 | 曲輪、土塁、堀切、井戸 |
指定文化財 | 国史跡(赤松氏城跡) |
住所 | 兵庫県赤穂郡上郡町赤松、野桑他 |
問い合わせ先 | 上郡町教育委員会社会教育課文化財係 |
問い合わせ先電話番号 | 0791-52-2912 |