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赤い城

観音堂 (2020/12/12 訪問)

下館城からさらに20分くらい歩きます。
観音寺の辺りが城址。
観音堂の南側の道路堀切跡のようです。
参道に土塁がありますがこれは後世のものです。
観音寺脇に石碑が立っていてここが主郭、本堂裏の紅葉が綺麗でした。

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退会済み
ユーザー

忍城に行きました (2020/11/22 訪問)

忍城に行きました。
成田氏が築城しました。徳川時代では松平下総守家が城主です
この城は遺構は御三階櫓、本丸西側の土塁や塀です。
あとはいまの水城公園の外堀(大沼)です。戦国時代に難攻不落の名城と言われました。
理由は上杉氏や武田氏にたびたび攻められてるからです。だけど、一回も落城しません。だからです
さすがに秀吉には負けると思いきや小田原落城までもちこたえました❕
皆さんも行ってみてください!!
スタンプは11/22は行田市郷土博物館の出入口の入った右です。
(休みの日には観光情報館ぶらっと行田です。)

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スティクラ

天王山登山→勝龍寺城公園(本丸跡) (2020/12/13 訪問)

今回2回目。
JR山崎駅下車後、宝積寺からではなく、駅から少し東に行った登山口から出発。
登山者はそれなりの登山の服装をした人だけでなく、軽装の子供連れのご家族、山菜を取っているグループ、ランニングで降りてくる人など様々。
登山口から山頂まで30分~40分くらい。山頂では比較的平坦な場所が多く、食事をしている人が多かった。ただし、座る場所や机はないので、シートは必須。
2回目のため、登頂後は小倉神社方面へ向かい、水無瀬の滝方面から下山。竹林や高速道路を上から見える場所などは良かったが、滝自体はそれほど…。時間も山頂から40分以上かかり道も少し悪いので、あまりオススメはしません。
下山場所は、JR山崎駅とJR島本駅の真ん中くらいだったので、JR山崎駅から乗車し、隣のJR長岡京駅へ。

JR長岡京駅から10分程度で勝龍寺城公園へ。
勝龍寺城は、細川忠興と明智玉(細川ガラシャ)が新婚時代を過ごした場所と言われている。公園自体は堀があり城っぽく、公園内に歴史展示コーナーなどがあり、それほど広くはないので、じっくり見てまわっても20分かからないと思います。

御城印をお求めの方は、勝龍寺城公園では購入できず、JR長岡京駅近くのJR長岡京駅前観光情報センターで購入できます。(阪急西山天王山駅前、阪急長岡天神観光案内所でも高二できるらしいです)。

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カルビン

[土屋城] 神奈川県平塚市土屋194−3 (2015/11/15 訪問)

小田急線東海大学前駅から結構な距離歩きますが、ギリ徒歩圏内だった土屋城をご紹介。

土屋城は鎌倉幕府の御家人だった土屋三郎の居城になります。
すぐ近くに土屋氏一族墓が当時のまま残っているという事から、整備による地形変動はされていない模様・・・なので、この時代のお城には技巧的な遺構は少ないという事もあるのでしょうが、お城としての遺構がほとんど見られませんでした。
(曲輪、土塁のような地形は見られるものの、恐らく違うかとorz)

解説版がちゃんと設置されており、当時この場所が交通の要所であった事が書かれております。。。流石御家人が支配する地はそれなりに重要な場所を任されていたという事でしょう。


ここだけを目標に訪問するにはボリューム少なすぎるので、周辺の史跡巡りの際にセット訪問されるのが良いかと。

神奈川県はその位置からか鎌倉幕府系の無名に近い史跡が数多いので、マイナーな場所を見つけに行くのも一つの楽しみかもしれませんヽ(・ω・ )

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藤咲

丸亀城 (2020/11/28 訪問)

丸亀駅からも近く、天守内以外は自由に入れるので散歩されてる近隣住民の方も多かったです。
天守や石垣はもちろんですが、現在行われている石垣修復作業場もある意味、今しか見られない貴重な場所ですね。クレーンで石が一つずつ運ばれているのを一日中でも眺めていられそうです(笑)
お土産に勝った石垣チョコがかわいかったです!

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藤咲

高松城 (2020/11/29 訪問)

初めての香川県上陸です。
高松駅からも近くて、見所も結構たくさんありました。日曜日には月見櫓の内部見学や、水手御門も開扉されています。
宿泊した高松駅近くのホテルの窓からちょうど天守台が見え、更に後方が瀬戸内海という事もあって余計な建物(ビル等)が視界に入らず、天守が復元したらとても素晴らしい景観になると思います。
その時にはまた是非訪れてみたい場所です。

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カズサン

松浦党垂直岩盤の堅城 (2020/11/26 訪問)

 怡土城、伊都国歴史博物館を終えて県道56号線、国道263号線を南に脊振山地を越えて佐賀大和IC経由今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第23城目直谷城を目指す、ナビは長崎県佐世保市吉井町直谷、GoogleMapを微調整して直谷城の搦手駐車場に合わせる、(吉井小学校の裏山内裏山の西)、長崎道、武雄JCTを佐世保道経由終点佐々ICを降り国道204号線を松浦市方向県道40号線へ松浦市方向、吉井小学校に着くここには直谷城大手口等の看板が有るが過ぎて約800m程に直谷城搦手口の案内看板が有り橋を渡り林道舗装道に入る、約600m程回り込む様な形で直谷城の搦手駐車場がある、駐車は十分に余裕有り大型バスも駐車可能、トイレ有り若干古い。

 駐車場の南に登城階段、脇に案内板、想像俯瞰図、石碑、搦手道からの入城はアップダウンが少なく登城しやすい、岩盤を削った搦手道、竪堀、搦手門跡、岩盤土塁を切った虎口、虎口を越えて、岩盤土塁の裾を通り、「搦手、本丸」の分岐案内板、ここから南下が大手口ですが本丸に進む、鳥居を潜り一ノ木戸から本丸へ、垂直岩盤の上が本丸、天守台、物見櫓台、今は通行禁止の姫落としの崖、天守台の西に二の丸、草は刈られて整備されてる、覗くとゾッとするくらいの崖です。
 
 先程の分岐案内板まで戻り折角楽な道で探訪したのにと思いましたが大手口方向に降りる事に、二の木戸、大手道を南へ、両岸の岩盤が迫って来そうな深さ高さ、馬蹄形に南に開けてる、杉枝で埋まってるが四角な井戸跡、渓谷いっぱいに土塁が4連で南大手口へ連なってる、二の木戸側から1の土塁2の土塁3の土塁4の土塁と防御、間には当然空堀が有ります、小学校までは行きませんでしたが4の土塁の先の案内板まで、来た道を登り搦手駐車場へ。 大変見応えが有り感動興奮の直谷城探訪でした大満足です。
 
 帰りがけに地元の中学生がバス1台で直谷城社会授業、地元専門家案内付き、時間があったら一緒に回りたかったな!、専門家の方に直谷城の資料かパンフレット有りませんかと尋ねると頭の中との返事、中学生大いに勉強して下さい。

 歴史は松浦党一族の居城、室町時代には東シナ海を舞台に朝鮮国、琉球国との海上交易が活発、戦国時代竜造寺氏大村氏松浦氏相抗争し最終的には松浦隆信の所領と成った。元和元年(1615年)の一国一城令で廃城。

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小雪

イルミネーション (2020/11/21 訪問)

11/21-22熊本城夜間特別観覧に行ってきました。特設の通路から見る、2年ぶりの熊本城は、少しずつ復旧が進んでおり、心強い気持ちになれました。
破れ崩れても尚、雄々しく気高い熊本城を見て、また一段と勇気を貰えました。
来春の天守公開まで、もうひと踏ん張り、がまだせ!熊本!

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昌官忠

次男と二人で1泊2日の関西遠征⑤ (2018/09/23 訪問)

「次男と二人で1泊2日の関西遠征」の5城目は二条古城です。二条城からの転戦です。
二条城から二条城前駅➡烏丸御池駅は京都市営東西線を利用し、そこからは徒歩で京都国際マンガミュージアムに着きました。

「城びと」で登録されている二条古城の所在地は「平安女学院大学 京都とキャンパス」付近なのですね。
自分は攻城時、別サイトに入会しており、そのサイトでの所在地が「京都国際マンガミュージアム」付近でしたので、こちらを訪問しています。

二条古城は織田信長が京に滞在中の居所として築いた城で、のちに皇太子に献上した為「二条新御所」とも呼ばれているようです。
「本能寺の変」での際に織田信忠が籠城したのはこの二条古城だそうです。遺構は残っておらず石碑のみです。攻城時間は5分くらいでした。

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昌官忠

次男と二人で1泊2日の関西遠征④ (2018/09/23 訪問)

「次男と二人で1泊2日の関西遠征」の4城目は二条城です。
前日、膳所城から宿泊先(大阪・阿波座➡通天閣に行きたかったので京都宿泊ではなく大阪に泊まりました)に向かい、朝、阿波座駅➡堺筋本町➡淡路➡大宮(京都府)到着。途中、淡路駅で急行に乗り換えるところ、間違えてしまいましたが無事に到着。大宮駅から徒歩で二条城に着きました。

二条城は2回攻城しています。1回目が今回で、2回目が2018/12/05(1回目の2カ月半後です)に「クラブツーリズム関西2府4県ぐるっと日本100名城完全制覇5日間」のツアーで訪問。100名城スタンプは事務所付近の大休憩所で押しました。

1回目の今回は、二の丸御殿内や本丸御殿など主要部分は見学しました。といっても門廻りですね。
攻城ルート(撮影写真を辿る)は、東南隅櫓を堀外から見学➡東大手門から入城➡東南隅櫓を内側から見学➡唐門➡二の丸御殿内見学➡二の丸庭園➡唐門➡南門➡桜の園➡南中仕切門➡桃山門➡東橋➡本丸櫓門➡本丸庭園➡本丸御殿(閉まっていて中に入れませんでした)➡天守閣跡➡天守閣跡から西南隅櫓(今回は近くまで行ってません)や本丸御殿方面を望む➡西橋➡土蔵(北米蔵)➡西門➡旧二条城石垣&土塁➡北中仕切門➡和楽庵➡清流園➡香雲亭➡鳴子門➡北大手門➡緑の園➡大休憩所(100名城スタンプ押印)➡番所➡東大手門から外へ。

案内板を見ると本来は二の丸御殿から東橋を通り本丸櫓門➡本丸御殿ルートがお薦めのようですが、自分は門を見たかったのでぐるっと一周した感じです。見学して思ったのですが、二条城北側(北東と北西側)に隅櫓がないのは、1788年(天明8年)の大火時に焼失したのでしょうか?

二の丸御殿を見学しましたが、御殿内の写真が一枚も残ってないのは撮影禁止だったのかもしれません。二の丸御殿内の廊下が「鶯張り」で音が鳴ったのは覚えています。

さすが、世界遺産。一度は訪問する価値ありです。ずっと残してほしいので帰りに番所で、「寄付のバッチ」を購入をしました。攻城時間は120分くらいでした。

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todo94

今年初攻城の城ベスト3 (2020/11/08 訪問)

前日、明智光秀博覧会の山城コーナーで私にお薦めの城となったのがこの久々利城。可児郷土歴史館に駐車して攻城開始。枡形虎口も素敵だし、他の郭をきれいに俯瞰できる点も私の好みに合っているし、とどめは深く切れ込んだ二重堀切。間違いなく今年初攻城の城ベスト3に入ると思います。今年初攻城の城ベスト3のラインナップはすべて岐阜県の城になってしまいそうです。

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ヒロケン

ベストショット 自分ランキング10 (2020/11/28 訪問)

金沢城はかつて加賀一向一揆の本拠、尾山御坊の地であったと云われ1580年織田信長の命を受けた柴田勝家・佐久間盛政の攻撃を受け、尾山御坊は陥落、御坊跡は佐久盛政によって改築された。その後、1583年、賎ヶ岳の合戦で羽柴秀吉に柴田勝家が破れ、前田利家は秀吉に降る。利家は秀吉とともに金沢城に入城し、城郭・城下町を整備し近世城郭としての形が整えられ、1869年の廃藩置県まで14代にわたって金沢城は前田家の居城となりました。

現在、多くの建物は失われていますが、石垣・門跡・堀などが今に伝え、現存遺物としては、石川門・三十軒長屋・鶴丸倉庫が重要文化財。復元された建物は、菱櫓・五十軒長屋・橋爪門続櫓・橋爪門・河北門・鼠多門が復元され見所満載の大城郭です。

金沢城へは、3か月ぶり6度目の登城で、昨年から金沢にご縁♥があり、何度か訪れていますが、石垣の壮大さ、建物の優美さが何度来ても飽きさせません(#^.^#)。何度も投稿し申し訳ありませんが、今回登城したベストショット自分ランキング9か10を投稿させていただきます。

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にのまる

その3 (2020/10/16 訪問)

 本丸の新田神社から素直にモータープールに戻り、行きと同じ遊歩道を通って帰ろうと思っていたのですが、神社を下りたところに写真①の道案内を見つけてしまい…。
 この左側の「八王子・御城橋方面」というのは前回駈け上ったあの道?案内が出ているということはあながち無茶をしたわけではなかったということ?そして、もしかして今また私、あの道に呼ばれてる?と思ったらもう行くしかありません。
 ということでルート変更し山道を下ることにしました。するとすぐに「南木戸入口阯」の標柱と残存石垣。『金山城の南面は緩斜面のため郭を幾段も築き、敵の侵入を防いだ』という説明看板に周囲を見渡すと、ただの山道だと思っていたところが途端に帯曲輪の連なりに見えてきて(^^;)山城実感しながら下りました。そしてしばらく行くと小さな四阿があり、そこからピョンと車道に降りて渡ってまた山の中を下っていくとガイダンス施設に着く(はず)なのですが、ハイキングコースはまだ御城橋の方に続いていて、御城橋も麓で見た地図ではたしかガイダンス施設に近かったな、と思ったので、そのままgo to御城橋。しかし、これがなかなか遠かった(;’∀’)、そして御城橋から先はさらに遠かった(-_-;)。最終的に抜け出せたところはガイダンス施設ではなくて親水公園でした。ただ道中、やはり郭っぽい、竪堀っぽい、山城の匂いを感じたのであとで検索してみると、どうやら八王子山(砦)を駆け巡ったようでした。結果、良き思ひ出でございます。
 次回…があるなら、八王子砦のちゃんとした登城口を見つけてそこから上がって金山城を目指してみたいです。

〈おまけ〉
太田駅前の図書館がとってもステキでした。電車派の方は是非寄ってみて♪

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赤い城

八幡神社は建て替え中 (2022/12/12 訪問)

下館駅から徒歩で20分。
八幡神社に石碑が建っています。
五行川に臨む段丘状にありますが遺構はなさそう。
八幡神社が本丸で下館小学校が二の丸、三の丸になる。
神社と小学校の間の道路が堀切跡のようです。
結城氏家臣の水谷氏の居城だそうです。

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しろちゃん

北条氏の小机衆の拠点 (2020/11/18 訪問)

小机城へは、最初に訪れたのが40年前に来てから、これまで、5回程来城しました。以前は、横浜市の城跡の看板がありましたが、今は無くなっていますが、看板などは、新しくなっています。
場所は、鶴見川の南岸の丘陵の先端部に築かれた城である。
東西に二つの郭を配して、その周りを深い堀を巡らしています。
残念なのが、西側の郭の本丸の西側には、有料道路の第三京浜道路により遺構は姿を消していますが、見方を変えれば、よく本丸、二の丸など周辺が残ってくれたと感じる。
遺構は、土塁と空堀をよく残しています。
駐車場は無く、近隣の有料駐車場は、日産スタジアムの脇にあるつ鶴見川遊水地があります。

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カズサン

吉備真備築城の古代城郭 (2020/11/26 訪問)

 前日南肥後の城々を終えて八女市宿泊2泊へ九州未踏の城廻り遅延対策で九州縦横に動ける様にと決め、当日八女のホテルを8時前に出発、八女ICより九州道福岡高速道西九州道、無料区間から県道56号線へ九州未踏の城廻り22城目怡土城麓の土塁を目指す、怡土城の登城は体力気力的に到底無理なのでせめて山麓の土塁を探訪したいと県道56号線を南に進行、ナビは古城盛衰記さん情報の高祖神社(福岡県糸島市高祖1578)南の「怡土城址」の碑をGoogleMapで微調整し合わせる。
 
 探訪ルートは車を県道56号線ゆっくり南走行、高来寺辺りで第5望楼登城口案内看板発見、バス停に一時路駐し登城口撮影、さらに約200m南下し田圃先の土塁に看板を見つけ道より山手に入り老松神社横に路駐し土塁と堀跡の探訪、案内板撮影、その辺りから山裾に森林が連なってる様子が分かるが停まる所が無い、字「大門」と有りそれらしき案内板、土塁を車窓近く探すが分からず、ナビ目的地の高祖神社、金龍寺道路標識を山側約20m程入り、土塁、案内板、土塁の石碑に到着、駐車場は無いが幅広の道側に停めるトイレ完備。土塁に登り石碑、土塁、石垣、周辺を撮影。結構大きな高土塁、パンフレットによると南北に土塁が山麓に約2km連なってるとの事、怡土城案内解説板、吉備真備の顕彰碑などを撮影。 私は山麓の土塁列で十分満足です約1270年前の吉備真備に思いを耽る。

 歴史は天平勝宝8年(756年)吉備真備に依り築城途中に佐伯今毛人に交代し12年かけ完成、高祖山の西面山頂から山麓に広大な古代山城です。

 この後近くに在る伊都国歴史博物館を訪ねる入館料220円65歳以上無料、怡土城のパンフレット、資料を頼んで頂く、伊都国古墳出土物、大型銅鏡は日本一圧巻です。

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奥池ヶ谷のバス停から (2020/12/12 訪問)

 中河内川が城址を取り囲むように流れていて天然の堀となっています。登城口には看板があり、その右手から回り込むように登って行きます。途中で別れる道がありますが右手を行くと階段となっている所があり主郭の方に行くことができます。間違って真っすぐ行ってしまい、途中から直登することになりましたが、山は手入れされていて容易に登ることができました。堀切は浅くなっていますが見ることができます。主郭と思われる場所を越えて下りて行くと送電線の鉄塔があり、その周囲に曲輪と思われる階段状の削平地を認めています。井戸もあるという情報もありましたが、確認できていません。所々、遺構か否かわかりませんが、石垣かと思えるところもあります。予想以上に曲輪があり楽しむことができる城址です。
 静岡駅から静鉄バスにて奥池ヶ谷バス停へ行きました。1時間10分くらいかかります。30分乗っていると自分以外乗客がいなくなり貸し切り状態となりました。バス停から徒歩1~2分の所に登城口があります。バスの本数が少なく帰りのバスまで1時間くらいしかなかったので速足で見学しました。そのバスを逃すと次は4時間後でした。

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カズサン

綺麗に整備保全中世城館の見本 (2020/11/25 訪問)

 南肥後の愛藤寺城を終えて近くの道の駅通潤橋に寄り、通潤橋と傍の阿蘇氏の城岩尾城を展望所で遠望して来た道国道218号線を西へ宇土古城を目指す、ナビは宇土古城駐車場(熊本県宇土市神馬町665-3GoogleMapより微調整)に合わせ宇土城南に新しく出来てる広い道を通り中腹の駐車場に停める、トイレも完備。 
 今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第21城目初登城、ガイドは古城盛衰記さん余湖図コレクションさんの俯瞰図に依ります、宇土古城は十数年前に宇土城探訪しながら城探訪は建物、石垣、織豊系城郭中心でしたので駐車場の近くまで行って登城はして居ませんでした他の城を優先したのでしょう。

 探訪ルートは、駐車場案内解説板、雛壇曲輪を階段で登り、虎口土橋、左右の空堀、虎口を入り本丸千畳敷をぐるっと一周、遠望、土塁下の空堀を観察、本丸を降り内空堀城塁をぐるっと一周観察、西側の曲輪群、三城曲輪群を観察、千畳敷下の外堀(埋められ地表展示)を観察して繋がってる虎口東の竪堀を階段沿いから観察。
 低い独立丘陵を数段の曲輪で周囲を囲み2峰の高みを本丸千畳敷と三城の1城別格方式か?、空堀、虎口がモルタル状に保護固められてるがこれはこれで崩れ行く城跡遺構を守るため致し方なく綺麗に整備されてる。駐車場より小西行長の宇土城跡が近くに遠望出来ます。

 歴史は古く、平安期、鎌倉期、南北朝、戦国期を菊池氏、菊池一族が相抗争しながら治め、伯耆の名族名和氏(八代古麓城)と相良氏(人吉城)の抗争で古麓城を出た名和氏が文亀4年(1504年)から約80年城主として治めるが秀吉の九州征伐後没落、小西行長の織豊系城郭築城前後に廃城か?
 昭和54年3月12日国史指定で保全整備が行われた。
 

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昌官忠

次男と二人で1泊2日の関西遠征③ (2018/09/22 訪問)

「次男と二人で1泊2日の関西遠征」の3城目は膳所城です。大和郡山城からの転戦です。
近鉄郡山駅から近鉄/JR/京阪専を乗換て膳所本町駅に到着。そこから徒歩で膳所城址公園へ向かいました。

膳所城は天下普請によって築かれた城です。築城の名手と言われた藤堂高虎が最初に造ったあい城で、日本三大湖上のひとつです。
ちなみに残り2つは諏訪湖の高島城、宍道湖の松江城です。湖を堀代わりに、さらに物資輸送などに湖上交通を活用したのが「湖城」だそうです。

現地の案内絵図を見てわかったのですが、大津市内には移築された門がたくさんあるようですね。
「城とら」さんの投稿にもありましたが、事前調査ができていなくて、「膳所城跡公園」にあるのが現存門だと思ってました。なさけないです。
偶然、膳所本町駅への帰り道に見つけた「膳所神社」の表門だけ写真を撮ってましたが、裏にももうひとつ移築門があったのですね。
下調べの重要性を痛感しました。攻城時間は40分くらいでした。
9/22の攻城は膳所城でおわりなので、宿泊先の大阪(阿波座駅)に向かいました。

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カズサン

通潤橋南尾根筋道にひっそりと残る広大な山城 (2020/11/25 訪問)

 堅志田城を終えて国道218号線(国道445号線相乗り)を高千穂方向に道の駅通潤橋を目指して愛藤寺城を目指す。ガイドは何時もの城郭放浪記さん古城盛衰記さん余湖図コレクションさんの俯瞰図を頼りに今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第20城目初登城する。
 
 道案内は古城盛衰記さんの情報でナビを道の駅通潤橋より県道180号線を南に約5km行った所の相藤寺バス停(熊本県上益城郡山都町白藤1045)に合わせる後はGoogleMapで微調整。
 相藤寺バス停が見つかったのでその南直ぐに右折狭い坂道を登り集落中道、切通道を通り尾根の細い道を約300~400m南へ、城門跡の白い標柱が有る、左右堀切、更に細い尾根農道を南に約300~400m、右手に小高い土壇が現れる城郭跡らしいので車を道脇に広い所に駐車して探訪する。
 
 土壇は本丸、天守台の様、頂部に愛藤寺城本丸の標柱、案内板も有る、周りに石垣の残渣が点在、余湖図コレクションさんの俯瞰図を見ると1郭が天守台?2郭が本丸?畑、茶畑、西の堀を越えて3郭は3の丸、ここには行って無い、少し北に小高い丘5郭が2の丸櫓台あり櫓台まで登れず、5郭の周りに帯曲輪、城門から5郭まで林道農道の左右に曲輪が在るらしいが切通、竹藪、草茂り良く分からない、6郭は畑に成って開けてる、開けてる所を探訪するのみ、中々奥に切り込んで行けない、兎に角不安感を持っての走行です、こんな山奥によく築城したものだと思ってしまう。

 歴史は本丸跡に有る案内板に依ると。
 天台宗の古刹で愛藤寺を移して貞応元年(1222年)阿蘇大宮司惟次が城を築き在城約360余年間、全盛期には属城24城を数えた。しかし天正13年(1585年)8月島津軍の侵攻により没落した。その後佐々成政を経て小西行長、加藤清正の領有となったが、慶長17年(1612年)幕命により破却された。今でも本丸、二の丸、三の丸、厩の跡、古井戸、城の石垣、空堀、堀切りなどの遺構がのこってる。町指定文化財史跡愛藤寺城(本丸跡)、指定昭和46年11月25日、矢部町教育委員会、管理者相藤寺集落・・と有ります。
 
 城郭放浪記さん記述によると加藤氏の時代にも大改修され三層の天守が聳えていたという、と有りましたが何処でしょうか?二の丸の櫓台辺りか?案内板に在る遺跡は良く分からない、広大な城郭曲輪群で有るが全探訪は大変難しい。

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