郷里鹿野慶讃法要を1日半終了の後、山陰道(無料区間)浜村鹿野ICから米子西ICを降り国道180号線を南下、鳥取県も高速が出来東西の交通が大変便利に成りました、南部町に在る法勝寺城へはスムーズに進行しましたが、180号線1本西の町中道から法勝寺川を渡る手前の道が軽四がやっとの広さ、困り果てて近くの方に聞き小型車だとキズつけるかも?と言われ代わりの法勝寺川土手の道を教わる、ここも離合不能、対向車が来たらアウト、目的の橋を渡って山沿い麓に砂利舗装の専用駐車場が在る、拾数台は可能。
法勝寺城は初訪問、草の茂りが深く、マダニの新聞報道を聞くと藪漕ぎもしづらく登城は断念、近くに居た方に他の登城道を聞くがここの道との事で、林業関係の方が草刈りするのですがまだの様ですねと。
麓の案内板、城名石碑、山中鹿之助に攻められ自刃したと言われる毛利本紹と主従の墓がある。案内板石碑の裏が大堀切の様である。
歴史は投稿写真の案内板、案内石碑をお読みください。
登城は草が刈られた時期、晩秋、桜の頃が宜しいのではと思います。
案内ガイドは古城盛衰記さん余湖図コレクションさんを参考にしました。
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