(続き)
平川門の山里門からは細長い帯曲輪(立入不可)が西北西にのび、竹橋門まで続いています。竹橋門は北の丸への枡形門で、櫓門部分は道路になっていますが、わずかに高麗門の石垣が遺っています。
竹橋門を過ぎて平川濠沿いに西に進むと本丸北端の高石垣が目に飛び込んできました。中之門も天守台も圧倒的なスケールの石垣でしたが、ここまで高石垣に出会えなかったのが少々物足りなくもあったところに、大坂城の南外堀沿いにも劣らぬ折れのある高石垣が見られて大満足。それでこそ天下一の城ってもんですよね。
平川濠西端の土橋の先には北桔橋門があり、往時は木橋を跳ね上げる仕組みだったようで、現存の高麗門に吊るし金具が見られます。天守台裏手に直結する重要な門ですが、この高石垣に架かる橋を跳ね上げられたらどうにも攻めようがないよなぁ、と。北桔橋門の西側、乾濠沿いにも折れのある高石垣が続いています。
北桔橋門の西にある乾門は、往時は門は無く上覧所と呼ばれる施設があった場所で、明治に皇居への出入口として西の丸の紅葉山下門が移築されています。普段は閉鎖され通れませんが、一般参賀や乾通り一般公開では退出門になっているようです。
さて、乾門から信号を渡って北の丸に向かう……つもりでしたが、仕事の時間が迫っているため、北の丸は明日にして千鳥ヶ淵から半蔵濠沿いに歩いて半蔵門へ。半蔵門は江戸城の搦手門にあたり、江戸城の弱点とされる台地続きの内郭西側に設けられた唯一の門です。現在は半蔵門の奥には皇居御所があるだけに厳重に閉ざされており、土橋の手前から和田倉門から移築されたという高麗門が見られるだけですが、半蔵濠と桜田濠を隔てる巨大な土橋は圧巻で、桜田濠側から見ると想像を絶する土木量に圧倒されてしまいました。桜田濠は自然地形を活かしつつ鉢巻腰巻石垣で固めた、都心とは思えない雄大な景色が外桜田門まで続き、石の城としても土の城としても超一級品で、ブラタモリのお題の「江戸城は日本の城の集大成!」を実感しました(続く)。
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