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釜次郎

倶利伽羅峠古戦場近くにあります。 (2022/04/09 訪問)

富山県小矢部市側から倶利伽羅峠古戦場跡へ向かう途中に入口の階段があります。
加賀の前田利家に備えるため、佐々成政による改修を受けています。

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釜次郎

主郭の一部が残る戦国時代の平城 (2022/04/09 訪問)

国人領主石黒光弘が築城。現地は周囲よりわずかに微高地となっており、主郭の一部が残っています。駐車場も整備されています。

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釜次郎

ハイキングコースとして整備されています。 (2022/04/09 訪問)

越中守護斯波義将の家臣である二宮氏の居城。遺構は切岸や空堀、土塁などが残っており、主郭には城跡碑や解説板が建てられています。

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ぴーかる

白石山城 (2022/03/27 訪問)

【白石山城】
<駐車場他>馬居寺駐車場<35.479632, 135.582777>
<交通手段>車

<見所>石垣
<感想>日帰り城びと初投稿いただきますの旅3城目。白石山城は築城年は定かではないが16世紀中頃に粟屋氏よって築城されたとされる。城跡へは駐車ポイントから先は車止めのゲートがありますので徒歩でアスファルト道路を進みます。行きついた広場から北方向に山に入ります。山道になっているのでそのまま北上した先に城跡があります。城跡は南北の細尾根上直線に連なる連郭で各曲輪ごとに堀切で仕切っています。主郭は南側と北側の曲輪壁は石垣造りになっており石垣が多く残存しており見応えあります(虎口は倒壊してしまっている感じ)。主郭東側には武者走りのような細曲輪が付いています。主郭北の堀切の東側は木が伐採され開けていて眺望がいいです。大島が見えます。主郭の曲輪壁は石垣を見付けるのにかなり探索しましたがまだ隠れた遺構がありそう。見応えある城跡です。

<満足度>◆◆◇

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ぴーかる

新保山城 (2022/03/27 訪問)

【新保山城】
<駐車場他>新保地区の墓地前<35.500268, 135.826741>に駐車できる程のスペースがあります。
<交通手段>車

<見所>堀切・石垣
<感想>日帰り城びと初投稿いただきますの旅2城目。新保山城の築城年および築城年代は定かではない。この地区は若狭武田氏に謀反した粟屋氏の勢力でしたが武田氏が一掃したのち後瀬山城の東方の支城として武田信方が入封し改修したようです。信長の勢力が若狭まで及んでくると信方は朝倉勢に付き朝倉が滅ぶと丹羽長秀の進攻により新保山城を追われ没落します。丹羽長秀入封後に破却されたようです。
 前に述べますと登山ルートは龍泉寺からあるようでそちらを調べたほうが良いかもしれません。私は個人サイトの情報をたよりに墓地の先のルートから入山しました。<35.500915, 135.827508>のゲートを開けて入りますが、登山道はありません。こっちを利用する人の説明をすると、ゲートを開けて右手の山の尾根上まで上がって下さい。左手には行かないように。尾根上まで行くとピンク色のビニールテープの印がありますのでそれを頼りに北上します。一旦左に約90℃曲がり東方向にさらに登ります。ここから少し間伐されていますが、倒木やら灌木やら急斜面で登りにくいです。登りきると中腹のピークに出ます。ここから南北に道がありますので南方向が龍泉寺に繋がっていると思います。ここまでで約半分です。北に向いてあと半分登ると大堀切が待っていますのでここからが主要部かと思います。城跡の主要部は南北に連なる細尾根の段曲輪です。西方向の斜面にも曲輪が連なっているようなのですが山化して分かりません。主郭と思われる曲輪中心部分にも堀切があり、主郭北東側に土塁があります。最北の堀切はかなり深く見応えあります。
 入山したゲート奥に獣の捕獲檻に巨大イノシシが捕まっていたのでイノシシ注意です。

<満足度>◆◆◇

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ぴーかる

大倉見城 (2022/03/27 訪問)

【大倉見城】
<駐車場他>登城口前<35.518816, 135.895592>に駐車可能
<交通手段>車

<見所>竪堀・堀切・曲輪
<感想>日帰り城びと初投稿いただきますの旅1城目。大倉見城は天文年間(1532~1555年)に熊谷直之によって築城されたとあります。熊谷直之は当初は若狭武田氏に属していましたが国吉城の粟屋勝久と同じくして1570年に織田信長に付きます。大倉見城は1567年越前朝倉勢の攻撃を受けましたが城を落とせず撤退しています。信長従属後は領主の丹羽長秀に付き、本能寺後は羽柴秀次に属しますが秀次事件で切腹連座しています。
 城跡へは山頂から南南東方向へ伸びた丘陵上の尾根上を北上して行きます。登山道は整備され軽自動車が通れる程の道幅で非常に登り易いです。城跡は主郭を中心に登ってきた南南東に伸びる段曲輪と北東に伸びる大きな段曲輪からなっています。大きい曲輪には各々腰曲輪が付いています。尾根上の曲輪先には堀切で仕切り、斜面に沿って大竪堀が多くあります。特に主郭から北西方向の曲輪(トイレあります)から伸びる竪堀群はかなり見応えあります。今まで未投稿だったのが不思議、いい城跡です。

<満足度>◆◆◇

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前ちゃん

圧巻!お大堀切 (2022/04/11 訪問)

関東の城というべき、大堀切が見事でした、

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朝田 辰兵衛

【城と標柱】城ふぉとコンテスト📷 (2019/04/06 訪問)

冬囲いの骨組みが残る。おそらく,奥に見えるブルーシートをかけていたのだろう。
もしかして,骨組みに関しては通年だったりして…。

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小城小次郎

勿体ない。 (2021/11/28 訪問)

宇喜多秀家が築き平岡頼勝が守り池田一族が入った城は慶長期の面影を色濃く残す。観光地として栄えた下津井の目玉的存在でもあったこのお城をマイナーなお城としてこのまま埋もれさせてしまうのは勿体ない。実に勿体ない。

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ryu

駿府城訪城(2011年、2018年) (2018/05/31 訪問)

2011年訪問時は、掛川城を見学した後、静岡着が夕方となったため、まず県庁別館21F展望室に登り、展望室から城内を俯瞰する。東御門の桝形がよくわかる。その後、東御門から入って城内を見学した。本丸堀~家康手植えのミカン~徳川家康公の像~天守閣跡~北御門~ニノ丸水路~東御門、巽櫓と見て回る。
静岡に宿泊した翌日は、東御門内部も見学し、100名城スタンプを押す。

2018年再訪時は、出張で仕事後の夜、新たに復元された坤櫓を見に行く。

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ryu

吉田郡山城(2010年) (2010/05/30 訪問)

広島バスセンターから広電バスで安芸高田へ向かう。約1時間半かけて安芸高田市役所前に着く。
吉田歴史民俗資料館で案内図をもらい、毛利元就、毛利一族の墓所~百万一心碑~釣井の壇、御蔵屋敷、二の丸、本丸と歩く。
下山は勢溜の壇~展望所へ。清神社~少年自然の家経由で歴史民俗資料館へ戻ってくる。そのあと、歴史民俗資料館を見学した。

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刑部

【城と桜】 (2022/04/09 訪問)

上田城千本桜祭り 2022

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赤い城

桜の時季に (2022/04/02 訪問)

何回か訪れた渋谷城、金王八幡宮が跡地になります。
この日は朝早かったので人も少なくゆっくりできました。
桜は散り始めでしたがまだ綺麗でした。
この桜、勇将らしい最期を遂げたという渋谷金王丸の忠義をしのび源義朝が植えさせたと言われています。
若者の街、渋谷にも歴史を感じるエリアもちゃんとありますね。

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ryu

広島城(2010年) (2010/05/29 訪問)

岩国城訪問後、JRで広島へ。
広島城は何度か訪れているが、この時は、復元された二の丸表御門及び櫓群をゆっくりと見学。内部も公開されている。その後、本丸に入り、復元天守を見学し、裏御門跡から本丸を出て、本丸の外周の濠を反時計回りに見て回った。

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ryu

岩国城探訪(2010年) (2010/05/29 訪問)

錦帯橋をわたり、香川家長屋門を見てロープウエイで山上へ。復興大手門から旧天守台を見て復興天守に登る。
城内のボランティアガイドの方の案内で空堀から北の丸を経て、一国一城令により山陽道側で目立つため破却された石垣跡、城下町側の破却を免れ現存する石垣など、丁寧に説明していただいた。

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城と看板 天気も良く、幸福な気持ち (2020/06/07 訪問)

城と看板に投稿します。激しい戦いがあった城でもあります。

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カルビン

【城と生き物】&【城と標柱】 (2016/05/01 訪問)

城碑の中にカタツムリ

・・・ハイブリッド(笑)

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カルビン

【城と看板】 (2014/11/15 訪問)

聞いてないよ~(涙)

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ぴーかる

畑城 (2022/03/20 訪問)

【畑城】
<駐車場他>春日神社駐車場
<交通手段>車

<見所>石垣・堀切
<感想>春日神社の南にある金毘羅大権現から直登したので道のあるルートを通っていません。先達のあさんの投稿の高校分校から登るほうが無難です。
 城跡は逆Tの字状に東西の尾根上に伸びた曲輪群と主郭脇から北に段曲輪が伸びています。石垣は主郭北側に主にあったようで中心部分は倒木の間から見えるのと、東の端の方は主郭から降りて見れます。規模は大きいようなのですがあまり整備されておらず見れる範囲はそんなに多くはないです。

<満足度>◆◆◇

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ぴーかる

笠間城 (2022/03/20 訪問)

【笠間城】
<駐車場他>駐車場はなし。駐車するならば下笠間永仁阿弥陀摩崖仏の傍県道782号<34.628777, 136.032460>の退避所または<34.623788, 136.025620>のポイントが消防団か公民館になっているので許可を得て駐車する。
<交通手段>車

<見所>堀切・土塁
<感想>笠間城は城びとの城郭情報によると戦国時代に下笠間氏によって築城されたとあります。城跡へのルートは<34.626877, 136.027403>のポイント、倒壊した赤い屋根の家屋の先に山の防獣柵の扉がありますので中に入れます。切通をつづら折れに登ると尾根上に出ますので北西方向、山に向かって登ります。堀切を1か2条渡ると主郭の手前に2重堀切があります。2重堀切から右手の北方向に曲がると主郭の高土塁のある堀底道があります。高土塁と堀は北から東にかけてカーブしながらあります。見応えあります。主郭へは北側が切岸がやや低くなって人が出入りした跡があるのでそこから入り込めます。主郭は南北に長い長方形で南にスロープ状の土橋の付いた1段高くなった曲輪を備えています。こちらが主郭または櫓台の曲輪と思われます。
 下笠間永仁阿弥陀摩崖仏を見てから登城しました。登城ルートと城跡内の状態の情報が少なく心配しましたが山は間伐されてそこそこ整備されていました。入山するのにちょうど庭に出ていた民家の方にお声がけさせていただきましたがあまり城跡という認識はないようです。

<満足度>◆◆◇

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