男坂から登城すると大堀切が見られます。
圧巻です。
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2020/12/09 23:25
2020/12/09 22:57
2020/12/09 22:44
アプリを捨てよ、城に行こう (2020/11/29 訪問)
安土城郭資料館→レンタサイクル→信長の館→安土城考古博物館→安土城の順で回りました。所要時間はゆっくり回って4時間半でした。
VRアプリを準備して登城しましたが、復元された映像が凄すぎる!あくまでも個人的な意見ですが、自分で想像を膨らませる方が楽しいのでは?と思い、途中からVRを頼らずに短命で神秘的な城をイメージしながら堪能しました。
(⚠️決してアプリを否定する訳ではありません。今後も要所要所で使わせて頂きます🙏)
城の成り立ちを知るほどに、ただただ稚拙な表現で『信長すげー』と凡人の私は呆然としてしまいました。
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2020/12/09 22:18
肝付氏400年の堅城 (2020/11/24 訪問)
宿泊先の鹿児島市から陸回りですと遠回りですので桜島フェリーを利用して垂水経由ショートカットして高山城を目指しましたフェリー代往復3,960円掛かりますが距離は半分で済みます、今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第16城目、ガイドは何時もの古城盛衰記さん余湖図コレクションさんに依りナビは鹿児島県肝属郡肝付町新富9120の旧小学校跡地に合わせる、約2時間超大隅半島の南部で薩摩半島に在る知覧城と大隅半島の高山城はシラス台地の群郭式山城の双璧です。
旧小学校手前高山川東に高山城石碑が有り小学校跡地は黄色く銀杏の木が色付いてる、跡地には消防関係、公民館が有る、トイレも一応あるが古式、車は十分駐車可能。
小学校跡地の北に案内図解説板、北に枯れ葦原に馬乗馬場跡、三の丸、赤い矢印、大手口杉林の城域に入って行くここから結構奥行くが深い、球麻屋敷、大来目神社、堀切の道を登り大手門跡、山伏城、枡形、本丸と二の丸の分岐矢印有り、本丸に進み、本丸前段曲輪が左右に分かれ相互に横矢掛り、突き当りが枡形虎口右に回って本丸に本丸は広い南、東、北に土塁が包む東を望むと急な崖下に高山川が見下ろせる、本丸を降りて本丸群と枡形城の間の堀切を北に大堀切の馬乗り馬場、東西に長い、本丸、二の丸分岐点から二の丸へ搦手口から回り込む道すじ、降って登る、また戻って来る様子なので二の丸は断念する、来た道を戻り小学校跡地へ約1時間超のシラス台地の山城を堪能しました素晴らしい城郭です、勿論私一人です他に登城者無し。
歴史的には大隅、肝付氏は武門の名家、平氏の流れで平安期から400年間大隅国の最大領主、島津氏との抗争、籠城戦も耐えるも天正元年(1573年)落城、その後も領地は縮小するが高山城には居城、天正8年(1580年)薩摩半島阿多(南さつま市)に移封され高山城は廃城、近くの現肝付町役所辺りに高山麓が設置され行政の中心地に明治まで続く。(古城盛衰記さん抜粋)
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2020/12/09 22:14
立野城 (2020/11/14 訪問)
【立野城】
<駐車場他>駐車場はないが、城跡が墓地・公園になっており墓地入口のスロープ入り口脇に2台程度停車できそうです。
<交通手段>車
<感想>城跡は城山第二公園とその上段にある墓地になっています。公園も墓地も奥の方まで行かなかったので、土塁・空堀等の遺構は確認しなかったですが、公園周囲も宅地造成され表に見える遺構はなさそうに感じた。空堀より発見された宝篋印塔が南東すぐにある観音寺に安置されているそうです。墓地より西側の大和川の眺望が良かったです。
<満足度>◆◇◇
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2020/12/09 21:24
長沢松平家 (2020/12/05 訪問)
「徳川氏の祖、松平3代信光より分かれた松平宗忠が築城した 長沢松平家の城」
まず、この城はコンパクトで主曲輪と腰曲輪、櫓台跡程度ですが、非常にわかりやすくて整備が適切です。麓に浄願寺があり、「室町期の城の特徴を良く残してある」とありますが頷けます。
次に、ロケーションが抜群。今の豊田市中心部、矢作川流域一帯が見渡せる位置にあり、重要拠点であっただろうと感じます。
高速道路のICから近く、城巡り一日の最後に登城しましたが、正解でした。
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2020/12/09 21:18
2020/12/09 21:09
不思議な城跡 (2020/12/05 訪問)
「今は公園となっていて、建物の礎石部分を枠で組んでどんな建物であったかを表記している」とある。確かにそうなんだが、コンクリートの枠だし、何か建設途中か解体跡のような不思議な空間だ。
それでいて、西側神社には土塁が残存している。いったいこの公園は明治から近年までどんな使われ方をしてきたんだろう…。本当に不思議だ。立派は矢作川沿いで、当時は矢作川に張り出すように三方を川に囲まれていたとも感じる。今は住宅街の隅にひっそりと残ると言う感じの城だ。
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2020/12/09 21:01
あの有名な香嵐渓が城だった (2020/12/05 訪問)
足助城の次に向かったが、城が香嵐渓そのものだった。ただ、城そのものは非常に堅固な山にある。そんなに比高は高くなく、山頂まで登山道が整備されているが、結構キツい。
さて、城として見ると明らかに古い。
立地は最高で、鈴木氏の本城とあり、足助城とどっちが真の本城なのかイマイチよくわからない。由緒書きが石碑に刻まれていたが、御影石の明るい石で、何を書いてあるのかパッと見ただけでは読めない(涙)
麓の居館跡に香積寺があり、周囲を土塁で囲まれているが、この土塁が巨大で一見の価値有り。山頂主曲輪の虎口がどうなっていたか不明だが、北側には巨石群が壮大な雰囲気でたたずみ迫力満点。名城だ。
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2020/12/09 20:50
素晴らしい復元遺跡 (2020/12/05 訪問)
山城見学をするに300円!?と思ったが、有料の価値はある。素晴らしい復元力だ。勿論、建物にお金をかけたのもわかるが、山城の遺構そのものも丁寧に整備されている。さらには、発掘調査の結果を基になるべく当時を再現しようとしてくれている。
勿論、11月に訪れたほうが紅葉が綺麗だろうが、混雑を避けて12月第一週の週末を選択したのだが、充分楽しめる。
城は、西三河山間部に勢力を伸ばしていた足助鈴木氏の本城とされ、それ以前からもあったであろう重要な拠点。文句無しの素晴らしい城で見所満載だ。
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2020/12/09 18:00
2020/12/09 17:37
急峻なシラス台地の上が城跡 (2020/11/23 訪問)
大口城を終えて夕刻迫る中加治木城を目指す、今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り15城目、九州道栗野ICから加治木JCT同ICを降りて、ガイドの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん古城盛衰記さんの駐車場情報が城内駐られない唯一入口の加治木城案内板俯瞰図の有る所と有り登り切った同エリアにナビを合わせる。(鹿児島県姶良市加治木反土、ナビの地図で微調整)
加治木ICより県道55号線鹿児島空港方面、17時を過ぎて渋滞、1km弱ほど城域の崖は目前、逆方向に曲がり急坂を登り切ると左手にゴミ集積場、目的の加治木城俯瞰図発見、一台ギリギリ駐車可能、暗く成り俯瞰図はストロボ撮影、周辺を撮影して撤収、残念ですが仕方ありません限られた時間の中で探訪ですから仕方ありません。
加治木城廃城後の義弘の建てた加治木館は資料館と共に見学してましたので、城域の雰囲気だけでも十分です。
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2020/12/09 17:02
真弓山城が見える。そちらもこちらも足助城 (2020/12/07 訪問)
ずばり紅葉の名所香嵐渓です。(東海地方に昔からお住まいの方なら、香嵐渓スネークセンターのCMを覚えていませんか)秋の休日は渋滞必至ですので、時間に余裕を持って。今日(12/7)はまだ紅葉がきれいでした。平日に行けたので渋滞もなくスイスイと。
ここの別名が足助城なのは、私の足助城(別名真弓山城)攻城メモにも書きましたが、むしろ復元の第一候補が真弓山城の足助城でなく。こちらだったからということでしょう。(オンリーワンの足助城は、そもそもないのだと私は解釈しました)現代の私たちにはむしろ香嵐渓城と名付けたいくらい。とはいえ、香嵐渓の紅葉狩り目当ての人は、山城には登りません。川沿いを散策しておいしいものを食べてお帰りになることでしょう。ハイカー(トレッカー?)さんは何組か会いました。
駐車場は数カ所あるようですが、私は最も多くの人が使うであろう西町駐車場(500円)に停めました。登城口の石碑に飯盛城跡の字はかろうじて読めたもののその後ろの説明文は判読不能。もったいない。では山頂を目指そうと森林公園の碑の横にラミネートされた貼り紙に目をやると「山頂~香積寺の登山道を封鎖しています」という表記も。大丈夫かと若干不安に。 ほどなくして防獣柵があるので、自分で開け閉めしてまた登ります。 かなり急勾配を蛇行しながら登ります。巨石がごろごろしており、写真を撮りつつ休みつつ。汗かき、息が上がりました。
山頂本郭からの眺めは、視界を遮る木々も多いのが難点。でも足助の町並みや足助城(真弓山城)の高櫓も小さく見えました。それが見つけられたら汗かいて登った甲斐があったというもの。狼煙が見える距離かどうか、山城同士の距離感を感じ取れるのは最高です。東屋があり休憩できます。
さて下山はというと、えらい方向に降りてしまいました。北東の帯曲輪らしきところへ下る階段があり、そこからまた下れそうな道を進んでいくと、アスファルト舗装された道に到着。そこには謎めいたコンクリの小さな建物が。扉に「流量発信室」とあります。(巴川の水量計測と異常時に警報を流すための設備でしょう)飯盛山頂の方向を示す標識もあったので、そこから登ってもいいようですが。いかんせん、自分が停めた西町駐車場から随分離れたほうに下山しました。私は何事もなく、結果オーライと捉えていますが、本当は縄張り図持参で計画的に下山ルートを選んだほうがいいですね。観光地の山城だからとなめてかからないこと。
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2020/12/09 16:58
懐かしい大口市チョット寄りました (2020/11/23 訪問)
肥後水俣城を終えて又国道268号線を九州道栗野ICへ戻り丁度中間地点の伊佐市大口に在る大口城へ、今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第14城目、ナビは大口城登城口前の伊佐市市役所駐車場(伊佐市大口里1888)に合わせ走行、先ほど通った道なので伊佐市役所から大口小学校の校門へ車は校門前の空き駐車場に一時駐る。
16時も過ぎて居り、旗日で休み小学校に声を掛けるのも憚られそうで校門前で標柱、大口城のある辺りの写真を取り退散、是非先達の方々の投稿をお願いいたします。
歴史的には保元の乱の軍功で平氏の地頭が下向、戦国期は菱刈氏、相良氏、島津氏の抗争で島津氏支配地域、江戸期は大口麓にて小学校が御仮屋でこの地区の行政の中心地です、明治まで続く。
出張ベースで旧栗野町の工場によく来てましたので大口麓は見学認識してましたが大口城域には残念ながら登城していません。
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2020/12/09 16:33
復元素晴らしい。足助七城の詳細解説あるとなお良し (2020/12/07 訪問)
休城日、営業時間を確認してから行きましょう。飯盛城もそうですが、紅葉の時期は周辺道路は混むと思いますので、時間に余裕を持って。先日(12/7)はまだ紅葉がきれいでした。平日に行けたので渋滞もなくスイスイと。
足助中学校の裏山、真弓山。駐車場までの坂は軽自動車ではターボ付きでも唸りをあげて上ったほど。バス停で降りた人はあの坂を登るのでしょうから、しんどいですよ。
入場料を払って、もらったパンフレットに目を通すと、城址復元構想はむしろ飯盛山が第一候補だったとのこと。県指定史跡の飯盛山を避けて真弓山が選ばれたと。大人の事情があったようです。飯盛城を復元していたなら、そっちが足助城になって真弓山城は真弓山城としか呼ばれなくなっていたのかも。足助七城に序列があったのか? おそらくオンリーワンで足助城を指す城は、往時の武士や農民にはなかったのでしょうね。そうそう、パンフレットには”別名「松山城」「足助松山の城」とも呼ばれていたようです”とありました。周囲の山々に城・砦があり、どれが足助城ということはなく足助七城で足助の地を守っていた、と私は解釈しました。
四の五の言わず、調査に基づいて再現された山城を手軽に見学できるありがたさ。順路がしっかり記されています。長屋、厨(くりや)や高櫓に入れるのがまたうれしい。スリッパが用意されています。鉄塔は少々興ざめだけど、眺めもよし。多くの人に来てもらいたい山城です。
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2020/12/09 13:04
2020/12/09 12:54
湖東平野を見渡す立地 (2020/12/05 訪問)
犬上川が湖東平野に作った扇状地の要に近い、南から伸びた尾根上にある。麓に佐々木道誉の墓がある勝楽寺あり、「道誉の郷」をアピール。
郭は、痩せ尾根に並んでおり、鞍部を挟んで、北側のⅠ〜Ⅲ郭群と、南側のⅣ〜Ⅷ郭群がある。勝楽寺脇から登っていくと、鞍部に至る。南北朝時代の築城ながら、Ⅲ郭周囲には低い石垣がある。この山体は、湖東カルデラ噴火の際にできた、流紋岩からできており、Ⅲ郭には流紋岩の露頭があって、石が現地調達できる。
扇状地の要だけあって、登城途中の狐塚や南端の上ろう落としからの眺望はとても良い。北西に彦根城が見えた。
山頂の説明板には、畝状縦堀ありと紹介されているが、「その後の調査で自然地形の誤認であった」との文献あり。
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2020/12/09 12:42
土肥館【神奈川県湯河原市城堀】 (2020/11/10 訪問)
この土肥館は、湯河原駅前を中心にした高台を利用しての鎌倉時代の館跡です。
土肥氏は源頼朝が、伊豆へ追放された後、機を見て挙兵します。それに合わせ、土肥実平も追従します。
伊豆から小田原へ進もうとすると、それを阻止する為、平家方の相模の武将達が、石橋山合戦に至りますが、過小だった源頼朝方が多くの家臣を失いながら敗北し、箱根の山中へ逃亡します。この時、土肥城近くのししどのいわやで隠れタイミングを見て、房総へ逃亡するまで、土肥氏が大いに手助けし発揮しています
現在は、湯河原駅前で遺構は残っていませんが、地形は高台に位置し、眺望もきくので館の場所に相応しい場所と感じます。
駅前には土肥実平の銅像が立っています
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2020/12/09 08:19
紅葉の名所 (2020/11/26 訪問)
近くまで来る用事があったので、ちょっと高取城に寄り道してみました。…ちょっと?(笑)
高取城は紅葉の名所として知られ、この日も紅葉目当て(私もですが)と思われるシニアのハイカーが多く訪れていました。残念ながら見頃には少し遅かったようですが、それでも紅葉の朱や黄が苔むす高石垣の濃緑に映えて鮮やかでした。
この日は前回登城時には台風被害で立ち入り禁止だった七つ井戸から登城しましたが(道が土砂崩れのため車は手前の八幡口に駐車)、七つ井戸とそこから見上げる高石垣を見られたのは良かったものの、登り始めてあっという間に着いてしまって、いささか拍子抜け…。やはり麓から登って登って登ったあげくにふり仰ぐ高石垣! のほうがありがたみもあるでしょうから、次の機会には壺阪山駅から歩いて、城下町も含め隅々までめぐり尽くしたいと思います。
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2020/12/09 07:56
信州日帰り攻城③ (2018/10/07 訪問)
信州日帰り攻城の3城目は上原城です。松代城からの転戦です。
車は上原城の駐車場(36.009438、138.149841)に駐車して攻城しました。
上原城は諏訪氏によって築かれた城です。1542年に武田信玄が進行すると、諏訪頼重は上原城を焼き払って桑原城へ退去して降伏しました。
その後、板垣信方➡室住虎登(信方の実弟)➡長坂虎房と変遷し、虎房が高島城移ったので諏訪郡の政治的拠点は高島城に移転されました。その後、1582年の小田・徳川連合軍による甲州征伐の際に廃城となりました。
現在、城址には土塁や空堀などの遺構が残っており、堀切や竪堀の確認もできました。
3郭には金比羅神社、2郭には大きな物見岩があります。攻城時間は60分くらいでした。
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