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姫街道

築城の途中で断念した幻の城 (2020/12/20 訪問)

信長の弟が築城途中で本能寺の変があり、廃城となった幻の城だが、普請はほとんど完成してたのだろう。大きな土塁と水堀が特徴的だ。曲輪も広く、勢力を誇っていたのであろう。天守閣は模擬天守だが、実際にあったとしてもおかしくない。大野城との見通しやアクセスは非常に良く、完成して活用していれば、強力なネットワーク網を構築していただろう。

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姫街道

石碑しかない城跡 (2020/12/20 訪問)

ここまで遺構や資料が少ない城は珍しい。勿論、区画整理時の調査も無し。個人的には、そのような城跡から色々と勝手に想像するのが楽しみ。
築城が1397年で廃城が1580年とすると、戦国期に活躍した城だった事がわかる。立地的にも知多半島の付け根でかつ、付け根の真ん中付近。主な城主が吉川氏と今川氏の家臣であった花井氏とあるが、石碑や国道を挟んで向かいの吉川熊野神社の石碑からは「浅田」姓の名がずらりと並ぶ。熊野神社の建立が築城事とほぼ同時期との事から、石碑付近と今の熊野神社までは一帯化していたと想像する。熊野神社は曲輪や土塁形状を有しており、城もそれなりに大きく堅固だったと想像する。

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姫街道

古城の位置に新城を築いた城 (2020/12/20 訪問)

まず、緒川城は東浦役場の北東にある。
「古城の位置に新城を築いた」とある。
普通、より堅固な位置に変えるのに珍しい。
紛らわしいのが、役場の西、敷地内に何故か緒川城の少し古い石碑が隠れるようにある事だ。
しかも、役場の西にある乾坤院や於大公園から役場付近一帯に大きな土塁や曲輪群が見られるので新城なのかなと思ってしまうが…。
私の理解不足なだけだが、いまだに釈然としない。

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イオ

探すまでもない転用石 (2020/12/06 訪問)

丹波国を平定した明智光秀が築いた城で、明智秀満が城主を務めましたが、山崎の戦いの後は羽柴秀長や杉原家次が入り、関ケ原の戦いの際には西軍についた城主・小野木重次が細川忠興の攻撃を受け、開城させられています。関ケ原後は有馬豊氏が入り、城や城下町を現在の形に改修しましたが、久留米に加増転封になり、その後、何度かの入れ替わりを経て城主となった朽木氏が明治まで13代にわたりこの地を治めました。明治の廃城令により福知山城は解体されましたが、昭和に有馬豊氏の頃の絵図を元に天守が再建され、今も往時を忠実に復元した姿を見ることができます。

天守群は一見しただけでは構造を把握しづらい複雑な造りで、そのため見る方向によって見え方もずいぶん異なり、見飽きることがありません。再建ながら大好きな天守(のひとつ)です。天守台も見どころで、西側は築城時の石垣と増築時の石垣の境界線がはっきりと出ています。また用いられている転用石が非常に多いことでも有名で、探すまでもなく次々と転用石が視界に入ってくるなんて城はここだけじゃないでしょうか。さらに、本丸の銅門番所の南隣や本丸北下は転用石置場になっていて、発掘調査で発見された転用石が数え切れないほどに並んでいます。銅門番所は二ノ丸登城口にあった番所を移築したもので、貴重な現存建物です。天守東側の豊磐井は城内では日本有数の深さ(50m)の井戸で、海面よりも深いんだとか。

できれば蛇ヶ端御薮(明智薮)や御霊神社を訪れ、移築門めぐりもしたいところでしたが、この日は朝から黒井城に6時間いたため、福知山城は本丸のみで時間切れ(再訪なので天守にも登らず)。しゃべる光秀自販機で飲み物を買って(金額不足で「信長~っ!」の怒声を聞くのはお約束)、駐車場奥のゆらのガーデンでお土産を買って帰途につきました。
 

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昌官忠

信州(列車&レンタサイクル)日帰り③ 鍋蓋城 (2018/06/24 訪問)

「信州(列車&レンタサイクル)日帰り」の3城目は城びと未登録の鍋蓋城です。富士見城からの転戦です。

富士見城からレンタサイクルで鍋蓋城(36.329485、138.421497)に到着。

鍋蓋城は大井光忠によって築かれた城です。のちの小諸城が築城された時代には鍋蓋曲輪として、小諸城代家老屋敷などが置かれました。
現在、遺構は残っていませんが、「大井伊賀守居城鍋蓋城址」の看板を掲げた家があります。
攻城時間は5分くらいでした。

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昌官忠

信州(列車&レンタサイクル)日帰り② 富士見城 (2018/06/24 訪問)

「信州(列車&レンタサイクル)日帰り」の2城目は城びと未登録の富士見城です。上田城からの転戦です。

上田城から徒歩で上田駅に戻り、しなの鉄道で小諸駅到着。
小諸駅の小諸観光案内所でレンタサイクル(郊外・山向け用➡電動アシスト:おもてなし5号)を借りて富士見城に向かいました。
小諸観光案内所のお姉さん?がとても親切な方で、富士見城や小諸城、「真田と信州」について丁寧に教えてくださいました。
目指す先は小諸高原美術館(36.343832、138.420440)です。美術館の西側駐車場に登城口があります。

富士見城は大井氏が滋野氏に対する備えとして築いたたとする説や、武田信玄が天文年間(1532年~1554年)に佐久地方に進出する際に鍋蓋城(小諸城の前進)の支城として整備したとする説などがあります。
武田氏滅亡後、徳川氏・上杉氏・北条氏に加え、真田氏が信州の支配権を争った「天正壬午の乱」の際には、徳川家康の家臣・柴田康忠が一時居城としました。
その後、仙石秀久が小諸城主になってからも小諸城の支城として存続しましたが、元和の一国一城令で廃城になりました。

現在は「飯綱山公園 歴史の広場」として整備されており、信州の城としては珍しくほぼ全ての曲輪で石積みが使用されています。
攻城時間は45分くらいでした。

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todo94

【家×お城】登城したお城しりとり[254]の地 (2020/11/22 訪問)

【家×お城】登城したお城しりとりで向羽黒山城につないでいただいた印象深い城に初見参です。小雨は続いていましたが問題なく攻城できました。この地域に多いクリークが巡っている平城という感じを受けました。

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昌官忠

信州(列車&レンタサイクル)日帰り① (2018/06/24 訪問)

「信州(列車&レンタサイクル)日帰り」の1城目は上田城です。
上田城は3回攻城しています。
①20170408
②20180624
③20201013(投稿済)

自宅最寄り駅から新幹線等を使い朝8時前に上田駅到着。そこから徒歩で上田城に向かいました。
朝8:00過ぎの攻城の為、写真に写り込むお客さんはほとんどいませんでした。
100名城スタンプは当初、上田市観光会館で押印する予定でしたが、早朝の為、開いておらず(土日祝の開館は9:00~)
あわてて東虎口櫓門に戻り、門側でスタンプをゲット。
上田城の見学は1回目(2017/04/08)で、ほぼ終わっているので今回の目的であるスタンプ押印を終え早々に撤退し、次の目的地の富士見城を目指します。
攻城時間は30分くらいでした。

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キンヤ

規模が大きく見所が多い三好長慶の居城 (2019/05/03 訪問)

コロナの影響で遠方へ行けておらず、昨年行った城ですが、投稿させて頂きます。

とても規模が大きく、石垣・堀切・土塁などの遺構が良く残り、見所が多い城です。

東曲輪群と出丸間の土橋・堀切は見事で、これぞ土橋って感じです。

大手と出丸南下の石垣は大きな石が使われ荒々しくカッコいいです。

出丸南側下の石切り場にあった、高槻城の石垣に使われる予定であったであろう刻印石も見つけることができました。

田ノ丸南下の大きな堀切・土塁が見応えあります。

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たつのり

45 (2018/08/14 訪問)

城址ですので例外あれど、どうしても50点は越えられないんですね。
芝生がとても綺麗だったのと、城址公園内にある国立歴史民俗博物館が面白かったのが印象に残っています。
城址よりも博物館がお勧めです。

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たつのり

56 (2016/04/02 訪問)

川越城は私の好きなお城の3大要素(城郭・御殿・庭園)の中の1つである御殿だけが見れる場所です。
従って城と言っても石垣も堀もなく、単なる古い建物ですのでお寺と言われてもああそうですかという感じですね。
本丸御殿が現存しているのは高知城とここだけですので、もっと注目されてもいいようなものですが、やはり襖絵などは名古屋城の御殿のように現存よりも再建の金ピカで豪華になるのでバエるのでしょう。
しかし、裃姿の人形が座っているのが、同じ現存御殿(二の丸ですが)の二条城を思い出しました。

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たつのり

62 (2016/03/20 訪問)

写真もなく、本当にすいません。
城址だと、こうなっちゃうんです。

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たつのり

70 (2016/05/28 訪問)

私は基本的に城郭の建物が好きなので、城址は低評価になりがちですが、こちらは中々良かったです。
やはり整備されていること、石垣がかなり残っていることとボランティアさんなど地元のバックアップが大きいですね。
林の中ですので新緑の頃がお勧めでしょうか。

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たつのり

40 (2016/08/09 訪問)

100名城スタンプを押しに行っただけです。
夏休みを利用して行ったので、暑くて歩く気にもなれませんでした。
城址はどうしても評価が下がってしまいます。40点なんて本当にどうもすいません。

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零汰

【聖典:大系】一行書の城郭:脇之丸城・・・ミーハー者の攻城の楽しみ方

城郭には種類によって色んな楽しみ方が有りますね。福岡県にある鷹取城や鷹取山城など山頂広く周囲に樹木が無い城郭の場合。そこは晴れた日に爽やかな城郭の風景を目のあたりにすると気分が高揚しとても感動してしまいます。おかげで満足してしまって遺構を見逃す事が玉にキズなのですが。

ここは【聖典:大系】には記載が無く、報告書を頼りに訪れました。標高351mの山頂、グーグルマップの衛星写真で見ると、東西に30m・南北20m程の楕円形の主郭で周囲を曲輪が廻っており、虎口付単郭の小さな小さな城郭。築城者・在城者・縄張図等全く不明の正に忘れられた城郭です。公園と名前は付いて整備はしてあり、2t車以上は通れない城郭に良くある悪路を小型車で登ると主郭まで行くことが出来ます。とても気に入ってしまい何か有るごとに今年は4度訪れた場所です。

1月に近くの城郭を2か所廻ったのち訪れ、前2か所が消化不良気味なせいもあり、あまりの爽やかに通常より3割増しで感激。
2月は主郭で愛馬と写真を撮りたい一心で苔むす悪路をビビリながら登城。(城郭を廻っていますが、一応バイカーでもあります)
4月になると、世界中を席巻し始めた憎いあんちくしょうのおかげで外出もままならず、娘と孫を連れて残り少ない桜の元で宴と言う名のマックランチ。
7月は日頃より城郭に連れていけと言う老いた両親を連れて来た3か所の内のラストでランチ。(前2か所が辛かったのかそれ以来2度とは連れて行けとは言わなくなりました。)

無名で小さくて忘れられる要素たっぷりの城郭ですが近くに気に入る場所が見つかりました。そして一行書きも色んな楽しみ方があるなと感じる日々です。因みに登る途中に主郭以外にも遺構は有る雰囲気なのですがいまだに探した事は有りません。ミーハー攻城者の所以ですね。

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たつのり

56 (2016/04/30 訪問)

私は城好きなので、館だけだとどうしてもテンションが下がってしまいます。
ということで56点になってしまいました。

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たつのり

77 (2017/04/29 訪問)

二本松城(JR東北本線二本松駅)から白河駅まで各駅列車でちょっとした鉄道旅でした。
再建まもなくとても綺麗でした。
天主閣のように見えますが、櫓とのことです。

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たつのり

73 (2017/04/29 訪問)

出向先が二本松市が本社(勤務先は東京)で、出張帰りにほんの短時間立ち寄り。
櫓がやたら白かった。

二本松市歴史資料館はJR二本松駅から二本松城へ歩いていく途中にあります。
チケットの裏側に二本松藩主である丹羽家歴代の表示があります。

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小城小次郎

道なき道で駆り立てたもの (2020/11/07 訪問)

登城路が消滅したところでいつもなら引き返すところを強引に突破した結果、実にシャープな遺構を堪能できたのだが、それにしても「行かねばならぬ」とあの時私を駆り立てたものは一体何だったのだろう。

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ふゆづき

細川幽斎の城 (2020/12/10 訪問)

麒麟がくるゆかりの城の一つである田辺城を訪問しました。
最寄り駅はJR西舞鶴駅。駅の構内にある観光案内所の近辺には細川幽斎の一生を記したパネルが展示してあります。
駅からは徒歩7~8分。裁判所や警察署などの公共施設があつまる近辺に位置しています。
城址は公園になっているので、誰でも気軽に散策することが可能であり、古今集伝授の松も数回植え替えられて公園内に存在します。
訪問した時間(9:30頃)に散策している方々もおられました。
田辺城というと、復元された城門と隅櫓に目がいきますが、発掘された天守台も復元されており、野面積みの低く大ぶりな石垣が武骨な感じを良く表していると感じます。
城門の上は資料館となっており、御城印が購入可能です(御城印を購入するとマンホールカードも貰えます)。
展示は関ヶ原の際の籠城戦のものや、江戸時代の城下町の様子などがなされております。
また、隅櫓の中は細川幽斎の一生を説明した展示(こちらは無料)が飾られています。
攻城時間はゆっくりみて一時間少々というところだと思います。
城址前の明倫小学校は江戸時代の藩校の末裔のようで、貫禄のある校門とともに外構はそれらしい装飾が施されています。

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