かめやまじょう

亀山城

京都府亀岡市

別名 : 亀宝城、亀岡城、丹波亀山城、霞城
旧国名 : 丹波

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ランフランコ

#27 亀宝城 (2023/04/01 訪問)

サンガスタジアムのすぐ近くにあります。観戦前に寄りました。桜満開でお濠の周りはとてもいい雰囲気でした。

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侍ホリタン

五重の層塔型天守が存在した名城を訪ねて (2022/08/18 訪問)

明智光秀公が丹波攻略の拠点として築城したのが始まりです。徳川政権下で天領となり藤堂高虎公の縄張りによる天下普請が行われました。この時今治城の天守が移築されています。その後天守は明治政府の廃城令が出されるまで存続することになります。
JR亀岡駅を出てまっすぐ進むと数分で明智光秀公の銅像がある南郷公園に着きます。 そこから徒歩10分程度で受付事務所、事務所で拝観料を払い、拝観の説明を受けてからの見学となります。敷地内全体が宗教法人の所有地なので見学範囲が限られてます。天守石垣は見学できますが天守跡には入れません。

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城好きのメガネ

「丹波亀山城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★☆
丹波亀山城は、丹波攻めの際に明智光秀が築城したとされる。丹波平定後も重要な拠点となったが、本能寺の変後は廃城となる。その後、天下を統一した豊臣秀吉の重要拠点として一門の羽柴秀勝、小早川秀秋、前田玄以などが治める。関ヶ原の戦い後は、徳川譜代大名である岡部長盛が入封する。藤堂高虎が縄張りをつとめ、西国大名を動員して天下普請を行う。本丸には5重の天守が建てられた。領主は頻繁に変わり、丹波篠山から松平氏が入り、幕末まで治める。戊辰戦争では新政府の山陰鎮撫使に降伏し、廃城となる。現在、石垣等が遺されている。
※現在、城址は宗教施設となっている。大本本部みろく会館総合受付にて大本神苑拝観券の購入が必要(高校生以上300円)。見学可能時間は、午前9時30分~午後4時00分。天守台があった場所は神域となっており、立ち入りおよび撮影禁止。見学の際は注意が必要である。

<アクセス>
Jr亀岡駅 徒歩10分

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まーやん

惣堀とは何か? (2022/10/08 訪問)

光秀が丹波支配の核として築いた城。敷地内は初めて入った。だって今は宗教施設ですから( 〃▽〃)
天正6年の書状で国人衆である長沢氏に亀山の地に惣堀の普請を命じたとあるが、この惣堀が何かとの議論がある。
惣堀=惣(総)構と思いがちだが、惣構は小田原攻めで全国の武将の知るところとなったもので、光秀の時代にはなかったと考えられる。
では、光秀の書状にある惣堀とは何だったのか?
もちろん私に判るはずもないが、古図にある南側の不整形な用地や、西側から南側に広がる町割り部分ではないかと察する。
亀山城は本能寺へ向かう光秀一行が出立した城として知られる。その数1万3千人とか。
なので惣堀とは兵站基地としてのスペースのことだったかも知れない。本能寺の変に向かう軍勢にも恐らく使われたであろうスペースに思いを馳せながら歩いた。

話変わって、明治の廃城令で破却された城跡を大正期、光秀をリスペクトする出口王任三郎が買い取り亀山城の復興を目指し整備したが、全て自費で石垣を掘り起こし積み直したようだ。
出口氏は亀岡にある穴太(読み:あなお)の出身で、当地にある穴太寺は天台宗の寺で、西国三十三所札所の御詠歌にも出てくる関西では有名な名刹。
亀山城の石垣は穴太積みであり、滋賀の坂本で得た技術者集団に因果を感じないでもない。(勝手に妄想中)

そんなこんなで積み直した石垣も大本への二度の大弾圧により破壊され尽くす。戦後、大本に無罪判決が出るが賠償を得ずまたも自費で整備し直したらしい。感謝感謝。

江戸期、亀山城では日本で最初の層塔型天守閣が作られたと言われている。
城地が城下町より低地に作られるなどという大変奇妙で面白い城である。
大本教の施設内で10分間のビデオも見せてくれ、その後回ると現在までの流れが分かりよいかと。
見所は穴太積みの石垣に刻印があったり、天守閣跡(立入禁止)や南郷池(東側の堀跡)だったりか。
亀岡の町中には高札風の説明板が溢れており、町歩きも楽しめる。
JR亀岡駅は保津川下り乗船場の最寄り駅。色々楽しめる町だ。
(この日応援に行った京都サンガは引き分け(;ω;))

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城郭情報

分類・構造 平山城
天守構造 型式不明[3重/1578年頃築/改築]、複合式層塔型[5重5階/1609年改/破却]
築城主 明智光秀
築城年 天正6年(1578)
主な改修者 岡部長盛
主な城主 明智氏、羽柴氏、石田氏、岡部氏
廃城年 明治10年(1877)
遺構 曲輪、石垣、横堀
再建造物 石碑、説明板
住所 京都府亀岡市荒塚町内丸1
問い合わせ先 亀岡市役所商工観光課
問い合わせ先電話番号 0771-25-5034