亀山城は天正5年(1577)明智光秀によって丹波攻略の拠点として築かれました。本能寺の変の後は小早川秀秋(羽柴秀俊)によって修築が行われ、慶長15年(1610)岡部長盛の代に天下普請により近世城郭として完成しました。
明治に撮影された古写真には五層の層塔型天守が写っています。亀山は縁起の良い名なので、城びとにも同名の城が七つあります。江戸時代の人にとっても紛らわしかったようで寛永9年(1632)幕府により丹波亀山城の天守の破却を命じられた堀尾忠晴が間違って伊勢の方の亀山城の天守を解体してしまったのは有名な話です。
しかもその翌年、忠晴は34歳くらいで亡くなってしまいます(何があった?)。天下を目前に控えた主君を殺した光秀が築いた城で有りながら、五層の天守を備えた近世城郭として残り続けたのは数奇な運命だったと思います。そんな経緯で存在した天守だったので出来る事なら残っていて欲しかったですね。
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