かめやまじょう

亀山城

京都府亀岡市

別名 : 亀宝城、亀岡城、丹波亀山城、霞城
旧国名 : 丹波

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

エグ1394

丹波亀山城 (2020/09/20 訪問)

「麒麟がくる」京都大河ドラマ館へ行く前に訪問しました。
宗教法人に敷地内に城跡があります。総合受付で御城印を購入しました。
9月30日までは城跡の見学は中止していますが、少し散策しました。
丹波亀山城は織田信長の命を受けた明智光秀によって、丹波統治の拠点として築かれた城です。「本能寺の変」の際に、光秀が出陣したのもこの城でした。山陰道の入口にあたる要衝であるため、豊臣秀吉や徳川家康にも重要拠点として活用されました。家康は譜代大名である岡部長盛を入封させ、さらに天下普請により西国大名に命じ近世城郭として修築させています。このときには築城の名手と謳われる藤堂高虎が縄張りを担当しました。現在、遺構はほとんど残っていません。天守台の石垣も積み直されたものです。唯一、城門(新御殿門)が千代川小学校に移築されています。なお伊勢の亀山と紛らわしいので、明治になってからこの土地の地名を亀岡と改めることになり、城の名前も亀岡城とされました。この判断には1868年(慶応4年)の戊辰戦争で伊勢亀山藩は新政府側につき、丹波亀山藩は幕府側についたため、敗れた丹波のほうが改名させられることになったそうです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

チョコミ

亀山城跡

明智光秀の建てた亀山城跡見てきました。
平地にある珍しいお城。

+ 続きを読む

ひろべえ

光秀・高虎ゆかりの城 (2020/02/23 訪問)

周山城から国道477号線をハラハラしながら移動してついに丹波亀山の地へ。明智光秀ゆかりの城であり、高虎が築いた初の層塔型天守がそびえていた城。明治期に建物はおろか、石垣まで撤去されて見る影もない城址を大本教祖の出口王仁三郎師が城址を買い取り聖地とした。昭和初期の弾圧を経て、石垣を再構築するところまでは知識として知っていたので、どんなところか興味を持ちつつ攻城。大河ドラマ放映を記念して、来年1月17日まで聖地として制限されていた天守台に上がることが可能になり、とてもラッキーでした。みろく会館で受付の際はとても丁寧な説明を受け、パンフレットを戴く。2Fでビデオを視聴し、出口師の亀山城再建への思いと信者達による石垣積み直しの歴史に触れる。石垣積み直しに取り組んでくれて感謝です。その後、南側内堀跡(万祥池)→本丸石垣→天守台へ。伝明智光秀公手植えのイチョウの木を間近に見る。万祥殿の石垣から刻印を探し、保津門跡付近から北側堀跡(南郷公園)を見て攻城終了。大河ドラマ館は駐車場満車のため、諦めました。秋にもう一度イチョウの木を見たいと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

大河ドラマ館入館前に (2020/01/11 訪問)

余部城に続いて訪れました。14年ぶりの再訪で、亀岡駅から濠に向かってまっすぐ進んだスペースに明智光秀の銅像が建っていました。亀山城は大本(おおもと)教団による管理が行われていて、立て看板によると、祈祷を受けなければならないようなのですが、受付に赴いてみると、どうぞ見学していってくださいと言われたのみ。ラッキー。ゆっくり場内を散策してから京都スタジアムの麒麟がくる京都大河ドラマ館へと向かいました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 平山城
天守構造 型式不明[3重/1578年頃築/改築]、複合式層塔型[5重5階/1609年改/破却]
築城主 明智光秀
築城年 天正6年(1578)
主な改修者 岡部長盛
主な城主 明智氏、羽柴氏、石田氏、岡部氏
廃城年 明治10年(1877)
遺構 曲輪、石垣、堀
再建造物 石碑、説明板
住所 京都府亀岡市荒塚町内丸1
問い合わせ先 亀岡市役所商工観光課
問い合わせ先電話番号 0771-25-5034