かめやまじょう

亀山城

京都府亀岡市

別名 : 亀宝城、亀岡城、丹波亀山城、霞城
旧国名 : 丹波

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

橋吉

宗教施設ですが見学できます (2025/08/28 訪問)

まずは亀岡市文化資料館で予習。
JR亀岡駅を背にしてまっすぐ南に進むと堀跡である南郷公園に到着します。
そこには、明智光秀公像がたたずんで両脇に亀山城天守閣にあった鯱瓦の複製が鎮座しています。

城跡は宗教団体大本(おおもと)の天恩郷とよばれる施設になっています。
みろく会館の1階総合受付に申し出れば、城跡を見て歩くことができます。
なお、広い駐車場が整備されています。

かつて大本は政府による弾圧を受け、施設の破却がおこなわれ、ダイナマイトを使って石垣まで破壊されました。
現在みられるのは、終戦後、教団によって修復されたものです。

残念ながら神域のため見物できる場所は限られています。
天守台の北にある大本花明山植物園も見物です。

本丸跡から北へ6kmほど行った亀岡市立千代川小学校には亀山城の新御殿門(長屋門)が移築されて残っています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

明治まで五層の天守があった。 (2016/01/17 訪問)

亀山城は天正5年(1577)明智光秀によって丹波攻略の拠点として築かれました。本能寺の変の後は小早川秀秋(羽柴秀俊)によって修築が行われ、慶長15年(1610)岡部長盛の代に天下普請により近世城郭として完成しました。
明治に撮影された古写真には五層の層塔型天守が写っています。亀山は縁起の良い名なので、城びとにも同名の城が七つあります。江戸時代の人にとっても紛らわしかったようで寛永9年(1632)幕府により丹波亀山城の天守の破却を命じられた堀尾忠晴が間違って伊勢の方の亀山城の天守を解体してしまったのは有名な話です。
しかもその翌年、忠晴は34歳くらいで亡くなってしまいます(何があった?)。天下を目前に控えた主君を殺した光秀が築いた城で有りながら、五層の天守を備えた近世城郭として残り続けたのは数奇な運命だったと思います。そんな経緯で存在した天守だったので出来る事なら残っていて欲しかったですね。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

(東海&関西)遠9日目:亀山城関連(南郷公園) (2025/05/23 訪問)

宿泊先のホテルの朝食前に、余部城と亀山城関連(移築城門&聖隣寺&南郷公園)を見学しました。
亀山城関連として移築城門と聖隣寺、南郷公園を見学しました。
亀山城は今回2回目の攻城です。1回目は2019年2月8日に来ました。
亀山城関連(聖隣寺)から徒歩15分くらいで、南郷公園(35.014831、135.581724)に着きました。

~南郷公園での確認内容~
①明知光秀公築城碑➡確認できませんでした
②明知光秀公の像
③堀跡の南郷池
最悪です。亀山城の鯱瓦説明板の写真は撮っているのに、鯱瓦そのものの写真を撮っていませんでした。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=御影山城を攻城する前に、ホテルに戻って朝食を食べました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

(東海&関西)遠征9日目:亀山城関連(聖隣寺) (2025/05/23 訪問)

宿泊先のホテルの朝食前に、余部城と亀山城関連(移築城門&聖隣寺&南郷公園)を見学しました。
亀山城関連として移築城門と聖隣寺、南郷公園を見学しました。
亀山城は今回2回目の攻城です。1回目は2019年2月8日に来ました。
亀山城関連(移築城門)から徒歩30分くらいで、聖隣寺(35.008084、135.586132)に着きました。

~聖隣寺での確認内容~
①山門の袖塀に狭間が設けられている 
②達磨太子像が山門の左隅に立っている
③毘沙門堂の屋根に細川家の家紋「細川九曜」と豊臣ケ家紋「五七の桐」
④織田信長の五輪塔(供養塔)がある
⑤木造の毘沙門天立像がある➡確認できませんでした
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=亀山城関連(南郷公園)へ徒歩で向かいました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 平山城
天守構造 型式不明[3重/1578年頃築/改築]、複合式層塔型[5重5階/1609年改/破却]
築城主 明智光秀
築城年 天正6年(1578)
主な改修者 岡部長盛
主な城主 明智氏、羽柴氏、石田氏、岡部氏
廃城年 明治10年(1877)
遺構 曲輪、石垣、横堀
再建造物 石碑、説明板
住所 京都府亀岡市荒塚町内丸1
問い合わせ先 亀岡市役所商工観光課
問い合わせ先電話番号 0771-25-5034