かめやまじょう

亀山城

京都府亀岡市

別名 : 亀宝城、亀岡城、丹波亀山城、霞城
旧国名 : 丹波

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お城入口
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WEST

丹波亀山城探訪 (2024/04/10 訪問)

明智光秀ゆかりのお城、丹波亀山城を訪問しました。JR嵯峨野線亀岡駅から徒歩10分程度ですので、アクセスし易いお城です。
現在城址敷地は宗教法人が管理しています。お城見学の受付の際に散策ルートの簡単な説明や、希望者には別室での10分程度のビデオ上映もありました。
明治維新後には5重5階の天守がありましたが(受付の建物の中に写真がありました)、明治初期の廃城令により建物や石垣が破壊されたとのこと、非常に残念ですね。
城内には天下普請時の石垣刻印、本丸下の復元石垣をみることができます。その石垣の下部分が明智光秀の築城の時代のものだそうです。なお、本丸跡は禁足地でみることはできません。
丹波亀山城は廃城・破壊されましたが、現在のような形でも整備・散策できるようにして貰えるのはありがたいと思います。
また、駅前の大通りに沿って歩くとお堀手前に明智光秀公像を見ることができます。是非寄ってください。

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ぴーかる

丹波亀山城 (2023/10/21 訪問)

【亀山城】
<駐車場他>大本みろく会館前駐車場
<交通手段>車

<見所>石垣・堀
<感想>丹波亀山城の築城は1578年に明智光秀によって築城されました。江戸時代には天下普請で藤堂高虎によって大改修を行って五重の層塔型天守が建てられます。明治に新宗教「大本」の指導者が荒廃していた城を購入し整備しますが明治政府から弾圧を受け城跡が爆破されます。現在見られる城跡の石垣は復元された箇所も多いそうです。
 会館内の受付で初穂料300円で城跡内を散策できます。城跡内は非常に美しく整備されており、当時の縄張りの雰囲気を良く感じ取ることが出来ます。大本万祥殿のある曲輪と北古世の曲輪との堀切石垣は美しく復元されており、刻印のある石も見られます。本丸南面の高石垣も見事で上方部は復元されているようですが見応えがあります。本丸南面の空堀は深さがあり、見られる細かい石の石積みは当時のものかとも思われます。1時間程度ゆっくり気持ちよく散策でき記憶に残る城跡でした。市立千代川小学校の校門に現存移築長屋門が残されているのでそこも見に行きました。

<満足度>◆◆◇

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ランフランコ

#27 亀宝城 (2023/04/01 訪問)

サンガスタジアムのすぐ近くにあります。観戦前に寄りました。桜満開でお濠の周りはとてもいい雰囲気でした。

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侍ホリタン

五重の層塔型天守が存在した名城を訪ねて (2022/08/18 訪問)

明智光秀公が丹波攻略の拠点として築城したのが始まりです。徳川政権下で天領となり藤堂高虎公の縄張りによる天下普請が行われました。この時今治城の天守が移築されています。その後天守は明治政府の廃城令が出されるまで存続することになります。
JR亀岡駅を出てまっすぐ進むと数分で明智光秀公の銅像がある南郷公園に着きます。 そこから徒歩10分程度で受付事務所、事務所で拝観料を払い、拝観の説明を受けてからの見学となります。敷地内全体が宗教法人の所有地なので見学範囲が限られてます。天守石垣は見学できますが天守跡には入れません。

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城郭情報

分類・構造 平山城
天守構造 型式不明[3重/1578年頃築/改築]、複合式層塔型[5重5階/1609年改/破却]
築城主 明智光秀
築城年 天正6年(1578)
主な改修者 岡部長盛
主な城主 明智氏、羽柴氏、石田氏、岡部氏
廃城年 明治10年(1877)
遺構 曲輪、石垣、横堀
再建造物 石碑、説明板
住所 京都府亀岡市荒塚町内丸1
問い合わせ先 亀岡市役所商工観光課
問い合わせ先電話番号 0771-25-5034