みんなの投稿

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ryu

鹿児島城(2012年) (2012/03/18 訪問)

指宿への温泉旅行の途中で訪城。鹿児島中央駅から市電で市役所前下車。小雨降る中見学。黎明館の鶴丸城模型を見逃したのが残念。
御楼門が復元される前の写真だが、復元された御楼門を見に再訪したいお城。

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カズサン

信長廟から摠見寺 (2010/05/22 訪問)

 続き

 天主跡、本丸の探訪を終り、伝二ノ丸に在る信長御廟所(本能寺後秀吉が信長の御廟所を造り祀る、徳川幕府も摠見寺を通して祀り安土城が破壊される事無く残った)、本丸西虎口、黒金門を経て摠見寺曲輪群へ、仁王門、伝百々橋口道、百々橋門通行不可にて百々橋門手前より麓道より大手道へ戻る。
 今回の探訪が天主跡を訪ねた最終の登城のままと成って居ます。 中々天主跡まで登るのがきつく成って来ました、皆さんの投稿が今後の楽しみです。
 
 長々とご覧いただき有難うございました。

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ryu

柑子岳城登山 (2012/01/07 訪問)

一ノ谷登山口から山頂を経て村上登山口に下る。よく整備されたハイキングコース。
博多湾を望む標高254mの柑子岳山頂からは博多湾の展望がよい。

戦国時代の山城で、築城時期は明らかではないが、大友氏の拠点として東の立花城とともに博多を抑える両翼の一方としての役割を持っていたが、天正7年(1579年)生松原合戦で高祖山城主原田氏に敗れ落城したという。城跡は柑子岳山頂から南北に伸びる尾根上を利用した3つの曲輪群からなる。

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カズサン

天主跡・伝本丸 (2010/05/22 訪問)

 続き

 整備された大手道、黒金門跡前後の続きです、伝黒金門から伝二ノ丸下帯曲輪へ、本丸西虎口から天主台下を通って伝本丸跡、天主取付台を登り天主台虎口より天主穴蔵に入る、天主の建物礎石が整然と並んでいる、天主穴蔵周囲の石垣に登り穴蔵内部の観察見学、外の眺望も堪能する。
 以前に安土城郭資料館、安土城天主信長の館、各種安土城復元書籍を見学、閲覧して居ましたので天主跡で壮大華麗なる天守閣を想像してみたり、何時登城して天主跡を訪れても感激し心を揺さぶられます。
 木々樹木が茂って居ましたので天主台、本丸の撮影が下側の石垣に成って仕舞いました。

 続きます。

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ダイエティシャン

備中松山城5️⃣大手門跡、雪隠跡、御膳棚兼、殿の水呑場 (2022/04/08 訪問)

岩盤の上に聳え立つ石垣が特徴です。

【雪隠跡】は、殿の雲隠れ場所かと、一瞬思ってしまいました。

【御膳棚】の水呑場では、殿も、喉を潤しておいでのようです。

【土塀】は、一部現存。狭間から覗いたら、土の一部が見えました。殿も、たまに、狭間を覗いて、曲者を見張っているそうです。

【猫城主さんじゅーろー】様の城主の御勤めは、【猫城主さんじゅーろー】様のインスタグラムで、拝見出来ます。

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ダイエティシャン

備中松山城4️⃣下太鼓の丸跡、中太鼓の丸跡、大手門跡 (2022/04/08 訪問)

以前、人だかりで、攻め入る事が出来なかった曲輪に、攻め入りました。

眺めが良く、ここで、お昼ごはんを食べました。

かつてはこの太鼓の丸跡で、太鼓を鳴らし、本丸と連携を取っていたそうです。

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ダイエティシャン

城ふぉとコンテスト【城と生き物】影武者参上 (2022/04/08 訪問)

【猫城主さんじゅーろー】様に負けず劣らずの可愛さの【影武者】が、2の丸で、お城を守っていました。
まるで、本当に生きているかのよう、、、。

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ダイエティシャン

城ふぉとコンテスト【城と標柱】方言ではなかった! (2022/04/08 訪問)

【雪隠】何と読むでしょうか?




【せっちん】トイレの意味です。
祖母が昔、言っていたので、てっきり方言だと思っていました。
因みに、祖母の先祖は武家ではありません。

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小城小次郎

もともと平たい城なのだ。 (2021/11/28 訪問)

ただただ平たいこの城を「削られた城」と思い込んでいたのだが、もしかしたらずっと昔からこの形だったのではないかということに漸く思い当たった。実はもの凄くよく残っているお城ではないのか。

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チェブ

大手門のみ。 (2022/04/02 訪問)

私が行った「守谷城」、皆さんの投稿写真と違うな~。と、調べると、、、!
嫌な予感的中です。
『守谷城址公園』には行ってません。
私は守谷小学校近くの、石碑、説明板、土塁で「守谷城」攻めを終了してしまいました。
しかも、なぜか石碑を正面から写さないで斜め横からの、見ずらいアングル。

因みに、土塁横に車、停められます。

「守谷城」は相馬氏の居城です。
築城年数や築城者は不明ですが、3名の有力候補者がいらっしゃるそうです。
いずれも相馬氏で、少し時代が ずれてます。
相馬氏は上杉 謙信さんが北条氏の小田原攻めに参加します。
謙信さんが帰ったら、和睦して北条氏に「守谷城」を明け渡します。そして大改修。

あっ、平将門さんが築いた説もあるそうですよ。
、、、自分にトホホです。

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おっちゃん

吉田城案内図 (2015/08/08 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

小山城跡概要図 (2016/12/10 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

騎西城復元図 (2017/02/19 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

江戸時代後期の岩槻城と城下町 (2016/09/21 訪問)

現地案内板より抜粋。

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イオ

【城と看板】楠公さんから言われては… (2019/01/13 訪問)

下赤坂城の城址碑と説明板が建つあたり(下赤阪の棚田)に、かつては駐車場があったようですが、訪れた時点では10分ほど歩いたところに駐車場が新設されて、自動車での乗り入れは禁止になっていました。写真はその際に見つけた看板で、楠公さんの城めぐり中に当の本人から言われては従うしかないよなぁ、と妙に納得した覚えがあります。
 

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朝田 辰兵衛

【城と看板】城ふぉとコンテスト📷 (2022/03/20 訪問)

添え書きのほうの「Do not enter」で理解できました。

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にのまる

帰り道。 (2021/11/13 訪問)

山の神曲輪まで行って戻る途中に小宮曲輪の防衛ライン(多分)体験してきました。四方八方すごくかっこよかったです。次回からもきっと寄ります。

帰り道、城域東端の小さいほうの木橋を渡ってずっと続く“かたらいの道”を通って適当なところで滝山街道に下りようと思っていたのですが、思いのほか気持ちのいい散策路だったのでそのまま突っ切ってしまいました。国道に出たところに「滝山城入口」の看板があり、正規の登城口だったのかとびっくり(゚д゚)!
そのまま八高線の小宮駅まで徒歩で出ました。次は北側の東秋留駅まで歩き通してみようと考え中。最早城郭散策でも何でもない気もしますが楽しいです♪

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じゅんじん

夜の部 第2夜 (2022/03/27 訪問)

ぶれてる・・・(´;ω;`)

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じゅんじん

夜の部 第1夜 (2022/03/27 訪問)

凛とした雰囲気

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朝田 辰兵衛

【城と生き物】城ふぉとコンテスト📷 (2016/11/29 訪問)

黒バリケンも撮影してました。

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