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カルビン

小杉陣屋・御殿 [神奈川県川崎市中原区小杉御殿町1丁目] (2014/09/20 訪問)

昨年の台風で多摩川が氾濫した際に武蔵小杉のタワーマンションが機能マヒして一気に武蔵小杉とタワマンの評価が下がってしまったのは記憶に新しいところ・・・
(勿論この問題に直面した事で色々改善された事でしょう。。。自分はそもそも高所恐怖症なのでタワマンはノーサンキューですがw)

その武蔵小杉には城びとにはお城としての痕跡が何も残っていない丸子城が登録されておりますが、そこから西・新丸子駅からの方が近いですが小杉陣屋と小杉御殿の跡地があります。
こちらは両方とも解説や碑石があり、どちらかというとこっち登録されるのでは?と思っておりました。
(実際丸子城って城びと会員になっで初めて知った場所ですし)

小杉陣屋のほうは小さな空き地に小さな祠があるところにちょっとした解説があるだけ、小杉御殿のほうは西明寺の入口のところが御殿入口であった事が示されており、そこに石碑と解説もあります。

小杉御殿の本殿は現在の西明寺の御本殿がある場所と推定されます。
御殿を造ったのは徳川幕府になりますが、西明寺に掲げられている家紋は北条氏のものでした。。。何か関係あるのでしょうか・・・

陣屋も御殿も遺構は残っていない為、ここメインで訪れる程の場所ではありません。
場所柄乗り換えの拠点になる所なので、乗り換えついでに立ち寄られるのが良いかと。

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モト

薬研堀跡と今はなき狼煙台 (2019/09/24 訪問)

 制作途中だったらしい薬研堀跡が見られます。
見張台の跡の柱穴なども発見されたようです。
訪問当時は皆様の投稿にもあった見張台、狼煙台がありましたが今は解体されているようです。
小高い山の上にある城址からは付近の名のある城が見渡せます。

今の通信手段は進化してスマートフォンになりました。
昔は人が走って手紙を届けたりしておりましたが、狼煙で伝えるという画期的な手段が生まれて情報がすばやく伝わるようになったんだろうなと考えます。
その当時では最新の伝達手段があったであろうその手段を使用して、主たる城や合戦時に情報を伝達していたであろうこの城址に、一気に価値が高まった気がしてワクワクしてしまいました。
また制作途中であったという薬研堀も、浅い状態ではありますが確認でき、歴史上で重要な狼煙台と合わせて雰囲気を味わうことができました。

小高い山の上まで車でも上がれます。
駐車場もありますので気軽に見学にも行けると思います。
その割に楽しめる城址だと思います。

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城Expo2020 (2020/12/19 訪問)

今回で3回目の城Expoの参加でした。
19日と20日の二日間おしゃま致しました。
初日は、3つの厳選プログラムとお城の各ブース等でした。
大和田先生の「穢れの逆転」の話や平山先生の「戦国の忍び」の話を興味深く拝聴致しました。
私は、関西なので奈良の大和郡山城の天守台にある「逆さ地蔵」が有名ですね。
即ち、地蔵さんを逆さに置くことで穢れが一掃されお城が護られると言い伝えられているのです。
また、戦国の忍びと言えば伊賀忍者や甲賀忍者を思い起こすのであるが、各地でいろんな呼称があるのですね。
かまり、乱波等の別称があるのですね。
非常に面白く勉強になりました。
2日目も3つの厳選プログラムとワークショップセミナーに行きました。
萩原さんのお城と食事のお話で、お蕎麦やお酒とお城との逸話を教えて頂きました。
また、トークショーでは昇太さんと中井先生と加藤先生のマニアックな土の城のお話ですね。
関西では石垣の城が多いのですが、関東ではやはり土の城なんですね。
北条の城で最近発掘調査された「河村新城」の障子堀がマニアックな彼らでさえ圧巻だったと云っておられました。
コロナで行けなかったけど、僕も行きたかった。
また、北条は土の城にかなりこだわっていたみたいです。
なのに、北条の城で小田原城の支城である「八王子城」には石垣があるのですね。
いつも行ってらっしゃるにのまるさん!
どうしてか教えて下さい!
最後に、中井先生と加藤先生と松田先生の三人のトークでは「瓦のお話」でした。
瓦と言えば、初期の頃はお寺の瓦を代用としてお城に使っていたのですが、織田信長の安土城の頃から「お城独自の瓦」が登場するのですね。
会場の「ノース」はかなり広いですね。
ゆったりと見学が出来て満足でした。
来年は、コロナが終息してもっと自由に見学出来ることを祈らざるを得ません。

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イオ

赤鬼の土の城 (2020/12/06 訪問)

(本城編から続く)

本城・西曲輪北端の防獣柵にも注意書きがありますが、本城から西の丸に行くには、岩場の急斜面をトラロープを頼りに下りて行くことになりますので、滑りにくい靴と手袋は必須です。そうして鞍部まで下りて、尾根道をまた少し上ると西の丸に着きます。

西の丸は本城から北西にのびる尾根の付け根に築かれた出丸で、東端の主曲輪から西方向に4つの曲輪で構成されています。主曲輪は南辺に土塁を設け、北東下は龍ヶ鼻砦へと続く尾根を堀切で断ち切っています。主曲輪から西に一段下りたところが二の曲輪で、南辺を土塁が走り、北西の切岸の下にも塹壕状の土塁が見られます。二の曲輪西端には櫓台があり、その西下には堀切と土橋が明瞭に残っています。堀切の先は三の曲輪で、細長く続く曲輪の西端には(二の曲輪と同様に)櫓台と堀切・土橋があります。その先の四の曲輪の西端にも櫓台があり、櫓台の西下は岩盤むき出しの急斜面になっています。

各曲輪の西端に櫓台を設け、曲輪間を堀切で遮断し、北西尾根からの侵攻に何重にも備える意識が明らかな造りで、東出丸や石踏の段などと同じ出丸のひとつに位置付けられますが、規模はそれらより格段に大きく、中小規模の山城ひとつに相当するほどで、「小城」とも呼ばれるのも納得です。本城は斎藤利三の頃以降に石垣や虎口を中心に改修されていますが、西の丸では荻野(赤井)直正が改修した頃の黒井城の姿を見ることができ、ひとつの城でふたつの魅力を堪能できますので、岩場の急斜面の登り降りは大変ですが、土の城好きなら西の丸まで足を運ぶ価値は充分にあると思います。

さて、西の丸には大いに満足しましたが、ここまで来たら出城まで攻略せずにはリベンジを果たしたことにならない! ということで、さらに先へと進みます。(続く)
 

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todo94

黒髪山登山口から (2020/11/22 訪問)

黒髪山登山口から攻城してみました。駐車場も完備されているしさほど苦労することなく見事な空堀に囲まれた城域にたどり着くことができるお薦めの城です。山城と云うよりは、山腹に築かれた居館跡という佇まいでした。

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昌官忠

横浜線沿線日帰り⑤ (2018/07/15 訪問)

「横浜線沿線日帰り」の5城目は篠原城(ラスト)です。小机城からの転戦です。

小机城から小机駅に出て、そこからJR横浜線で菊名駅下車し、徒歩で篠原城へ向かいました。

篠原城は北条氏の家臣・金子氏の居城で、小机城の支城として築かれたようです。
金子氏は北条氏滅亡後もここに残り、江戸時代には名主をつとめたようです。

現在城址には土塁や空堀などの遺構が残っていますが、自分が攻城した時は立入禁止になっており、本丸に入ることはできませんでした。攻城時間は10分くらいでした。

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昌官忠

横浜線沿線日帰り④ (2018/07/15 訪問)

「横浜線沿線日帰り」の4城目は小机城です。津久井城からの転戦です。
続100名城スタンプは小机駅横の「城郷小机地区センター」で押しました。

津久井城から北根小屋バス停に出て、そこから神奈川中央交通バスで橋本駅に向かい、JR横浜線で小机駅下車、小机駅横の「城郷小机地区センター」でスタンプ押印とガイドマップを入手し小机城へ向かいました。

ガイドマップによりますと、小机城は15世紀半頃(室町時代)までには築城されていたと考えられているようです。
1478年には長尾景春の乱にともなう戦乱で、太田道灌によって攻め落とされています。
戦国時代には、小田原北条氏の関東進出のなかで重要な軍事拠点となり、城も改築されたようです。
北条氏の重臣・笠原越前守信為が城代となった後、北条三郎・氏信・氏堯・氏光が城主となりました。
豊臣秀吉による小田原攻めでは戦闘の記録はなく、徳川家康の関東入りの後に廃城となったようです。

現在城址は「小机城址市民の森」として整備されており、遺構として巨大な空堀や土塁、本丸、二の丸などがほぼ原形のまま遺されています。
本丸から二の丸までを大きく囲む空堀は素晴らしいです。城塁、櫓台、土塁など見ていて飽きない城跡です。攻城時間は45分くらいでした。

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昌官忠

横浜線沿線日帰り③ (2018/07/15 訪問)

「横浜線沿線日帰り」の3城目は津久井城です。片倉城からの転戦です。

片倉城から片倉駅に出て、そこからJR横浜線で橋本駅下車、橋本駅北口から神奈川中央交通バスで津久井湖観光センター前で下車して津久井城を攻城しました。

攻城ルートを写真から辿ると、津久井観光センター前から、らくらくコースで登城をはじめ不動坂➡男坂(車坂)➡女坂と合流➡太鼓曲輪➡堀切と引橋(ここで野生の鹿と遭遇、怖かった)➡土蔵➡本城曲輪➡城山山頂➡ここで引き返し➡飯縄曲輪/飯縄神社➡大杉➡宝ヶ池➡ここで引き返し➡男坂を下る➡らくらくコースと合流➡諏訪神社➡北根小屋バス停で下城でした。
あとで公園マップを確認すると中心部は見学していますが、城山登山口方面の「みどころスポット」をいくつか見学していませんでした。 時間の都合上、これでよしとします。

津久井城は小田原北条氏に仕えた内藤氏が城主をつとめていました。1590年の豊臣秀吉による小田原攻めに伴い落城し、江戸時代初頭には麓に陣屋がおかれていたようです。

現在城址は「県立津久井湖城山公園」としてハイキングコースも整備され、家老屋敷跡や宝ヶ池、堀切などが残っています。
山頂近くにはトイレもありましたが、水は使えなかったと思います。男坂は60台のおじさんにはけっこうきつかった記憶があります。
攻城時間は2時間弱くらいでした。

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昌官忠

横浜線沿線日帰り② (2018/07/15 訪問)

「横浜線沿線日帰り」の2城目は片倉城です。滝山城からの転戦です。

滝山城の滝山城址下(バス停)から西東京バスで八王子駅に出て、そこからJR横浜線で片倉駅下車し、徒歩で片倉城に向かいました。
片倉駅からナビに従って登城しましたが、あとでわかったことですが、細い坂道を登って登城するより、片倉城跡公園駐車場より整備された道を登城する方が歩き易いと思います。

攻城ルートを写真から辿ると、城跡南西側入口から登城し、本橋を横に見ながら本丸広場(主郭/東郭)➡二の丸広場(西郭)➡住吉神社(腰郭)➡ふたたび本丸広場に戻る➡木橋を通り、ふたたび二の丸広場➡奥の沢➡藤棚➡水車小屋➡菖蒲田➡東屋➡彫刻広場➡城跡北西側入口から下城でした。
後から案内図を確認すると無駄なルートで攻城していました。 城跡南西側入口から登城し、住吉神社(腰郭)➡本丸広場(主郭/東郭)➡二の丸広場(西郭)➡奥の沢と進めば、効率よく攻城できました。

片倉城は扇谷上杉氏の家臣長井氏が築城したと言われているが、諸説あるようです。
現在城跡は「片倉城跡公園」として整備されており、本丸と二の丸、その間にある空堀が良く残っています。
個人的には住吉神社(腰郭)にあった毛利氏家紋(一文字三星)が気になるのですが、どこにも説明がなく、わかりません(大江氏の関係かな?)。誰か知っていたら教えてください。
攻城時間は50分くらいでした。

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前ちゃん

颯爽と (2020/12/22 訪問)

コロナ禍?なのか、川之江駅から城公園までの道中、どこにも立ち寄る(店がない?)ことなく登城

帰りも同様

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赤い城

横浜英和女学院が本丸跡 (2020/12/19 訪問)

お城EXPOの前に立ち寄りました。
ブルーラインの蒔田駅から徒歩で10分くらい。
横浜英和女学院が本丸跡になります。
周囲を歩いても遺構はなさそう。
逆に不審者に見られそう。
麓の公園に説明板があり、馬場跡などの跡地っぽいです。
勝国寺には吉良氏の供養塔もありました。

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にのまる

お城expo3日目 (2020/12/20 訪問)

 最終日は検定とワークショップ3つに参加しました。
 このような状況下にあって、さまざまな策を講じ、開催してくださったことに感謝です。そして今年も三日間通って皆勤賞を頂けた(←そんなのないです)ことを嬉しく思っております。
 城びとブースは今年は何ももらえなかった(コラコラ😅)ですが、おそらく密を避けるためかと。きれいな御城印帳がたくさん並んでいました。
 ワークショップ会場でひこにゃんと超至近距離で対面!早速写真を待ち受けにしました♪
 今年参加が叶わなかったお城関係の方やみなさまが来年は楽しめますように。

 朝田辰兵衛さん、ニアミスでしたか!
来年はよろしかったらどうぞお声かけくださいませ( ´ ▽ ` )ノ

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零汰

延々と続く横堀が見どころです。 (2019/10/13 訪問)

7月に挑戦しましたが入口を見つけることが出来ずに断念、その後に鬼神・城郭放浪記さんを知り2度目で攻城出来た城郭です。

城郭放浪記さんの情報では佐田城以外に各砦も有るのですが、メインの攻城のみで各砦は見ておりません。その頃はログ取りをしていなく曖昧ですが、高低差は200m程、登城口から主郭迄の往復時間は2時間を超えました。

標高の割に主郭迄の距離が長いのか緩い勾配ですので歩き易いです。石積も各所に点在していますが、こちらは何といっても見どころは延々と続く横堀です。各曲輪の切岸下には殆ど横堀が設けてあったように思います。

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朝田 辰兵衛

3日間限定 首里城復元…?!~お城EXPO 2020~ (2020/12/19 訪問)

イベント会場は,昨年ほどの活気はなかったように思います。コロナに加えて関越自動車道の大雪による長時間の通行止めが影響していたのかな…と。お昼前の入場だったのか,4Fのお弁当売り場併設の食事場所は満席でした。サンドイッチだけテイクアウトしようかな…と思ったら「ドリンクとセットです」と言われ,あえなく撤退。ここでの食事も楽しみたかったです…<泣>。
物販コーナーは大勢の人列ができていたため,感染予防の観点からスルー。
昨年は,首里城のブースが設けられ,かなり見入っていました。今年はさりげなく模型による復元がされていました。日本全国の名だたる名城が模型化されている中,首里城に注目していたのは私だけ…。
そうそう,今回のパシフィコ横浜ノースの会場は昨年の会場からかなり離れており,歩きながらとても不安になりましたが,一城別郭(?)的に立派な造りでした。
コロナが落ち着いたら,前夜祭にも来てみたいな…と思いました。
もうちょっとゆっくりしていたら,にのまるさんと会えてたのかな…?

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イオ

雲海の絶景 (2020/12/06 訪問)

(下館・出丸編から続く)

猪ノ口山頂部の本城は北西部を本丸とし、南東方向に二の丸、三の丸、南東端に東曲輪と続き、本丸北西下の西曲輪、本丸・二の丸の南西下と北東下の帯曲輪で構成されています。

石踏の段から登ってたどり着くのは東曲輪。いきなり眼前に広がる野面積みの石垣に圧倒されます。三の丸の虎口を入ると仕切りの石列があり、喰い違い状になっていたようです。三の丸から二の丸に至る枡形虎口の左手には大きく張り出した石垣があり、横矢掛りになっています。二の丸と本丸の間は堀切で隔てられていて、本丸へは二の丸の北西に張り出した小曲輪から枡形虎口を抜ける必要があり、東曲輪から何度も何度も屈曲を強いる厳重な造りを実感させられます。そして、この小曲輪の南西下の高石垣は麓からもよく見える一番の見どころ…なんですが、遺構保護のため防護ネットがかけられ、何とも残念な外観に…。皆さんの投稿で承知はしていましたが、各虎口に設置された仮設階段と併せて早く整備が終わることを願わずにいられません。本丸には保月城趾の石碑が建てられており、最高所だけに全方位に視界が開け、四方にのびる尾根に築かれた出城も全て見渡すことができました。さらにこの日は(図らずも)雲海が広がっており、蒼天と雲海の絶景を堪能させてもらいました。

そして三の丸まで戻って、今度は二の丸北東下の帯曲輪を抜けて西曲輪へ。これで黒井城の主要部分はめぐり尽くしましたが、まだまだこんなものでは終われません。西曲輪北下の腰曲輪から防獣柵を出て西の丸へと向かいます。(続く)
 

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昌官忠

銚子電鉄・犬吠駅(島武水産)での昼食の帰り道④ (2020/12/21 訪問)

「銚子電鉄・犬吠駅(島武水産)での昼食の帰り道」の4城目(ラスト)は長沼城です。前林城からの転戦です。
長沼水防倉庫横の空スペース(35.836064、140.307318)に駐車して攻城。

~古城盛衰記より転記~
 室町時代に結城朝光の五男朝良の五世孫の長沼朝教によって築かれたとされる。
戦国時代は朝教の子孫・長沼五郎武俊の居城とされている。武俊は広の台城主・羽島新助豊勝、大竹城主・大竹次郎信澄、荒海城主・荒海左衛門重綱らと千葉氏方に属し、竜台合戦に参加し討死にした為、廃城となったと云われている。

現在、城址は「長沼城址公園」となり、稲荷神社や展望台があります。個人的には城址北側から東側にかけて広がる越曲輪がお薦めです。攻城時間は20分くらいでした。

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昌官忠

銚子電鉄・犬吠駅(島武水産)での昼食の帰り道③ (2020/12/21 訪問)

「銚子電鉄・犬吠駅(島武水産)での昼食の帰り道」の3城目は前林城です。野手城からの転戦です。
妙見神社前空スペース(35.804354、140.430326)に駐車して攻城しましたが、大失敗です。
我が家の車はワンBOXカーですが、ぎりぎり駐車できるスペースしかありません。車を切り返る場所もなく、バックで戻ることになりました。(妻はお怒りモード)
攻城時は手前の前林第一公民館(35.801142、140.431361)に駐車して攻城することをお薦めします。

「ホトトギスさん」の投稿で前林城は湮滅していることがわかっていたので、「城びと」で示されたMAP上の前林館に向かいました。
見るところは妙見神社廻りと切通しくらいでしょうか、郭は何となく確認できた程度です。攻城時間は10分くらいでした。

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昌官忠

銚子電鉄・犬吠駅(島武水産)での昼食の帰り道② (2020/12/21 訪問)

「銚子電鉄・犬吠駅(島武水産)での昼食の帰り道」の2城目は野手城です。見広城からの転戦です。
農村公園駐車場(35.667844、140.575921)に駐車して攻城。

「城びと」で示されたMAP上には何もない(近くに興栄山朗生寺はあります)ことがわかっていたので、説明板が残されている農村公園に向かいました。
やはり説明板しかありません。攻城時間は5分くらいです。

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昌官忠

銚子電鉄・犬吠駅(島武水産)での昼食の帰り道① (2020/12/21 訪問)

今年の夏にGOTOトラベルを利用して、妻と二人で銚子に1泊2日の旅行をした際、銚子電鉄の犬吠駅近くの「島武水産」の魚料理がとても美味しかったので、自宅から車で2時間かけて妻と二人で昼食をとる為、ふたたびやってきました。
せっかく、銚子まできたので、すんなり帰らず千葉県未攻城の城をいくつか攻城することにしました。

「銚子電鉄・犬吠駅(島武水産)での昼食の帰り道」の1城目は見広城です。雷神社駐車場(35.740477、140.697564)に駐車して攻城。駐車場には簡易トイレもあります。

駐車場横の小道(標識があるのですぐわかります)を進むと、浅間神社の鳥居と堀切が見えてきます。この堀切が結構深いです。
鳥居の階段(ブルーシートが引いてありました)を登ると土塁と祠(神社らしきものは見つからなかったので、これが浅間神社?)およびその廻りが犬走りと思われます。
さらに南に進むと、細長い郭(1郭?)があり、その先は斜面を下るように段々の郭が続いていました。攻城時間は30分くらいでした。

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todo94

リベンジ (2020/11/22 訪問)

塚崎城の城址碑チェックは今回の大きな目標。住宅地の奥の小公園内に無事見つけることができました。深遠寺近くの石門もチェックすることができて何よりです。でもこの城の前に訪れた城びと未登録の潮見城の方が二重堀切などの見事な遺構があって感銘を受けました。

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