「逆賊」とされる明智一族にあって後世賞賛された人物がいます。明智秀満(光秀の重臣で、女婿〈異説あり〉)。山崎から敗走後、近江坂本に籠城した秀満は自害する前に文化財を引き渡し、多くの名物が灰燼に帰すのを防いだと言われます。はて、そんな見識ある人物が安土城に火を放つでしょうか。
安土城(滋賀県近江八幡市)は本能寺の変から13日後の1582年6月15日、突如出火。天守と本丸が焼失しています。原因は諸説あるようですが、この際「落雷」と「野盗による放火」は都合が良すぎる感じがしないでもないので除外してしまいましょう。すると容疑者は2人。秀満と、織田信雄(信長の次男)に絞られそうです。
光秀の留守中、安土城を守っていたのは秀満。その後、後詰めで山崎に向かったようですが、光秀敗北を知ると、今度は坂本で籠城。安土が放火で燃えたのがこの時だとする第三者の日記があるようです(吉田兼見「兼見卿記」)。つまり坂本でのアリバイを崩せないと秀満の犯行を立証するのは困難ということ。一方、彼が山崎に向かった後、安土に入ったのが信雄。個人攻撃と受け止められてしまうのは不本意ですが、評判は良くないですね。いずれにせよ、近年では信雄放火説が有力視されているようです。動機(もしあるなら)が知りたいところですね。
私見ですが、仮に信雄が犯人だとして、それが表沙汰にならないよう腐心した人物がいるような気がしてなりません。例えば、彼を織田家の跡目に推した人物、とか。あるいは当時、全てを明智方になすりつけることで最大限得した人物、とか。
信長の「天主」(*岐阜と並んで「天守」の起源とされます)焼失後は秀吉によって廃城となりました。現在の城跡に建物はありません。山頂付近の伝本丸跡には、天主台石垣や伝本丸御殿の礎石が残っています。
復元案は古いもので江戸時代にまで遡るのだとか。「幻」や「謎」というキーワードに惹かれるのはいつの時代も同じということでしょうか。今日も建築、文献、発掘の分野で様々な試みが続いています。
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