くくりじょう

久々利城

岐阜県可児市


旧国名 : 美濃

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堀切Ⅰ
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昌官忠

東海北陸遠征 (2020/03/04 訪問)

可児郷土歴史館の駐車場(35.403908、137.110939)に駐車して攻城。
道路沿いにある登城口から城址内に入るとすぐに枡形虎口が出迎えてくれます。そのまま進み三の丸に入り二の丸の城塁(切岸)を見て、一旦、三の丸を出て二の丸下の道を回り込んで二の丸へ、また、二の丸を出て本丸下の道を回り込んで6郭、5郭を経て本丸に入ります。本丸の北側の尾根(土橋)を進むと見事な堀切と見晴台に辿り着きます。
よく整備された城址です。堀切のすきな方は、ぜひ訪れてみて下さい。攻城時間は50分位でした。
ちなみに城びとには登録されていませんが、駐車した場所は千村氏屋敷跡になります。参考に駐車場入口にあった跡碑と説明板の写真を投稿しておきます。

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じゅんじん

可児のお城 (2008/08/27 訪問)

夏なのでここで撤退(;´・ω・)

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ぴーかる

悪五郎の城 (2020/03/21 訪問)

【久々利城】
<駐車場他>可児郷土歴史館駐車場
<交通手段>車

<見所>枡形虎口・石垣跡・堀切
<感想>1泊2日東三河・東美濃御城印取得の旅7城目。この城は築城年は定かではないが土岐康貞が築城、土岐三河守悪五郎と称してこの名を世襲する。康貞の子行春が久々利太郎行春と称して久々利氏が始まり200余年続いた。戦国時代には久々利氏は美濃の斉藤氏、信長の美濃攻めの時には武田氏、信長の東美濃攻略時には金山城の森氏の傘下に入り織田家に従属する。本能寺の変のち1583年森長可が久々利城主悪五郎を金山城に招き謀殺、久々利城に夜襲をかけ落城する。森家家臣戸田勘左衛門が城代となって、1600年森家転封となり久々利城は廃城となった。

 登城口は県道84号線脇に、登城口にパンフレットが置いてあります。その場所から右手方向に登っていくと城跡、左手を少し入ると石垣跡があります。
城跡虎口前に畝状の土塁が3本あり、進入路を分散させている。当時は食違いになっていたようです。虎口は枡形で、畝状の土塁を含めて三の丸上から狙い打ちできるように横矢になっています。この辺りの防御は堅く森氏時代に改修されたようだ。曲輪は連郭式で山頂部から見張郭→奥の院→北の丸→土橋→本丸→二の丸→三の丸とある。見張郭北側に2重堀切、竪掘り(ちょとわからなかった)がある。連郭の北西部に谷を挟んで平行して細い尾根の武者走りがある。麓からも延びているので、ここから攻めると防備が弱いように感じた。
奥の院が城跡一広い曲輪で曲輪内に転落石が多数落ちている。見張郭との法面が石垣になっていて、そこから落ちたものと思う。城跡内に手書きの案内板(味がある)にも幻の本丸?とあったが、私もここがかつての主郭だったように感じた。

 御城印は可児郷土歴史館と併設する袋井コミュニティーセンターにて頒布しています。300円以上の募金をしたら1枚いただけるということになっており、販売はしていませんのでおつりは出ませんので小銭を用意されたほうがよいでしょう。

<満足度>◆◆◆

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くっしー

曲輪がしっかり残っていて面白かった。 (2020/01/26 訪問)

今年に入って攻めた城の中で、一番面白かった。
本丸・二の丸・三の丸・堀切・切岸・枡形虎口と中世城郭の構造を勉強するためにあるような城です。
しかもそれらの構造を一通り見て回るのが、30分ちょっとで可能です!!
個人的には、枡形虎口が一番良かった。「攻める側」「守る側」の両方から観察できて、こんなに明確に枡形が見える山城はなかなかないと思います。
あまり期待せずに登ったこともあって、興奮しました!!!

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 土岐行春
築城年 応永年間(1394~1428)
主な城主 土岐氏、林氏(森氏家臣)
廃城年 天正12年(1584)以降
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、堀切、切岸、桝形虎口
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県可児市久々利1655
問い合わせ先 可児市文化財課
問い合わせ先電話番号 0574-62-1111