中規模ながらしっかり整備されていて、枡形虎口から三の丸、二の丸、本丸と、ザ・切岸といえるかなりの高低差の切岸が素晴らしい。
麓からも城域までも比較的近く、行きやすいお城でした。
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2025/12/11 12:42
圧巻の切岸 (2025/11/23 訪問)
中規模ながらしっかり整備されていて、枡形虎口から三の丸、二の丸、本丸と、ザ・切岸といえるかなりの高低差の切岸が素晴らしい。
麓からも城域までも比較的近く、行きやすいお城でした。
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2025/11/29 09:42
ありがた山 (2025/11/15 訪問)
久々利城は14世紀に美濃国守護土岐頼康の弟土岐康貞によって築かれ、戦国時代には末裔の久々利頼興の城でした。伝承では頼興は森長可に偽の人質を与えられ金山城で酒宴での接待を受けた後、帰途で襲撃され命を落とし、久々利城もその夜のうちに攻め落とされたそうです。
どこまで本当かわかりませんが、久々利城もあっけなく落城しているので内応者がいたのかもしれません。
まさしく戦国時代はアウトレイジの世界です。・・全員「悪党」
・・そこが良い 今とは価値観がまるで違うのだから、当時はこれで案外「普通」だったのかもしれませんな。
久々利城は「オシロフェス」の関係上、去年も訪問しています。たぶん来年も来るでしょう。
去年はセイタカアワダチソウが主要な郭にごっそり生えていましたが、今年は刈られて綺麗に整備されています。ありがた山でございます。森の熊さんの影響で山城の整備がどんどん後手に回るのではないかと心配しています。
山城のヤブ化がすすむとますます山城に入りづらくなる。・・・環境省さん草刈りお願いします(手伝ってもいいぜ)。
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2025/01/12 21:58
二重堀切を味わう。 (2024/12/07 訪問)
年末年始と車中泊をしながら、関東・東北の城を廻って来ました。初めてスノータイヤを装着してから7年くらいたっているけど、雪道をガッツリ走ったのは今回の旅が初めてです。慣れるとけっこう楽しいもんですわ。
一番槍の城も九つくらい訪問しています。大迫城は山城で直登になりそうなので今回はパスしました。ちょっと残念ですが、無茶は禁物です。今回は雪の城攻めのよい練習になったと思います。でも雪の登城は危険をはらむので、やはり気候の良い時期に訪れたいですね。
久々利城の本丸を訪問した後は、北東の郭と見張り台を訪れ、二重堀切を見に行きました。この先の遺構は前回見ているので、今回はここまでにして引き返しました。久々利城の遺構で一番おいしいのは、この二重堀切だと思います。
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2025/01/09 19:34
一期一会 (2024/12/07 訪問)
POYO58さん、こちらこそコメントありがとうございます。いろいろと問題はあると思いますが坂本城の三の丸石垣の保存公開が叶うことを願っています。縄文時代の遺構ならともかく、戦国時代の城郭遺構は、その時代の人々に愛でられながら、じわじわと朽ちていくのが無常感があって良いと個人的には思います。
久々利城の投稿です。この日に岐阜県可児市で行われた「山城にいこう!2024」の講演スケジュールで初めて香川元太郎先生のお姿を拝見することが出来ました。このわずか数日後に65歳でお亡くなりになってしまったのですが、これも悲しい一期一会のようなものかもしれません。講演まで時間が空いていたので、先に久々利城を訪問しています。枡形虎口から各郭を経て、本丸背後の二重堀切まで確認してから下山しました。
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| 分類・構造 | 山城 |
|---|---|
| 築城主 | 土岐行春 |
| 築城年 | 応永年間(1394〜1428) |
| 主な城主 | 土岐氏、林氏(森氏家臣) |
| 廃城年 | 天正12年(1584)以降 |
| 遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀)、堀切、切岸、枡形虎口 |
| 再建造物 | 石碑、説明板 |
| 住所 | 岐阜県可児市久々利1655 |
| 問い合わせ先 | 可児市文化財課 |
| 問い合わせ先電話番号 | 0574-62-1111 |