丹波国を平定した明智光秀が築いた城で、明智秀満が城主を務めましたが、山崎の戦いの後は羽柴秀長や杉原家次が入り、関ケ原の戦いの際には西軍についた城主・小野木重次が細川忠興の攻撃を受け、開城させられています。関ケ原後は有馬豊氏が入り、城や城下町を現在の形に改修しましたが、久留米に加増転封になり、その後、何度かの入れ替わりを経て城主となった朽木氏が明治まで13代にわたりこの地を治めました。明治の廃城令により福知山城は解体されましたが、昭和に有馬豊氏の頃の絵図を元に天守が再建され、今も往時を忠実に復元した姿を見ることができます。
天守群は一見しただけでは構造を把握しづらい複雑な造りで、そのため見る方向によって見え方もずいぶん異なり、見飽きることがありません。再建ながら大好きな天守(のひとつ)です。天守台も見どころで、西側は築城時の石垣と増築時の石垣の境界線がはっきりと出ています。また用いられている転用石が非常に多いことでも有名で、探すまでもなく次々と転用石が視界に入ってくるなんて城はここだけじゃないでしょうか。さらに、本丸の銅門番所の南隣や本丸北下は転用石置場になっていて、発掘調査で発見された転用石が数え切れないほどに並んでいます。銅門番所は二ノ丸登城口にあった番所を移築したもので、貴重な現存建物です。天守東側の豊磐井は城内では日本有数の深さ(50m)の井戸で、海面よりも深いんだとか。
できれば蛇ヶ端御薮(明智薮)や御霊神社を訪れ、移築門めぐりもしたいところでしたが、この日は朝から黒井城に6時間いたため、福知山城は本丸のみで時間切れ(再訪なので天守にも登らず)。しゃべる光秀自販機で飲み物を買って(金額不足で「信長~っ!」の怒声を聞くのはお約束)、駐車場奥のゆらのガーデンでお土産を買って帰途につきました。
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