新発田城は事前の発掘調査結果、幕末頃の多く残ってる古写真、古文書、古絵図などの資料が有り、古写真と建物のコンピューターグラフィックスとの検証も重ね、平成16年(2004年)7月に本丸に木造復元三階櫓、辰巳二階櫓が完成し、辰巳櫓のみ7月より一般公開されて居る。尚、三階櫓はイベントなどに特別公開が有る様ですが、遠方、時間に問題があっていまだ登閣探訪して居ません、何時か登閣したい。
平成16年7月に「甦る新発田城」との小冊子が新発田市、新発田市教育委員会より発行されたとの情報が有り、生涯学習課に連絡し取り寄せました。
小冊子の三階櫓、辰巳櫓の写真、記事を眺め読んで居りましたが、訪ねたい願望が湧きたち翌年の平成17年10月、二泊三日で新潟県の旅行を家内と行くことに、当日新発田市に泊まり、翌日、初の新発田城登城、弥彦山、越後一宮弥彦神社、直江津泊まり、高田城、親鸞聖人開山浄興寺を車で回りました。
新発田城の近世は慶長3年(1598年)上杉景勝会津転封により越後に入った堀秀治の与力大名として溝口秀勝が新発田に6万石で入封、関ヶ原もしのぎ明治までの約260年間新発田を治政した。(幕末期11代直溥の時に5万石から10万石に加増と成ってる)
車は三階櫓に近い南西側トイレのある小駐車場を利用し、即三階櫓を外より見学、西隣、北奥は陸上自衛隊、屋根には三尾の鯱が載り、白漆喰塗籠、腰には海鼠壁の美しい木造復元三階櫓が殿と構えています、本丸南側は石垣造り、濠が本丸を廻っていたが現在は三階櫓から南側の鉄砲櫓、表門、木造復元辰巳櫓までしか残って居ない。
濠越し鉄砲櫓跡に移築された現存二の丸隅櫓が腰に海鼠壁に施されて居ります、眺めて土橋を渡り現存表門を潜り見学、正面に初代藩主溝口秀勝の像がお出迎え、木造復元辰巳櫓に登閣、檜の木肌、香りがまだまだ香しい、一階二階と回りしばし説明の方と会話を楽しむ、降りて濠越しに辰巳櫓を見学撮影。
表門の南側に忠臣蔵で有名な堀部安兵衛(中山安兵衛)の像が立って居ます、安兵衛は初代藩主秀勝の曾孫との事、現地で初めて知りました。
2時間ほどの見学散策でしたがまだまだもう少しゆっくり復元三階櫓辰巳櫓を眺めていたい気持ちがあり、後ろ髪をひかれる思いで次の越後一宮弥彦神社、弥彦山を目指しました。
後に新発田城には桜の頃に桜と三階櫓、辰巳櫓、鉄砲櫓(二の丸隅櫓)の写真を撮りたく2回ほど、村上城登城に合わせ、また清水園、足軽長屋見学と5,6回ほど訪ねて居ります。
また、北側の古丸から細く伸びた曲輪の南西端に土橋門跡が有り、近年土橋門の復元計画が立ち上がってるとか、是非とも実現し,
期待して待って居ります。
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