「岡城合戦(その3)-鬼ヶ城①」からの続きです。
私は小高い山の「鬼ヶ城」まで登ってみました。しかし頂上の本丸があった場所には、城がここにあった事を示すものは何もなく、城跡には何やら墓?らしき荒れ果てた感じの石があるだけで回りはうっそうとした林の中、眺望すらありませんでした。せっかく登ったのに何もなかったので、がっくりして山を下っていたその時、ん?何やら小さな案内らしき看板が・・・立硝壕?(写真①②:何だろう・・これは?)
何とここは「西郷隆盛」が西南戦争で陣を張った場所でもありました!(西郷どんファンの私も知りませんでした~)。田原坂の戦いに敗れ、今度は九州を東上した西郷はこの地まで来ていました。しかし、ここでも政府軍に敗れ撤退します。城跡にあった石は、その時に戦死した薩摩軍の犠牲者の墓でした(写真③)。そして看板横の穴は薩摩軍が隠れた(もしかして西郷隆盛も隠れた?)という洞窟であり、近くの鴻巣台公園には地元の人々で供養として造られた石碑もありました(写真④⑤)。
薩摩軍はこの地で、時代は変われど、二度も敗れたのですね~(ちょっと感動)。
さらに石碑から100mほど歩くと、そこには「広瀬武夫」中佐生誕の地がありました。広瀬武夫中佐とは、日露戦争での旅順港閉口作戦で戦死した方で、近くには祀られている広瀬神社もありました。(写真⑥⑦⑧:NHKドラマ「坂の上の雲」で有名になりましたよね!)。 どうやら、広瀬武夫は瀧廉太郎と並ぶ竹田の二大英雄のようです。
+ 続きを読む










