地元では名君と知られる吉良上野介義央の陣屋です。東条城城主吉良義昭は徳川家康(当時 松平元康)によって追われますが、先代義安の子は取り立てられ旗本となっています。義定の子義弥は高家となり、義弥の孫が吉良上野介義央です。この陣屋は義定によって築かれたとされています。
吉良上野介義央は治水や新田開発に業績を上げ領民からも慕われていたといわれています。その一例が黄金堤として残っています。たびたび起こる水害に領民は苦しんでいたとのことです。領民のため長さ180m、高さ4mの堤防を築き、その後水害はなくなり良田になったため、この堤防を黄金堤とよんで遺徳を称えたとされています。今では桜の名所として知られています。
+ 続きを読む










