「②官軍と谷千城(後編)」からの続きです。
西郷隆盛は、最初「北岡神社」(熊本駅から北へ徒歩5分)に陣を敷きます(写真①②③④)。城に近づく事すら難しいと悟った薩軍は、近くの「花岡山」に砲台陣地を築き、熊本城めがけ砲撃を加えました。しかし薩軍の砲弾は届きません(手前の段山あたりに落ちたようです)。対して官軍の砲弾は、熊本城から北岡神社や花岡山まで届いたそうです。
私も花岡山に登ってきました(北岡神社から徒歩20分の登りです)。確かにここから遠く熊本城天守が見えました(写真⑤)。届かぬ砲弾を見て、西郷はさぞかしくやしかった事でしょう。しかし、このまま北岡神社に陣を敷くのは危険と判断した西郷は、少し南の「二本木神社」(熊本駅から南へ市電で5分(田崎橋)から徒歩5分)へ陣を移し(写真⑥⑦)、そして包囲戦へ切り替えました。
実はここ花岡山は、加藤清正が熊本城を築城する時に、石を採取した場所でもあります(扇勾配の石も、ここから採取された石かもしれませんね😊!)。採取に陣頭指揮をとった清正が、休憩のため腰かけたとされる「腰掛け岩」(写真⑧)や兜を置いたとされる「兜岩」(写真⑨)がありました。また、登山途中に確かにあちこちに石垣に使えそうな大きな石が見られ、石の間から水が湧き出ている「乳水」(この水を飲むと母乳がよく出るらしい)という場所もありました(写真⑩)。
西郷は砲撃戦をあきらめて作戦を変更し、今度は包囲戦へ切り替える事にします。
「④薩軍と西郷隆盛(後編)」へ続きます
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