たぶん 多くの方が、長篠・設楽原の合戦と言えば、信長さんの考案した 『鉄砲の3段撃ちと馬防柵』が思い浮かぶのではないでしょうか?
学生の頃、テストに出ると言われ暗記しました。
「長篠城」の後、古戦場巡りには『馬防柵』は外せません。
大きな『長篠・設楽原合戦図屏風』があり、現在の馬防柵と合戦図の馬防柵を見比べて出陣しました。
馬防柵側から見渡せば水田が広がり、連合軍38000VS武田軍15000が戦うには狭くないか?が、正直な感想です。
連合軍は別動隊が移動してたので、少なくなったとしてもです。
そして馬防柵の背後が丘になっていて、土塁の役割だったのか、こちらにも柵を建てれば砦のようにもなります。
武田軍には目の前の馬防柵、どのように見えたのでしょう?写真④の土屋 昌次さんは柵を二重、突破したそうです。もう、想像出来ません。
近くに、道の駅もっくる新城があり、寄りました。合戦関係のお土産が買えると思ったのですが、、、、。置いてない?
期待したのに、鉄砲ロールケーキとか馬防柵饅頭とか、、、、(笑)
因みに、こちらの男性用トイレは馬防柵をイメージした造りなんだそうです。
お昼御飯に、猪ラーメンを食べました。
メニューに熊カレーがあり 迷った結果、猪ラーメン。
お土産は、インスタントの猪ラーメンを買いました。
この戦いに参加された先人達は、猪や熊を食べて活力にしたのかな?
暗記した「長篠城」と『長篠・設楽原合戦』が、少しだけリアルになりました。
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