土居構からの転戦です。西条高校の大手門前空スペース(33.920249、133.179742)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、1636年(寛永13年)伊勢神戸城主一柳直重が30,000石で入封し築城に着手したものと思われます。
西条藩は一柳直盛が68,000石に加増され、伊勢国神戸から伊予国西条へ赴く途中に大坂で死去したため、嗣子直重が30,000石で西条藩を継ぎ、次子直家が伊予国宇摩郡、周布郡と播磨加東郡小野で28,000石を領し川之江藩となり、第三子直頼が伊予国小松で10,000石を継いだ。
一柳氏は1665年(寛文5年)領民を苦しめ、幕府に対して不届きがあったため、3代一柳直興のときに改易となり、直興は加賀国金沢藩主前田綱紀にお預けとなりました。
その後、一時天領となりますが、1670年(寛文10年)紀州藩 徳川頼宣の次男頼純が西条藩に入封し、以後10代続いて明治に至ります。
西条陣屋は現在の西条高校の敷地となっています。
東に土橋が架かり大手門が現存しており、主郭の周囲を水堀が巡っています。
大手門付近は駐車禁止なので速攻で撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=生子山城に向かいます。
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