人の頭というのは存外重いのですが、どういうわけかしょっちゅう行方をくらますようです。新選組組長・近藤勇の首もそのひとつ。
西軍によって江戸で捕縛されたのが1868年4月。当時は坂本龍馬暗殺の嫌疑が新選組にかけられていたため、まもなく斬首された近藤。首は京に運ばれ、三条河原に晒された、とここまではほぼ通説のようです。問題はここからで、諸説入り乱れます。そのうちのひとつが、元隊士たちが晒されていた首を奪いとり、会津に運んだというもの。当地は近藤らが仕えた京都守護職・松平容保居城の地。
というわけで山登り。しかも循環バスの時間があるため、約20分で麓と中腹を駆け足で往復。ランナーではありますが、ペーパードライバーでもある小生の泣きどころであります
それはさておき、会津若松市東山町の天寧寺裏山にその「首塚」はあります。首を取り返した副長らによって建墓されたとの言い伝え。実際に埋められたのは近藤の頭髪だけとの指摘もあります。ちなみに、石に彫られている法号は容保みずから贈ったとのこと。あえて暴かれない真実がここにもひとつ。
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