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ばばよ

山城感満載&回り方色々 (2021/08/19 訪問)

車で訪問。
大手からと思い、大手ごとう門・鍛冶曲輪側から行きましたが、駐車場は搦手口のものが大きそうでした。
鍛冶曲輪は結構な傾斜。足場もやや不安定で、この日は快晴でしたが前日だか前々日の雨の影響で滑りやすくなっていました。
土塁、空堀、土橋。アクセントつけて作られています。
山城感満載ですが不便さはあり、小田原平定後に井伊直政が高崎に移ってしまったのにも理解できます。
郭馬出西虎口門が復興されていますが、これだけポツンとある感じです。
一筆書きに回るのが難しく、そのぶん色々な回りかたが楽しめると思います。

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todo94

大河ドラマ館に行く前に (2022/01/02 訪問)

渋沢栄一 青天を衝け 深谷大河ドラマ館に行く前に立ち寄りました。仙元山公園の駐車場に車を駐めて説明板にたどり着き、説明板の図に従って散策していくと、竹藪の周りに二重土塁と空堀を見つけることが出来ました。

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織田晃司

現在 (2022/02/12 訪問)

周南市文化会館と徳山動物園になっている。
庭園と長州藩が請け負った大坂城築城残石が残る。

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にのまる

36見附めぐり㉗~桔梗門(内桜田門)~

 桔梗門は内堀通りから見ると桜田巽櫓の後方にある門です。「一般参観」に申し込んで入城しました。土橋には松が植えられのどかな散歩道を歩いている気分ですが、枡形に入ると囲まれた感や銃眼から狙われている感があり、渡櫓門も堀の外から見た以上に大きく感じました。
 かつては本丸南側の通用門で、現在でも車両の出入りがありますが、門石垣の切込接ぎや続櫓の打込接ぎ、階段、刻印石も確認でき、江戸城在りし日の姿も充分に感じられました。
 桔梗門から入っていちばん感動したのは坂下門に向かいつつ至近で見上げた富士見櫓です。ここまで近づいて見られるとは思っておらず感動が止まりませんでした。城びとの「江戸城」紹介写真と同じアングルで写真が撮れます。

 一般参観は、荷物チェックと参加手続きのあと窓明館(休所)でのお買い物タイム・ビデオ上映・注意事項等説明があり、約75分、2.2㎞を案内していただけます。退場も桔梗門です。

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織田晃司

毛利元就がここで (2022/02/12 訪問)

教訓状(三矢の訓)を認めたと言われてます。

現在土塁が残り、水堀の跡をうねり模様で表している。

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赤い城

芳朝寺の隣に (2022/02/05 訪問)

芳朝寺に駐車場があり、道沿いに案内板も立っています。
お寺の脇から登城、すぐに大田原氏累代の墓があります。
そこから登って行くと深い堀切に出ます。
この堀切は二重になっていました。
少し進むと食い違いの虎口、さらに主郭へと続きます。
主郭には東屋があり見晴らしも良いです。
主郭下に降てみると堀底道がありますがこの時季でも笹薮が手強かったです。
那須光隆によって築かれた城だそうです。
ちなみにお寺の横を進んでいく際に警報音が鳴りますが特に気にすることも無いと思います。

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カズサン

今年も初登城は浜松城 (2022/02/16 訪問)

 新年明けから3年越しの武漢コロナウイルス感染拡大特にオミクロン株の広がりが全国的となり静岡県も蔓延防止規制措置、県境を越えての移動がまたまた自粛、浜松市も感染の拡大感染者増加で集まりもままならず、浜松の車はノーマルタイヤ、チェーン付は不慣れで雪道、凍結道は控えるほかなく、城廻りも控えたまま。
 本日は確定申告の初日、昨日までに作成した申告書を指定税務署に届けた後、浜松城に寄り、令和4年の初登城も浜松城に成った次第。

 ・日本庭園の紅梅、白梅の咲は如何と訪ね・・紅梅は咲くも白梅はもう少し先、本数は10本程度。
 ・昨年に告知の有った本丸富士見櫓跡の整備工事の後を確認・・富士見櫓跡はモルタル地に覆われて、今後どうなるのか?、続き北土塁、石塁を今後どうなるのか?
 ・二の丸の発掘調査地・・トレンチ、発掘穴は土を埋め戻され平地に成って居ました。
 ・北側の専用駐車場工事中・・料金徴収の機械が据付工事中で、今後工事が完了すると有料に成るのかな?、90分は無料で以降有料となるのか?今後の広報で確認。

 本丸曲輪をぐるっと確認して各ポイント写真撮影、この時期木々の葉っぱが無く石垣が良く観えます、天守台と東の付櫓台、西の八幡台が良く一望出来、本丸より天守門も良く見通せます。

 風は西風でやや強く雲なく晴天の中を1時間程散策しました、今年に入って1か月半ぶりの城散歩でした、回って観察し写真を撮って楽しい時間を過ごしました。マスク着用看板があちこち。

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ふさみち

マインクラフトで再現する土の城#3:八王子城(東京都八王子市) (2021/05/24 訪問)

郷土に眠る戦国の城(土の城)をマインクラフトで再現しました。東京都八王子市にある八王子城は戦国時代の北条氏康の三男(次男とも)氏照の居城で、豊臣秀吉による小田原城攻めにおいて前田利家、真田昌幸、直江兼続らに攻め滅ぼされました。今は城址公園として、麓にガイダンス施設やボランティアによるツアーが用意され、とても整備されています。

https://youtu.be/qDBi9Smk7Lw

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higekam

遺構はないと聞きつつも官兵衛ゆかりの城ということで訪問 (2022/02/15 訪問)

妻鹿城から北上すること約6km。近くに播磨国分寺跡もあり、古くから栄えていた地区だと知る。しかし、やはり市街化により城の遺構はほとんどなく、城域の西南を今も流れる天川が確認できたくらい。

もとは西の赤松氏、東の別所氏に挟まれながら西播磨を支配していた小寺氏の居城。現地にあった縄張図をみれば確かに当時としては二重堀などそれなりの城郭だったと納得。しかし、家臣の官兵衛が守る支城だった姫路城は今や世界遺産となり隔世の感は否めない。

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higekam

黒田官兵衛が居城としていた姫路城を秀吉に譲った後移り住んだ城 (2022/02/15 訪問)

という格別の思いで登城。
登城後、北東にある御着城跡(当時の主、小寺氏の居城)まで官兵衛になりきって歩いてみた。
西播磨を支配していた小寺氏が御着城を拠点に西側を支城の姫路城、妻鹿城(ちょうど約6kmの正三角形状)で西方を固めていたことを実感。

妻鹿城は西を市川を水堀とし、屹立する岩山を自然の要害とした城。官兵衛が手を加えたと思われる格別な作事は見当たらなかった。そもそもが古くからの城だったようだ。

市川が南北に流れる西方向の眺望は抜群で北に姫路城、南に瀬戸内海が広がる。確かに官兵衛好みの戦略的なところか。

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ばばよ

表は地味だが裏側は堅固 (2021/07/25 訪問)

三の丸、二の丸と非常になだらかな登り坂。
本丸のみ高台になっています。
三の丸や二の丸に堀や土塁の跡がみられず本丸もあまり広くないのでこじんまりとしたさっぱりとした印象です。
が、本丸の裏手には急峻な崖になっており、がっつり空堀が設けられています。
発掘調査の感じだともっとはっきりしていたようです。
これなら南側の守りに専念できます。

駐車場は三の丸の外側にこそっとスペースがありました。

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織田晃司

大内教弘の (2022/02/12 訪問)

私邸。築地が残る。

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朝田 辰兵衛

タイムマネジメントミスに気づいたが… (2022/02/12 訪問)

大崎城から徒歩約60分。もっと早く到着できる計算でした。どこかで時間を稼がないと,そもそもの目的が成就できないという凡ミスになりかねない暗雲が立ち込めました…。「伊能忠敬記念館」が閉まってしまう!
すぐに,とりあえず3郭しか散策していない大崎城へと引き返すが…。

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小城小次郎

痕跡探しの散策も楽しかろう (2021/10/14 訪問)

ついつい惣社長尾氏のお城と思いたくなるがそれは蒼海城で、こちらは深谷上杉氏の家中から近世大名へと奇跡的な出世を遂げた秋元氏の居城。目立った痕跡は少ないがそれだけにその痕跡を探しながら散策すると楽しいとも言える。

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BUGTI

森可成が築いた城 (2022/02/12 訪問)

宇佐八幡宮にお参りして急な坂道を登っていると、多くの人とすれ違うし、後ろからもたくさん登ってくる。どうやら皆さんの目当ては宇佐山テラスと呼ばれる三の丸跡のようだ。ちょうど昼時だったからかもしれないが、山頂からの景色目当てで賑わっていた。しかし三の丸以外は誰もおらず、曲輪や石垣をゆっくりと見学できました。琵琶湖方面はもちろん山中越えの道も一望にできるので、近江から京都への入り口を押さえるには良い立地だとわかる。しかし比叡山がここより高い位置にあり、向こうからは丸見えになっていることもわかりました。主郭まわりの帯曲輪や斜面には、石垣のくずれた石がたくさん転がっていて、かつては石垣で囲まれた立派な城だったと想像することができる良い城です。

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赤い城

関東では珍しい石垣も残る (2022/02/05 訪問)

市役所の駐車場横に駐車場があります。
ここから登っていきました。
展望台になっている山頂を超えて行くと七曲から登ったところに出ました。
すぐに車橋跡の堀切があります。
さらに進むと本丸虎口の石垣が。
関東の山城では珍しい。虎口は内枡形になっています。
この上が本丸ですが堀切を挟んで古本丸もあります。
本丸がかつては二の丸だったとされています。
古本丸西側には深い堀底道、中城の西側まで続きます。
北城の西側は二重の堀になっていました。
那須与一の子孫が築いた城で幕末まで使われた城です。戦国期には宇都宮氏や佐竹氏に度々攻められていますが落城することはありませんでした。
整備もされていて歩きがいのある城でした。

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織田晃司

大内氏の栄華 (2022/02/12 訪問)

ここに極まれり。
発掘を元に復元された土塁や西門。

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織田晃司

山口城じゃないよ山口屋形だよ (2022/02/12 訪問)

とは長州藩の言い分。
居城は萩城。山口は政務を行う場所である。と…

でも他藩は山口城と呼ぶ。

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織田晃司

大内→毛利 (2022/02/12 訪問)

大内氏最後の当主・義長が築城するも半ばで毛利氏の攻撃に遭い逃走、大名としての大内氏は滅亡。
毛利氏家臣の市川経好が城番として入城。

主郭に石垣が残る。

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BUGTI

朝倉・浅井軍の陣城 (2022/02/11 訪問)

京阪穴太駅から山道を歩いての登城。壺笠山へ入るところがわかりにくいので、先人の情報が頼りとなる。城址は円形の郭に帯曲輪がついているが、千人規模で常駐できるような広さではない。2か所の虎口には石段の跡と思われる石も残っていて、低いけど石垣も何ヶ所か残っているので、それなりに見どころがありました。

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