津城の本丸天守台は南西の坤の方向に在りますが、本丸内側からは桜の木も多く茂り、外側の南側は公園会館が天守台脇まで迫り、西は城山稲荷神社が迫り、天守台・小天守台を全体に俯瞰、撮影するポイントが見つかりません、まして天守台に登る事も出来ず、天守台の探訪は消化不良の状態ですが、15年前の平成19年6月上旬登城して、公園会館と天守台の狭い隙間から、南面、西面、天守台と小天守台、埋門跡多聞櫓台の続き石垣をコンパクトデジカメで撮りました。・・全体がやっぱり撮れなくて未消化写真ですが部分部分にして投稿致します。
また、見所の昭和33年に本丸東鉄門枡形の北多聞櫓台に復元した模擬三重櫓も投稿致します。
古絵図、復元CG(三浦先生復元)によると本丸は平城総石垣造り、四隅に丑寅三重櫓、戌亥三重櫓、辰巳に月見二重櫓、未申に天守台・小天守台を構えて天守閣は乗せず、その間は多聞櫓がぐるっと埋める、東には東鉄門枡形、西には西鉄門枡形の厳重な守り、更に出丸の様な東の丸を東鉄門の東へ配置、西には西の丸が西鉄門西に配置し枡形を備える、本丸へは土橋を渡し二の丸へは木橋でつなぐ。
本丸、二の丸、三の丸、内濠は広く、外堀、南に岩田川、北に安濃川も引き込んで守りとする、西側の守りを固めてる配備の輪郭式縄張。
大坂の陣前に西の伊賀上野城と同時の築城との事、伊賀上野城を詰の城、津城を政務、流通の平城の役目分担を狙ってか32万石太守の城郭です。
現在は縮小されて本丸、西の丸、北側の壕は縮小埋立られていますが、丑寅櫓台、多聞櫓台、戌亥櫓台が凛と残って模擬櫓と濠が見所のポイントです。
朝田さんへ・・令和2年12月20日浜松に来られ浜松城登城されたのですね、お会い出来ればご案内がてら城話でもと思ったりしました、浜松城のリニューアル工事は丁度令和2年10月から12月末まで天守登城中止、翌年令和3年元旦より一般公開されて居ます。
また、来浜松の折はお声かけ頂ければご案内します。
武漢コロナウイルス新株感染拡大と夏の暑さで秋以降まで様子見、古い写真を掘り起こし投稿を続けていきます。
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