関ヶ原後、堀尾氏が松江入りするまで本拠を構えた月山富田城、、という書き方では廃城感しか伝わらないかもしれません。実際は、中国地方の覇権をかけた大会戦の舞台となった戦国最強の山城。ここを攻略せずに城愛、とりわけ山城愛を語ることは許されないはず。
力攻めで落とせた武将はいないようです。あの毛利元就ですら最後は兵糧攻めを余儀なくされたと聞きます。さらに、この城を知り尽くしていたはずの山中鹿介は、主家である尼子が毛利に敗れたあと、今度は攻め手として寄せますが、見事に撃退されています。
尾根続きに山々全域に大小の曲輪群が展開する圧倒的スケールの山城で、比高は160メートル。南東を除く三方が急峻な崖であるため、入り口は限定されています。山上の詰城に辿り着くには「七曲り」と呼ばれる軍用道を登るしかありませんが、戦局はその手前、中腹の山中御殿周辺に限定されたとみられます。つまり、簡単には登れないということ。中段、御殿、山上のそれぞれに土塁と堀を巡らすことで機能は独立。要害堅固な構えとなっています。
さらに注目すべきは、戦国の遺構を破却せず、再利用して近世城郭に造り替えた点。これはかなりレアケースではないでしょうか。廃城から400年経った今も研究者から絶讃される理由が分かるような気がします。現存する建物はなくとも、その地形や高低差自体が歴史資料として超一級だと思われます。
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