三田村城は浅井氏の重臣である三田村氏の居城だったところです。
三田村氏は小谷城が陥落する前に羽柴秀吉を通じて信長に全面降伏を申し出たものの聞き入れられず、一族は打ち首となりました。この城址には廃城後に移されたと伝わる伝正寺があり、周囲には2m程の高い土塁がしっかり残っています。
+ 続きを読む
✕
人が「いいね」しています。
2026/05/02 15:33
2025/04/11 07:23
浅井三姉妹の郷 (2024/04/04 訪問)
三田村城は姉山合戦の頃の浅井方・三田村氏の城館です。伝正寺の境内が城址とされ、三方に土塁が残り、どちらかというと居館の様な雰囲気を漂わせています。
城址の北側国道365戦沿いに道の駅・浅井三姉妹の郷があり大河ドラマ「江」に関わる展示などもされています。正面に立つ銅像の小さいのは万福丸かと思ったら、江さんらしい・・どうやらお市の方と三姉妹ということで。
浅井長政「ワシは・・?」
万福丸 「ボクは・・?」
・・はいはい 男の扱いなんてこんなもんですよ。華やかさとか無いし。どうやら万福丸には弟がおり生存説もあるようです。だとしたらどこかに子孫の方がいるのかもしれませんね。
+ 続きを読む
♥ いいね
14人が「いいね」しています。
2023/10/20 06:56
2023/06/02 05:38
(長野県&岐阜県方面城巡り)10日目:三田村城 (2023/04/27 訪問)
小室城からの転戦です。三田公会堂駐車場(35.417979、136.309172)に駐車しました。
三田公会堂の南側にある伝正寺が、三田村城廃城後に移されたと伝わっています。
現地説明板などによりますと、三田村城は、京極・浅井氏の家臣で、姉川北岸で大きな勢力をほこった三田村氏の城館跡で、最後の城主「三田村左衛門尉」は小谷城主浅井氏亮政・久政・長政の3代50年にわたり重臣であったようです。
姉川の合戦時に、三田村左衛門尉は浅井長政の命で横山城の城主を任せられ、三田村城は軍事同盟を結んでいた朝倉景健の本陣が置かれたそうです。
1570年(元亀元年)6月28日、姉川を挟んで、南岸には織田・徳川連合軍、北岸には浅井・朝倉連合軍が対峙し、9時間もの激闘が繰り広げられた末、織田・徳川軍の大勝利となり、姉川は血で真っ赤に染まったと伝えられています。
姉川の戦いで敗北した三田村左衛門尉は、小谷城に撤退したが、その後、1573年(元亀3年)に小谷城も陥落しました。
三田村氏は織田軍団の総攻撃を目前にして、羽柴秀吉を通じて信長に全面降伏を申し出たが、聞き入れられず三田村氏とその一族77名は打ち首になったそうです。
伝正寺を取り巻く土塁を確認しました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=長比城に向かいます。
+ 続きを読む
♥ いいね
11人が「いいね」しています。
| 分類・構造 | 平城 |
|---|---|
| 築城主 | 三田村氏 |
| 築城年 | 不明 |
| 主な城主 | 三田村氏 |
| 遺構 | 曲輪、土塁 |
| 指定文化財 | 国史跡(北近江城館跡群) |
| 住所 | 滋賀県長浜市浅井町三田 |
| 問い合わせ先 | 長浜市教育委員会文化財保護センター |
| 問い合わせ先電話番号 | 0749-64-0395 |