撫養城からの転戦です。岡崎公園付近(34.181922、134.622886)に駐車しました。
天文年間(1532年〜1555年)森元村によって築かれました。
森氏ははじめ名東郡黒田村いたが板野郡土佐泊に移住しました。 森氏は土佐泊を要害として船団を構え細川氏が伊予国に攻め入ったおり戦功をたてています。
1585年(天正13年)二代目城主である森志摩守村春のときに、蜂須賀家政が阿波国の領主となると、蜂須賀氏家臣となりました。
森村春は九州征伐や小田原征伐にも参戦し、主君の武功を支えたが、1592年(天正20年)文禄の役で戦死しました。
村春の弟は村吉、子は忠村である。村吉の長子・森村重は森甚五兵衛家を興し、強大な水軍を持ち、大阪の役で戦功を挙げ、全国に知れ渡りました。
蜂須賀氏は水軍を持たなかったため、森氏は17代にわたって阿波水軍の地位を世襲し、1868年(明治元年)の明治維新まで蜂須賀氏に仕えました。
現在、城址は南海病院の敷地となっているようです。
攻城には南海病院の許可が必要とのことなので、岡崎公園付近より海越えの土佐泊城方面を眺め、写真撮って撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。
四国一周の城巡りは、ここがラストです。レンタカーを返却する為、一旦、西明石駅に戻ります。
その後、明日の攻城先=三津寺砦を目指す為、電車で本日の宿泊先がある大阪の長堀橋駅に向かいました。
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