飫肥城は曾我兄弟仇討ちで有名に成った工藤祐経の子祐時が鎌倉期日向国地頭職と成り伊東氏を名乗り支配を始めたのが始まりの様です、室町期には伊東48城と支城網を広げほぼ日向一国を支配に収めていたが島津氏との抗争は絶えず、国境の城飫肥城をめぐる攻防戦で伊東氏が勝ち取り義祐の次男祐兵が城主になるも島津氏の勢力拡大は続き戦での大敗も有り、日向を離れ豊後に逃れた。
窮状を秀吉に大友宗麟と共に訴え、秀吉九州征伐島津征伐の軍にいち早く加わり島津征伐後、祐兵がその功により故地であった飫肥5万石に封じられた。関ヶ原も東軍に付き所領安堵、江戸期明治まで飫肥藩の治める所となった。
18年前の平成16年10月中旬、鹿児島出張の空き時間にレンタカーで出掛け、車は観光駐車場利用。
今回の飫肥城探訪は二度目の様な記憶ですが、駐車場近くの茶店で昼食そばを頂き、寅さんの飫肥ロケの写真が掲示して有り女将さんと寅さんの話をしたり。
探訪は大手通りから大手門を潜り、大手門桝形、本丸外枡形、本丸に入り、松の丸はパス、元本丸跡、裏門の搦手、本丸内部は小学校に成って居る、本丸東虎口と土塀の裏側副柱を観察撮影、東虎口の東側には出隅の様な櫓台が東虎口を狙ってる、大手門から豫章館に入り見学、武家屋敷通り、鯉の泳いでる遊水用水を眺めて、飫肥武家屋敷の特徴飫肥石塀と上に築地が載ってる景色が建物と共に伝統的建造物群で趣風情が有り落ち付いた良い景観です。
この後二度ほど訪ねています。
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