海老瀬城からの転戦です。見学者用駐車場(36.911789、136.959270)に駐車しました。
築城年代は定かではないようですが、永正年間(1504年〜1521年)に能登国守護畠山氏によって築かれたと云われています。
元亀年間(1570年〜1573年)から天正年間(1573年〜1592年)はじめ頃の城主は長沢(長曾)光国と伝えられ、1577年(天正5年)には上杉謙信に属して能登国穴水城の守将となっていましたが、翌年討死しています。
1577年(天正5年)上杉謙信は有坂備中に湯山城を攻略させたが、このときの城主は湯山左衛門続甚という。
謙信はその後河田主膳を城主としたが、1579年(天正7年)長連龍によって攻められ落城しました。
佐々成政が越中に入部した後は、湯山城主として斎藤氏が城主でしたが、豊臣秀吉に降伏した後は前田利家の所領となり、廃城となったようです。
駐車場より南側の尾根を進むと尾根沿に3本の堀切があります。
堀切群を通り抜けると、腰曲輪状の地形の百間馬場に着き、そこを過ぎると二の丸に上がる虎口(石垣が積まれています)の所に出ます。
二ノ丸は広く、中央に巨大な井戸跡が残っており、南に切岸が確認できます。また、二の丸の東南側にある大手口の脇にも石垣が積まれていました。
本丸は二の丸の南端部一帯の丘陵上にあり、石垣(土塁状の構築物)が残っています。
駐車場より北側の尾根を進むと搦手口があるようですが、時間の都合で行っていません。
藪蚊が多く、夏の攻城は防虫ネットと手袋は必須です。(車の中まで入られました)
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=荒山城に向かいます。
+ 続きを読む










