こまつじょう

小松城

石川県小松市

別名 : 芦城、小松の浮城
旧国名 : 加賀

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WEST

小松城探訪 (2025/10/02 訪問)

小松城を訪問しました。自動車による訪問で、小松市役所の駐車場を利用しました。
小松城は、加賀藩主前田利常公の隠居城として再建され、当時は広大な水堀に囲まれた「浮き城」と呼ばれていたそうです。
しかし、残念ながら現在は水堀は埋め立てられ、その面影をあまり見ることができません。
そのため、遺構としては少ないですが、芦城公園の三の丸跡、本丸櫓台、移築された城門を散策をしました。芦城公園での庭園、本丸櫓台の切込接の石垣はなかなか見ごたえがあります、
移築された城門は来正寺の二の丸鰻橋門、稚松小学校の常盤門があります。徒歩圏内にありますので、見学してみてください。

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三浦の晃ちゃん

天守台は、高校の敷地内 (2024/07/15 訪問)

三の丸は、芦城公園になっています。天守台は、小松高校の敷地内にあります。正門からは見えませんが、裏に回ると、確認できます。

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しんちゃん

天守台への昇降は鉄の階段で可能になった。 (2021/11/21 訪問)

小松城址は小松市の中枢に所在し、天守台と三の丸跡の芦城公園が残ります。
芦城公園はちょうど紅葉の盛りで、それだけでも楽しめます。天守台のほうは崩落の
危険があるとのことで、以前は立ち入り禁止になっていたようですが、今では鉄の階段で
ガッチリと補強されていつでも登れるようになっています。子供が登っても大丈夫なようにか
天守台の上には手すりが配されていますが、下側から見ても隠れて目立たないように
なっています。石垣の積み方も見事な切り込み接で加賀藩の技術の高さを感じます。
小松城の初見は永禄7年(1564)で永禄9年には朝倉義景が一向一揆の籠ったこの城を攻めた
と「宗滴雑談」に出ているそうです。天正7年、一向一揆の籠った小松城を柴田勝家が落とし
村上次郎右衛門頼勝が入ったとされます。後に、羽柴秀吉の命で丹羽五郎左衛門長重(長秀の長男)
が入ったとあります。もともと若狭国・加賀国123万石から松任4万石にまで減らされていたのですが、
8万石を加増され12万石の領主となります。この際・従三位・参議・加賀守に任官し、小松宰相と
呼ばれるようになります。丹羽長重は関ヶ原の前哨戦で前田利家に敗れ、一度失脚、小松城は
前田家の城として近代化がなされ、寛永16年(1639)加賀藩3代前田利常の隠居城と
なったとのことです。
加賀一国で金沢・小松の二城を保有していたのは異例のことであったとされています。

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刑部

巨大な浮き城 (2023/05/05 訪問)

金沢城の2倍の広さをもつ難攻不落の城、今は球場や住宅地に変わり面影は薄れてしまったようです残念。

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城郭情報

分類・構造 梯郭式平城
天守構造 御三階櫓[3重3階/1639年頃築/破却]
築城主 若林長門
築城年 天正4年(1576)
主な改修者 前田利常
主な城主 若林長門、村上頼勝、丹羽長重、前田利常
遺構 曲輪、石垣、移築門
再建造物 石碑、説明板
住所 石川県小松市丸の内町
問い合わせ先 小松市文化創造課
問い合わせ先電話番号 0761-24-8130