【島津VS大友:最終決戦の城巡り】 (第2回)岡城②
(2022/09/21 訪問)
「(第1回)岡城①」からの続きです。
二の丸の角には月見櫓がありました(写真①)。この絶景からみる月はさぞかしきれいだろうなと思いました。明治の作曲家「滝廉太郎」(写真②)は竹田の出身で、この岡城をイメージして「荒城の月」を作曲したと伝えられています。私もこの歌を口ずさみながら歩きました(何かAJさんに似ている?)。
「春 高楼の 花の宴~♪ めぐる盃 影差して~♬・・・」
よく見ると銅像の頭の上にバッタが現れ私の歌を聞いてくれていました(笑)(写真③)
石垣の上から見る久住の山々の遠景はとても気持ちがよかったです(写真④)。そして本丸には、中川氏が代々守り神とした天満神社がありました(写真⑤)。(二の丸より三の丸、西の丸を眺めた写真⑥⑦)。
もみじや桜の木がたくさんあったので、春秋はもっときれいだろうと思います。その頃また来たいと思いました。
私は本丸の御三階櫓跡に立ち、ここから白滝川を挟んだ片ケ瀬の地を眺めてみました(写真⑧⑨⑩)。そこは、薩摩一の猛将:島津義弘25,000の大軍が陣を張っていた場所です。そして、それを見た父の志賀親度(ちかのり)は、息子の志賀親次(ちかよし)を見捨て、何と島津義弘の陣へ寝返ったそうです。若干20才の城主「志賀親次」は、父からも見放され、主君である大友宗麟からの援軍も期待できないにもかかわらず、大友家への忠義を貫き、わずか1,500の兵のみで戦う事を決意しました。しかし、この大軍を相手にどうやって戦ったのでしょうか? そして3度合戦し、何と3度とも勝利を収める事ができました。それは何故どうやって勝つ事ができたのでしょうか?
その理由を探りに、次は岡城合戦の地を歩きます。
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