平泉寺城(福井県勝山市平泉寺町平泉寺・城びと未登録)は、奈良期に泰澄が開いた平泉寺が戦国期に城郭化したもので、白山信仰の中核寺院として繁栄し、最盛期には寺領九万石九万貫、僧兵八千人を擁しましたが、朝倉氏滅亡後に越前一向一揆の攻撃を受けて全山焼亡しました。その後、羽柴秀吉らの庇護を受けて平泉寺としては再興したものの寺領は大幅に縮小し、明治の神仏分離令により平泉寺白山神社となって現在に至ります。
平泉寺は三頭山から西にのびる尾根上に主要伽藍を設け、南北両側の谷に六千坊と呼ばれる坊院を配し、周辺には6か所の砦が確認されています。発掘調査では坊院跡から数十万点に及ぶ土器や陶磁器などが発見されており、山中の巨大宗教都市だったことが窺えます。
参拝者駐車場に車を駐めて登城開始…の前に、白山平泉寺探遊館まほろばへ。白山平泉寺旧境内の総合案内施設(入館無料)で、平泉寺の歴史や白山信仰について映像を交えて紹介されており、発掘調査の出土品も展示されています。この日訪れるまで平泉寺についてはほとんど知らなかったので、まほろばで予備知識と散策マップ(おススメです)を仕入れてから参道に向かいました。
泰澄大師廟に手を合わせ、精進坂を上って一の鳥居をくぐると、左手に国名勝の旧玄成院庭園があります(入園料50円)。管領 細川高国の作庭と伝わる枯山水庭園ですが、あまり手入れされていないのかやや寂れた感じがありました(それが良いのかもしれませんが)。参道から左手の脇道を下って行くと御手洗池があり、泰澄はこの地で白山神のお告げを受けて平泉寺を開いたと伝わります。御手洗池は「平清水」「平泉」とも呼ばれ、平泉寺の名の由来となっています。
二の鳥居をくぐると青々とした苔が一面に広がり、その先に拝殿が建っています。拝殿の裏手に回って大石垣の石段(写真を撮りそびれました…)を上った先には、本社を中心に、右に別山社、左に越南知社が建てられており、それぞれ白山の三つの峰の神を祀ったものなんだとか。
本社からさらに奥に続く参道を進んだ先には三之宮があり、その手前には楠木正成公墓塔が建てられています。どうして越前の山中に楠公さんが? と疑問に思って説明板を見ると、平泉寺の衆徒だった大楠公の甥が騎馬姿の大楠公が夢枕に立ったのを不思議に思っていると、その日に湊川の戦いで討死していたことを知り、石塔を建てて供養したとのこと。楠公さんも日本中至るところにゆかりの史跡がありますね。
三之宮の奥は白山へと続く越前禅定道の起点となりますのでここで引き返して、今度は南谷坊院跡に向かいます(続く)。
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