「(第2回)岡城②」からの続きです。
ここからは、志賀親次と島津軍の3度の合戦の地を歩きます。まずは第1戦から。
まず島津義弘は片ケ瀬城(戸次城)に本陣を構えます(写真①)。そして島津軍はその下の白滝川に掛る滑瀬橋(ぬめりせばし)から攻め込もうとします。私も滑瀬橋に立ち、ここから岡城を見上げて見ました。その写真②を御覧下さい(いや~これは高い!)。岡城は、南を白滝川、西を玉来川、北を稲葉川に囲まれ、高さ80mの断崖が城の周りを囲むようにそびえたつ天然要害の地、また当時は現在のように木が生い茂ってなく岩肌が見えていたのでよけいに高く見えていたと思います。当時はここに木橋がかかり、唯一大手門(現在の搦手門)につながっていた道があったそうです。今はコンクリートの小さな橋になっていました(写真③)。その横に現在は国道の滑瀬橋があります(写真④)。
志賀親次はこの木橋を破壊し島津軍の侵入を阻止しようとします。すると島津軍はこの断崖絶壁を登って攻めるはまず無理と悟り、相手は少数-こちらは大軍、ならば川を渡り一気に正面大手門から攻め込めばすぐに決着はつくのではないかと島津義弘は考え、直接この川を渡り始めました。
しかし、この橋のそばをよく見ていただきたいと思います。川底は1枚岩やギザギザの岩になっています。現在はすぐ上流にダムがあるため水量が少なく石肌が半分以上見えていますが、当時はダムなどないのでもっと水量があり、川底が見えないくらい腰のあたりまで水があったようです。島津軍はその状態で川を渡ろうとしました。ところが、この石は阿蘇の火山溶岩でできた石で1枚岩は濡れると苔むしてとてもよく滑ります、更に当時は常に水の中だったので、苔が生い茂りなおさらぬめぬめするくらいに滑ったようです(だから「ぬめりせ」という地名です)。ギザギザのとがった岩の部分もつまずいたりはさまったりして足をとられます。当時は川底が見えないのでそれらがある事が全くわかりません。その状態で川を渡り、滑ったり足をとられたりして、なかなか前に進めず立ち往生する島津軍を見た志賀親次は、「これは好機!」一斉に城より討って出て鉄砲で撃ちかけました。すると島津軍はもう大混乱! 多くの死傷者を出し、この川は簡単には渡れぬと悟った島津義弘は片ケ瀬へいったん退却しました。これで第1戦は志賀軍の大勝利に終わります。しかしこれだけで戦いは終わりません。
次は、第2戦へ続きます。
+ 続きを読む










