現地案内板より抜粋。
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2022/07/11 23:09
宍澤御陣屋 堀之内絵図 (2016/11/06 訪問)
現地案内板より抜粋。
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2022/07/11 22:40
遺構は少ないが真田人気は健在 (2022/06/22 訪問)
沼田城址公園として整備されています。
入口の沼田観光案内所に続100名城スタンプが置いてあります。
すぐ隣が本丸跡で公園になっています。
数少ない遺構の真田期の石垣は西櫓のところにあります。
その先の捨曲輪からの見晴らしは良く、当時は小川城や名胡桃城などを見渡すことができます。
本丸は一部発掘調査中で今後が期待できるかもです。
本丸の堀も調査中。
真田人気と続100名城選出でちょっと本気になっているのかもしれませんね。
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2022/07/11 21:46
獄門原 (2022/05/22 訪問)
【松倉城跡獄門原】富山県魚津市鹿熊
<駐車場他>松倉城址入城の門広場
<交通手段>車
<見所>石垣跡
<感想>松倉城跡四郭から北の先に平ノ峰という狼煙台があり、その下段に獄門原という松倉城の処刑場があります。入城の門広場前の郷義弘顕彰碑の傍の道から山に入れ5分程度で行けます。近づくにつれて道の両脇に石が転がってきます。剥げた説明板の場所に石垣跡があり、道の下方に削平地があり小川が流れています。獄門原から先に進むと堀切を登って平ノ峰に到るであろう道がありますがここまでにしました。
<満足度>◆◇◇
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2022/07/11 20:41
腰砕けのお馬さん (2022/01/27 訪問)
いい空気を感じるのは風水的な立地の良さか曲輪同士を見通せる独特の山容か、はたまた地元小学生による看板の手作り感か。厩に繋がれた紙のお馬さんがだんだん腰砕けになっているのも微笑ましい。
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2022/07/11 15:31
2022/07/11 13:04
登城ルートに要注意です! (2022/07/10 訪問)
郷原駅から潜龍院を見て赤岩登山口より岩櫃城をめざしました。赤岩通りは斜面が急で、登るのはいいですが、下るのは高さを感じてかなり危険だと思いました。また、六合目の赤岩通り分岐で、城に向かう道が二つ(沢通りと尾根通り)ありますが、尾根通りを選んだのが大失敗で、やせた尾根道はすべりやすく(しかもジョギングシューズ!)、滑落したら底の見えない斜面をどこまでも落ちていきそうで、しゃがみ込みながらまさに腰を抜かしたような状態で道を下っていきました。ホント、生きた心地がしなかった・・・
岩櫃城からは平沢登山口へ下りましたが、こちらはまるで散策道のようにきれいに整備された道で、行きの苦労が嘘みたいでした。麓の案内所で続100名城のスタンプを押しましたが、スタッフはこれから登る人に「沢通り」から「十二様通り」を勧めていました。自分のような登山家でない城巡りファンは、登城ルートに十分ご注意ください!
あと、夏場は虫よけスプレー必須です。クモもやけに多かったですね。
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2022/07/11 11:46
岡崎城リニューアル工事休館
岡崎城は2022年6月16日(木)~2023年1月(予定)まで、リニューアル工事休館に入っています。
それに伴い、一部対応が変更になっているものがありますので、ご案内します。
ご迷惑をおかけしますが、ご理解とご協力をお願いいたします。
【御城印販売】
・8月28日(日)までは家康館で販売
・8月29日(月)からは郵送対応のみ→10/1より乗用車駐車場で販売(9:00~17:00)
郵送対応の問い合せ先:岡崎城(0564-22-2122)
【日本100名城スタンプ設置場所】
・6月16日(木)~9月25日(日)まではバス優先駐車場
※9月26日(月)からはバス優先駐車場も工事に入るため、スタンプを撤収させていただきます。ご迷惑をおかけしますが、岡崎城リニューアルオープンまでお待ちください。→10/1より乗用車駐車場で押印可能(9:00~17:00)
【日本城郭協会 城カード】
・工事休館に伴いまして販売を中止しています。リニューアルオープン後の販売場所は未定です。
【歴史まちづくりカード(歴まちカード)】
・6月1日(水)からは岡崎城天守隣りの龍城神社さんで配布いただいています。
≪お問い合わせ≫
岡崎公園指定管理者 一般社団法人岡崎パブリックサービス
〒444-0052 愛知県岡崎市康生町561-1
電話:(0564)22-2122(岡崎城天守)
https://lit.link/okazakipark
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2022/07/11 10:50
石垣崩落あるも存在感は抜群の秀吉大城郭 (2022/05/23 訪問)
小田原城を終えて時間も有り、二度目の登城へと石垣山城に向かいました、石垣山城駐車場を目的地にして進行しますが今回も案内板があるにも関わらず最初の登城口を迷いました。
駐車場はヨロイヅカファームの有る駐車場に駐める。ほとんどの人はヨロイヅカファームへ。トイレ完備、トイレ横にパンフレット有り。
登城ルートは、南曲輪横の登城路から、いつもながら南曲輪南東面角の巨石石垣には圧倒される、東曲輪の上段下段の間を通って二の丸下石垣を眺めて、二の丸の広場へ、二の丸と本丸を眺めて、二の丸櫓跡標柱横を通って井戸曲輪内部に降りる、最下位部に井戸跡が在り周囲は四面石垣で覆われて居る、崩落も有るが良く残ってる、三の丸方面の展望台へ、二の丸に戻って、本丸北門の外枡形、内枡形虎口を抜けて本丸内部、天守台に登る、本丸東門搦手枡形虎口を通って西曲輪、天守台下から崩落した天守台を眺める、戻って南曲輪内部、東曲輪上段、間の虎口から南曲輪下へ、案内図に在る大堀切を南曲輪出曲輪間に想定して現在道に成ってる所を撮影妄想する。
約1時間半、山中城、小田原城も回って歩き疲れて足腰パンパンでしたが二回目登城を楽しみました、いつ来ても城廻りは年を取っても楽しい道楽です。
帰りは小田原西なので箱根峠を越えて新東名長泉沼津IC経由で帰りました、小田原名物蒲鉾を今夜の酒の肴としてゲット。
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2022/07/11 08:12
足羽七城 (2022/06/05 訪問)
南北朝期に足利(斯波)高経が築いた城で、足羽七城にも数えられる北朝方の拠点です。新田義貞により新善光寺城を追われた高経は小黒丸城に拠って南朝方に対抗し、藤島の戦いでは小黒丸城からの軍勢が燈明寺畷で義貞を討ち取るも、義貞の弟・脇屋義助に攻められて落城。高経は加賀国に落ち延びましたが、翌年には奪還しています。
九頭竜川と日野川の合流地に位置する深田に囲まれた堅固な平城…だったようですが、圃場整備事業により遺構は消滅しており、集落の西端に城趾碑と説明板が建てられているくらいです。駐車場はなさそうなので、城趾碑近くの道路脇に路駐して駆け足で登城しました(所要2~3分)。
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2022/07/11 07:21
御館公園 (2022/07/11 訪問)
住宅街の一画。公園でした
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2022/07/11 01:52
2022/07/10 23:48
⑤東門・鍛冶工房・第5水門 (2022/06/07 訪問)
第4水門を過ぎると間もなく東門です。城門自体は西門・南門より小ぶりだったそうですが、谷に向かって巨大な姿を呈する岩盤と一体化しており、城門構築に最適な場所だったことが伝わってきました。
鬼ノ城の登山口はビジターセンター経由しかないと思っていたのですが、ここから阿弥陀原登山道が奥坂休憩所まで続いているという案内板がありました。東門の説明板には鬼ノ城がつくられた当時の登城道と重複している可能性が高いとあります。東門へダイレクトにつながる登城道。いつか登るチャンスが巡ってきたときのため頭の片隅に記憶しておくことにします。
3時間のタイムリミットが迫るなか、とにかく一周して振り出しに戻らねばと先へ進みます。
岩肌露出の道を抜けると1999年に存在が確認された鍛冶工房跡に出ました。2009年の発掘調査で鍛冶炉や作業痕が見つかったのだそうです。現場は草に覆われていましたが、炉のあった場所が示されており、石の成型などの作業風景が目に浮かんできました。人の気配が感じられる場所、大好きです。屋外展示として復元されたら面白そうだなと思いました。
鍛冶工房からアスレチックのような道を数分進んだところの分岐がちょうど外周の真ん中あたりのようでした。ここから中心部の礎石建物群を通るコースもありましたがそちらへは向かわず第5水門へ。水門背後の土手状遺構は説明板に従い下りてみました。石垣は草の下のようでしたが、水場の証だろうと納得しました。
第2展望(屏風折れの石垣)まであともう少し!
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2022/07/10 21:41
北条水軍の拠点を感じに三崎城へ (2022/05/29 訪問)
小田原北条氏の支城巡りの一環として、5月末に神奈川県三浦市の三崎城を訪問。
三浦半島の南端、海岸線が複雑な海食台地の一角に築かれた三崎城。
海路では相模湾と東京湾の境にあたり、城ヶ島が天然の防波堤となるこの地は現在も漁港の町。
築城時期は不明ながら戦国期に三浦氏が水軍を置いており、北条時代には安房の里見氏と戦ってきた水軍の城。
4代氏政の時代からは、弟で韮山城主の氏規が城主を兼務しました。
現在、東エリアは市役所が残るものの、他の公共施設は解体されほぼ空地状態。
西エリアには小学校と2つの寺院があり、江戸中期に移転してきた本瑞寺は元々源頼朝の別荘地。
光念寺は鎌倉初期の創建とのこと。
実際に訪れると、やはり城の雰囲気は薄く、土塁と堀と土橋の面影がある慰霊堂付近が最も色濃い場所でしょうか。
掘れば馬出などの堀が出てきそうで、今後の土地利用が気になるところ。
こちらも土塁が残る2つの寺院は、弁天堂や江戸期の門と鐘があるキレイなお寺。現在は住宅群で半分遮られていますが、まだ城ヶ島の嘗ての景勝ぶりが感じられました。
ついでにマグロを味わえればベターでしたが、食より次の目的地へ向かった私の城巡りの127城目でした。
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2022/07/10 20:23
白漆喰壁リニューアルまだまだ真新しい天守閣 (2022/05/23 訪問)
平成30年に天守閣外壁が白漆喰壁、内部展示もリニューアルオープンしました、同年5月に下総の国未踏の城廻りの帰り新幹線で小田原に途中下車して、真新しい白亜の天守閣を眺めました、前回も今回も天守閣内部には入って居ませんが、4年経過していますが天守閣の白さはまだまだ真新しいままです、太陽の光に依りますが何処から眺めても絵になる天守閣です。
昼も1時過ぎに成り本丸の茶屋に空きも出来て居り、昼食を頂きました冷たい北条そばが、炎天下巡って身としては大変体に良い心地で、ゆっくり昼食時間を過ごせました。
天守閣、本丸、常盤木門、常盤木櫓門内部の売店、本丸東掘赤い橋、本丸東掘り、今は花菖蒲畑、本丸南側下に廻り関東大震災で崩落滑り落ちた本丸鉢巻石垣の崩れた現状を観察、南曲輪の二重櫓石垣、馬屋曲輪を内から外濠越しに眺め、二の丸隅櫓を馬出門より眺めて、今回の探訪としました。 月曜日でも人が多いです流石小田原城。
次に陽もまだ有り石垣山城を目指します。
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2022/07/10 17:33
復元馬出門枡形 (2022/05/23 訪問)
馬出門桝形は平成21年(2009年)に復元されて居ます、平成23年10月に復元直近の復元馬出門を観察見学しましたが、写真データー保存したDVDの読み取り不可と成り、今回の登城で11年振り再度の観察撮影ともなりました。
山中城を岱崎出丸を含めて約3時間探訪し、県境を越えての移動自粛が有りましたが連休の移動も全国活発に成って居り、箱根峠を越えると相模の国、麓は小田原城と近く箱根バイパス国道1号線を進行、箱根峠はまだツツジ新録も美しく良い眺め、カーブ道を慎重運転し小田原城の二宮神社側の有料駐車場を目指し南曲輪壕南藤棚南の駐車場に駐める。
駐車場から御茶壷橋、御茶壷曲輪、馬屋曲輪を経て目的の復元馬出枡形を観察見学撮影、馬出門土橋側、馬出門表裏、枡形内、内冠木門表裏、銅門枡形の住吉橋堀端と銅門枡形の北直ぐ傍の堀端から、馬出門枡形が開放してる西側を狙って撮影。
馬出門枡形も復元されて12年も過ぎ、門、土塀の使用木材も経年変化で其れなりに古びて来ており貫録を増してきたようにも感じられます、また小田原城の正面入り口にも当たり、登城日は月曜日でしたが人出も多く、人を入れないで撮影するのには根気が要りました。
撮影観察を終えて次に白壁リニューアルした天守閣を目指す。
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2022/07/10 15:35
2022/07/10 14:09
2022/07/10 12:11
お城探訪 (2022/07/09 訪問)
石垣、堀など見れます
武家屋敷もありますが中は見れません。
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2022/07/10 11:21
鬼美濃の緊迫感。 (2022/05/05 訪問)
キラキラした「名古屋城」の後に「古宮城」に転戦しました。
浮わついた気持ちで攻め込むと、やられます(笑)
奥平氏の地に、1572年武田 信玄さんの命で三河侵攻時、馬場 信春さんが「古宮城」を築きます。
翌年、信玄さんが亡くなると、奥平氏は徳川 家康さんに内通しました。
その後、武田家は衰退します。
「古宮城」、3年位しか使われてないのに、馬場 信春さんの緊迫感が今も伝わります。
作手歴史資料館で続100名城スタンプと、資料をいただき出陣しました。
資料館の方と、奥平氏の話しで盛り上がり、なんとなく『長篠の合戦』をイメージしていました。
白鳥神社に説明板があり、三河侵攻最前線の「古宮城」だと再認識。
神社からも戦う城の雰囲気があり、入城すると深い堀や大きな竪堀が今も戦闘態勢を整えてます。
堀と土塁が重ねてあり、馬場 信春さんの三河侵攻への想いが「古宮城」の遺構から解ります。
私有地だと言う事もあり、無理に奥まで進みません。
が、何回か位置が分からなくなり、戻りました。
竪堀は大きすぎ、写真で写しましたが入りきりませんでした。
「古宮城」、どのような気持ちで 馬場 信春さん、築城したのでしょうか?
信玄さんの急死、その後の武田家衰退。
それとも、信玄さんの死期を感じていたとか?
今も「古宮城」は鬼美濃と言われた、馬場 信春さんが睨みをきかせて死守しているようでした。
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2022/07/10 09:17
藤島の戦い (2022/06/05 訪問)
築城時期や築城者など詳細は不明ながら、南北朝期には足羽七城のひとつに数えられた北朝方の城で、藤島城攻略のためにわずかな手勢で督戦に向かった新田義貞が燈明寺畷で討死するきっかけとなった城です(藤島の戦い)。その後、城跡には超勝寺が創建され、本願寺の東西分裂に伴い西超勝寺となって現在に至ります。
西超勝寺の山門脇には藤島城の石碑と説明板が建てられ、かつては北側と東側に土塁や堀があったようですが、現在では本堂の裏手に土塁の一部が確認できるのみです。
なお、藤島城から西に約5.5kmには国史跡の燈明寺畷新田義貞戦没伝説地があり、江戸前期に義貞のものとされる冑が水田から発見されたことから、新田塚とも呼ばれています。発見された冑は藤島神社が所蔵していますが、形状などから戦国期のものと考えられるようです。伝説地には祠堂のほか、石碑や説明板が建てられています。
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