蓮沼城からの転戦です。石碑と説明板前(36.630004、136.834686)に路駐しました。
1519年(永正16年)勝興寺によって築かれました。 勝興寺は1471年(文明3年)に蓮如上人の次男蓮乗が土山御坊(福光町土山)を開いたことが起源のようです。
1494年(明応3年)高木場御坊に移り、火災のため、1519年(永正16年)安養寺御坊に移りました。
1572年(元亀3年)加賀一向一揆が蜂起します。勝興寺もこれに呼応して蜂起し、加賀勢と共に越中富山城を落城させて神通川以西を一時的に制圧するも、謙信に敗れて富山城を奪回されました。この蜂起には武田信玄の要請という側面も有るようです。
1575年(天正13年)謙信が越中を攻略し、勝興寺は和睦しました。1581年(天正9年)当時の住職顕幸が石山合戦に出陣中、木舟城主・石黒左近に攻められ焼失しました。
1584年(天正12年)佐々成政は守山城主・神保氏張を通して、古国府城の地を勝興寺に寄進し、再建されました。
遺構はありませんが、「御堂屋敷」と呼ばれる地の一角に安養寺御坊跡の石碑と説明板が建てられています。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=御峰城に向かいます。
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