京王八王子駅の4番バス停から西東京バスに乗車し、滝山城址下バス停で下車。(30分程度)
バス停付近に、案内板が設置されており、パンフレットが用意されています。
バス停近くの入口から入り、大手口(天野坂)から登城
空堀や土塁、馬出、虎口などの遺構が多く残り、案内板も多く設置されていて分かりやすいです。
スタンプは中の丸にて押印
中の丸のトイレには、バス停の時刻表が掲示されています。
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2022/11/16 21:43
東京に残る土作りの名城 (2022/11/16 訪問)
京王八王子駅の4番バス停から西東京バスに乗車し、滝山城址下バス停で下車。(30分程度)
バス停付近に、案内板が設置されており、パンフレットが用意されています。
バス停近くの入口から入り、大手口(天野坂)から登城
空堀や土塁、馬出、虎口などの遺構が多く残り、案内板も多く設置されていて分かりやすいです。
スタンプは中の丸にて押印
中の丸のトイレには、バス停の時刻表が掲示されています。
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2022/11/16 19:35
2022/11/16 17:11
2022/11/16 16:23
名古屋城 続き (2022/11/06 訪問)
さて旧ニ之丸東二之門を見終わった後、天守へ向かいました。この日は綺麗な青空で若干夕日に染まった名古屋城が綺麗でした。ウキウキしながら写真を撮ると、写真に謎のものが映ってしまいました。左上に太陽でも月でもない白い丸がありました(写真1)。写真を撮った時は気づかなかったのですが、カメラの写真を見返したから判明しました。
それから天守台を観察して不明門へと足を運び、西南隅櫓を見ました。名古屋城の天守から西南隅櫓まで元は多聞櫓があったそうです。今は木が生えているだけですが、もしここに多聞櫓が今もあったら素敵だったと思います。見たかった。その後、正門へ向かい、御目当ての100名城スタンプを押して、正門を出ました。その後西へと向かい、水堀へと向かいました。
ちょっと投稿が短いですが、続きは次の投稿で 続く
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2022/11/16 08:09
二条御池城(京都市中京区東玉屋町) (2022/10/02 訪問)
二条御池城(城びと未登録・二条御新造、二条殿とも)は、織田信長が京での宿所として二条良基の邸宅を改修して築いた城館で、本能寺の変では織田信忠が妙覚寺から移って籠城するも、奮戦及ばず信忠は自害し、二条御池城も焼失しました。
現在は市街地になっていて遺構は消滅していますが、室町通沿いに「二条殿御池跡」の石碑が、両替町通沿いに「此附近二條殿址」の石碑が建てられています。また、江戸期にはこのあたりに金座や銀座が設けられており、両替町通沿いにそれぞれ石碑が見られます。
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2022/11/16 06:43
日本遺産 (2022/11/03 訪問)
職場の越県規制が解除されたので漸く遠征することが出来ました。朝一で井口島の国宝・向上寺三重塔に赴いた後の攻城です。日本遺産「日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島」の構成資産の一つです。皆さんの投稿の通り、海に面した小高い丘にホテルが建っています。
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2022/11/16 02:46
2022年秋、紅葉の名城を訪ねて③ (2022/11/15 訪問)
GWに続き2回目の訪問です。今回は紅葉目当て、「天守炎上」と称されるだけあって素晴らしかったです。紅葉祭り期間中は20時までライトアップ、夜間特別開城も実施されています。駐車場は登城口近くの城山公園駐車場と天守北側の2箇所、いずれも無料ですが、天守北側に通じる道路は道幅狭く見通しも悪いので運転には注意が必要です。麓の駐車場は1回500円ぐらいでした。
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2022/11/16 01:36
2022/11/16 00:42
長沼小学校はトイレ解放中! (2022/11/03 訪問)
このご時世なので,セキュリティ面に不安を感じましたが,長沼小学校はトイレ解放中です。私は不審者に疑われると面倒だと思ったので,小学校の敷地内にも立ち入りませんでした。
城は,小学校の裏山といった感じです。登り切った本丸の奥に二の丸があるので,見落とし注意です。
「城ふぉとコンテスト」,受賞者のみなさん,大変におめでとうございます!
来年度のテーマは何でしょうかねぇ…。今のうちに手札を増やして,競い合いたいと思います。
城びとスタッフのみなさん,ありがとうございました。来年度もどうぞよろしくお願いいたします。
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2022/11/15 22:28
観音( ・᷄ㅂ・᷅ )寺 (2019/04/24 訪問)
観音寺登ったんだけど( ・᷄ㅂ・᷅ )、
車に携帯忘れて、写真は撮れず
山城だから大変だけど、高取や月山の方がきつかったな
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2022/11/15 22:01
“お蕎麦屋さんのお向かい”情報ありがとうございますm(_ _)m (2022/10/25 訪問)
城山稲荷への登城は叢に阻まれ無理でした。その代わりに周囲を少しまわってみました。
なかなかの砦感ですが、伝承と現状から推測される城はベールに包まれたままのようでした。
「城ふぉとコンテスト」入賞者のみなさま、おめでとうございます🎉㊗️🎊🎈
素敵なふぉとの数々に、行ってみたい〜!見てみたい〜!遭遇してみたい〜!と目がギラギラ👀✨しています。
アンバサダーのみなさま、たくさんの作品の中からの選考、お疲れさまでした。
会員のみなさまの投稿あっての城びとで、全国の鮮度抜群のお城情報を自宅に居ながらにして毎日いただけることをたいへんありがたく思っています。とは言えほぼ一方通行ですので、時々このような企画があると地道な投稿のモチベーションも上がります↑↑
今後の新たな企画も楽しみにしています♪
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2022/11/15 21:50
神社と学校。城と陣屋。 (2022/10/25 訪問)
阿久和川を渡った岡津小学校校庭が最下段の郭、西側校舎が彦坂氏の陣屋、北側の三嶋神社との間は内堀跡とあり(大系より)、残存土塁が確認できました。
伊勢堰橋から阿久和川を渡って行きましたが、ここは大手の鷹匠町橋から行くべきだったかと思いながらみなさまのご投稿を拝見していると、昌官忠さんのご投稿の中に鷹匠町橋のお写真が。さすが正しく歩いていらっしゃる!昌官忠さんの新宮前橋のお写真に、“三嶋神社参道は現在小学校を迂回するようにつくられているが昔は真直ぐだった”とありますが、小学校には写真⑦のお知らせが掲示してありました。町の歴史を感じます。
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2022/11/15 21:41
お散歩 (2022/10/25 訪問)
跡地(推定地)とされる戸塚高校の門の前まで行ってきました。当時を想う縁となるものはありませんが、それも時の流れの中では自然なことかと。
写真②は最寄りの踊場駅にあった地名の由来です。
ここから次の岡津城までは3kmくらいだったので歩いて行きました。途中、冠雪した富士山🗻がきれいに見えました。
かつて、登下校を“登山・下山”と言う戸塚の山の上の学校に通っていたので、何もなくても懐かしさを感じるお散歩でした。たしか東戸塚あたりで電車から牛🐄も見えたな…。
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2022/11/15 21:12
日本100名城スタンプ巡りNo.3 名古屋城 (2022/11/06 訪問)
観音寺城と安土城のスタンプを押した2週間後に暇潰しに名古屋城に行ってみました。名古屋城は100名城の中では比較的近い城なので電車で行きました。名古屋城はもう5、6回目なのですが、西北隅櫓を見たことがないので行ってみました。
では早速二の丸の門跡から入って行きました。やっぱり名古屋城のすごいところって言えば、櫓台の石垣が綺麗に残っていることですよね。勾配の効いた石垣の上に櫓が建って城を囲んでいたと考えると、相当徳川家康が敵を挑発していたのだなと思いました。その後、受付に行くとき、僕は中学生なので無料で入りました。そこからまず見えたのは東南隅櫓。いやー何度も見たけど意外とデカいなと思いながら見て回ると左手に大きな堀切が、これは今まで気づいていなかったので初めて見ました。結構深かったですね(写真3)。
その後重文の本丸大手二之門をとおりました。そしたら大きな枡形虎口、そこを突破すると御殿が見えて来ました。そこで天守と一緒に写真に収めました。(写真7)
この時東南隅櫓の中に入れたそうですが、めちゃくちゃ行列だったのでやめました。その後、東一之門跡に足を運び、清正石を観ました。鏡石にしてはなかなか大きいものでした。そして旧ニ之丸東ニ之門をみました。これは復元されたようです。
さてでは天守に向かいます。続く
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2022/11/15 20:18
御礼
このたび「城ふぉとコンテスト」において城びとアンバサダー賞をいただきました。<いいね>の応援をしてくださった方、選定してくださったアンバサダーの方ありがとうございました。相当気合を入れて投稿したのでとても嬉しく思います。
私も高い場所はあまり得意ではありません。城巡りをしている時に人工の高さ角度のある切岸や石垣、天然の要害を上から観察して「すごいなーよく造ったなー」とか「いい場所を選んだなー」とか一人つぶやきながら、へっぴり腰で撮影しております。今回そんな頑張って撮ったものの数々をシリーズ化して投稿いたしました。今後も精進し、また楽しみ城巡りをして投稿したいと思います。
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2022/11/15 12:36
紅葉時の山城 (2022/11/06 訪問)
登城口の反対側に駐車場があり助かりました。落ち葉が滑り困難でしたが主郭部まで約700m。遺構も予想以上に良かった!
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2022/11/15 10:39
笑わない城 (2019/12/01 訪問)
「自分、不器用なんで」ーー。そんな声が聞こえてきそうな面構え。松江城(島根県松江市、2019年12月)。「国宝」という響きとは裏腹に、その表情は無骨、質実剛健、そして実戦重視。
本丸到達後、付櫓から侵入して天守にたどり着くまでのわずか数メートルに折れが4回。どんだけ、、。その間に正面、側面、背後、頭上の狭間や石打棚から徹底的に狙い撃ちされる。籠城への備えも完璧で、井戸や物資保管庫はもちろんのこと、地階、そして4階にまで箱便所がある。
本丸防衛に偏りすぎているなど、縄張りそのものに対する厳し目の評価はあるようですが、過剰と言える天守の防衛設備は資料として一見の価値あり。
では背景に何があるのでしょうか。ひとつはポスト関ヶ原の現実だと思われます。東軍勝利といえど、西軍は大坂に秀頼を温存。家康が堀尾吉晴に託した実戦向きの古式天守からは、徳川と豊臣の大一番を控えた世相がひしひしと伝わってくる気がします。
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2022/11/15 08:43
麒麟がくる紀行(京都編) (2022/10/02 訪問)
京都市内の明智光秀ゆかりの地をめぐってみました。
本能寺跡(京都市中京区元本能寺南町)
明智光秀が織田信長を討った本能寺の変の舞台。法華宗本門流の大本山で、信長の京での宿所のひとつでした。本能寺の変で焼失した後は、豊臣秀吉により現在の位置(中京区下本能寺前町)に移して再建されました。現在は高校と福祉施設になっており往時の遺構は見られませんが、西側と北東隅に石碑が建てられています。また、北西隅は消防団の納庫になっていて、本能寺の変では炎に包まれているだけに、あえてこの地に置いたのでしょうか。なお、現在の本能寺には信長公廟や本能寺の変での戦没者の合祀墓が設けられています。
粟田口刑場跡(京都市山科区厨子奥花鳥町)
山崎の戦いに敗れ、坂本城に落ち延びる途中に小栗栖で討たれた光秀の首は、まず本能寺で晒され、次いで粟田口で斎藤利三と共に首と胴を繋いで磔にされたと伝わります。刑場は東国から京への入口にあたる粟田口峠に設けられていましたが、現在では道路沿いに説明板と石碑(藪の中)が見られるくらいです。光秀に限らず多くの人々が処刑された地ですので、しばし冥福を祈って手を合わせてきました。
明智光秀首塚(京都市東山区梅宮町)
粟田口に晒された光秀の首は、数日後に蹴上あたりに埋められ塚が築かれたと伝わります。そして、江戸中期に蹴上の塚の石塔婆が白川橋近くの現在の位置に移されて、明智光秀首塚と呼ばれているんだとか。首塚への入口脇にある和菓子店「餅寅」では、桔梗紋入りの「光秀饅頭」が販売されていました。首塚は地元で大切に守り継がれているようです。
帰宅してから光秀が足利義昭を守って奮戦した本圀寺跡に行きそびれていたことに気付きました。麒麟がくる紀行(京都編)はまだ終わらないようです…。
# 「城ふぉとコンテスト」受賞の皆さま、おめでとうございます! それぞれ納得の写真ばかりで、基本的に見たまま撮るだけの私もちょっとは見習ってセンスのある写真が撮れればなぁ、などと思っております。
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2022/11/14 21:50
近世小田原城編 (2022/10/09 訪問)
【百名城62城目】
<駐車場他>各所コインPあり。
<交通手段>車
<見所>再建建造物・石垣・滑り落ちた石垣
<感想>1泊2日ついに小田原攻めの旅3城目。中世総構え編からの続き、いよいよ内部へ。馬出し門から入り→馬出し門枡形・馬出し曲輪・二重櫓跡→御茶壺曲輪→銅門→常盤木橋・常盤木門→本丸・天守内部→御用米曲輪→天守の西側を回って南側の滑り落ちた石垣の順で巡った。
二の丸多目的広場はイベントをしていて人が多かったので寄らずにした。本丸内部の展示品は小田原城の古写真をメインに、最上階からの眺望で西に見える石垣山城跡と周囲を豊臣軍に囲まれた妄想を楽しむ。
印象深かったのは再建建造物の多さ、その存在感と見応え、小田原城も昨日行った石垣山城と同じように関東大震災の被害が大きく石垣がかなり崩落してしてしまった生々しい箇所が残っていること、中世の地形や土塁を生かしつつ造り上げた城の名残が感じられる箇所が多く残ることだった。
攻城を2日に分けて結構時間がかかりましたけど、中世の圧倒的スケールの遺構の数々と近世城郭を楽しめるいいお城だった。
<満足度>★★★★☆
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2022/11/14 20:25
続日本100名城スタンプ巡りNo.2 大垣城 (2022/10/23 訪問)
北之庄城を終えて電車に乗り、安土駅で安土城と観音寺城のスタンプを押して、大垣城に向かいました。大垣城はもともとこの日のちょうど一年前くらいに行ってるのでまあスタンプ集めのためにいきました。
大垣城は築城者や築城年がわかっていませんが、歴史が詳しくわかっているのは関ヶ原合戦の時くらいから。石田三成がここを本拠地として関ヶ原に出陣しました。しかし、石田三成は敗北し、あっけなく命を落とします。勝利に終わった家康は家臣の戸田氏鉄を大垣城に入れました。戸田氏鉄は大垣城を改修し、明治まで戸田氏が大垣藩を務めました。大垣城は戦争直前まで残るものの大垣空襲で惜しくも戦災に遭い、焼失しました。天守は1959年に復元されました。
大垣城は遺構が少なく、石垣の一部が残っています。天守台の石垣はどうやら昔のものであるものの、どこまでが当時のものなのかわかりません。石垣には化石が書いてあるものがあるそうですが、時間がなかったので見ることができませんでした。櫓が3、4基ほど復元され、当時の大垣城とほとんど変わらない姿となっています。
僕は大垣城に攻城したのがもう3回目だったので、魅力さが大垣城の遺構の数などから感じられず、戦争がなければよかったのにと思いました。なるべくなら当時の遺構がもっとあって欲しかったです。
評価
遺構★
建物★★★
行きやすさ★★★
全体★★
攻城時間
30分〜40分程
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