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スティクラ

波多野氏 (2022/06/05 訪問)

竹田城の帰りに八上城へ。昨年は赤井氏の居城の黒井城に登ったので今回は波多野氏の居城へ。
車で行ったが、八上城の案内は見つけられず。近くのグルグルしてようやく春日神社前の駐車場へ到着。
八上城があるのは、高城山ということがわかってたらすぐに見つけられたかも。
山頂までの登山コースは3コースあり、春日神社口から登山。時間は45分前後で道は整備されていて歩きやすかったが、階段がほとんどで頂上まで平坦なところが少なく、時間の割に体力が消耗した印象。

頂上は、波多野氏の供養塔らしきものがあり、景色も篠山城ははじめ市内を一望できる。
ただ、個人的には黒井城の方が360°のパノラマがすごく、もし黒井城と八上城どちらしか行けないとなったら黒井城をおススメするかな。

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スティクラ

立雲峡から竹田城跡へ (2022/06/05 訪問)

今年の秋に雲海の竹田城を見たいため予習として初めて立雲峡から竹田城へ。
竹田城は10年以上前に一度行ったことがあるが、立雲峡は初めて。
午前3時前後に立雲峡の駐車場に到着。雲海の時期ではなかったため、駐車場は3台しか止まっていなかった。
立雲峡に入るには、保存のため300円が必要。灯りは当然ないため、夜中に登るには懐中電灯は必須。
一番上の第一展望台は30分から40分くらいで到着。
展望台は第一から第三まであり、少し上から見下ろすには第一展望台、ほぼ平行に見るなら第二展望台がおススメ。
雲海は少しは出ていたが理想通りにならず。でも秋の向けて予習はばっちり。

立雲峡の後竹田城跡へ。
竹田城跡は今のシーズン6時からとのことで、自家用車で行ける一番近い駐車場「山城の郷」で待機。前に来た時は一番近い駐車場まで行けたが、今はタクシーとバスしか行けないらしい。
山城の郷から竹田城跡の料金所まで30分前後かかる。歩きが嫌な人はタクシーか時刻表を確認しバスで行ったほうがいいかも。
竹田城跡は前来た時よりも史跡保護のために歩ける範囲が限られていた。前は柵すらなかったから事故を防ぐためにはやむを得ないか。

国史跡「竹田城跡」公式ホームページ
http://www.city.asago.hyogo.jp/takeda/

立雲峡に登る時に出会った人に教えてもらった立雲峡の雲海出現NAVI
https://www.mitsubishi-motors.co.jp/special/weekend-explorer/unkai/17.html
※6/5は65%だった(笑)。あくまでも雲海は出るがどうかの確率のよう。
 竹田城跡が理想の風景になる確率とは別の話。面白いけど参考程度かな。

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零汰

終活2:100城・続100、城郭巡りの記録:近畿・東海・四国 9日目強制終了

城郭巡りの人間は、100城・続100城を巡る事は義務なのか?そんな疑問を求めて巡る終活シリーズ2。

本来ならば10日目に大分・宮崎の城郭を巡って南下して帰宅するはずだった。九州内は離島を除いた100城・続100城は終えていたので主戦場の九州城郭巡りで7城予定していた。時刻はもうすぐ4時、鏡城まで3分のところで給油、空気圧を測って貰ったのだが給気バルブを折られてしまった。タイヤに空気が入らず走行不能。バイク業界は難しく購入店以外での修理は容易では無い。当然の如く自宅までレッカーによる帰宅となり城郭巡りは強制終了となった。

5月24日(9日目)
1.宇和島城(愛媛)・・・・・40分:1.2km:累計高低差103m
2.大洲城(愛媛)・・・・・・55分:1.5km:累計高低差90m
3.中尾城(愛媛)・・・・・・計測無し
4.烏帽子岳城(大分)・・・・45分:1.3km:累計高低差126m
大洲市から大分市内:走行距離170km

前回もそうだったが、5分刻みでタイムスケジュールを組んで巡った。個々の城郭の滞在時間は攻城団の平均時間をそのまま組み込んでいる。近代は城郭自体は現状で作品としてほぼ完成されており範囲も限られているので攻城は容易だ。その上各媒体で頻繁に取り扱いされており露出も多い。初見の感じが薄く、眺める・確認する、もちろん驚きもするが頭を使うことはそうそう無い、観光客と変わりない。よって滞在時間は短くなる、その上建物内部を見ることも省いているからなおさらだ。それ以外の城郭になると、立ち止まる・考える、探す・考える、眺める・考える、時には引き返すの繰り返しで中々先に進めず時間が長くなる傾向だ。だが、近代とその他が交互に組み合わさっているので各日の終了時間は±30分程度の誤差だった。

途中100城・続100城以外も巡ったが、基本は100城・続100城縛り、今回で丁度折り返し時期となった。前回は残雪のサブテーマーもありお腹一杯満足して終えた。今回は違う、不満ではないが腹一杯ではない、腹八分目にも満たない、とにかく食い足りない。強制終了も原因かもしれないが自分でも不明である。

今後の終活シリーズも様々な事が頭を巡っている、ルート・時期・その他、「・・・義務なのか」のテーマの答えはせめて9割終了してからと考えている。

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ぴーかる

難渡島 (2022/05/03 訪問)

【甘崎城】
<駐車場他>甘崎港駐車場<34.242061, 133.052077>
<交通手段>車

<感想>日帰り伊予海賊海城攻めの旅5城目。甘崎城は諸説あるが671年に越智氏によって築かれた。鎌倉時代には海武士を取締まる城砦、元寇以降は海上交通の取締り拠点、南北朝から戦国期は村上水軍の城となる。豊臣時代には藤堂高虎の属城となり、従弟の良勝が城主となるが藤堂高虎の転封によって廃城となります。
 海割れ時にしか渡れない城でこの日の干潮時刻18:08頃に間に合うように来たが、添付写真に見るようにあと僅かで渡れない。後で調べると年に数回しか海割れが起こらないそうで残念な結果に。5/3の今治市の潮位干潮38㎝であと30~40㎝下がってくれれば行けるという感じなので調査して攻城してもらえれば。下の砂地が見えるので下半身浸かってもいいなら夏場干潮時渡れそうです。先達の渡っている方々すごいです。
 これにてこの旅終了、自家用車の自損をしてしまったがあとは無事帰還しました。700㎞走破。

<満足度>◆◇◇

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火ノ島豊後守正宗

若桜鬼ヶ城 (2022/06/05 訪問)

続63城目。
若桜駅のすぐ近くに観光案内所があります。
ここでスタンプと御城印と城までの情報をゲットしてお城の登山口まで移動しました。案内所の方は親切丁寧で大変助かりました。
登山口は2つありましたが、「八幡広場登山口」の方は立ち入り禁止になっていました。その為、もう一方の「第一町民体育館裏登山口」から登城しました。
40分程度かかり登山することができました。久方ぶりの本格的な山城の登頂であったため足がパンパンになりましたが、山城を制覇したときの感慨は半端ありません。改めて城を一つゲットした程の喜びを感じることができました。山頂の本丸で食べたおにぎりがとても美味しかったです。

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織田晃司

後藤氏の城で (2022/06/04 訪問)

観音寺城の支城。
南面に石垣が良好に残る。

北向岩屋十一面観音の参道前に駐車場があり、そこから登城コースがありますが、駐車場までの道は狭く対向車を交わすのは難しい。

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赤い城

善性寺と六所神社 (2022/05/28 訪問)

まずは1つ目の推定地。
小田急の豪徳寺駅から徒歩で5分くらいで善性寺に付きます。
少し高い位置にあり、砦跡感も感じることができる静かなお寺でした。
住宅地の中にあり、遺構はありません。
そこからさらに徒歩5分くらい、東急世田谷線の松原駅近くに六所神社があります。
ここも推定地ですがこちらは砦跡感も見られませんでした。
赤い拝殿が新緑に映え、良い感じの神社でした。
世田谷城の北を守る砦だったようです。
この日は立ち寄りませんでしたが豪徳寺や世田谷城址公園も含めセットで訪れるのが良いと思います。

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カズサン

丘城大衡城初登城 (2022/05/28 訪問)

 陸奥・桑折城を終えて南西に直線距離約10km程、国道4号線沿いに在る大衡城を初登城。
 車は大衡城青少年交流館、大衡城跡公園の南西角に綺麗なトイレと駐車場完備して居りここを利用。トイレ完備はありがたい。
 
 ぎりょうさんの投稿で認知し今回の城廻りに桑折城に続けて大衡城も登城しました。
 情報は余湖図コレクションさん、古城盛衰記さんも参考にしました。

 駐車場から冠木門を潜って登城路、階段を登って行く本曲輪の南東に曲輪と堀、本曲輪の切岸が見事、東下に曲輪が数段有る様に見えるが樹木、草が茂り夏場は確認できない。
 本曲輪に城郭風の青少年交流館、資料館が建ってる、当日は土曜日で休館、土日祝は休館の様です、由って二の曲輪に当たる駐車場は休館日は閉鎖でした。東側には住宅街が迫って居ます、丘陵の南西端を活用した丘城で北西から南東に掛けて埋川が善川に合流し自然の外濠を成している。
 本曲輪からの眺めは素晴らしい西側、南側の早苗の田圃が光に輝いている、桜の頃は満開で城全体が装ってる事でしょう。

 案内板に由る歴史:天文13年(1544年)下草城主黒川下総守景氏の次子治部大輔宗氏が大衡城を築城、大衡氏を名乗った。天正18年(1590年)子氏胤の時、秀吉の奥州仕置きで所領を没収され廃城。(内容抜粋)

 

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イシテル

播磨の歴史を巡る御城印:その6 (2022/05/03 訪問)

豊池城は、宇城土居を中心として、東西400m、南北200mの規模を持った中世の平城。
三木合戦までは別所氏重鎮であった栗山氏が東條谷を領し、城主であったが、三木合戦以降、秀吉の命により取り壊された。
現在、土塁跡が残っているが、その他の明確な遺構は判らなかった。近くの神社あたりに堀跡と思われる形状は見られる。
豊池城の御城印は、誉田の館いろどりで購入できます。

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イシテル

播磨の歴史を巡る御城印:その5 (2022/05/14 訪問)

播磨を支配した赤松氏の居城のひとつ。
戦国期前期に赤松祐尚が改修。現在の遺構には織田軍団の築城技術の痕跡がみられることから、三木城合戦以降に羽柴秀吉の家臣が入ったと言われている。現在、本丸、西小丸、堀切、竪堀、横堀、幾つもの帯曲輪、虎口など多くの遺構が残り、見応えがあります。
小谷城の御城印は、五百羅漢で購入できます。

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イシテル

播磨の歴史を巡る御城印:その4 (2022/05/04 訪問)

野口城は、「播州一ノ名城」として羽柴秀吉が播磨攻めの重要拠点とみなした城郭と言われており、主郭は長さ43間(約78m)、横21間(約38m)の丘城であったようです。
天正六年(1578)4月、秀吉の三木城攻めに際して最初に攻められた城。四方を沼田に囲まれた要害の野口城を秀吉は数万荷分の麦や草木で埋め立て、三日三晩責め立て、降参させたと言われています。
野口城の御城印は、野口城があったと伝わる教信寺で購入できます。

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イシテル

播磨の歴史を巡る御城印:その3 (2022/04/10 訪問)

神吉城は、天正六年(1578)の羽柴秀吉の播磨攻めで約3万の大軍の包囲をわずか千名ほどの城兵で抵抗し何度も攻撃を撃退したが、度重なる攻撃に城兵は討死、落城となったと伝えられている。
東西57間(約104m)、南北43間(約78m)の規模であったとのこと、勇敢な播磨武士の心意気が伺えます。
現在の常楽寺が中の丸。御城印も常楽寺で購入できます(御城印をいただきに5月4日に再登城)。

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イシテル

播磨の歴史を巡る御城印:その2 (2022/05/04 訪問)

志方城は黒田官兵衛の妻:光(てる)の所縁の城。天正六年(1578)、羽柴秀吉の攻略で落城。
今は本丸跡は観音寺の境内、二の丸が志方小学校、西の丸が旧志方町役場のあたりと言われています。
本丸のあった観音寺の山門裏に城址標と説明板がありますが、説明板が樹木で隠れて見え難い....。
志方城の御城印は、加古川市立総合体育館で購入できます。

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イシテル

播磨の歴史を巡る御城印:その1 (2022/05/03 訪問)

兵庫県の三木市、加古川市、小野市、加西市の四市の観光協会が連携し、4月28日から8種類の御城印を販売開始しています。
今回は、平井山本陣。ここは、平井山ノ上付城と言われ、秀吉本陣とした付城。
駐車場に登城口があり、パンフレットを置いていただいています。
それを見ながらの本陣巡りが可能で、30分程度で太閤道、主郭、櫓台、大手口などを廻ることが出来ます。
秀吉本陣の御城印は、三木市立みき歴史資料館で購入。同時に三木城の御城印も購入できます。

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チェブ

生駒 吉乃さん。 (2022/05/04 訪問)

「生駒屋敷」と言った方がピンとくる「小折城」です。
応仁の乱の頃、大和国から避難し屋敷を構えたのが始まりです。
生駒氏は、馬借(運送業)や灰(染め物の原料)などの商売で財を成します。
ここで暮らしてた、吉乃さんに信長さんが恋に落ちます。
信長さんの側室になり、信忠・信雄・徳姫を産みました。
吉乃さんの取りなしで、秀吉さんが信長さんに仕官する等々、歴史小説ではドラマチックな出来事が盛りだくさんな「小折城」です。
明治時代まで「小折城」の歴史は続きました。

「小折城」は保育園の一角に石碑と説明板があります。表記は「生駒屋敷」です。
周りは畑で、寂しい印象でした。
と、説明板の前に歴史好きの方々でしょうか?親子連れの先客。長くなりそうだな、と思い写真だけ写させていただき退陣しました。

吉乃さんは若くして亡くなりました。
信長さんや秀吉さんが、表舞台で活躍してる裏方で、苦労やストレスがあったと思います。

華やかで賑やかな「生駒屋敷」の吉乃さんの日々を、女性目線で讃えたいと思います。

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響ちゃん

立派な山城 (2022/05/28 訪問)

立派な駐車場があり、整備が綺麗に施されて歩きやすい山城っぽい
所々に説明看板があり、縄張り図片手に探索すれば妄想が止まらずニヤケ顔になるっぽい(笑

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明石海苔

百名城の達成 (2022/06/03 訪問)

6月3日、松江城を三十数年ぶりに登城しました。大手門に着くなり堀尾吉晴の巨像が迎えてくれました。
 城内に入るなりすっかり変わったお城にびっくりです。
正面には無破風な中櫓と太鼓櫓が黒い下見板張の塀でかけられて質実剛健な印象を与えてくれました。
右奥には天守が緑の木々な間から見えました。なかに入って南総門跡の石垣と多数の礎石数でまたびっくりです。
階段をあがると同じ黒の下見板場の一ノ門と多門櫓も復元されてました。いよいよ天守です。
 雪が降る松江で4重5階の天守を守ってこられた人に改めて感謝です。天守の大きさも再認識しました。
また最上階からは快晴の松江市内がよく見えました。
印象に残る松江城で百名城を妻と二人で達成できたことが非常にうれしかったです。

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江口の戦い (2022/06/04 訪問)

阪急千里線柴島駅より徒歩5分くらいのところに石碑があります。

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真田幸村 (2022/06/04 訪問)

 大阪冬および夏の陣で登場する茶臼山です。公園となっていて多くの方が遊びに来ていました。案内板に真田信繁ではなく真田幸村と書いてありました。学術的にはともかく子供の頃から馴染んでいる真田幸村は響きがいいです。

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月江寺 (2022/06/04 訪問)

 地下鉄四天王寺前夕陽ケ丘駅から徒歩10分くらい、月江寺付近が城址です。

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