五稜郭の中に素朴な学校の校舎と校庭がすっぽりと納まった、緑豊かな素敵な城跡・小学校です。
幕末の頃、若年にして西洋事情に深く関心を持ち、とりわけ洋式の築城技術、火砲を熱心に学んだ英明な殿様が、1863年24歳で幕府大番頭登用を期に三河奥殿から信濃佐久郡に本領移転を願い、併せて新陣屋五稜郭建設の許可を申請、翌年着工して、1867年4月竣工するも、当初思い描いたようにはならなかったようです。明治新政府の時代となり1871年、廃藩とともに全国の城郭取り壊しが布告され、築城僅か数年で龍岡城は歴史の幕を閉じます。殖産興業に力を注ぎ、蚕種、生糸の増産を奨励、薬用人参の栽培を指導し、領村に富をもたらした名君の殿様がどんなお城の完成形を考えていたのか興味がつきません。
そしてこの素敵な小学校も今年度末で役割を終え、閉校することが決まっているそうです。小学校全施設を解体撤去した後、そうです! 竣工当時の龍岡城に復元整備する計画が、今後進められるとのこと。御殿、美しい稜堡の石垣、五稜郭をどのように見せてくれるのか、大注目です。
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