吉野といえば何といっても南朝の本拠地であり、南朝ゆかりの史跡が数多く見られますので、吉野城とあわせてめぐってみました。
吉野神宮
吉野神宮は後醍醐天皇を祭神として明治に創建され、吉水院に奉安されていた後醍醐天皇像を御神体としています。広大な境内に立派な社殿が建ち並んでいますが、中心部から少し離れているせいか人影はまばらでした。なお、元弘の乱の吉野城攻防戦ではこのあたり(丈六平)に幕府軍の陣が布かれ、駐車場には丈六平の石碑が建てられています。
村上義光公の墓・村上義隆の墓
吉野城の落城に際して、護良親王を脱出させるべく親王の鎧と直垂を身に付けた村上義光が蔵王堂南側の二天門で親王になりすまして自害し、義光の首は首実検のために運ばれる途中、峰の薬師堂のあたりで見破られて捨て置かれたのを里人が埋葬したと伝わり、道路沿いに石碑と説明板が、そこから石段を上ったところに村上義光公の墓が設けられています。
護良親王は金峯山寺の奥の勝手神社から搦手道を逃れましたが、追手を食い止めるため村上義光の子・義隆が細道に立ち塞がって奮戦し、その間に親王は落ち延びることができたものの、義隆は十数箇所の傷を負って自害。搦手道沿いに義隆の墓が建てられています。
金峯山寺
金峯山寺は飛鳥期に役行者が開創した修験道の総本山で、境内には護良親王が本陣を置いた蔵王堂や村上義光が自害した二天門跡(村上義光公忠死之所の石碑あり)があるほか、西側の一段下は南朝(吉野朝)の行宮となっていた実城寺跡で、跡地に建つ南朝妙法殿には実城寺の本尊が安置され、南朝四代の天皇と忠臣たちが祀られています。また、金峯山寺の南隣には後醍醐天皇導きの稲荷が祀られており、京から吉野に逃れる途中、夜道に迷った後醍醐天皇を導いた稲荷社を勧進したと伝わります。
吉水神社
吉水院は飛鳥期に役行者が開創したと伝わり、鎌倉初期には源義経主従と静御前が潜居し、南北朝期には京を逃れた後醍醐天皇が行宮とし、織豊期には豊臣秀吉が行った吉野の花見の本陣となった寺院で、明治の神仏分離令により後醍醐天皇を祭神とし楠木正成らを合祀する吉水神社となりました。書院には後醍醐天皇玉座が現存し、中庭には後醍醐天皇が京の方角を望んで邪気払いをしたとされる北闕門があります。また、書院内には後醍醐天皇の御宸筆や大塔宮(護良親王)の陣羽織、楠木正成の矢筒などゆかりの品が多数展示されています。
如意輪寺
如意輪寺は平安前期建立の寺院で、南北朝期には後醍醐天皇の、そして南朝の勅願寺となりました。本堂後背の丘には後醍醐天皇御陵が設けられ、後醍醐天皇の遺詔により京を望んで天皇陵で唯一北向きに造られています(通常は南向き)。また、境内には四条畷の戦いに赴く楠木正行と郎党が髻を切って奉納したと伝わる埋髻の墳があります。宝物殿では後醍醐天皇ゆかりの品や楠木正行が辞世の歌を刻んだ本堂の扉などが展示されているようですが、じっくり見学する時間がなかったのでまたの機会に。
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