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カズサン

【丹波・藤懸陣屋】京都府綾部市 上林城西麓の陣屋 (2022/06/18 訪問)

 住所:京都府綾部市八津合町城下(上林城址西麓)
 駐車場:上林城址専用駐車場

 上林城址の西麓に在る、上林氏退転後、慶長6年(1601年)藤懸永勝が上林に6000石を領した、藤懸氏は上林城の西麓に陣屋を構え明治までこの地を治めた。(上林城説明板による)
 陣屋跡は現在民家、屋敷の前に陣屋跡の虎口かなと思われる石垣、虎口が有る、その下が金毘羅神社、その間が道に成って居り道下に石垣跡が在る、近くに長屋門を構えた民家が在り石垣と石段が備わってるが関連が有るか?は分からない。

 北東約700m程、府道1号線沿いに上林禅寺が有り、藤懸氏菩提寺であった永勝寺とが、昭和42年合寺され現本堂は永勝寺のものを移築。(上林禅寺説明板より)

 又上林禅寺の裏山が日置谷城、中城、東城に当たり、上林禅寺の裏登り道より墓場へ墓場の裾筋を尾根に向って登ると日置谷城へ当たる。(当山和尚の情報)

 

 

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ミニミニゴンシ

【究極の一枚】 (2022/06/23 訪問)

大坂城巡りの中で、内堀を見に行った時の一枚です。大坂城天守閣と御座船が凄くマッチして素敵でした。

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カズサン

【丹波・上林城】京都府綾部市 こころ旅火野正平がオープニング紹介 (2022/06/18 訪問)

 住所:京都府綾部市八津合町石橋(古城山)
 駐車場:南西麓に砂利舗装で10台は可能、簡易トイレ有るが夏草蔦に少し覆われている。
 緯度経度:35°21'33" N 135°24'20" E

 NHKのこころ旅で京都府編の中でオープニングに城跡らしき所が紹介されスタート地点に成って居ました、聞くと上林城とか、早速調べ京都府綾部市に在る上林城との事、まぁ何時か行くかとリストの入れて置きましたが、今回郷里鳥取で慶讃法要が有り、名神北陸道舞鶴若狭道経由で大飯高浜IC降り府道1号線を綾部市へ上林街道と言ったそうです。

 上林地区に近づく独立丘陵に杉林が伐採され、城と分かる小山が見えて来ます、南に入り上林川を渡り、麓の在る藤懸陣屋跡を過ぎ登ると専用駐車場、登り口に成ります。

 軽四輪の轍が残る登城路を約10分程登ると本丸へ、南に天守台、前面に低い石垣が在る、西側の切岸、南側に空堀を挟んで南の曲輪、草木が茂り良くは分からない、本丸に在る縄張地形図では東西南北に曲輪が囲ってる様ですが草木が茂り、南の曲輪のみ判別、昭和53年から56年に発掘調査され、城山公園として整備されたようです、発掘調査時は樹木が相当伐採され、本丸、各曲輪が良く識別出来たのでしょうが年数が建ち桜、楓など植栽されて木々が城景観を妨げつつ有ります。

 案内板に由ると:独立丘陵に上林氏の居城、丹波氷上郡の土豪赤井氏の一族、足利尊氏に従って功を立てた赤井秀家がこの何鹿郡上林庄に住み、上林姓を称した。発掘調査によると16世紀前半が最盛期だった様子。織田の勢力、明智光秀の侵攻などで上林氏の勢力は弱まり、天正元年(1573年)以降、一族は各地に転出。
 そのうちの一派は宇治で茶業を始めて成功し宇治の茶舗上林家として有名。お茶のペットボトルで綾鷹が有りますがこれも宇治の上林家の様です。

 麓に藤懸陣屋跡が在り別編で投稿します。

 

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チェブ

用土 新左衛門の憂鬱。 (2022/04/30 訪問)

本日、看板びとです。
秩父にある「千馬城」、説明板の写真だけ写し退陣しました。

説明板には、100名城でもある「鉢形城」の支城として用土 新左衛門さんが築たそうです。
用土さん、調べてみると 藤田 康邦さんでした。
先日 投稿した「天神山城」も築いた方です。
藤田 康邦さんは、娘が北条 氏邦さんと結婚。嫡男は、北条家に毒殺。次男は、武田家に寝返りました。
藤田 康邦さんも「用土城」に移ります。
「千馬城」は武田家にも睨みをきかせているので、藤田 康邦さんの心情お察しします。

用土から、土用の丑の日を連想しました。
今年は、7/23、8/4です。
急に暑くなりました。土用の丑の日を待たずに、栄養取って元気に過ごしましょう。

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赤い城

鎌倉公園 (2022/06/12 訪問)

埼玉なのに鎌倉公園。
ここが館跡で説明板が立っています。
公園は高台にあり、北側の入口のところが少し広くなっていて駐車できます。
遺構は無さそうですが、北側の公園外の部分はなんとなく城を感じさせます。
岩槻城の太田氏家臣の松野氏の館跡です。
岩槻城とのセットでの訪問が良いと思います。

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小城小次郎

由佐さんはがんばった (2022/01/23 訪問)

模擬天守風の郷土館が建つが当時の土塁もちょこっと残る。益子氏の一族で南北朝期に讃岐に移った由佐氏は三好、長宗我部、仙石、生駒とその時々の領主にきっちり仕えてしっかり働き、郷士としてこの地に根を下ろしたのだそう。

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マサカゲ

今治城【究極の1枚】 (2020/01/15 訪問)

当日は曇天。
今治城を散策して帰ろうと思った最中、偶然にも雲が切れて高虎公の像からくっきりと影が伸びていました。

ついつい何かに取り憑かれた気分になり撮影。

究極の一枚には程遠いかもしれませんが、
個人的に不思議な経験でしたので投稿させて頂きます。

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朝田 辰兵衛

この日は暑く… (2022/06/12 訪問)

この日は暑く,JR本竜野駅舎内のカフェで食べた抹茶ソフトがおいしかったです。撮るのを忘れて食べてしまいました。
JR本竜野駅からは,岩見用水沿いを歩き,旭橋で揖保川を渡り,徒歩約15分で東門橋到着。
鶏籠山を登り,龍野古城へは行きましたが,時間の関係で移築門は散策できませんでした。

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にのまる

城山公園など (2022/05/21 訪問)

冠木門や石垣で城郭風に設えられた城山公園の土塁っぽいところに城址碑がありました。桜井靖霊神社には山桜の紋も。
3代にわたって宗家に反抗した桜井松平氏も4代からは忠実な家臣になったそうですが(「大系」より)、その後も戦国の荒波に揉まれ続けたようです。初代城主・信定のお墓が、6代家広が武蔵松山城に移り廃城になってのちもこの地を見守り続けているかのようでした。
公園内に「金壹千圓 故帝大學生太田敬三君紀念奨學資金 寄附者太田佐兵衞氏」と読める昭和5年建立の石碑がありました。お父様が息子さんの…かもしれません。

これで嵐城コンプリートまであと1城!
相羽城(岐阜県大野町)年内に行きたいな…。

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赤い城

大相模小学校 (2022/06/12 訪問)

屋敷跡は大相模小学校の運動場になっています。
周辺を少し歩いてみましたが遺構はありません。
学校なので平日だったら怪しまれそう。
遺構としては少し離れた花田苑に長屋門が移されています。
花田苑は日本庭園、この日は開苑前だったので長屋門の写真を撮って退却しました。
以前入苑したことがありますが趣きのある庭園でした。

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ぴーかる

蜷川館 (2022/05/21 訪問)

【蜷川館】
<駐車場他>最勝寺裏の駐車スペース
<交通手段>車

<感想>1泊2日富山城の旅4城目。蜷川氏は平安時代後期に藤原北家(公家貴族)の宮道氏が国司に任じられ国務運営の為に越中国新川郡太田庄に拠ったのがはじまり。蜷川館は鎌倉時代初期にこの場所に館を築いたかとも思われます。蜷川氏の当主は代々新右衛門と名乗っておりアニメ一休さんのモデルは蜷川親当(智蘊)といい幕府官僚の政所代の職務として京に上っています。室町時代末期頃から零落し一族はバラバラに戦国大名の家臣になったりしており毛利家家臣や幕府旗本になったりしています。
 現在は最勝寺が館跡らしく遺構はほぼ残っておらず、裏手の駐車スぺース周辺に土塁跡らしきものがあるのみです。

<満足度>◆◇◇

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チェブ

城びと未登録のお城攻め「比丘尼城」 (2022/04/30 訪問)

「比丘尼城」は秩父にある山城で、眺めて来ました。『びくに』と読みます。
いつものごとく、勘違いから出陣しました。
最初から『びくに』と読めていれば攻めなかったかもしれません。
『比企尼城』と勘違いしました。
比企尼は源 頼朝さんの乳母です。

畑仕事をされている方に声をかけると「比丘尼城」のお話をうかがう事ができました。
平 将門さんがいた伝説がありました。そして、城主は女性。『比丘尼』は女性の名前かは分かりません。
かわらけ等々が出土したそうです。
向かって右手の山には、兵台という物見台があるようです。
そして、山道は整備されてなく、地元の方々は登れるが、一般の方は入らない方が良いとの事です。
写真の許可をいただき、しばし眺めて退陣です。

「比丘尼城」は伝説のままにしておきましょう。

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todo94

県内の城めぐり2022㉛ (2022/05/28 訪問)

JR飯山線、千曲川沿いの立地ですが、中野市の地籍になります。この日最大のターゲット、高梨氏館に向かう前に立ち寄ってみました。説明板と標柱があり、明瞭な堀と土塁を確認することが出来ました。堀には黄菖蒲が咲き誇っており遺構の撮影にはちょっと邪魔でした。佐藤病院の近くで、道が細く入り組んでおり、駐車場所には難渋します。

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小荷駄

神戸城跡 (2022/06/23 訪問)

河曲駅から徒歩35分程でした。近くまで来てもなかなか行けなかった場所なので暑い中でしたが駅からの道程も楽しかったです。城跡の一部しか残っていませんが公園として整備されていて駐車場とトイレもあり散策しやすいです。天守台石垣を見たら暑くて汗だくなことも忘れて何度も天守台を回ったり上ったりで帰りの電車の時間があるのに時間を使いすぎてしまい移築されている門などを見学出来なかったのでまた行きたいです。

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朝田 辰兵衛

怪しい天気だったので,太閤ヶ平は見送り。 (2022/06/11 訪問)

怪しい天気の中,鳥取駅前から鳥取城へ。鳥取駅バスターミナル→仁風閣・県立博物館間 路線バス(くる梨:緑コース),仁風閣・県立博物館バス停から,徒歩約2分で仁風閣到着。
仁風閣の受付でいきなり英語で話され,これがこの地の慣習なのかと思いきや,私を外国人と見誤ったそうです(←生まれて初めての経験)。
先に天球丸エリアを散策し,いざ山上ノ丸へ。天守跡から眺望する太閤ヶ平はすでにモヤッてました。しかし,ちょっと向かってみることに…。
外神砦(十神砦)へは無事に行けましたが,ここから先は雨が降ったら危険と判断。しかも,太閤ヶ平へは麓から別ルートが存在するので,日をあらためて計画することとしました。やはり,太閤ヶ平から鳥取城をしっかり眺望したい気持ちが強いので。

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にのまる

安城松平氏 (2022/06/21 訪問)

三の丸跡にある歴史博物館は開館まで1時間あったので見学は諦め、解説を読みながら復元整備された公園内を見てまわりました。大乗寺(本丸跡)と八幡社(二の丸跡)に痕跡が感じられました。近くにある家康が竹筒に入れて持って帰ったと言われる筒井泉跡に寄りました。

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零汰

よく掘りましたね4:下城 鹿児島県姶良市 (2020/01/12 訪問)

主郭に水道設備を設置する際に遺跡調査をしたらしく珍しく縄張り図の表示板が設置されており、道路によって城跡は分断されています。ここにも大きくワイルドで雑な堀切道が施されて道路から直接入る事が出来ます。そこは奥に進むと昼間なのに薄暗く写真は少々見辛いです。例に漏れず整備は長い事無かったのではないでしょうか、底には新たな樹木が育っています。

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辰市幼稚園 (2022/06/23 訪問)

辰市幼稚園付近が城址ということです。遺構も石碑も案内板もありません。

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賣太神社 (2022/06/23 訪問)

賣太神社周辺のみを散策しました。

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天満神社 (2022/06/23 訪問)

木の標識は見つけましたが、案内板には諸事情により行けませんでした。

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