清水山城からの転戦です。槇山城入口(36.008391、136.272839)の由来板を確認して、槇山公園(36.010254、136.276661)に駐車しました。
築城年代は定かではないようですが、応永年間(1394年〜1428年)に朝倉正景によって築かれたと云われています。 朝倉氏景の次男正景が東郷庄の庄官となり槇山城を居城にしました。
1471年(文明3年)頃、朝倉氏が一乗谷に本拠を移してからは、その支城となりました。
朝倉氏の滅亡後、柴田勝家の支配を経て、1584年(天正12年)長谷川秀一が城主となりますが、秀一が文禄の役で朝鮮で病没した後、北庄城の丹羽長秀の次男・長昌が城主となり、15万石を領しました。
しかし、関ヶ原合戦で西軍に組した丹羽氏は改易となり廃城となりました。
二の丸が駐車場になっています。二の丸を挟んで北側に本丸、南側が千畳敷曲輪になっています。
本丸に当たる北の城山に天守閣跡があり、「長谷川秀一公碑」、「忠魂碑」の石碑が建てられています。その下段に曲輪があります。
千畳敷曲輪は芝生広場の公園として、滑り台等の遊具が設けられ、一角に句碑がありました。千畳敷曲輪の南側に堀切があります。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=成願寺城に向かいます。
+ 続きを読む










