楯岩城を主郭から西側に降って行って周囲に巨岩があるあたり、少しわかりにくい場所に石垣が有ります。右手に回り込んで下から見上げると、向かって北側に石垣がついていました。ぴーかるさんの投稿にある二の丸虎口の周辺です。西の少し広い郭(三の丸?)には土塁が残っています。ある程度まで降りて行って、ひとしきり遺構を見たら、主郭に引き返します。改めてこの城址は岩の多いところです。主郭の北側にも堀をいくつか配して背後の守りを固めています。
どうも東の小高いピークも城山と呼ばれているようです。楯岩城の支城かな? と思いましたが訪問はしませんでした。先は長いので体力温存です。
楯岩城は標高250mの大山の山頂部に築かれており鎌倉時代末期に三浦大輔が居城したとされますが、詳細は不明です。現在の楯岩城を築いたのは赤松範資の子則弘(広岡氏の祖とされる)で嘉吉元年(1441)の嘉吉の乱の際に落城しています。広岡氏の一族がその後も在城し、その後 浦上氏と結んで置塩城の赤松惣領家(屋形)や龍野赤松家と争ったとの話もありますが、羽柴秀吉に攻められ落城したことだけは確かなようです。
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