今年の夏休みは群馬県館林市の館林城へ。
東と南を城沼に守られた邑楽館林台地東端のいわゆる舌状台地を城郭とした館林城。
忍と佐野を結ぶ日光脇往還の利根川と渡良瀬川に挟まれたポイントで、家康が東北への抑えとして重要視した模様。
残っている記録では室町後期に上野赤井氏が居住しており、家康が江戸に入ると徳川四天王の榊原氏を配置。城は近代城郭に改修され、徳川綱吉が城主になると本丸西に三階櫓を建設。その後しばらくの廃城期間を経て越智松平氏が修築し、秋元氏の時代に明治を迎えました。
現在は土塁が点在するものの、堀は埋められ公共施設や科学館が建つ城感の薄い城跡。
土橋門が復元された三の丸西部のみが城の雰囲気を残すエリアで、その桝形を形成する目隠しの土塁が蔀土居と呼ばれている模様。秋元氏時代の絵図を見ると二の丸の門も同じタイプで、本丸の門には異なるタイプの仕掛けが見られます。
訪問時は、まず三の丸から八幡郭までを1周し、続いて大手門跡や総郭の土塁跡へ。この時期、加法師口付近の土塁はヤブ化していたものの、下戸張口寄りの土塁跡(?)は明瞭。
そして秋元氏時代の館林城絵図を確認するため、館林市第一資料館へ。先祖が秋元大名の馬廻衆だったと聞いており、屋敷の名前を確認していくと、見難いものの総郭加法師口の外に私と同じ名字を発見。ここに先祖もしくは親戚が住んでいたのかな?
こんな館林城訪問が私の城巡りの130城目でした。
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