丹波亀山城は、天正5年頃織田信長公の命を受けた明智光秀公が丹波攻略の拠点として築城しました。一国の拠点となる城として総構えで築城されており、他の丹波の地の城とは異なっていたとのことです。
また、光秀公はこの城より、信長公を討つべく本能寺に向かい出陣したことは有名です。「ときは今 あめが下知る 五月かな」亀岡にある愛宕神社にてこの句を詠み出陣したとのことです。「土岐氏一族の自分が天下を治めるのは今だ」ということらしいですが、本当の事は分りません。本能寺の変後は、羽柴秀勝・小早川秀秋・前田玄以等が城主となりますが、徳川譜代家臣の岡部長盛の頃、天下普請で西国大名を動員し、亀岡城を整備しています。その後も城主が入れ替わりましたが、最後は、形原松平家が八代続き明治維新を迎えています。
現在の丹波亀山城は大本教の本部が置かれ、教団の管理下に置かれています。なかでも、天守のあった地は神苑で立ち入りが制限されています。遺構としては、石垣の一部と堀の一部が往時の面影を残しています。
大本のみろく会館受付にて、拝観料300円を支払い受付、スタッフの方から城跡に関する説明を受け(二度目の訪問なので今回は説明を遠慮させて頂きました)ホールには城跡のビデオ上映もされており、VRもあるそうです。大正時代に新宗教として当時の政府から本部を爆破・破却されたということなので、少し怖いイメージがありましたが、今回も気さくな方で「明治まで五層五階の天守があったんだよ」等々、優しく丁寧に教えて頂きました。
ただ、主郭となる場所は、神域なのでセンサーが設けられていたので、皆さまもご注意下さいませ。
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