みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

ryu

水戸城と偕楽園(2015年) (2015/05/12 訪問)

東京での用件にあわせて訪城。
品川から特急ひたちで約1時間20分で水戸駅着。

水戸駅をスタートし、義公生誕の地~棚町坂下門~本丸堀~薬医門~杉山門~御三階櫓の説明文~彰考館跡(二の丸展示館)~大手門跡~大手橋~弘道館~水戸駅と見て回る。

台風の影響で時折雨が降り、風が強かった。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ryu

「黒田家の歴史探訪ツアー」~田丸城(2015年) (2015/05/09 訪問)

西日本新聞旅行主催の「黒田家の歴史探訪ツアー」に参加した際の訪城。

現在の長久寺境内が福島田丸城跡で、文明9年(1477年)福島但馬守祐斉によって築かれたと云われる。
豊前の国人一揆に際し、宇都宮鎮房に呼応した賀来氏(大畑城)、福島氏は黒田孝高指揮の吉川広家、黒田長政の軍に攻められ降伏、城を寺となしたといわれている。
南を除く三方に土塁が残り、外側に水路や池となった堀が残っている。

+ 続きを読む

カズサン

【山城・西本願寺】京都府京都市 飛雲閣鑑賞素晴らしい (2009/07/07 訪問)

 13年前の平成21年7月上旬、故郷因幡の浄土真宗本願寺派檀家寺の門徒衆と西本願寺の念仏奉仕団に参加、この年の1月末に母が亡くなり兄弟で母の納骨と念仏奉仕に参加、京都の集合、2日間で母の納骨、各寺門徒宗分かれて御影堂、阿弥陀堂、庭園の清掃、念仏講話、念仏功労者表彰、門主との集合写真と行事を終えて、書院での茶菓子の接待後、本願寺南東面に在る、飛雲閣の見学、登閣は出来ませんが庭園周囲からの見学です。

 飛雲閣は京都三大楼閣の一つで金閣寺、銀閣寺と並び立って居ます、また西本願寺に移築された飛雲閣は元、秀吉の築城した聚楽第からの移築と伝えられ居ます。
 丁度修復整備が済んだ直後で36歌仙の板戸絵画が煌びやかで良く見る事も出来ましたが時間が日が沈む処で南の建物が逆光で採光が良くありませんでした。
 何回か念仏奉仕に参加して居ますので飛雲閣鑑賞は数度に参加し、美しさに感嘆し何時か登閣出来たらと思って居りますが何時になるやら?

 年に何回か一般公開が有る様ですから西本願寺のホームページを見て頂くと時期が分かります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ryu

「黒田家の歴史探訪ツアー」~中津城(2015年) (2015/05/09 訪問)

西日本新聞旅行が主催する「黒田家の歴史探訪ツアー」に参加した際の訪城。
中津の名物鱧料理をいただいた後、訪城。ボランティアガイドの方の説明で城内を見て回る。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ryu

「黒田家の歴史探訪ツアー」~一ツ戸城(2015年) (2015/05/09 訪問)

一ツ戸の領主中間氏の居城跡で城主中間統胤は官兵衛の傘下に加わる。豊後・筑後との国境に近かった一ツ戸城は重要視され、中間氏はそのまま城番として置かれた。

西日本新聞旅行が主催する「黒田家の歴史探訪ツアー」に参加した際の訪城。
この時は城址入り口のみの見学で登城はできなかった。

+ 続きを読む

ほりーないと

【城と生き物】 (2021/10/01 訪問)

松本城の赤い橋を渡るの? 猫さん
「これより先 立入禁止」と書いてあるよ~

この後、猫さんは埋橋から松本城を眺めていました。羨ましいなぁ

+ 続きを読む

ぴーかる

【城と生き物】

白鳥A:スイー
白鳥B:スイスイー
私、後出しですみませんm(__)m

+ 続きを読む

ぴーかる

【城と生き物】

ここどこだよ・・・

+ 続きを読む

ぴーかる

大桑城 (2022/04/03 訪問)

【大桑城】
<駐車場他>大桑城新登山口駐車場を利用
<交通手段>車

<見所>曲輪・石垣・竪堀
<感想>1泊2日郡上の旅6城目。大桑城は鎌倉時代の13世紀中頃に大桑又三郎が築いたとされます。室町時代には美濃国守護土岐氏のものとなり改修がされたようである。戦国時代には土岐頼純・頼芸の兄弟が居城とした。斎藤氏の台頭により土岐氏は拠点を転々と変えますが、越前朝倉氏の後ろ盾もあって土岐頼純は大桑城を拠点とします。しかし斎藤氏に1542年に落城させられ、1547年の2度目に落城させられた際に土岐頼純は討死、土岐頼芸は逃亡したため城は落城し廃城となった。
 結果を先に言うと、主要部にたどり着く前に大雨が降ってきてしまい、番所跡・馬場の北西側の曲輪群・主郭部北側の場所は行けずに下山しました。見所の1つである石垣は随所に残っていますが、猿馬場から主郭へ行った主郭南東側の切岸、切井戸周辺とそこまで降りるルート沿い、曲輪群の曲輪壁に多く残っており見応えがあります。岩盤を削った大竪堀や岩尾根の庭園跡等すべて巡れなかったが見所多い城跡です。いつか再訪して完全攻略します。

<満足度>◆◆◆

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

コダーマ

【究極の1枚】

覗きませんか?
狭間からの1枚です。
寄せ手を狙う視線を体感し、ゾクゾクしました。

+ 続きを読む

コダーマ

【究極の1枚】

姫路城天守からの1枚です。
屋根伝いにどこまでも駆けていけそうな。そして、城と町の境目が分からない。
さすが姫路城!スケールの大きさなお城だなぁと感嘆しました。
漆喰をこんなに近くで見られて感激。

+ 続きを読む

コダーマ

【究極の1枚】

「ひこにゃん」=「究極のかわいさ!」
大好きなひこにゃんのご登場にカメラ構えてハッスルするのですが、興奮のあまり手が震えます。
帰宅してから、ブレてない1枚を印字して彦根城の思い出を振り返るのです。
おお、まさに究極のかわいさ!

+ 続きを読む

コダーマ

【城と標柱】

大好きな彦根城に行ったんだ~~!というワクワクを思い出す1枚です。
周囲のみんな写真を撮って、大混雑でした。
彦根城とひこにゃんの組み合わせといったら、もう最高!

+ 続きを読む

コダーマ

【城と生き物】 (2018/11/07 訪問)

彦根城には厩があります。
お城の中に厩が残ってるのは珍しいそうで、往時を思いながらウロウロしてたら気付けば数時間。
天守も玄宮園も博物館もまだ行ってないのにと焦った覚えが…。
ほんとうに見どころ満載のお城です!

+ 続きを読む

肉球

その2 本丸〜肱川対岸へ (2022/04/06 訪問)

前回訪れたときに立ち並んでいた大きな欅の木が全て伐採され
見晴らしが良くなっていました。
桜祭り期間内でしたが既に花は散り平日という事もあり人出は少なかったです。
木造復元され20年近く経ちますが中に入り台所櫓や高欄櫓と比べるとまだまだ新参者。
木の匂いは薄れますがツヤツヤしてます。
お城南側と違い肱川側を散策すると複雑に石垣が組まれています。
お城の散策が済んだあとは肱川対岸からの見学をお勧めします。
土手の内側まで車で行けます。


+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

肉球

その1 駐車場から二の丸まで (2022/04/06 訪問)

宇和島城に続きニ度目の訪問でした。
少しでも安く済ませるためとお城に近い市民会館にある有料駐車場を避け
観光第一駐車場を利用しました。
この場所は藩校跡であり敷地内の隅に土蔵が残されています。
前回は見落としてました。
ここから大洲高校方面へ歩き高校グランド脇に外堀跡が僅かに残され石垣も確認できます。
堀跡であるグランド越しの三の丸南隅櫓と天守閣のアングルは定番。
お殿様公園内にある南隅櫓は内部も見学できます。
ここから天守閣を目指し二の丸部分に入ると下台所が現存。
失礼して建物の足元を覗かしてもらいました。
三の丸と二の丸部分は住宅街が広がり住宅裏手に石垣が結構残されています。


+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

富士山遠望と甲府・城旅 (2009/11/08 訪問)

 13年前平成21年11月上旬、富士山と甲府の城旅へ家内と出掛けました、夜明け前の富士山と富士に昇る太陽を見れたらいいなくらいの気持ち早朝浜松自宅を出発し、東名富士ICから国道139号線を甲府方向、精進湖湖畔で黎明の富士山を遠望、薄曇り状態で日の昇る姿は諦め甲府へ、女坂峠トンネルを抜けて国道358号線下って行く甲府盆地に抜ける辺りは私個人では三大桃源郷の一つと思ってる景勝です、桃の咲く頃は素晴らしい。(後は福島県伊達郡、長野県飯田盆地)
 山梨県考古博物館前を通って甲府城へ、車は以前山手渡櫓門が復元して直ぐに探訪した時に駐車した駐車場が穴場かなと思って居りましたので、山手渡櫓門の駐車場を利用。

 甲府城見学、家内と同伴ですのでサラッと稲荷櫓、稲荷曲輪西の高石垣、鍛冶曲輪内堀、遊亀橋辺り、山手渡櫓門桝形土塁に登って甲府城天守台、稲荷曲輪北面の城郭城塁を眺める、丁度中央線の列車入りツーショット写真、昼食は山手渡櫓門近くの中央線沿いに再開発整備されたレストラン、小店が揃い良い町並みを醸してる、イタリアンのレストランで頂く1時間の昼食タイム。
 甲府城をこの後少し訪ねる、日曜日ですが人では少ない。 この後平成25年には本丸鉄門が復元されてる。

 甲府城の後、2~3km程北の躑躅ヶ埼館、武田神社を訪ねる、車はやっとの事で武田神社専用駐車場へ駐める。

 躑躅ヶ埼館、武田神社は観光客、七五三始め参拝者で大勢の人で賑わって居ました、写真ポイントの武田神社神橋の入口石垣、石階段は人が多く次々の訪れ全体は撮れず左右の石垣を人を外して撮る、発掘調査整備された神社東門、躑躅ヶ埼館の大手門跡東に三日月堀跡、石塁の復元整備、更に東に土塁、堀の復元整備され史跡公園と成っている、人の居ない辺りを巡り西門虎口周辺の堀、土塁を見るが草木が茂り葉も茂り思うものが撮れない、天守閣台跡を探すが入れなかったか見つからなかったか確認していない。西門から西側の橋を渡って駐車場へ。

 帰路は来た道を戻り、朝霧高原道の駅で休憩、富士山が大きく見えますが靄っとしてハッキリした富士山写真に成りません、でも雄大に両側の稜線が分かり気持ち的にはままいいか❣
 日帰りのいい旅でした。
 いい写真が少なく、甲府城と躑躅ヶ埼館を纏めて甲府城で投稿させて頂きます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

消化不良感… (2022/04/09 訪問)

鎌倉初期に佐々木定綱の六男・佐保時綱が佐和山の麓に館を構えたのが始まりとされ、江南の六角氏と江北の京極氏(後に浅井氏)の境目の城として争奪戦が繰り返されました。戦国後期には小谷城の支城として磯野員昌が城主となっていましたが、浅井氏が朝倉氏と結んで織田信長から離反したことにより丹羽長秀らの攻撃を受け、8か月間に及ぶ籠城戦の末に開城。その後、本能寺の変までは丹羽長秀が、清須会議後は堀秀政が城主となり、羽柴秀次が近江入りすると八幡山城の支城として宿老の堀尾吉晴が入城し、堀尾吉晴が浜松城に移ると豊臣直轄領として石田三成が城代を務めましたが、秀次切腹事件を機に城主となって大規模な改修を行いました。関ケ原の戦いで西軍が敗れた後、東軍の攻撃を受けて落城。佐和山城は井伊直政に与えられますが、井伊直継が彦根城に居城を移したことにより廃城となりました。

佐和山の頂部を中心に多数の曲輪群を配した山城で、東麓には東山道や北国街道が、西麓には松原内湖に面した港があり、陸上と湖上の両交通を押さえる要衝にあたります。「佐和山を制するものは近江を制する」と言われるとおり、信長が丹羽長秀を、秀吉が石田三成を、家康が井伊直政を城主としたことからもこの地の重要性が窺えますね。

西麓の無料駐車場に車を駐め、龍潭寺を抜けて登城開始。ハイキングコースを10分ほど登ると佐和山城北端の堀切(かもう坂通り往還の切通)に着きます。直進すれば東麓に至るはずですが、切通の看板には「私有地につき決められたルートをお通りください」とあり、右への矢印が示されているため本丸方向に進むしかなさそうです。また「個人的な調査はご遠慮下さい」ともあり、ルートを外れて探索するなってことでしょうか。

指示通りに進むと、南北三段の西の丸に至ります。下段曲輪の北辺と西辺には土塁がめぐり、北西部には用途不明の大きな土坑があります。東部には説明板が建てられ、東下の水の手まで竪土塁が続いているようですが、藪化していてよくわかりませんでした。中段から上段に続くルート沿いには西斜面に落ち込む三条の竪堀があり、そのひとつをたどれば西の丸から北西にのびる支尾根の曲輪群に至る…はずですが、堀底道は2本の倒竹を渡して封鎖されていて、やはり「ルートを外れるな」ということなんでしょうね。

西の丸から約5分で山頂の本丸に到着です。彦根築城の際に破却され部材も運び出されたため、往時の痕跡はほとんど見られませんが、折しも桜が満開で多くの花見客で賑わっていました。また、本丸からはほぼ全周に眺望が開け、西方向には彦根城天守が金亀山の桜の海に浮かんで見えました。本丸から大手方向に下りて行くと南東下にわずかに破却を免れた隅石垣があり、隅石垣の西には千貫井がある…にはあるんですが、倒木により祠も石碑も説明板も倒壊していました…。千貫井から関ケ原後の落城時に城内の女たちが身を投げたと伝わる女郎谷の脇を抜けて、太鼓丸と法華丸に行く…つもりが、太鼓丸に続く尾根道はトラロープで封鎖されていたので、やむなく太鼓丸手前の竪堀を確認して探索終了としました。

「三成に過ぎたるもの」とうたわれた天下の名城ですが、破城により遺構がほとんど見られない分、せめて二の丸や三の丸、太鼓丸に法華丸など隅々まで見て回ろうと思っていただけに、ルートを外れて探索できないのは何とも物足りなく消化不良感が残りました。私有地を見学させてもらえるだけでもありがたいことなのは重々わかってるんですけどね。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

まさかの大汗 (2021/12/31 訪問)

どこかのクイズ番組で「岡崎城のしかみ家康像」を見事に言い当てたのだが現地で像が見つからないというまさかの展開に大慌てしたのは内緒。見つけた時にはほっとするやら脱力するやら。

+ 続きを読む

にのまる

【城と看板】

この小さな矢印↗がこれまでにどれだけたくさんの人を救ってきたことかと!!

+ 続きを読む

ページ840