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蒼崎瀬良助

布施台城(伝千葉広常の城)【城びと未登録の中世遺構】 (2022/11/13 訪問)

まず初めに【超重要】
一般のご家庭の敷地なので勝手に入らないでください。城址内で生活されており勝手な侵入が増えていてとても迷惑しているそうです。登り口付近では別の方が酪農を営まれています。一般人の牛舎などへの侵入は牛の病気を招きます。絶対に避けてください。こうしたモラルを守れない方が増えればいずれ誰も近寄れなくなるでしょう。

<本文>
千葉県いすみ市下布施にある千葉広常の城と地元では口伝されている布施台と呼ばれた舌状台地とその後背の山を要害したとした中世遺構です。布施台は前布施台と奥布施台に分かれ、奥布施台の方が目視で3-4mくらい高いように見えました。遠目に見て台地基部は切岸にみえますが近寄ってみるとこの地域でよく見受ける地層が出ていて天然の地形である可能性が高いです(写真は牛が写っているのであげられない)。布施台北西に非常に高い土塁と折れた深い堀が残っているとされていますが、藪が成長しすぎて全く目視確認することはできませんでした。山の要害部にも若干の石垣が見受けられ西の端は切岸と横堀もあるようですが、現在は激藪化して地元の方も近寄れないそうです(イノシシブヒブヒランド)。
パッと見た感じでは鎌倉時代の城郭遺構にしてはデカすぎる(というか鎌倉時代の城って見たことある?)。そして過去に見分された方のレポートを見るに戦国期にだいぶ改修されている感がある。周辺に根小屋や堀ノ内などの地名が残っており中世城郭関係の遺構であることは間違いないのだけれどなんだかモヤッとした感じがする史跡でした。

ここが千葉広常の城だというのは房総志料か房総叢書にそうした記載があって、江戸時代に江戸から来た役人が「ここは上総介の城」って言ったことが元ネタみたいです。多くの人はそれは役人の誤りだと書く人がいますが現在は消失したけれど江戸時代までは現存していた史料もあったかもしれませんし、そうした意味でも江戸時代の人が「上総介の城」というんですから千葉広常のお城でいいんじゃないでしょうか?

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ニコ・ロビン

松( ・᷄ㅂ・᷅ )阪 (2018/07/05 訪問)

松阪( ・᷄ㅂ・᷅ )ギュー
蒲生氏郷の城🏯
高く立派な野面の石垣が本丸 二の丸を包み、見るからに堅牢な城
天守は台風で壊れたが、元は安土の様な豪華な城がそびえていた。
すごかー
あとは松阪牛か( ・᷄ㅂ・᷅ )満足

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ばばよ

6月末だと草木がいっぱい (2022/06/26 訪問)

6月末だとだいぶ草木が茂っています。
空堀などよく観察したい場合は晩秋の方がよさそうです。

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にのまる

城跡の石碑の重み。 (2022/10/23 訪問)

バス停から中学校の裏へまわり広い畑を見渡していると、写真①のところに道しるべらしきものが。東幼稚園正門向かいの坂道を下り、案内に従って進みました。

畑の中に佇む城址碑はこのあたりのどこか正確な場所はわからないけれどその城が確かに存在したことを証しするもの。過去から未来へ歴史を繋ぐバトンなのだと思いました。

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ニコ・ロビン

ニンニン( ・᷄ㅂ・᷅ )伊賀上野 (2018/07/05 訪問)

ニンニン( ・᷄ㅂ・᷅ )
伊賀上野は、築城名人藤堂高虎が築いた名城
当時は5重の大きな城の予定だけど、未完成だったらしい
でも今の天守は、カッコいいから良いなぁ
伊賀上野といえば、石垣!
日本一、二位の高さっていい

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BUCHI38

近江八幡城から思ったよりも遠い… イオさんありがとうございます。 (2022/10/23 訪問)

近江八幡城を終えて、北之庄城に行きました。北之庄城は六角氏が信長と敵対している際に観音寺城の支城として築いたお城です。
早速行こうとしましたが行き方が分からず城好きの友人(Y.K. 城びとに参加してます)と相談しました。いろいろ調べましたが結局分からず、城びとを見て投稿を見たときに、イオさんが北の丸から行かれたと書いてあったので、北の丸へ足を運びました。イオさんの投稿がなければ行けませんでした。ありがとうございます。北の丸から行こうとした時、初っ端から落ちそうになり、何度も何度も友人が「戻った方がいいんじゃない」と言っていましたが、結局30分くらい歩きました。そしたらやっと北之庄城の看板があったのでホッとしました。そこから登ったり、降りたりを繰り返していたら堀切を二つ見つけました。土橋のようなものも一つ見つけ、城の面影が感じられました。その後展望台から観音寺城と琵琶湖を望んだ後、力を振り絞って降りました。15分以上歩いたらやっとゴールが見えたのでよかったです。なかなか人もいなかったので不安ではありましたが、堀切が見れたので嬉しかったです。

評価
遺構★★
行きやすさ★
全体★★

攻城時間
1時間くらい

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BUGTI

立派な土塁が残る館跡 (2022/11/10 訪問)

住宅地の中でありながら、これだけの土塁が残っていたことがすばらしい。墓地として使われていたことも幸いだったと思われる。土地の高低差からも濠跡の痕跡が良くわかるし、整備は良いが現状のままでも十分と思える館跡だと思います。

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ryu

永山城探訪 (2022/09/24 訪問)

釈迦岳登山の帰路、訪城。本丸の石垣は熊本地震で被災後、復元されたらしい。

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BUGTI

益田氏の居城 (2022/11/10 訪問)

東西の二つの尾根に多数の曲輪があり、それに挟まれた谷には家臣屋敷があったとされているが、それを想像するとかなり大きな城だったことがわかる。二つの尾根の先まで行って帰るだけでも大変で、見学するには効率が悪い。藪に阻まれて尾根の先端部まで行くのは断念したが、必要なところにはロープが張られているなど最低限の整備がされているのはありがたい。

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ryu

都之城訪問 (2022/10/14 訪問)

志布志城から車で50分くらい。駐車場の西に「脇戸付櫓門」が建てられている。
本丸跡には城郭風建築の「都城歴史資料館」(表記番地)が建てられ、広場となっている。

時間が足りず、急ぎ足で櫓門から本丸まで歩く。

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ryu

志布志城探訪 (2022/10/14 訪問)

飫肥城より車で55分。まず、志布志市埋蔵文化財センターで内城跡復元模型と案内ビデオを見て、城内マップ等を入手し、志布志小横の観光駐車場に車を停める。
散策コースマップのおススメ散策コースに沿って歩く。大手口~矢倉場~空堀~中野九尾~大空堀~本丸(曲輪3上段)~曲輪3下段~大手口
本丸南側の2つの曲輪間の空堀は台風被害で通行止めとなっていた。

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イシテル

現存する唯一の砲台跡 (2022/11/10 訪問)

神戸市和田岬の三菱重工神戸造船所に残る唯一の現存砲台跡。
工場の正門で集合時間まで待っていると、スタッフの方がバスを乗付け砲台跡まで移動させて下さいました。
砲台外での写真撮影は一切禁止で外観撮影は出来ませんが、内部の撮影は可能です。
砲台跡の到着後は、スタッフさんのご説明を聞きながら見学をさせていただきました。
説明の中に「この砲台が完成して直ぐに明治維新となり、実際は大砲を置くこともなく、一度も使われなかった」とか。
また、「西宮砲台で試射したが、砲台内が煙で充満しその後は撃つことが出来なかった」との話もあり、使われなかったが、実際も使えなかったようです。
三菱重工神戸造船所のご厚意とスタッフの方々のご対応に感謝致します。

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ryu

飫肥城訪問 (2022/10/14 訪問)

宮崎空港よりレンタカーで移動。約40分で飫肥着。城下の小村寿太郎記念館、豫章館を見た後、大手門より城内に入る。飫肥城歴史資料館でスタンプを押し、展示資料を見学後、松尾の丸御殿、旧本丸と見てまわる。城内は翌日からの飫肥城下まつりの準備で、大手門前の照明の飾りつけや元禄6年(1693)に完成した本丸跡である飫肥小学校のグラウンドではイベント会場の設営があっていた。

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イシテル

残る石垣(破城)が歴史を語る山城 (2022/11/12 訪問)

隣県の鳥取県まで遠征しての城廻。
城址後のある山頂付近の駐車場で車を停め、100mほど歩くと馬場へ到着。
未舗装ですがここでの駐車も可能です(車道も未舗装)。
馬場を過ぎると直ぐに堀切が現れ、しばらく進むと本丸の石垣下に到着。
この石垣の下を回って、二の丸、三の丸と続き、二の丸から階段状にある本丸の石垣の間を上がります。
本丸に上がると若桜の山々が見渡せ、紅葉で染まる絶景が心に沁みました。
本丸、二の丸、三の丸では破城跡の崩れた石垣が残り、戦国から一国一城令で廃城となるまでの歴史を語っているようです。
崩された残る石垣に寂しさも見られますが何故か落ち着いた気持ちになり、とても歴史を感じる山城です。

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ぴーかる

中世総構え編 (2022/10/08 訪問)

【百名城62城目】
<駐車場他>城山陸上競技場の南側<35.253790, 139.145827>の駐車スペースを利用
<交通手段>車

<見所>小峯御鐘ノ台大堀切・三の丸外郭新堀・総構稲荷森
<感想>1泊2日ついに小田原攻めの旅3城目。中世の外郭遺構と近世城郭が並存する大城郭なので今回は2回に分けて投稿させていただきます。
 初日に石垣山城のあと夕刻の暗くなるまで時間が余ったので前倒しして大堀切・総構えを巡り、残りを2日目の早朝に北条氏政・氏照墓所・東曲輪などを巡りました。
 1日目:上記スペースに駐車して徒歩で巡りました。三味線堀→三の丸外郭土塁→小峯御鐘ノ台大堀切東堀→小峯御鐘ノ台大堀切中堀→小峯御鐘ノ台大堀切西堀→総構香林寺西土塁→総構稲荷森→総構山ノ神堀切・西堀→総構土塁遺構
 2日目:三の丸土塁遺構→北条氏政・氏照墓所→小田原駅前の北条早雲公像→八幡曲輪石碑(城山中学校が八幡曲輪か?)→八幡山古郭東曲輪→古城本丸跡は住宅地になっていて何もない。小田原高校を含む一帯が詰め城主郭部分と思われます。→小田原城の北西側小田原停車場線から右回りに周囲を巡りホテルに戻りチェックアウトして近世小田原城に突入しました。

 勘違いしていたのが総構えの堀や小峯御鐘ノ台大堀切は外郭のでっかい堀があるだけだと思っていましたが、大堀切の名だけあって堀切、土塁の内側に広い曲輪が広がっていました。1つの堀切に1つの城郭に相当する規模で圧倒され感動です。このスケールでは力攻めで落とせるわけないなと実際見てわかりました。つづく・・・

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サボテン

夕日に照らされて 一段と漆の色が生えます (2022/09/14 訪問)

念願の松本城へ行ってきました。天気が良く、ゆうひに照らされて 外壁がとても美しかったです。

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侍ホリタン

2022年秋、紅葉の名城を訪ねて② (2022/11/12 訪問)

姫路城のこの時期は桜の紅葉が最盛期を迎えます。

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橋吉

織田信興最期の地 (2022/10/30 訪問)

古木江城は、伊勢長島の一向宗の抑えとして永禄年間に織田信長の4番目の弟・織田彦七郎信興によって尾張国海西郡(現在の愛知県愛西市)に築かれました。

「道の駅立田ふれあいの里」に隣接する川を挟んですぐ西にある富岡神社は城の鎮守として置かれたと考えられています。
クルマ数台とめられるスペースはありますが、道が狭く舗装されていないので、クルマの運転に不慣れな方はもちろん、二輪車でもダート走行が不安な方は、道の駅に駐車して歩いて来られるのがよろしいかと思います。

鳥居横に史蹟碑と案内板が置かれています。
神社の北には蓮田があります。
このあたりは蓮根栽培が盛んなことに加えて、近年はその美しい花を観光資源として売り込んでいます。
当時、蓮田があったかどうか分かりませんが、存在していれば馬や兵の進行を足止めするのに一役かったと思います。

神社の周囲は、数段の石垣が囲んでいますが、近年土止めとして設けられたものであり、遺構はまったく見つかりませんでした。
それどころか城の範囲も不明だそうです。

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kaz

御城印目的の駆け足旅

今回で3回目か??

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朝田 辰兵衛

散策時間は5分もいらないが… (2022/11/03 訪問)

散策時間は5分もいりませんが,景観に馴染みすぎており,遠景ではなかなかわからないと思います。遠くからだと,パネルが目立ちますので,しっかり記憶されたほうが宜しいかと思います。

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