城びと登録の城で東三河にぽっつんと1城未踏に成ってる雨山城を含めて、天気も良く三河未踏の城廻りと出掛けました、雨山城へは東名豊川ICからのアクセスが良さそうなので県道334線を北上、途中先の大雨で路線崩落区間が在り来春まで通行止めとの工事告知閉鎖されており、迂回路案内も有りましたが良く分からず、次の登城目的地である、西大平陣屋を目指しました。
西大平陣屋住所:愛知県岡崎市大平町西上野95(グーグルマップを見て頂けれが史跡マークで表示されて居ます)
駐車場は基本的になしですが、ナビ進行間違えて男川小学校南門前の駐車場に着き駐車利用(日曜日グラウンドゴルフシニアー方々が駐車していた)。
男川小学校南門から小学校外周路地を北に回り込み陣屋裏の竹垣根を北、西、南に回って、西大平陣屋西に面した陣屋門立派な高麗門、門の右に西大平藩陣屋跡の看板が懸ってる、黒下見板張りの屋根付き土塀が西面と南面に構えてる、南面端に冠木門の南門が復元されて居る。(ネットのウィキペディアを調べると2010年2月高麗門、土塀の復元、2013年4月西大平藩陣屋跡看板設置と出て居ました)
10年前ごろから大岡越前守陣屋・西大平藩陣屋の高麗門、黒下見板張り土塀の写真が城郭放浪記さんなどで見受けられていましたので是非一度探訪したいと思って居りました。
内部には案内板、領地を表した円形地図公園、井戸跡、大岡稲荷社、北隅にトイレ完備、北と東は竹垣根。
歴史は皆さんご存知の南町奉行大岡越前守忠相の西大平藩を旗本から1万石の大名に取り立てられ寛延元年(1748年)立藩、この地を治めるにあたり陣屋を置いた、この後忠相は大名に成って3年後の宝暦3年(1751年)に死去、大岡家が7代引継ぎ明治を迎える。
大岡家は定府大名で江戸常駐、当陣屋には郡代1人、郡奉行1人、代官2人、手代3人、郷足軽4、5人程度であった。(案内板抜粋)
情報源は城郭放浪記さん古城盛衰記さんウィキペディアさんグーグルマップに依ります。
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