松江城下の偉人と言えば小泉八雲が有名だが、若槻礼次郎生誕の地でもあり三の丸には胸像もある。生誕地である雑賀町には碑が建立されているが、現在は古いアパートになっていることに驚く。その他、城下には民法典論争で有名な法政大学の設立にも寄与した法学者の梅謙次郎生誕地の碑もある。また、亀田橋付近の濠端には芥川龍之介や志賀直哉が住んでいたこともあり、案内板が設置されている。ちなみに、白潟公園には川路利良と対峙した玄丹おかよの像があり、幕末の松江藩が難しい立場であったことを物語っている。
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2022/11/18 13:56
若槻礼次郎生誕の地 (2022/11/15 訪問)
松江城下の偉人と言えば小泉八雲が有名だが、若槻礼次郎生誕の地でもあり三の丸には胸像もある。生誕地である雑賀町には碑が建立されているが、現在は古いアパートになっていることに驚く。その他、城下には民法典論争で有名な法政大学の設立にも寄与した法学者の梅謙次郎生誕地の碑もある。また、亀田橋付近の濠端には芥川龍之介や志賀直哉が住んでいたこともあり、案内板が設置されている。ちなみに、白潟公園には川路利良と対峙した玄丹おかよの像があり、幕末の松江藩が難しい立場であったことを物語っている。
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2022/11/18 12:26
水の手門に見応えあり (2022/11/14 訪問)
一般的には大手門から一ノ門経由で本丸に入り、天守に登って同じルートで帰るのだろうが、北ノ門から本丸を出て水の手門を抜け、中曲輪から本丸石垣越しに天守を見上げると、また違った松江城が楽しめる。特に、水の手門の遺構は見応えがあり、これを見逃すのはもったいない。その後は二の丸で櫓見物をしてから南門を出て千鳥橋を渡り、三の丸経由で各々の銅像をチェックして大手門に戻るのがオススメルート。
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2022/11/18 08:08
石垣散策マップ (2022/10/15 訪問)
仕事で近くに来たついでに和歌山城へ。今回のお題は、和歌山城のホームページでダウンロードできる「石垣散策マップ」(http://wakayamajo.jp/pdf/ishigakimap.pdf)です。和歌山城の石垣は豊臣・桑山期、浅野期、徳川期でそれぞれ特徴が異なっていますので、石垣散策マップを片手にめぐってみました。
① 天守台石垣
天守台の石垣は羽柴秀長による築城時に積まれた最古の石垣で、結晶片岩による野面積みです。随所に転用石も見られ、写真では石落とし直下の白っぽい石が転用石(たぶん宝篋印塔)です。
② 新裏坂下の石垣
浅野期に積まれた和泉砂岩による打込接ぎの石垣です。新裏坂下の石垣には様々な種類の刻印が施されています。
③ 砂の丸の高石垣
徳川頼宜が城主となった際の大改修で設けられた砂の丸の高石垣は、和泉砂岩による打込接ぎです。
④ 鶴の渓の石垣
天守曲輪北麓の鶴の渓の石垣は、豊臣・桑山期の結晶片岩による野面積みで、天守台石垣と比べて巨大な石が用いられています。
⑤ 不明門跡付近の高石垣
徳川期の高石垣で、隅角部に熊野地方産の花崗斑岩、その他は和泉砂岩を用いた切込接ぎです。非常に精緻に積まれています。
⑥ 松の丸櫓台石垣
不明門と同じく徳川期の石垣で、隅角部に花崗斑岩、その他は和泉砂岩を用いた切込接ぎです。こちらも見事な高石垣です。
⑦ 一中門跡の石垣
徳川期に積まれた花崗斑岩による切込接ぎの石垣で、多角形に加工した石材による亀甲積みが見られます。
⑧ 石垣の変遷がわかる場所
松の丸下の豊臣・桑山期の結晶片岩による野面積みの石垣に、徳川頼宜の大改修で設けられた南丸の門の和泉砂岩による打込接ぎの石垣が接続されている様子がよくわかります。
⑨ 石材の変わり目
一中門跡の⑦の反対側の石垣も徳川期の切込接ぎですが、途中で石材が異なっており、向かって左側には花崗斑岩、右側には和泉砂岩が用いられています。よく見ると真ん中あたりで五角形の花崗斑岩が和泉砂岩側(右側)に食い込んでいるのがわかります。
⑩ 石垣を後世に伝える
西の丸西側石垣は浅野期の和泉砂岩による打込接ぎですが、長い年月の中で劣化していたのを平成29年から令和元年にかけて修理しています。これからもこの和歌山城の石垣を後世に伝えていっていただきたいものです。
「石垣の博物館」と呼ばれる金沢城には及ばないまでも、和歌山城の石垣もなかなか見応えがありますので、ご来城の際にはぜひ!
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2022/11/18 06:48
日本遺産③ (2022/11/03 訪問)
日本遺産「日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島」の構成資産の城、3城目はしまなみ海道の中で本州に一番近い向島の余崎城です。この城は城を示す表示が全く見当たりませんでした。恐らく私有地で所有者の許可が得られていないのでしょう。入り口がバリケードで塞がれているその先の祠の脇から石段が続いていたので登ってみましたが途中で道が分からなくなっていました。
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2022/11/18 00:05
まさかのニアミス− (2022/10/23 訪問)
大雄山駅から徒歩で50分。
周辺は小さな集落で道は細く駐車場もありません。
林道沿いに踏み跡があったのでそこから踏み入ると主郭部に着きます。
朽ちた小屋の先に進むと竪堀が二条。
ここが見どころでしょうか。
ただし当時の遺構かどうかは定かではなさそうです。
で、先日のにのまるさんの投稿を拝読しびっくり!
同じ日の攻城だったようです。
私は午前中の登城、他に訪れる人もいなく。
メジャーな城ならともかくここに同じ日に登城とは!
お会い出来なかったことが逆に残念な気がしています。
このあと私も波多野城へ、これまたニアミスだったようです。
神奈川県は先にコンプリートしたいかな?
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2022/11/17 20:30
いよいよ西北隅櫓へ。 (2022/11/06 訪問)
さていよいよ目的の西北隅櫓を見に行きます。西北隅櫓は清洲城から移築したと伝わっていますが、実際は違うそうですね。
今回は正門から出て西へ行き、市役所駅まで水堀を通って行くルートにしました。歩いて行くと、水堀がとても綺麗でした。高石垣も多くワクワク。しばらく歩いてみると石垣から天守がひょこっと出てきました。結構綺麗な写真が撮れました。(写真1)。
そしてさらに歩くと西北隅櫓が見えてきました。初めて見ましたが、美しかったです。他の櫓二基とも形が似ていましたが、少しずつ違ってて面白かったです。そしてさらにさらに歩いて、名城公園を通り、大きな天守を公園から写真を撮りました。結構興奮していたものの、歩く道のりが思ったより長くて疲れてきました。
高石垣は勾配の効いたものが多く、どれも美しかったです。
やっとのことで市役所駅に辿り着きました。結構疲れました。
名古屋城は終わりです。ありがとうございました。
評価
遺構★★★★★
建物★★★★
行きやすさ★★★★
全体★★★★★
攻城時間
1時間過ぎるくらい
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2022/11/17 20:15
2022/11/17 20:06
今井陣城 (2022/10/09 訪問)
【今井陣城】
<駐車場他>駐車場はなし。近辺に駐車する場所が見当たらなかった為コンビニに買い物して駐車しました。
<交通手段>車
<感想>1泊2日ついに小田原攻めの旅4城目。今井陣城は秀吉の小田原城攻めの際に徳川家康が陣を張った場所です。1836年に小田原城主大久保忠真がこの石碑を建立しました。現地説明板に家康は3万の軍を率いていたそうですから現在のここの寿町一帯全部陣で埋め尽くしていたことでしょう。
<満足度>◆◇◇
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2022/11/17 19:27
番外編、『源 実朝の歌碑』『鶴岡八幡宮の大銀杏』の巻き。 (2022/11/13 訪問)
皆さん、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、ご覧になってますか?
唐船を建造させる実朝さん。
鎌倉の『由比ヶ浜』から『稲村ヶ崎』辺りです。
船が重く進水する事が出来なくなってしまい、朽ちていく船。
実朝さんの夢が残念な結果になってしまいました。
『由比ヶ浜』は海水浴に よく行きました。遠浅のイメージなのですが、唐船は海まで行っても浮かんだのでしょうか?浜も今とは違うのかな?
『鶴岡八幡宮』から真っ直ぐ海に向かうと、『由比ヶ浜』です。右に曲がり『稲村ヶ崎』方面へ。
15分位、歩くと左手(海側)に『鎌倉海浜公園』があります。その中に船形の『源 実朝の歌碑』が進水を待ってます。
「世のなかは つねにもがもな なぎさこぐ
あまの小舟の つなでかなしも」
漁師の日常を詠み、世の中が常に平和であって欲しいと実朝さんは願いました。
ドラマ予告では『鶴岡八幡宮の大銀杏』から現れる公暁さん。
実朝さん、ピンチ。
『鶴岡八幡宮』では、結婚式や七五三で皆さん幸せムードだったので、暗殺やら殺害現場なんて会話できません。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』も大詰め。
歴史は変えられないけど、、、、。実朝さんの夢が実現し、喜ぶ姿が見たいと思いました。
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2022/11/17 16:48
2022/11/17 16:37
神護寺より (2022/11/17 訪問)
神護寺多宝塔の横から裏の山へ向かい、赤いドラム缶のある場所で左へ行くと文覚上人と性仁親王の墓があります。その裏に進むと段々となった削平地があります。道は概ね整備され比較的歩きやすかったのですが、城域は倒木、シダ類等により散策しにくいところもありました。見どころは主郭背後の堀切だと思いますが、中央の土橋に倒木があり少し残念な状態でした。堀切を超えると平坦地が続き、もう一つ浅い堀切があります。主郭周囲にも曲輪が展開しています。縄張り図を見ると竪堀があるようでしたが、シダが茂っていて確認できませんでした。
当城跡の最大の特徴は、山腹の神護寺と近接している点にあり、寺院と城館の関係性の大きさを文献史料からも裏付けられる点が重要(京都府教育庁 文化財保護課)とのことです。
京都駅からJR西日本バスに乗り「高雄」バス停下車し神護寺へ行きます。拝観料を払い奥の多宝塔の裏から登城しました。紅葉シーズンであり多くの人が神護寺には訪れていました。城跡には誰もいませんでした。
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2022/11/17 11:56
【島津VS大友:最終決戦の城巡り】 (第12回)鶴崎城 (2022/09/25 訪問)
(高崎山城②からの続きです)
「鶴崎城」は、現在は鶴崎小学校と鶴崎高校の敷地になっていました。小学校の校庭の中に石碑と案内板があり、ここに城があった事を伝えていました(写真①)。江戸時代には熊本藩の加藤・細川氏の所領(御茶屋)になっていたようで(写真②③④)、細川氏は参勤交代の時、阿蘇久住の山々を越えてここから船に乗り換え江戸まで渡っていたようです(写真⑤)。また幕末には、長崎から京都へ向かう途中の勝海舟と坂本龍馬もここに立ち寄り、この道で将来を語り合ったとの事です(写真⑥:鶴崎高校の横にある「思索の道」)。
戸次川(へつぎがわ)の合戦で勝利した島津家久は、それから大友館を目指しますが、この時「伊集院久宣」らの3,000を別動隊として「妙林尼」(みょうりんに)が守る鶴崎城へと向かわせました。
この妙林尼の夫は、耳川の戦いで戦死した吉岡鑑興で、夫を奪われた島津には相当な恨みを持っていました。城主である子の吉岡統増は、大友宗麟を守るべくすでに臼杵城に入っており、この時の鶴崎城にはわずかな兵しか残っていませんでした。しかし、妙林尼は鎧に陣羽織、鉢巻きに薙刀の巴御前を思わせるような装束で家臣たちを鼓舞します。そして、城の周りを二重三重の堀や柵で囲み、さらに無数の落とし穴を作り、落ちた者を見て立ち往生した者をまた鉄砲などで狙い撃ちにするなどしたので、島津軍は16回も攻めますがなかなか落とす事ができません。しかし最後には、妙林尼は和睦を受け入れ降伏し開城します。
でも、話はここからです!
降伏した妙林尼は、降伏の証として島津軍を招待し、酒と馳走と美女で接待します。長い戦で疲れ果て勝利ももはや目前であったため気がゆるんだのか、島津軍はこの歓待を大変喜び受入れました。そして美女たちとの宴会も終わり泥酔して陣へ戻ろうと乙津川(おとづがわ)までさしかかったその時、隠れていた鉄砲隊が現れ一斉射撃! そして先ほどまで接待していた美女たちが何と薙刀(なぎなた)を持って現れさらに追撃! 伊集院久宣を始め300名以上もの多くの武将が討ち取られ戦死したようです。乙津川の河畔には久宣の墓や合戦場の碑や戦死者を祀る千人塚がありました(写真⑦⑧⑨⑩)。実はこの美女たちとは、同じく耳川の戦いで夫を亡くした後家たちでした。妙林尼と後家たちは、見事に島津への恨みを晴らしたのでした!(お~恐!😱)
では私もこれから家久軍が向かう最終決戦の地、臼杵へ向かいます。
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2022/11/17 07:17
2022/11/16 21:46
民家の脇から (2022/10/23 訪問)
大雄山線の岩原駅から徒歩で10分で八幡曲輪跡の八幡神社に着きます。
土塁が残り、奥に進むと浅くなっていますが空堀も残っています。
さらに5分ほど歩くと民家の脇に案内板がが。
先人様も仰るように入りにくい。
でも再訪なので進んで行きました。
説明板があるところは西物見曲輪のようですが周辺は畑と民家となっています。
大森氏の居城でしたが北条早雲の小田原城奪取の際に落城しました。
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2022/11/16 21:43
東京に残る土作りの名城 (2022/11/16 訪問)
京王八王子駅の4番バス停から西東京バスに乗車し、滝山城址下バス停で下車。(30分程度)
バス停付近に、案内板が設置されており、パンフレットが用意されています。
バス停近くの入口から入り、大手口(天野坂)から登城
空堀や土塁、馬出、虎口などの遺構が多く残り、案内板も多く設置されていて分かりやすいです。
スタンプは中の丸にて押印
中の丸のトイレには、バス停の時刻表が掲示されています。
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2022/11/16 19:35
2022/11/16 17:11
2022/11/16 16:23
名古屋城 続き (2022/11/06 訪問)
さて旧ニ之丸東二之門を見終わった後、天守へ向かいました。この日は綺麗な青空で若干夕日に染まった名古屋城が綺麗でした。ウキウキしながら写真を撮ると、写真に謎のものが映ってしまいました。左上に太陽でも月でもない白い丸がありました(写真1)。写真を撮った時は気づかなかったのですが、カメラの写真を見返したから判明しました。
それから天守台を観察して不明門へと足を運び、西南隅櫓を見ました。名古屋城の天守から西南隅櫓まで元は多聞櫓があったそうです。今は木が生えているだけですが、もしここに多聞櫓が今もあったら素敵だったと思います。見たかった。その後、正門へ向かい、御目当ての100名城スタンプを押して、正門を出ました。その後西へと向かい、水堀へと向かいました。
ちょっと投稿が短いですが、続きは次の投稿で 続く
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2022/11/16 08:09
二条御池城(京都市中京区東玉屋町) (2022/10/02 訪問)
二条御池城(城びと未登録・二条御新造、二条殿とも)は、織田信長が京での宿所として二条良基の邸宅を改修して築いた城館で、本能寺の変では織田信忠が妙覚寺から移って籠城するも、奮戦及ばず信忠は自害し、二条御池城も焼失しました。
現在は市街地になっていて遺構は消滅していますが、室町通沿いに「二条殿御池跡」の石碑が、両替町通沿いに「此附近二條殿址」の石碑が建てられています。また、江戸期にはこのあたりに金座や銀座が設けられており、両替町通沿いにそれぞれ石碑が見られます。
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