「古代の水洗トイレ」で一躍有名になったが、厳密にいうとこのトイレ、秋田城の外郭線より外、すなわち城域外(城下)にあるんだなということに今さらながらに気が付いた。何しろ広い公園なのだ。
+ 続きを読む
検索結果・・・「」を含む投稿
2022/11/21 22:57
とにかく広いのである (2022/05/03 訪問)
「古代の水洗トイレ」で一躍有名になったが、厳密にいうとこのトイレ、秋田城の外郭線より外、すなわち城域外(城下)にあるんだなということに今さらながらに気が付いた。何しろ広い公園なのだ。
+ 続きを読む
♥ いいね
9人が「いいね」しています。
2022/11/21 20:02
国宝の条件 (2019/12/02 訪問)
松江城2日目は北側から攻めてみました。前回は殊更に実戦仕様と強調しましたが、こちらは比較的手薄な印象を受けます。(2019年12月)
虎口は南と同様、外枡形の厳重な構えですが、内堀沿いの二の丸下の段の石垣は、横矢掛はあるものの、櫓を伴わない防衛線。下の段は米蔵があった程度で基本的に空き地だったと聞いています。あとは北と西に腰曲輪が点在。ちなみに三の丸もありますが、水堀を隔てて南側に独立しており、通らなくても登城できることから防衛機能を果たしているようには見えません。
つまり、松江城は本丸防衛に特化(偏重?)しているということでしょうか。だとすると、それはなぜでしょうか。
ひとつ考えられるのは過渡期の縄張りだからという点。大坂戦役を控えた雰囲気のなか、天守には過剰防衛が施されましたが、残りは後回し。そのうちに徳川安泰の世に入り、実戦の城から文化拠点へ変貌を遂げた、といったところでしょうか。
国宝を含む現存天守に共通して言えるのは、幕末の内乱や昭和の戦災で「焼け落ちなかった」ということ。地政学の中心から微妙に外れていたり、落ちてきた焼夷弾がたまたま不発だったりと、結構な強運を備えていたようです。そんなことを考えながら登城すると、その趣はまた少し変わるかもしれません。
+ 続きを読む
♥ いいね
11人が「いいね」しています。
2022/11/21 19:50
塩貝城 (2022/10/16 訪問)
【塩貝城】
<駐車場他>探した限りでは駐車場がないようです。<35.188292, 135.469906>に集会所がありますので断りを入れて停めさせてもらう。一応田んぼのある道路脇が比較的広い場所はあります。
<交通手段>車
<見所>土塁・竪堀
<感想>日帰り丹波の黒豆購入と城攻めの旅1城目。今シーズンの山城始めの1城目。塩貝城の築城時期は定かではありません。主郭にある説明板には戦国時代には塩貝晴道は丹波の波多野氏に従い天正7年に明智光秀に攻められ落城しました。晴道・晴政共に将監を名乗り、麓に塩貝晴政(将監)の墓碑があります。
登城口はちょっとややこしいので説明します。<35.190006, 135.471113>のポイントに塩貝将監の墓の入口がありますので奥に進んで獣よけの柵の内側に将監の墓があります。横にゲートがありますのですぐ中には入れます。墓参りをしてそのまま道なきを直登しても行けます(私は間違えてしまった)が、やめたほうがいいでしょう。一旦柵を出て柵の外側の柵沿いに民家を回り込むように行くと<35.189789, 135.471738>辺りの地点にもう一つゲートがありますのでそこから入ると山道があります。道を登り切った尾根上が鍛治屋敷と塩貝城の中間地点に出ます。
鍛治屋敷の方は単郭で土塁囲みになっています。現地縄張り図には曲輪の奥が鉤状の土塁になっているようなのですが、かなり薄くなっていてよく分かりません。鍛治屋敷跡から少し麓の眺望が見えます。城跡の方は北側の尾根から行くと主郭手前に大堀切があり両サイドに3条づつくらい大竪堀があります。見応えあります。堀切から主郭北側下段にあたる曲輪の切岸も高い。主郭は広く北と南にそれぞれ虎口があるようで南の虎口主郭東側に取り巻く腰曲輪に繋がります。南東隅にある東胡麻城へ通ずる切口(虎口かどうかわからない)にも大きな竪堀があります。なかなかいい城跡でした。
今シーズンの山城始め、少し早くてまだ雑草が青々としていましたが、やっぱり山城はいい、好き。
<満足度>◆◆◇
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
2022/11/21 19:49
2022/11/21 16:14
2022/11/21 16:10
2022/11/21 16:03
2022/11/21 16:00
2022/11/21 15:56
2022/11/21 15:52
2022/11/21 15:43
2022/11/21 15:40
2022/11/21 15:38
2022/11/21 15:34
2022/11/21 15:31
2022/11/21 15:26
2022/11/21 15:22
2022/11/21 14:12
長谷川秀一改修の槙山城 (2022/11/03 訪問)
賤ヶ岳合戦後秀吉家臣長谷川秀一が朝倉氏、柴田氏の城郭を大改修した槙山城、車で登れるとの情報で今回の越前未踏の城廻りに入れました。
福井ICを降りて一乗谷城方向に進んで行くと東前方に山城らし山容が目に入り目的の東郷槙山城でした、情報と案内はいつもの古城盛衰記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依ります。
古城盛衰記さんの案内に有る様に県道32号線沿いの白山神社と赤坂公民館の間にある林道から入ります、入ると直ぐに害獣除けゲートが有り開閉して出入り、林道は舗装されて走行しやすい約600m程登って二の丸駐車場に到着、トイレ有り、駐車場脇に案内解説板と城名石碑が並んで立って居る。
二の丸北に小高い丘、天守閣跡と表記されて居る、天守台跡は若干広い平地、長谷川秀一公碑と忠魂碑が建って居る、縄張図、俯瞰図に北東方面に古城跡曲輪群の記載が有るが目視では良く分からない、降りて二の丸駐車場約10台は可能かな? 天守閣台を東に回って残存石垣が在るとの情報で確認するが草木に隠れて若干目視できる。
二の丸南の千畳敷へ、登城路には害獣除けの電線が走って居り跨いで入る、広い千畳敷には歌碑、句碑、遊戯器具設置、南に高い土塁が千畳敷幅いっぱいに伸びている、高土塁の南には堀切、樹木に覆われた曲輪が在り更に南に深く広い堀切が構えてる、グーグルマップを見ると一乗谷城方面の山容に繋がってる。
下城してゲートを開閉し周辺見ると熊注意の恐ろしいマーク、登る前に気が付かなかったので一人のんびり30分見学しましたが、冷や冷や物でした。
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
2022/11/21 11:05
敦賀運河(疋田舟川)跡 (2022/11/03 訪問)
疋壇城跡に登城前には愛発舟川の里展示室を見て、登城後元西愛発小学校跡地の南側階段を降りると敦賀運河に繋がる水路に出ます、疋田街道筋に水路が流れ、桜の並木は紅葉で彩って居ました。
幕末頃、敦賀湊と琵琶湖を繋ぐ敦賀運河は一時期あったそうです、敦賀湊と琵琶湖・京都大阪の流通を担って居り、平安の清盛の時代から敦賀運河の構想は有ったそうで、時代時代に構想企画が上がっては消えの繰り返しの様でした。(案内看板の内容を私なりに抜粋)
投稿写真は最初は展示室とし、後は上流側の疋壇城跡、元西愛発小学校跡から降りる南階段、上流部の水量調整溜りから順に下流に側へ、水路と街並み桜紅葉を愛でて散策順です。
疋田の町並み水路、敦賀運河跡の史跡の方が疋壇城跡より有名の様で疋壇城跡探訪中は私一人、運河街並みの見学者がほとんど、帰り頃は展示室横の駐車場は満車でした。敦賀運河舟川の勉強をさせて頂きました。
疋壇城を終えて降りた敦賀ICに戻り北陸道へ次の東郷槙山城を目指す。
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2022/11/21 08:52
安( ・᷄ㅂ・᷅ )土 (2017/05/25 訪問)
天守閣ではなく、天主閣
天主閣があれば、凄かったんだろうなぁ
滋賀県作らんかなぁ
安土は時間なくて、登れず( ・᷄ㅂ・᷅ )、要リベンジ
+ 続きを読む
♥ いいね
7人が「いいね」しています。
✕
人が「いいね」しています。