いわやじょう

岩屋城

兵庫県淡路市

別名 : 絵島ヶ丘城
旧国名 : 淡路

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todo94

別名・絵島ヶ丘城 (2029/10/29 訪問)

淡路SAにて玉ねぎ御膳の昼食をとった後、インターチェンジを降りて向かいました。岩屋ポートパーキングに駐車しましたが、20分以内でしたら駐車料金は無料です。恵比須神社の奥にある岩樟神社の洞窟があいている山が岩屋城のようですね。そこからは登城路がないので裏手に回って攻めてみました。あまりよく遺構はわかりませんでした。絵島ヶ丘城の別名がある通り、目の前の海には絵島があります。せっかくですので立ち寄って参りました。最後にパーキングの屋上からの遠景を撮影してみました。

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しんしんちゃん

ヤブ地獄 (2023/08/12 訪問)

岩屋城はかつて池田輝政が淡路支配の拠点として築いた
城ですが、パッと見、うっそうとしたヤブ化した小山です。
私も最初、登り口がわからなかったので城の周囲を車で回り
東側の登れそうな所からアクセスしました。
正式な登城道は城跡ビルのすぐ近くにあります。
ステーキハウスの看板を目印にしていただけると良い。
かつては、ある程度整備された登城道があったようですが
すでにヤブと化しています。
登城道がかつての堀跡のようで、そこかしこに石積みの跡があります。
しばらくいくと右手に本丸にアクセスできる箇所があります。
小さい郭を経て主郭に登ります。主郭は酷いヤブで移動は困難ですが
がんばって先に進んでみます。主郭の背後は住宅地になっており
そこは遺構が削られコンクリートの絶壁になっているので
これ以上進んでも仕方がないと見切りを付け引き返します。
現状ヤブ地獄ですが、草刈りさえできれば、それなりに楽しめる
城跡になると思います。

登城道
34°35'20.3"N 135°01'17.4"E
34.588957, 135.021505
城山ビル・ステーキハウスの看板の近く。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征2日目:岩屋城 (2022/07/21 訪問)

西明石駅でレンタカーを借りて岩屋城を目指しました。
登城口付近の空スペース(34.588807、135.021570)に駐車しましたが、お店の駐車場だった為、速攻で撤退です。
登城口(34.588960、135.021539)は藪化で入れないので、絵島(34.589834、135.021561)を確認して速攻で撤退です。

1610年(慶長15年)池田輝政によって築かれたと云われています。
1610年(慶長15年)姫路藩主池田輝政の三男池田忠雄が淡路国一国を所領としたが、当初は父輝政が重臣を派遣して淡路一国を支配していたそうです。
家臣中村主殿助を遣わして淡路の国政を任せ、1611年(慶長16年)には淡路国全域の検地を実施しました。
1613年(慶長18年)に忠雄に支配が任されると由良城を築き、その際に岩屋城の部材を転用して廃城となりました。
ちなみに、近隣にはもうひとつ永禄年間に安宅八家衆の安宅宗景がいた松尾山の岩屋城があります。そこに現在、温浴施設の美湯松帆の郷が建てられているそうですが、そちらは城びと未登録です(行っていません)。

攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=松帆台場に向かいます。

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小城小次郎

岩屋城の石材は (2021/09/19 訪問)

池田輝政が忠雄のために作ったのだが忠雄は淡路に赴任すると岩屋城を解体して由良城を新たに築いた。由良城の石材は高崎台場に用いられているので高崎台場の石材は岩屋城のものだったということになるのだろうか。
(写真の石材は岩屋城の場所にはありません)

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 池田輝政
築城年 慶長15年(1610)
主な城主 中村主殿助(池田氏家臣)
廃城年 慶長18年(1613)
遺構 曲輪
住所 兵庫県淡路市岩屋
問い合わせ先 淡路島観光協会
問い合わせ先電話番号 0799-25-5820