えだよしじょう/しきつじょう

枝吉城

兵庫県神戸市

別名 : 新城、明石城、吉田砦、吉田遺跡
旧国名 : 播磨

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曲輪
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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征2日目:枝吉城 (2022/07/21 訪問)

本日から四国の城を巡る為、前日に西明石駅近のスマイルホテル西明石に宿泊していました。朝早く起きて、ホテルの朝食前に枝吉城&魚住城を攻城しました。
早朝の為、吉田郷土館は開いていないので、攻城は神本大明神鳥居前(34.668332、134.975559)に行き、神社拝殿左側にある神輿庫の裏から登城し、吉田郷土館横に下りてきました。

枝吉城の築城年代は定かではないようですが、室町時代中期に赤松氏被官の明石氏(黒田官兵衛の母の出身地)によって築かれたと云われています。
枝吉城は二度の合戦が行われました。
一次枝吉城の戦い:1538年(天文7年)に尼子晴久軍の侵攻により淡路の岩屋城に避難していた赤松晴政が、阿波の細川持隆の支援を得て、1539年(天文8年)に明石正風(長行)を攻めた後、晴政と正風は和睦したそうです。
二次枝吉城の戦い:1555年(天文24年)に三好長慶軍に攻められ、この時も明石氏は和睦しています。
明石氏の最期の城主は明石則実で、三木合戦では羽柴秀吉軍に与し野口城を攻めた功績により、1585年(天正13年)に但馬国豊岡城の城主となり、かわって摂津国高槻より高山右近が入封しました。
1595年(文禄4年)豊富秀次の謀反に連座して、明石則実は切腹させられました。
右近は船上城を築いて移ったため、枝吉城は廃城となりました。

本丸の一部が公園となっており、城址碑が建てられています。
城郭配置図の写真も撮りましたが、ぼけていて投稿できません。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=魚住城を目指す為、電車で西明石駅から西江井ヶ島駅に向かいます。

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todo94

しきつじょう (2021/11/13 訪問)

「しきつじょう」と読むのですね。吉田郷土館の脇にある案内板は見つけやすいのですが、みなさんがおっしゃるとおり、登城口が見つけにくいです。案内板に城址碑の絵が描かれていなかったら諦めていたところでした。

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神本神社より (2021/06/26 訪問)

 高台に城址碑があり神本神社の裏手より登城して、吉田郷土館の裏手に下りて来ました。吉田郷土館裏手には案内板があります。神本神社から登城口は見つけにくく建物の裏に回り込まなければなりません。
西明石駅から神姫バスに乗り10分くらいの距離にある王塚大1丁目で降ります。バス停から徒歩5分くらいで城址に行くことができます。

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じゅんじん

上り方わからず (2020/09/27 訪問)

神社と公園を見ましたが主郭への上り方がわかりませんでした。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 明石尚行
築城年 永享元年(1429)前後
主な城主 明石氏、高山右近?
廃城年 天正13年(1585)
遺構 曲輪
再建造物 石碑
住所 兵庫県神戸市西区枝吉
問い合わせ先 神戸市西区まちづくり課
問い合わせ先電話番号 078-333-3330