枝吉城は吉田郷土館の背後、神本神社のある丘陵に
築かれています。本丸が城址公園になっていて、
城址碑があります。登り口は二つありました。
一つは神社の左手奥から続いている道があります。
もう一つは郷土館から左手に入り、玉津王塚古墳の
模型のあるあたりから城址に続く道があります。
かつては赤石氏の被官であった明石氏によって築かれたと
されています。
枝吉城は天文7年(1538)明石正風の時に赤松・細川連合軍に囲まれ
戦わずして和睦(降伏)しています。
天文23年(1554)明石某の時にも三好実休らに囲まれ、駆け付けた
三好長慶の大軍に怖れをなしてか、あっさりと和睦しています。
無理をしないポリシーのようですね。
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