こやまじょう

児山城

栃木県下野市


旧国名 : 下野

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本郭南側の入り口
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みんなの口コミ

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しんちゃん

整備ありがとうございます。堀も土塁もすばらしかったです。 (2023/05/03 訪問)

児山城は栃木県の史跡に指定されていて、所有者の方々が管理されているようです。
遺構の状況も素晴らしく、散策しやすいよう整備が行き届いており、
訪問させていただく者からすれば、非常に有り難く、感謝の意を申し上げたいと思います。
主郭は東西約50m南北約70mの方形で、周囲を高い土塁で囲みその周囲を
堀で囲んであります。その周囲にも郭がありますが、畑地になっている
ようです、城郭体系によれば、北方に西城・中城・北城・西木戸
南方には稲荷城・馬場という地名が残っているようです。
宇都宮頼綱の四男・多功宗朝の次男朝定が建武年間に築城したとあります。
多功城・上三川城とともに宇都宮氏の南方の支城として重きをなしたが
永禄元年(1558)上杉謙信が多功城を攻撃した折に、児山兼朝が討死し
児玉城は廃城になったとされています。

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チェブ

山ユリの森と番犬。 (2023/05/06 訪問)

ゴルフガーデンに石碑があった「多功城」を後にし「児山城」に向かいました。
「多功城」の多功氏の子 児山 朝定さんが築いた「児山城」は、現在 3名の所有者さんと、児山城守り隊の皆さんで整備され、見学しやすくなってます。

2台停められる駐車場に向かう道は外堀と平行。細い道なので、よそ見してたら堀に落ちます。
『児山城 山ユリの森』と大きな看板と説明板があります。歩いて良い場所はロープで区別してるので、守って進みました。
もしかしたら、ロープの外側は山ユリがあるのかもしれません。
内堀を渡ると、土塁で守られた本丸です。
石碑があり、3名の所有者さんのフルネームが刻まれてました。
写真⑦の石礫があり、少し緊迫感。こちらの児山氏は上杉 謙信さんとの戦で、討死してます。
高さのある土塁に虎口が開いていて出ると、
い、犬!!
お、大きい!!
恐る恐る、近くに行くとドーベルマンの置物でした。
横には防犯カメラ作動中の警告板。
植物の持ち出しは窃盗罪になります、との事。
「児山城」は山ユリの森でもありました。
山ユリの花の時期は7月~8月頃のようです。
山ユリと言えば、細川 ガラシャさんの自画像を思い出します。命日も7月、現在の8月位です。
、、、脱線しました。

山ユリが美しく飾る夏の「児山城」を見てみたいと思いました。所有者さんと児山城守り隊の皆さんに感謝です。
置物の番犬にも守られている「児山城」でした。

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赤い城

宇都宮城の支城 (2022/08/28 訪問)

入口に駐車場があり2〜3台駐めることができます。
そこから遊歩道がついていてよく整備されています。
単郭で周りを土塁と堀が囲んでいます。堀は二重で外側は一部残っています。
雨の後だったので内堀は一部水堀のようになっていました。
郭内は広く、周りを囲む土塁の隅は櫓台のようになっています。
宇都宮城南側の支城でした。
近くにはグリムの森もあります。
興味のある方はセットで。

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織田晃司

住宅地にある自然豊かな平城 (2022/07/29 訪問)

城跡に2台分の駐車場あり。駐車場までの道は狭く離合は難しい。

城の管理を3人の所有者で行っているという。
感謝です。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 宇都宮(児山)朝定
築城年 建武年間(1334〜1338)
主な城主 宇都宮(児山)氏
廃城年 永禄元年(1558)
遺構 曲輪、土塁、横堀、櫓跡
指定文化財 県史跡(児山城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 栃木県下野市下古山
問い合わせ先 下野市文化課
問い合わせ先電話番号 0285-52-1120