しものせきまえだだいば

下関前田台場

山口県下関市

別名 : 長州藩下関前田台場、前田御茶屋台場
旧国名 : 長門

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朝田 辰兵衛

にのまるさん,新潟市のPRありがとうございました🌟 (2024/06/21 訪問)

新潟城のレポートは,各個人のグルメや周辺観光を織り交ぜながらデザインされるだろうなぁ…と思っていました。しかし,良く走って行きましたネ!

東横インは私も結構利用します。ハレの日や特別な日の前日はリッチモンドホテル。沖縄はダイワロイネットホテル。ま,立地条件で他のホテルも試してます。諫早,函館,木古内,根室,玖珠,宇和島など…。東横インですが,周囲に食事をすることができない「新八代駅前」は,無料でカレーライスの夕食サービスがあります。他にもあるかもしれません。
下関でも,東横イン下関海峡ゆめタワー前を利用しました。朝食で印象的だったのが太麺の焼きそばでした。ピリ辛でお腹にズッシリきておいしかったです。

カレーライスで思い出しましたが,ちょっと前に書店で「しあわせの黄色いカレー」を特集した書籍がありました。全国の黄色いカレーを食べ歩いている方がいろんなお店を紹介していました。ラストに紹介されていたのが,新潟のバスセンターカレーでした。恐れ多くも「しあわせの黄色いカレーの聖地」との評価が…。正直,驚きました。バスセンターで列をつくっているのは,ほとんど新潟市外の方ですョ。
バスセンターには,壽屋(ことぶきや)という🍙屋さんがあります。以前は古町にあったのですが,バスセンターに入ってきて繁盛しております。私はここの🍙がスキです。
新潟駅の工事が進むと,東横インと反対側のエリアに高速バスターミナルを建設する計画がありますが,具体案は示されておりません。県内・県外合わせるとかなりの本数があるため,名古屋みたいな感じになるのかな…と想像しています。
すると,バスセンターはどうなる…?

長くなりましたが,お返しに下関のPRを少し…。念願の唐戸市場で「からと屋」に入り,ミニ海鮮丼とふぐの天ぷらを食しました。1年前に下関駅ナカで食べたものとは,格の違いを感じました…<笑>。

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ぴーかる

下関前田台場 (2023/09/09 訪問)

【前田台場跡】
<駐車場他>専用駐車場あり。国道9号線沿い<33.972883, 130.969827>
<交通手段>車

<感想>1泊2日北九州・豊前中津の旅1城目。下関前田台場は幕末に長州藩が下関に築造した台場の一つで、低い位置する低台場と東方向6mほど高い位置に高台場とがあります。当初は低台場のみがありました。1863年に攘夷決行として5月10日から関門海峡を通過する外国船を次々と砲撃を開始します。6月フランス船が報復として前田台場を砲撃、上陸して周囲の民家を焼きはらいます。その後高杉晋作が下関の防衛を任せられると前田台場を修復し高台場を急造します。1864年にイギリス、フランス、アメリカ、オランダの四か国は長州藩の攘夷派一掃と関門海峡封鎖を武力解除するために連合艦隊を組んで下関の砲台を攻撃し破壊占拠(四国艦隊下関砲撃時事件)されます。前田台場もこの事件で占拠されます。2010年に国史跡に指定されています。
 現地は地表面に観察できる遺構はそれほど残されておらず、削平地広い削平地があるのみのようです。低台場内は散策できますが、高台場の方はロープが張られ内部はビニールシートで覆われた発掘途中?の面積が多いです。

<満足度>◆◇◇

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しんちゃん

見境なしに砲撃し下関戦争の発端となる。 (2019/12/31 訪問)

下関前田台場は長州藩下関前田台場跡として国の史跡に指定されています。
文久3年(1863)に低台場が築かれ、元治元年(1864)英・仏・蘭・米の
四国連合艦隊の下関砲撃前に高台場が増設されています。
現在では文久3年の衝突を下関事件、元治元年の衝突を四国艦隊下関砲撃事件(もしくは
下関戦争)と呼称するそうで、2件の武力衝突を合わせて下関戦争と呼ぶ向きもあるそうです。
文久3年(1863)5月26日、オランダ東洋艦隊所属のメデューサ号が長州藩の砲撃を受けています。
オランダは以前からの友好国であり、長崎奉行の許可証も所持していたのですが、すでに
砲撃サルと化していた長州藩はお構いなしに打ちかかってきたようです。幕府の意向とか
全く関係ないよって感じですね。

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にのまる

攘夷から開国へ (2022/06/09 訪問)

幕末に長州藩が海岸線に沿って築造した砲台のひとつです。
二度も占拠され、跡地も焼き払われた、一見“何もない芝生広場”が国史跡・日本遺産に指定されたのは、やはりここが日本の夜明けのターニングポイントとなった場所であるゆえだと思います。占拠された様子は世界中に配信され、教科書にも載っていましたし、昨年訪れた金沢の寺中御台場の説明板には「長州の下関事件など外国艦隊との装備の差を考慮し海岸ではなく内陸に台場がつくられた」とあり、日本中、世界中に与えた衝撃の大きさを感じました。
そんなことを考えながら、低台場・高台場の二段構えの台場跡を歩き、目の前を航行する船舶を眺めつつVRの「建物OFFバージョン」の力も借りながらイメージすると当時の緊張感がじわじわと伝わってきます。高台場のシートは発掘中なのか?気になるところです。

大砲は全て連合軍に接収されたそうですが、ここから1km強のみもすそ川公園には長州砲のレプリカがあり、100円を投入すると発射音(3発)と煙の演出を楽しめます。

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城郭情報

分類・構造 台場
天守構造 なし
築城主 長州藩
築城年 文久3年(1863)
主な城主 長州藩
遺構 (発掘調査:削平地、土塁)
指定文化財 国史跡(長州藩下関前田台場跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 山口県下関市前田
問い合わせ先 山口県教育庁社会教育・文化財課
問い合わせ先電話番号 083-933-4666