下関前田台場は長州藩下関前田台場跡として国の史跡に指定されています。
文久3年(1863)に低台場が築かれ、元治元年(1864)英・仏・蘭・米の
四国連合艦隊の下関砲撃前に高台場が増設されています。
現在では文久3年の衝突を下関事件、元治元年の衝突を四国艦隊下関砲撃事件(もしくは
下関戦争)と呼称するそうで、2件の武力衝突を合わせて下関戦争と呼ぶ向きもあるそうです。
文久3年(1863)5月26日、オランダ東洋艦隊所属のメデューサ号が長州藩の砲撃を受けています。
オランダは以前からの友好国であり、長崎奉行の許可証も所持していたのですが、すでに
砲撃サルと化していた長州藩はお構いなしに打ちかかってきたようです。幕府の意向とか
全く関係ないよって感じですね。
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