まつほだいば

松帆台場

兵庫県淡路市

別名 : 徳島藩松帆台場
旧国名 : 淡路

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todo94

拝原水産の奥 (2023/10/29 訪問)

淡路島ドライブの締めは松帆台場。海沿いの悪路を進んでいくと松帆恵比寿神社がありました。そのすぐ脇には松帆之湊の石碑が立っていました。肝心の台場はホテル望楼青海波の敷地内といった場所でした。土塁の上からは明石海峡大橋を望むことが出来ました。

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しんしんちゃん

誤射とはいえ命中させたのはすごいぞ。 (2023/08/12 訪問)

松帆台場は安政5年(1858)に江戸幕府14代家茂の命により、
徳島藩によって工事が始まり、文久元年(1861)竣工しました。
明石海峡対岸の舞子台場と黒船を挟み撃ちにするのが目的でしたが
本来の目的に使用される事はなく
文久3年(1863)7月に幕府の3本マストの軍艦朝陽丸(オランダより購入)
を誤って砲撃、柁付近を破壊しています。
砲台指令の長坂三知は切腹していますが、良く考えると
「勿体ない!」当時の幕府で航行中の艦船に砲弾を当てられる人材は
貴重だと思いますよ。そもそも攘夷だ開国だと判断がブレブレだった
幕府に責任があると思います。
うん、三知氏は悪くない!(本当か?)

かつては13門の大砲が真北に砲口を向けていたそうです。
現在は「ゆうなぎ荘」の敷地になっています。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征2日目:松帆台場 (2022/07/21 訪問)

岩屋城からの転戦です。拝原水産先空スペース(34.608154、135.003801)に駐車し、松帆台場(34.608794、135.002644)に向かいました。

1858年(安政5年)徳川幕府将軍家茂の幕命を受けた徳島藩により着工、1861年(文久元年)竣工。
建設の目的は、明石海峡対岸の明石藩舞子台場跡と対になって両岸から黒船を挟撃することでしたが、一度も使用されることはなく現在に至っているそうです。

台場部分の多くは神戸製鋼の保養所「ゆうなぎ荘」敷地になっており、見学は東の松帆恵比寿神社部分に限られているとのことで、付近をウロウロしただけです。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=白巣城に向かいます。

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小城小次郎

宿泊施設が土塁の上に (2021/09/19 訪問)

宿泊施設の敷地となっていて、よくよく見ると建物が台場特有の「ぎざぎざ土塁」の上に建っている。大切なお城仲間を船着き場に送り届けるため、この後の道の駅で「秒」でお土産を選んだものも思い出深い(笑)。

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城郭情報

分類・構造 台場
天守構造 なし
築城主 徳島藩
築城年 文久3年(1863)
主な城主 徳島藩
遺構 土塁
指定文化財 国史跡(徳島藩松帆台場跡)
住所 兵庫県淡路市岩屋松帆