とらごぜやまじょう

虎御前山城

滋賀県長浜市

別名 : 中野城、八相山砦、虎御前山砦
旧国名 : 近江

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しんちゃん

織田家中オールスターズ (2014/05/17 訪問)

虎御前山城は小谷城に籠った浅井長政を攻略するために織田信長によって築かれ、元亀3年(1572)頃に完成を見たようです。
地理的には小谷城のすぐ目の前にまで迫っており、浅井氏の置かれた状況がいかに深刻であったかがうかがい知れます。城番には羽柴藤吉郎(案内板)が置かれ、場内の標柱には木下秀吉陣跡と記載が有ります。
登城道から北に向かって順に伝(以下省略)滝川一益陣、堀秀政陣、織田信長陣、羽柴秀吉陣、柴田勝家陣と続きます。また堀切や竪堀、土塁などの遺構も残っています。
写真はちょっと26いです‥。

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イオ

陣跡めぐり(伝木下秀吉陣~伝柴田勝家陣) (2023/11/04 訪問)

(続き)

信長馬場から伝木下秀吉陣に至る登城道の両脇には竪土塁が続いています。円墳頂部の主郭には石碑と説明板が立てられていました。主郭の北麓は大曲輪と呼ばれ、北辺から西辺にかけて土塁がめぐっています。西辺の土塁の開口部が虎口で、虎口を出たところから竪堀が落ちていました。帯曲輪を北側に回り込むとかざし堀があり、帯曲輪東端に土塁、土塁の南端からは竪堀が主郭方向への侵入を阻んでいます。竪堀を下りて東側の曲輪に向かうと、ほぼ自然地形のままながら周囲は土塁で囲んでいました。

伝木下秀吉陣北端の堀切をこえて伝柴田勝家陣へ。虎御前山城の北端に位置する陣跡ですが、櫓台状の墳丘が見られるくらいで城郭遺構は見当たりませんでした。

…ということで、約3時間かけて虎御前山城の陣跡をひとめぐり。伝佐久間信盛陣に行けなかったのが心残りですが、伝堀秀政陣や伝織田信長陣、伝木下秀吉陣などは明瞭に遺構が遺っていて、期待以上に楽しませてもらいました。
 

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イオ

陣跡めぐり(伝織田信長陣~×伝佐久間信盛陣) (2023/11/04 訪問)

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伝堀秀政陣から大曲輪を経て伝織田信長陣へ。伝織田信長陣は南北に続く主尾根に設けられた5つの曲輪からなり、最高所が主郭です。主郭の南東部には長桝形虎口が開口し、虎口の先に石碑と説明板が立てられています。長桝形虎口に掲示された推定復元図を参考に南東麓に下りて行くと、帯曲輪があり土塁が遺っていました。

帯曲輪から東にのびる支尾根には伝佐久間信盛陣があったようなので行ってみましたが、藪に沈んでいて下りて行く道が見当たらず、さらに道中に熊か猪か大きな獣のフンを見かけたためやむなく撤退…。

伝織田信長陣の主郭まで引き返して北麓に下りて行くと、西側に大きな竪堀が落ち込んでいました。竪堀の先には信長馬場と呼ばれる細長い曲輪が北にのび、伝木下秀吉陣に至ります(続く)。
 

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イオ

陣跡めぐり(伝堀秀政陣) (2023/11/04 訪問)

(続き)

伝滝川一益陣から下った先に堀切があり、その先が伝堀秀政陣です。櫓台状の円墳をはさんでまた堀切。さらに円墳をはさんで今度は横堀と竪堀が設けられています。横堀を見下ろす位置には礎石建物があったようで、高床建物の一部がベンチとして復元されています。礎石建物跡から堀切をはさんで伝堀秀政陣の主郭があり、円墳を改修した主郭には石碑が立てられていました。主郭の西側には帯曲輪、小郭、犬走りが取り巻いています。

伝堀秀政陣は円墳を活用して幾重にも堀を設けた陣跡で、一気に城郭らしくなってきました(続く)。
 

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 織田信長
築城年 元亀3年(1572)
主な城主 木下秀吉(織田氏家臣)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、竪堀、虎口
指定文化財 市史跡(虎御前山)
再建造物 石碑、説明板
住所 滋賀県長浜市湖北町河毛他
問い合わせ先 長浜市教育センター
問い合わせ先電話番号 0749-74-4359