武佐駅から徒歩20分弱で、日吉神社鳥居付近の案内板(35.107217、136.127668)に着きました。
築城は応仁の乱のさなか、1468年(応仁2年)近江国守護佐々木六角髙頼と対立した佐々木四郎政尭により築城されたとされています。
1570年(元亀元年)南近江に侵攻した織田信長は長光寺城を攻め落とし柴田勝家を配置しました。 六角氏は城を奪還するために攻め寄せ勝家は籠城して耐えます。
意を決した勝家は味方を鼓舞するため兵に水を飲ませた後に水瓶を割って討って出ます。瓶割山の名は、これが「瓶割り柴田」の異名となって後世に語られているようです。
登城口の日吉神社の鳥居をくぐり、参道を歩き始めましたが中は真っ暗でした。
暗闇の山城は危険なので攻城は断念して引き上げました。
攻城時間は15分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
本日の宿泊先に戻る為、武佐駅から八日市駅に向かいました。
本日の攻城徒歩=23886歩、攻城距離=16.72Kmでした。
(ただし、油日駅➡和田城~滝川西城➡油日駅の間はレンタサイクルを使用しましたので、攻城徒歩/攻城距離は誤差があります)
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