つやじょう

津屋城

岐阜県海津市


旧国名 : 美濃

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ぴーかる

津屋城 (2023/05/03 訪問)

【津屋城】
<駐車場他>本慶寺駐車場
<交通手段>車

<感想>日帰り木曾三川ちょこ城南下の旅4城目。津屋城の築城年代は定かではないが、現地説明板によると関ヶ原の戦いの時の城主は高木八郎左衛門正家の居城であったが、縁者の高須城主高木盛兼と共に西軍に従ったため東軍の攻撃を受けて落城しました。1603年に美濃高須藩領主の徳永寿昌の許しを得て移された本慶寺となりました。
 本堂のある辺りが二の曲輪だったようです。山門の長屋門は当時の城門を転用したものと伝えられています。南側から西側にかけて空堀がありますが見落としました。

<満足度>◆◇◇

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)10日目:津屋城 (2023/04/27 訪問)

福束城からの転戦です。本慶寺駐車場(35.255134、136.565504)に駐車しました。

津屋城は、文明年間(1469-1487) 高木氏によって築城され、高須城主・高木盛兼の一族である高木八郎左衛門正家の居城でした。
1600年(慶長5年)関ヶ原合戦で石田三成に味方したため改易となり、廃城となりました。

現在城址は本慶寺の境内となっており、城跡碑と説明板が建てられています。
遺構として空堀、土塁、土橋があるようですが、入口のみ確認して境内を歩きませんでした。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=駒野城に向かいます。

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イオ

竹藪の中の内堀 (2023/02/04 訪問)

室町中期に高木氏が築いたとされますが、詳細は不明です。関ケ原の戦いの際には高木正家の居城でしたが、西軍についたことで松ノ木城の徳永寿昌や今尾城の市橋長勝ら東軍に攻められて落城し、廃城となりました。

城跡は本慶寺になっていて、来客用駐車場に車を駐めて登城開始。本慶寺の門前には津屋城跡の石碑と説明板が立てられており、山門は津屋城城門の移築と伝わります。説明板によれば、山門をくぐった本堂が建つあたりが二の曲輪で、南辺に土塁が続いています。本堂の奥の一段高いあたりが一の曲輪で、奥へ通じる門はあったものの、スズメバチ注意の表示に加えて鍵がかけられていたため断念しました。
山門を出て南側に回り込むと、南辺の土塁の外側に内堀がある…にはあるんですが、竹藪と化していてよくわかりません。それでも何とか突入できそうな箇所から竹藪に入ると突入箇所は土橋状になっていて、その両側に内堀が続いているのが確認できました。とはいえ、倒竹が激しかったのでそれ以上は踏み込めず、撮った写真も我ながらただの竹藪にしか見えませんが…。
 

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本慶寺 (2020/09/05 訪問)

 養老線美濃津屋駅より徒歩5分の所に本慶寺があり、そこが城址です。城址碑と案内板があります。
境内の南から西にかけて空堀があり、土塁などもあるようですが、藪でよくわかりません。夏場でありスズメバチの注意喚起を促す看板もあり藪等への侵入は断念しました。

 
 以前に投稿しましたが、違うところに投稿してしまったようです。前の投稿を削除して投稿しなおしました。多くの方から「いいね」をいただいていたのに申し訳ありません。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 高木氏
築城年 文明年間(1469〜1487)
主な城主 高木八郎左衛門
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡(津屋城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県海津市南濃町津屋2017(本慶寺)
問い合わせ先 輪之内町産業課地域の魅力発信室
問い合わせ先電話番号 0584-69-3111