はたじょう

畑城

奈良県山辺郡

別名 : 春日城
旧国名 : 大和

投稿する
主郭周辺
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

しんちゃん

主郭周辺の郭 (2024/10/06 訪問)

西側の尾根から攻めて主郭にまでたどり着きました。主郭の周囲には尾根上に郭が展開し、西側の郭の先には堀切と土橋のような細い尾根があったと思います。地形図のデータがピンボケで位置が把握しずらいのですが、南側から北側の郭を散策し、ぴーかるさんの写真にあった石垣を探します(主郭下北西にあったと思います)。石垣を見るまでは帰れん、と思って藪の中もさまよいますが、あちこち枝が伸びていて、目の下にキズができました。もう治りましたが眼を傷つけると大変なのでご注意を。
わたしは常時メガネをしていますが、つまずいた拍子に枯れ草で眼をつつきそうになったこともあるので、こういった未整備の城址を散策する際には注意が必要ですね。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

ハタジョウダジョ~ (2024/10/06 訪問)

なんか怒られそうなタイトルですが、なかなかやっかいな城址です。石垣なども残っていますが、ほぼほぼ整備されてない。
ぴーかるさんは金毘羅権現から直登したそうですが、温暖化の影響で林の中は蜘蛛の巣だらけ、直登はパスしたい。
あさんの投稿にあった登城口を探しているのですが、高校に人がいない。しかたがないので自転車置き場の裏からおじゃましました。城址の西側の堀切のあたりに到達し主郭のある東側のピークを目指します。ここからだと結構距離がある。なかなか城域は広いです。
幾つか堀切と郭らしき場所を越えて主郭を目指します。主要部のある山頂部の下にも堀切が残っています。
ネイティブではありますが遺構はけっこう残っているようです。少し勿体ない気がしますね(危ないし)。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

畑城 (2022/03/20 訪問)

【畑城】
<駐車場他>春日神社駐車場
<交通手段>車

<見所>石垣・堀切
<感想>春日神社の南にある金毘羅大権現から直登したので道のあるルートを通っていません。先達のあさんの投稿の高校分校から登るほうが無難です。
 城跡は逆Tの字状に東西の尾根上に伸びた曲輪群と主郭脇から北に段曲輪が伸びています。石垣は主郭北側に主にあったようで中心部分は倒木の間から見えるのと、東の端の方は主郭から降りて見れます。規模は大きいようなのですがあまり整備されておらず見れる範囲はそんなに多くはないです。

<満足度>◆◆◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

大和高原を行く (2022/03/13 訪問)

畑城主の奥田氏は、大和に進出した松永秀久に仕え、最後は徳川幕府の旗本になったと。
伊賀盆地から大和高原に入り、まだ奈良盆地は遠いが、松永の支配地域なんですね。伊賀は小豪族の集合体であったせいでしょうか。
畑城の北西の高校の脇から上がって行くルートと城の南側を回り込んで行くルートがありますが、城域に登り始める登城口は一つです。登山口と書かれた矢印のところから尾根を登って行きます。説明板にあるように規模は大きいです。
大和高原は、奈良県東北部の高原地帯の総称であり、北から、笠置産地、宇陀山地、室生山地を含みます。笠置城の下を流れる木津川を南に渡ると、標高200〜500mの高低差が少ない丘陵地帯が、奈良盆地と伊賀盆地の間に拡がります。奈良盆地の標高は100m以下、伊賀盆地の標高は200m前後なのでけっこうな比高があります。ここも吉備高原と同じく、一旦平坦になった土地が隆起した準平原と。吉備高原と違い、大きな川が無いので、小さな川が小さな盆地を断続的に作っています。そして、これらの盆地を支配する豪族の城が点在します。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 山城
築城主 奥田忠高
築城年 天文年間(1532〜1555)
主な城主 奥田氏
遺構 曲輪、石垣、堀切
住所 奈良県山辺郡山添村大字春日字城山