はたじょう

畑城

奈良県山辺郡

別名 : 春日城
旧国名 : 大和

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主郭石垣
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ぴーかる

畑城 (2022/03/20 訪問)

【畑城】
<駐車場他>春日神社駐車場
<交通手段>車

<見所>石垣・堀切
<感想>春日神社の南にある金毘羅大権現から直登したので道のあるルートを通っていません。先達のあさんの投稿の高校分校から登るほうが無難です。
 城跡は逆Tの字状に東西の尾根上に伸びた曲輪群と主郭脇から北に段曲輪が伸びています。石垣は主郭北側に主にあったようで中心部分は倒木の間から見えるのと、東の端の方は主郭から降りて見れます。規模は大きいようなのですがあまり整備されておらず見れる範囲はそんなに多くはないです。

<満足度>◆◆◇

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大和高原を行く (2022/03/13 訪問)

畑城主の奥田氏は、大和に進出した松永秀久に仕え、最後は徳川幕府の旗本になったと。
伊賀盆地から大和高原に入り、まだ奈良盆地は遠いが、松永の支配地域なんですね。伊賀は小豪族の集合体であったせいでしょうか。
畑城の北西の高校の脇から上がって行くルートと城の南側を回り込んで行くルートがありますが、城域に登り始める登城口は一つです。登山口と書かれた矢印のところから尾根を登って行きます。説明板にあるように規模は大きいです。
大和高原は、奈良県東北部の高原地帯の総称であり、北から、笠置産地、宇陀山地、室生山地を含みます。笠置城の下を流れる木津川を南に渡ると、標高200〜500mの高低差が少ない丘陵地帯が、奈良盆地と伊賀盆地の間に拡がります。奈良盆地の標高は100m以下、伊賀盆地の標高は200m前後なのでけっこうな比高があります。ここも吉備高原と同じく、一旦平坦になった土地が隆起した準平原と。吉備高原と違い、大きな川が無いので、小さな川が小さな盆地を断続的に作っています。そして、これらの盆地を支配する豪族の城が点在します。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 奥田忠高
築城年 天文年間(1532〜1555)
主な城主 奥田氏
遺構 曲輪、石垣、堀切
住所 奈良県山辺郡山添村大字春日字城山