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花倉の乱 (2020/12/10 訪問)

 本曲輪および二の曲輪を中心に東西南北に細い曲輪などが展開している縄張りとなっています。東から登城になりますが、すぐに土橋があり、そこを過ぎると上り坂となります。本曲輪近郊には堀切や竪堀があり楽しく散策できます。北側は土橋のように細い尾根ですが、先には曲輪と思われる跡があります。堀切もあったようですが、そこまで行っていないかもしれません。南側は比較的広い曲輪があり下りて行くと右手に堀切を認めます。西側は階段状に曲輪が展開しています。下山後、縄張り図を見ると井戸跡があったようですが確認できていません。よく手入れされていて標識もあり比較的歩きやすい城址です。
登城口までは舗装された農道があり車でも行けますが、もよりのバス停から歩くと登城口まで1時間近くかかると思います。

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しろちゃん

有馬城山【神奈川県川崎市宮前区有馬5丁目】 (2020/11/17 訪問)

この有馬城山の歴史に出てくるのは、日本城郭体系に『新編武蔵国風土記稿』によれば、有馬村の北にあり、恐らくは北条家臣の窪田又五郎が城跡とされている。また『小田原衆所領役帳』には、北条家臣の御馬廻衆で、小机衆に属している。

城跡は、日本城郭体系では、鷺沼駅より南東へ800mの地点で、有馬川の北側の高台にあり、高台へ登る道は、周辺の道よりも傾斜があり、城跡を偲ぶ事ができます。宅地造成によって10m位削られて、現在では、住宅地と畑になっており遺構は残っていません。
今は、地元の方が作った小さな看板が、畑に面した道路に立っています。

目安は、ライフ有馬5丁目店の北側の高台が城跡になります。

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昌官忠

信州日帰り攻城⑤ (2018/10/07 訪問)

信州日帰り攻城の5城目(ラストです)は高遠城です。高島城からの転戦です。
高遠町歴史博物館の駐車場(35.830511、138.063443)に駐車し、高遠町歴史博物館で100名城スタンプを押印しました。

高遠城は2回目の攻城です。1回目は2017/4/9にクラブツーリズムの「信州8つの桜吹雪」で桜を見るツアーです。(この時の攻城分は別途、投稿します➡その時、桜はまだ蕾で咲いていませんでしたが)
2回目は今回の攻城ですが、レンタカー返却と帰りのJR特急あずさ26号(だったと記憶しています)の時間が迫っていた為、高遠町歴史博物館前の「保科正之公像」の写真を撮って、茅野駅に向かいました。攻城時間は5分くらいでした。
桜の時期に再訪したいと思います。(コロナの終息を願います)

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昌官忠

信州日帰り攻城④ (2018/10/07 訪問)

信州日帰り攻城の4城目は高島城です。上原城からの転戦です。
昼食をとっていなかったので、ファミリーマート諏訪高島城前店の駐車場(36.038504、138.113043)に駐車し、お弁当を車の中で食した後、攻城しました。

高島城は2回目の攻城です。1回目は2017/4/9にクラブツーリズムの「信州8つの桜吹雪」で桜を見るツアーです。(この時の攻城分は別途、投稿します➡その時、桜はまだ蕾で咲いていませんでしたが)
2回目は今回の攻城で、前回攻城時に天守内は見学済でしたが、続100名城スタンプ押印の為、再度天守1Fへ行きました。

城の際まで諏訪湖の水が迫り、古城に浮いて見えたことから別名「諏訪の浮城」と呼ばれていたようですが、水掘沿いに天守の写真を撮ると気分が高まります。この風景に桜が加わると、きっと綺麗なんでしょう。桜の時期に再訪したいです。ざっと城内を見て回り撤退。攻城時間は15分くらいでした。

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todo94

リーフレット (2020/11/08 訪問)

この城のリーフレットも第3回お城EXPOにて頂いてあったので攻城を楽しみにしていました。大森公民館に車を駐め、大森神社からアプローチ。壮大な横堀は見応えがありました。説明板やリーフレットに縄張図が載っている吹ヶ洞砦はアプローチの仕方がわからずスルーしてしまいました。

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take

千本城(上総 千葉県君津市) (2020/12/06 訪問)

男坂から登城すると大堀切が見られます。
圧巻です。

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赤い城

主郭は保育園 (2020/12/05 訪問)

赤見城保育園が主郭跡。
保育園が休みの時は駐車場に停めれるようですがそれ以外でも1台分の駐車スペースがあります。
その価値が判るかどうかは別として園児はうらやましい限り。
高い土塁と二重堀に囲まれています。
外郭もあったようですが住宅地と農地になっていました。
戦国期には唐沢山城の支城として機能していたようです。

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ねりきり

アプリを捨てよ、城に行こう (2020/11/29 訪問)

安土城郭資料館→レンタサイクル→信長の館→安土城考古博物館→安土城の順で回りました。所要時間はゆっくり回って4時間半でした。


VRアプリを準備して登城しましたが、復元された映像が凄すぎる!あくまでも個人的な意見ですが、自分で想像を膨らませる方が楽しいのでは?と思い、途中からVRを頼らずに短命で神秘的な城をイメージしながら堪能しました。
(⚠️決してアプリを否定する訳ではありません。今後も要所要所で使わせて頂きます🙏)

城の成り立ちを知るほどに、ただただ稚拙な表現で『信長すげー』と凡人の私は呆然としてしまいました。

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カズサン

肝付氏400年の堅城 (2020/11/24 訪問)

 宿泊先の鹿児島市から陸回りですと遠回りですので桜島フェリーを利用して垂水経由ショートカットして高山城を目指しましたフェリー代往復3,960円掛かりますが距離は半分で済みます、今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第16城目、ガイドは何時もの古城盛衰記さん余湖図コレクションさんに依りナビは鹿児島県肝属郡肝付町新富9120の旧小学校跡地に合わせる、約2時間超大隅半島の南部で薩摩半島に在る知覧城と大隅半島の高山城はシラス台地の群郭式山城の双璧です。
 旧小学校手前高山川東に高山城石碑が有り小学校跡地は黄色く銀杏の木が色付いてる、跡地には消防関係、公民館が有る、トイレも一応あるが古式、車は十分駐車可能。
 小学校跡地の北に案内図解説板、北に枯れ葦原に馬乗馬場跡、三の丸、赤い矢印、大手口杉林の城域に入って行くここから結構奥行くが深い、球麻屋敷、大来目神社、堀切の道を登り大手門跡、山伏城、枡形、本丸と二の丸の分岐矢印有り、本丸に進み、本丸前段曲輪が左右に分かれ相互に横矢掛り、突き当りが枡形虎口右に回って本丸に本丸は広い南、東、北に土塁が包む東を望むと急な崖下に高山川が見下ろせる、本丸を降りて本丸群と枡形城の間の堀切を北に大堀切の馬乗り馬場、東西に長い、本丸、二の丸分岐点から二の丸へ搦手口から回り込む道すじ、降って登る、また戻って来る様子なので二の丸は断念する、来た道を戻り小学校跡地へ約1時間超のシラス台地の山城を堪能しました素晴らしい城郭です、勿論私一人です他に登城者無し。

 歴史的には大隅、肝付氏は武門の名家、平氏の流れで平安期から400年間大隅国の最大領主、島津氏との抗争、籠城戦も耐えるも天正元年(1573年)落城、その後も領地は縮小するが高山城には居城、天正8年(1580年)薩摩半島阿多(南さつま市)に移封され高山城は廃城、近くの現肝付町役所辺りに高山麓が設置され行政の中心地に明治まで続く。(古城盛衰記さん抜粋)

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ぴーかる

立野城 (2020/11/14 訪問)

【立野城】
<駐車場他>駐車場はないが、城跡が墓地・公園になっており墓地入口のスロープ入り口脇に2台程度停車できそうです。
<交通手段>車

<感想>城跡は城山第二公園とその上段にある墓地になっています。公園も墓地も奥の方まで行かなかったので、土塁・空堀等の遺構は確認しなかったですが、公園周囲も宅地造成され表に見える遺構はなさそうに感じた。空堀より発見された宝篋印塔が南東すぐにある観音寺に安置されているそうです。墓地より西側の大和川の眺望が良かったです。

<満足度>◆◇◇

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姫街道

長沢松平家 (2020/12/05 訪問)

「徳川氏の祖、松平3代信光より分かれた松平宗忠が築城した 長沢松平家の城」
まず、この城はコンパクトで主曲輪と腰曲輪、櫓台跡程度ですが、非常にわかりやすくて整備が適切です。麓に浄願寺があり、「室町期の城の特徴を良く残してある」とありますが頷けます。
次に、ロケーションが抜群。今の豊田市中心部、矢作川流域一帯が見渡せる位置にあり、重要拠点であっただろうと感じます。
高速道路のICから近く、城巡り一日の最後に登城しましたが、正解でした。

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姫街道

大きな城だったかも (2020/12/05 訪問)

隅櫓の復元は、さすが豊田市だけあって芸術作品のようだった。そうやって見れば石垣の緻密な積み方など見モノだと思う。
豊田市の中心部だが、元城町や八幡町など城跡を感じる地名が広範囲に存在する。もしかしたら、かなり広い範囲で城下町を形成していたかもしれない。勿論、今は市街化が進み、見る影もない。

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姫街道

不思議な城跡 (2020/12/05 訪問)

「今は公園となっていて、建物の礎石部分を枠で組んでどんな建物であったかを表記している」とある。確かにそうなんだが、コンクリートの枠だし、何か建設途中か解体跡のような不思議な空間だ。
それでいて、西側神社には土塁が残存している。いったいこの公園は明治から近年までどんな使われ方をしてきたんだろう…。本当に不思議だ。立派は矢作川沿いで、当時は矢作川に張り出すように三方を川に囲まれていたとも感じる。今は住宅街の隅にひっそりと残ると言う感じの城だ。

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姫街道

あの有名な香嵐渓が城だった (2020/12/05 訪問)

足助城の次に向かったが、城が香嵐渓そのものだった。ただ、城そのものは非常に堅固な山にある。そんなに比高は高くなく、山頂まで登山道が整備されているが、結構キツい。
さて、城として見ると明らかに古い。
立地は最高で、鈴木氏の本城とあり、足助城とどっちが真の本城なのかイマイチよくわからない。由緒書きが石碑に刻まれていたが、御影石の明るい石で、何を書いてあるのかパッと見ただけでは読めない(涙)
麓の居館跡に香積寺があり、周囲を土塁で囲まれているが、この土塁が巨大で一見の価値有り。山頂主曲輪の虎口がどうなっていたか不明だが、北側には巨石群が壮大な雰囲気でたたずみ迫力満点。名城だ。

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姫街道

素晴らしい復元遺跡 (2020/12/05 訪問)

山城見学をするに300円!?と思ったが、有料の価値はある。素晴らしい復元力だ。勿論、建物にお金をかけたのもわかるが、山城の遺構そのものも丁寧に整備されている。さらには、発掘調査の結果を基になるべく当時を再現しようとしてくれている。
勿論、11月に訪れたほうが紅葉が綺麗だろうが、混雑を避けて12月第一週の週末を選択したのだが、充分楽しめる。
城は、西三河山間部に勢力を伸ばしていた足助鈴木氏の本城とされ、それ以前からもあったであろう重要な拠点。文句無しの素晴らしい城で見所満載だ。

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いんげん丸虫

北内貴城 滋賀県甲賀市 (2020/11/21 訪問)

きたないきじょう
土塁と空堀が巡ってます。虎口には土橋が架かってます。明確な見易い遺構です。
「みなくち子どもの森」に駐車可能で池の脇から少し登ります。

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カズサン

急峻なシラス台地の上が城跡 (2020/11/23 訪問)

 大口城を終えて夕刻迫る中加治木城を目指す、今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り15城目、九州道栗野ICから加治木JCT同ICを降りて、ガイドの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん古城盛衰記さんの駐車場情報が城内駐られない唯一入口の加治木城案内板俯瞰図の有る所と有り登り切った同エリアにナビを合わせる。(鹿児島県姶良市加治木反土、ナビの地図で微調整)
 加治木ICより県道55号線鹿児島空港方面、17時を過ぎて渋滞、1km弱ほど城域の崖は目前、逆方向に曲がり急坂を登り切ると左手にゴミ集積場、目的の加治木城俯瞰図発見、一台ギリギリ駐車可能、暗く成り俯瞰図はストロボ撮影、周辺を撮影して撤収、残念ですが仕方ありません限られた時間の中で探訪ですから仕方ありません。
 
 加治木城廃城後の義弘の建てた加治木館は資料館と共に見学してましたので、城域の雰囲気だけでも十分です。

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こーた

真弓山城が見える。そちらもこちらも足助城 (2020/12/07 訪問)

ずばり紅葉の名所香嵐渓です。(東海地方に昔からお住まいの方なら、香嵐渓スネークセンターのCMを覚えていませんか)秋の休日は渋滞必至ですので、時間に余裕を持って。今日(12/7)はまだ紅葉がきれいでした。平日に行けたので渋滞もなくスイスイと。
ここの別名が足助城なのは、私の足助城(別名真弓山城)攻城メモにも書きましたが、むしろ復元の第一候補が真弓山城の足助城でなく。こちらだったからということでしょう。(オンリーワンの足助城は、そもそもないのだと私は解釈しました)現代の私たちにはむしろ香嵐渓城と名付けたいくらい。とはいえ、香嵐渓の紅葉狩り目当ての人は、山城には登りません。川沿いを散策しておいしいものを食べてお帰りになることでしょう。ハイカー(トレッカー?)さんは何組か会いました。

駐車場は数カ所あるようですが、私は最も多くの人が使うであろう西町駐車場(500円)に停めました。登城口の石碑に飯盛城跡の字はかろうじて読めたもののその後ろの説明文は判読不能。もったいない。では山頂を目指そうと森林公園の碑の横にラミネートされた貼り紙に目をやると「山頂~香積寺の登山道を封鎖しています」という表記も。大丈夫かと若干不安に。 ほどなくして防獣柵があるので、自分で開け閉めしてまた登ります。 かなり急勾配を蛇行しながら登ります。巨石がごろごろしており、写真を撮りつつ休みつつ。汗かき、息が上がりました。
山頂本郭からの眺めは、視界を遮る木々も多いのが難点。でも足助の町並みや足助城(真弓山城)の高櫓も小さく見えました。それが見つけられたら汗かいて登った甲斐があったというもの。狼煙が見える距離かどうか、山城同士の距離感を感じ取れるのは最高です。東屋があり休憩できます。
さて下山はというと、えらい方向に降りてしまいました。北東の帯曲輪らしきところへ下る階段があり、そこからまた下れそうな道を進んでいくと、アスファルト舗装された道に到着。そこには謎めいたコンクリの小さな建物が。扉に「流量発信室」とあります。(巴川の水量計測と異常時に警報を流すための設備でしょう)飯盛山頂の方向を示す標識もあったので、そこから登ってもいいようですが。いかんせん、自分が停めた西町駐車場から随分離れたほうに下山しました。私は何事もなく、結果オーライと捉えていますが、本当は縄張り図持参で計画的に下山ルートを選んだほうがいいですね。観光地の山城だからとなめてかからないこと。

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カズサン

懐かしい大口市チョット寄りました (2020/11/23 訪問)

 肥後水俣城を終えて又国道268号線を九州道栗野ICへ戻り丁度中間地点の伊佐市大口に在る大口城へ、今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第14城目、ナビは大口城登城口前の伊佐市市役所駐車場(伊佐市大口里1888)に合わせ走行、先ほど通った道なので伊佐市役所から大口小学校の校門へ車は校門前の空き駐車場に一時駐る。
 16時も過ぎて居り、旗日で休み小学校に声を掛けるのも憚られそうで校門前で標柱、大口城のある辺りの写真を取り退散、是非先達の方々の投稿をお願いいたします。

 歴史的には保元の乱の軍功で平氏の地頭が下向、戦国期は菱刈氏、相良氏、島津氏の抗争で島津氏支配地域、江戸期は大口麓にて小学校が御仮屋でこの地区の行政の中心地です、明治まで続く。
 出張ベースで旧栗野町の工場によく来てましたので大口麓は見学認識してましたが大口城域には残念ながら登城していません。

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こーた

復元素晴らしい。足助七城の詳細解説あるとなお良し (2020/12/07 訪問)

休城日、営業時間を確認してから行きましょう。飯盛城もそうですが、紅葉の時期は周辺道路は混むと思いますので、時間に余裕を持って。先日(12/7)はまだ紅葉がきれいでした。平日に行けたので渋滞もなくスイスイと。

足助中学校の裏山、真弓山。駐車場までの坂は軽自動車ではターボ付きでも唸りをあげて上ったほど。バス停で降りた人はあの坂を登るのでしょうから、しんどいですよ。

入場料を払って、もらったパンフレットに目を通すと、城址復元構想はむしろ飯盛山が第一候補だったとのこと。県指定史跡の飯盛山を避けて真弓山が選ばれたと。大人の事情があったようです。飯盛城を復元していたなら、そっちが足助城になって真弓山城は真弓山城としか呼ばれなくなっていたのかも。足助七城に序列があったのか? おそらくオンリーワンで足助城を指す城は、往時の武士や農民にはなかったのでしょうね。そうそう、パンフレットには”別名「松山城」「足助松山の城」とも呼ばれていたようです”とありました。周囲の山々に城・砦があり、どれが足助城ということはなく足助七城で足助の地を守っていた、と私は解釈しました。

四の五の言わず、調査に基づいて再現された山城を手軽に見学できるありがたさ。順路がしっかり記されています。長屋、厨(くりや)や高櫓に入れるのがまたうれしい。スリッパが用意されています。鉄塔は少々興ざめだけど、眺めもよし。多くの人に来てもらいたい山城です。

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