みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

しらさぎ

丹波三大山城の一角 (2022/04/09 訪問)

丹波富士(高城山)に築かれた波多野秀治の居城
1.岡田丸跡
2.二の丸跡
3.三の丸跡
4.本丸跡
5.本丸東面石垣
6.中の壇北側の竪堀
7.芥丸北面堀切
8.池西番所南面堀切
9.朝路池跡
10.城山

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

前ちゃん

春日山① (2022/07/10 訪問)

春日山城跡ものがたり&林泉寺へ

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ろっし

お城探訪 (2022/07/09 訪問)

石垣、堀など見れます
武家屋敷もありますが中は見れません。

+ 続きを読む

チェブ

鬼美濃の緊迫感。 (2022/05/05 訪問)

キラキラした「名古屋城」の後に「古宮城」に転戦しました。
浮わついた気持ちで攻め込むと、やられます(笑)

奥平氏の地に、1572年武田 信玄さんの命で三河侵攻時、馬場 信春さんが「古宮城」を築きます。
翌年、信玄さんが亡くなると、奥平氏は徳川 家康さんに内通しました。
その後、武田家は衰退します。
「古宮城」、3年位しか使われてないのに、馬場 信春さんの緊迫感が今も伝わります。

作手歴史資料館で続100名城スタンプと、資料をいただき出陣しました。
資料館の方と、奥平氏の話しで盛り上がり、なんとなく『長篠の合戦』をイメージしていました。
白鳥神社に説明板があり、三河侵攻最前線の「古宮城」だと再認識。
神社からも戦う城の雰囲気があり、入城すると深い堀や大きな竪堀が今も戦闘態勢を整えてます。
堀と土塁が重ねてあり、馬場 信春さんの三河侵攻への想いが「古宮城」の遺構から解ります。
私有地だと言う事もあり、無理に奥まで進みません。
が、何回か位置が分からなくなり、戻りました。
竪堀は大きすぎ、写真で写しましたが入りきりませんでした。

「古宮城」、どのような気持ちで 馬場 信春さん、築城したのでしょうか?
信玄さんの急死、その後の武田家衰退。
それとも、信玄さんの死期を感じていたとか?
今も「古宮城」は鬼美濃と言われた、馬場 信春さんが睨みをきかせて死守しているようでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

藤島の戦い (2022/06/05 訪問)

築城時期や築城者など詳細は不明ながら、南北朝期には足羽七城のひとつに数えられた北朝方の城で、藤島城攻略のためにわずかな手勢で督戦に向かった新田義貞が燈明寺畷で討死するきっかけとなった城です(藤島の戦い)。その後、城跡には超勝寺が創建され、本願寺の東西分裂に伴い西超勝寺となって現在に至ります。

西超勝寺の山門脇には藤島城の石碑と説明板が建てられ、かつては北側と東側に土塁や堀があったようですが、現在では本堂の裏手に土塁の一部が確認できるのみです。

なお、藤島城から西に約5.5kmには国史跡の燈明寺畷新田義貞戦没伝説地があり、江戸前期に義貞のものとされる冑が水田から発見されたことから、新田塚とも呼ばれています。発見された冑は藤島神社が所蔵していますが、形状などから戦国期のものと考えられるようです。伝説地には祠堂のほか、石碑や説明板が建てられています。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

④南門~第4水門 (2022/06/07 訪問)

 南門は復元された西門と同程度の規模や構造だったと推測されているそうです。
 階段状に敷設された石敷きの通路を下りきると急斜面が待ち構えていました。そこで振り返ると天然の壁が覆いかぶさるように迫ってきます。この通路や両側の門礎、柵列からかつての大きな門をイメージ再建すると、残された空間は歩いてきた園路だけです。逃げ場はない感じでした。
 先へ進み少し下ったところに再び高石垣が現れました。整地のおかげで難なく歩けましたが、岩盤の露出も多く、版築には向かない場所だったのではないかと思いました。高石垣を上から覗き込むのは無理でした。
 さらに進むと木橋の架かる小川に出ました。小川は池へ続き、谷筋に第3水門があります。その先の高石垣上は列石が続いていましたが、中には人工的に配された感じのする石も。視線の先には小さく東門も見え、物見台か何かだったのではないかしらと思う雰囲気でした。あたりの石を見ると或いは祈りの場だったのかもしれません。
 ビジターセンターから第4水門まで約1.5km。まだ全行程の半分も来ていません。
それなのに残された時間は1時間を切ってしまって、ちょっとヤバいかなぁという気がしてきました……。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

モト

曲輪、空堀が確認でき縄張りがイメージできます (2022/05/24 訪問)

川中島の戦いで上杉軍の拠点として活躍したそうです。
読み仮名がわからなかったのですが、まさかみかぶりとはなかなか読めませんよね。
曲輪や空堀などから城の全体図である縄張りがイメージしやすい城跡でした。

車が10台くらい停められる駐車場がありました。
そこから城跡を目指して本丸までは15分くらいでした。
途中、鎧井戸があり雰囲気があります。
さらに奥に進むと土塁とわかる遺構や少し広くなった場所に池、曲輪、空堀がありました。
空堀に挟まれた本丸への道のりは雰囲気満点です。
また、本丸に吹く風は気持ちよく、景色もきれいでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

松倉城 (2022/05/22 訪問)

【松倉城】
<駐車場他>登城口前10台程度駐車可能
<交通手段>車

<見所>曲輪・門跡
<感想>1泊2日富山城の旅10城目。松倉城は越中三大山城の1つで、南北朝時代の1335年、普門利清(井上俊清)によって築城されたとされる。南北朝時代後は椎名氏の居城となり、松倉金山を擁して政治・軍事の中心地として栄えた。戦国時代には城主の椎名康胤が、上杉氏から武田氏に寝返り、上杉謙信に攻められたが1度目はこれをを防ぎ、1572年信玄の西上作戦時には上杉氏に敗れ開城した。その後は上杉氏の家臣河田長親→須田満親が城将を務め、佐々成政→前田家の治領となり廃城となりました。
 城跡入口まで車で行けます。主郭は南北に広く、最奥に巨石群があります。巨石群から立入禁止となっていました。主郭の奥に堀切がありもう一つ曲輪があるようです。主郭から北に4郭まであり3郭4郭は土居があります。駐車場から下っていくと大見城平という広い曲輪群があります。現地の説明板が剥がれて読めないのですが武家屋敷跡のようです。大見城平に残る城門跡は石積みの残る城門跡で見応えあります。
 松倉城群の中心部としてはやや小さい印象ですが、このあと投稿する獄門原や武隈屋敷跡の遺構や城びと登録・未登録の支城群を合わせるととてつもないスケールでとても1日で巡りきれない見応えある場所です。

<満足度>◆◆◆

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

子孫の方がお住まい (2022/06/26 訪問)

早朝の訪問、個人宅なので門のところの写真を撮って引き上げようと思っていると散歩中の近所の方に声をかけられました。
日課としている散歩ルートとのことで一緒に敷地内に入って頂けました。
城跡には立派なお宅が建っていて四方を空堀が囲んでいます。
西側の堀を見学、北側には土塁もありますが、ここから奥は遠慮しておきました。
南側の門の脇にも空堀がありました。
川島氏館とも呼ばれ、見学はウエルカムっぽいですがやはり一声かけてからにしましょう。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

岱崎出丸跡 (2022/05/23 訪問)

 岱崎出丸は岱崎砦とも言われ、山中城本郭群の南西尾根上を西側の旧箱根街道を進軍する豊臣軍を狙撃するように約400m程の細長い出丸です、内先端から200m程に畝掘りで有名な一の堀が出丸切岸下に備わっています。 
 先端からすり鉢曲輪、すり鉢曲輪の東対に武者溜り跡、中間に細長い岱崎砦がありすり鉢曲輪側に見張台、北側にも見張台、其の前面西向きに長い土塁が控え西を狙って居ます、中間から北側に御馬場曲輪長く二段に備わっています、御馬場曲輪の南側に深い切岸と一個の畝が有る畝掘りで東西を守ってる。
 土塁上から切岸、一の畝掘りの眺めが圧巻です。 草も刈られ綺麗に清掃されて気持ち良く探訪出来ました。
 
 山中城13編の投稿拝読頂き有難うございます。

 次は越境して小田原城に向かいます。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

名鉄お城めぐり切符

 名鉄の駅で「名鉄お城めぐりきっぷ」のポスターを見つけました。名古屋近郊の城(岐阜城、犬山城等)の入場券や割引券などがついた1日もしくは2日の名鉄電車のフリー切符ということです。詳細はHPをみてください。公共機関で名古屋周辺のお城巡りをされる方の参考になればと投稿させていただきました。

+ 続きを読む

織田信興 (2022/07/09 訪問)

 織田信長の弟信興が一向門徒との戦いで戦死したと伝わる城です。城址碑と案内板がありました。
 周囲は森川花はす田というレンコン畑で、訪れた日は「蓮見の会」というイベントが開催されていて多くの人が楽しんでみえました。蓮の花がきれいに咲いていました。ちなみに隣の城址碑のある富岡神社(蓮の畑の先に見えている林の所)を訪れていたのは自分ひとりでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

橋本一巴 (2022/07/09 訪問)

 織田信長の鉄砲師範として知られる橋本一巴の城です。遺構はありませんが、石碑が立っていました。

+ 続きを読む

雨の中 (2022/07/09 訪問)

城址碑がありました。遺構はないようです。

この日は天候が不安定で雨の中写真を撮ってさっさと退却しました。

+ 続きを読む

カズサン

三の丸跡と武将の墓 (2022/05/23 訪問)

 三の丸跡は本丸駒形諏訪神社南下から本丸、二の丸南下、箱井戸、田尻の池、三の丸堀、三の丸駐車場間を南側を通る旧箱根街道沿いに囲まれた地域に在ったようです。
 
 現在遺構として残ってるのは、西側の三の丸堀で縦に畝を設け東側は水堀、水路、西側は長い空堀、中の畝が登城路で二の丸、西の丸、西櫓への通路。水堀の続きとして、田尻の池、箱井戸が残って居ます。
 
 又三の丸跡には宗閑寺に小田原征伐山中城合戦の両軍戦死者の墓が有ります、山中城将松田康長、副将間宮康俊、隣に少し立派な豊臣方攻撃軍武将一柳伊豆守直末と並んで祀られて居ます、秀吉は勇猛な一柳伊豆守が戦死した事を大変嘆いたと言われて居り、美濃出身の同輩である堀尾吉晴、田中吉政などは関ヶ原後、数拾万石の太守と成って居り惜しまれる戦死でした。
 
 三の丸跡旧箱根街道を歩いていると路傍に芝切地蔵尊が土塁櫓台かと思う所に有ります、その傍が南櫓跡、大手門跡とグーグルマップの史跡マークに出て居ましたが、案内板等は確認して居ません。
 
 三の丸駐車場に戻り山中城本郭は終了し、岱崎出丸、岱崎砦の探訪に向かいます。
 
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

AIAI

長島城に行ってみた (2022/06/26 訪問)

行ってみたら黒松しか残ってないなんて…


残念すぎる。


駄菓子菓子、ここがとても攻略し難い所だというのは実感出来ました。

+ 続きを読む

縄張り図 (2022/07/02 訪問)

鵜森神社境内に浜田城および当地の歴史を示す説明板が並んでました。城びと先達の投稿になかったので、縄張り図をアップします。
鵜森神社を囲んで、土塁と堀跡がありますが、公園内を西に行った所にも低い土塁あり。鵜森神社境内が本郭で、それを囲む外郭跡なのかも。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

チェブ

名古屋市の太っ腹と金ぴかシャチホコの お尻。 (2022/05/05 訪問)

お城と言えば「名古屋城」を思い浮かべる方、多いんじゃないでしょうか。
「名古屋城」、皆さんの投稿も多く、大人気です。

4回目の「名古屋城」。初めて知った事が、
『土曜・日曜・休日を除く駐車禁止』。
ゴールデンウイークのこの日は、路駐OKと言うわけです。ただし、『8ー11』ですので、ご注意を。
大人気の「名古屋城」の駐車場は満車。ぐるっと路駐できる場所を探し駐車した場所は、西北隅櫓の水堀沿いです。
西北隅櫓は、「清洲城」から移築したと伝わります。良い場所だ~と喜んでましたが、正門まで遠いので簡単には攻め込めません。
この標識がある所は、車でいっぱいです。
でも、路駐できなかったら『名古屋城』周辺は常に渋滞してるのでは?
名古屋市は太っ腹だと思いました。
『名古屋城』はたくさんの人が天守を見上げたり、堀を覗き込んだり、人の波に乗ってゆったり見学しました。
シャチホコを、目に焼き付けようと上ばかり見て思ったのですが、私 シャチホコのお尻ばかり見ているみたい、、、と。
「名古屋城」の100名城スタンプも順番待ちです。小学生を含む何組かの御家族が、スタンプ集めの1城目を押してました。
お互い、楽しみましょう。とエールを贈り、金シャチ横丁『義直ゾーン』へ。こちらも大人気で、行列と完売のお店ばかりです。楽しみにしてて何も食べてない。
、、、いつもの事です。
「名古屋城」近くのラーメン横綱に駆け込みました。
東京では見ないチェーン店です。調べたら京都が発祥でした。無料の九条ネギを山盛りにして、いただきました。
パワーだけは全快です。
4回目にして押した、「名古屋城」スタンプ。次の来城は当分 先だと思います。
その時は『やっとかめ~』とお尻を見上げたいです。
『やっとかめ』=『久しぶり』なんですって( ´∀`)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

響ちゃん

神指城跡 (2022/06/25 訪問)

コインランドリーで靴を乾かしている間に寄ってみたぽい。サンダルなので近くで見学だけっぽぃ

+ 続きを読む

響ちゃん

雨上がりの早朝に訪城 (2022/06/25 訪問)

山形へさくらんぼを買いに行く途中に立ち寄り、三曲輪から大手口へ向かい、そこから本曲輪へと攻めてみたぽい。色々な構造見て妄想し興奮さめやらぬが、雨上がりの濡れた草木で下半身はずぶ濡れになり、この後訪城予定の柏木城跡は中止したっぽぃ

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ851