江戸中期、越後国村上から鯖江に移封した間部詮言が幕府代官所跡に設けた陣屋で、間部氏のもとで明治まで存続しました。鯖江藩は七代・間部詮勝の老中就任を機に城主格となり、幕府から築城許可を得て天守建造を計画しましたが、実現はしませんでした。
鯖江陣屋近くの歴史の道(奇数月は東側、偶数月は西側の道路脇に駐車可)に車を駐めて登城開始。歴史の道西側の古町公園には鯖江藩陣屋の説明板が設けられています。古町公園から南西に徒歩2分の屋形町児童公園あたりにかけてが陣屋跡とされ、児童公園には陣屋内にあった稲荷社が移築されています。南に徒歩7分の萬慶寺は藩主・間部氏の菩提寺で、裏門として陣屋の御用屋敷門(赤門)が移築されています。東に徒歩5分の松阜神社には陣屋内にあった受福堂御門が移築されています。受福堂は藩祖・間部詮房と鯖江藩初代・詮言を祀っていましたが、廃藩により萬慶寺に移築された後、かつての松阜御殿跡地の松阜神社に再移築されたんだとか。松阜神社から北に徒歩1分には鯖江藩の家老職を代々務めた植田家の長屋門が現存しています。
また、幻となった築城計画では天守の設計図まで作成されていたようで、その設計図に基づいて作成した天守の模型が鯖江市まなべの館に展示されているようですが、時間の都合もありまたの機会に。
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