畑の中にポツンと碑が残るだけ。
周囲の地形を見ても分かるが、館とはいえここに建てたかどうかは疑問。
発掘調査でも何もでなかったとか。
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2022/01/28 20:10
本当にあったのか疑問にのこる城 (2022/01/28 訪問)
畑の中にポツンと碑が残るだけ。
周囲の地形を見ても分かるが、館とはいえここに建てたかどうかは疑問。
発掘調査でも何もでなかったとか。
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2022/01/28 20:00
2022/01/28 17:40
堀で囲まれた陣城 (2022/01/08 訪問)
織豊期に根来衆が築いた城で、羽柴秀吉の紀州攻めでは大谷左大仁を守将として激しい戦いが繰り広げられましたが、火矢により火薬庫が爆発炎上して落城し、そのまま廃城となりました。
近木川西岸の丘陵に位置し、主郭の周囲に横堀(東側は二重)をめぐらせ、対岸の高井城と対になって機能した陣城で、城跡や北側の平坦地からは平安後期から戦国期にかけての瓦や五輪塔などの石造物が発掘されており、寺院を城郭化したものと考えられます。
かつてロータリーだったあたりに、里山活動のための無料駐車場が設けられていましたので、城めぐりを通じて地域の歴史を体感するのも立派に里山活動だ、と駐めさせてもらって登城開始。駐車場から丘と丘の間の道を南に進み、西への分岐を上って行くと、主郭東辺の切岸が見えてきます。よじ登ってもいいんですが、どうせなら虎口から入ろうと北側に回り込み、横堀を喰い違わせて設けられた虎口に到着。両側の横堀は浅くなっている上に伐採した木が積まれていたりしますが、幅は5mほどもあり、なかなかの規模だったようです。西辺にも横堀が(ところどころ途切れつつも)めぐり、東辺では間に土塁をはさんで二重の横堀がめぐらされています。
昨年の企画展「貝塚八城めぐり」に合わせて千石堀城(や高井城)で現地見学会が開催されたようなので、藪が刈られていることを期待していたんですが、特に整備された様子はなく主郭の中央部は藪の中でした。それでも横堀がしっかり遺っているのを見られただけでも満足です。
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2022/01/28 14:55
2022/01/28 14:48
小笠山砦 (2022/01/28 訪問)
徳川家康が高天神城を攻めたときの六砦のひとつで、その中では最大のものとされています。最初は今川氏真が駿府を逃れて掛川城に入った時に徳川家康が掛川城を攻城するために築かれたとされています。城びとには未登録の城址でしたが、静岡県内の城址では評価も高く、以前から行きたいと思っていました。二重堀、堀切、馬出など遺構が残り見ごたえのある城址です。
入口のある小笠神社までは舗装された道を車で行くことができ駐車場もあります。駐車場から小笠神社までが、階段になっている所が多く、この城址見学で最も労力を使います。小笠神社からは、多少は登りますが、それほど高低差なく行くことができます。「余湖くんのホームページ」の図で「危険な尾根」と記載されたところがありますが、実際に行ってみると土橋のようになった道の北側が削られた断崖となっていて高所恐怖症の自分はかなり怖かったです。ただ、たまたまいらしたハイキングを楽しんでいると思われる高齢の方のグループは談笑しながら歩いてみえました。城址の主な道はハイキングコースにもなっていて整備されています。しかし、少し外れて遺構を見学していると尾根を利用した城址なので、ふと横を見ると崖になっている所が多く冷や汗をかきながら散策しました。小笠神社からは高天神城が見えるらしいのですが、どの山かよくわかりませんでした。
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2022/01/27 23:07
深い空堀やきれいに残る素晴らしい遺構が見られます (2022/01/12 訪問)
空堀や曲輪といった遺構が素晴らしい!(◎_◎;)
公園になっている城跡ですので気軽に歩いて回れるんですが、そこで見られる遺構がとにかく素晴らしいです‼︎
城跡近くの3、4台置ける駐車場に停めて歩きます。
城跡の入り口からいきなり深い迫力がある空堀が迎えてくれます。
深い堀底を歩いて行きますが、左右から迫る景色が迫力満点です。
虎口や曲輪も残っていて要所に案内板も設置されているので容易に遺構や縄張り図も想像できます。
空堀などはもちろんなのですが、私のお気に入りは土橋もです。
両側を深い堀に挟まれた土橋は素敵です。
空堀、虎口、曲輪と回ってからの、土橋はかなり雰囲気がありますよ。
いくつも空堀があるのですが、本丸跡の手前にも深い空堀があります。
今は畝までは見えないのですがここは後北条の築城の特徴でもある畝堀跡なんだそうです。
本丸跡から来た道をもう一度戻ります。
戻りながらもう一度おさらいしながら遺構を目に焼き付けて戻ります。
実は2回目の訪問でしたが、こんなによかったか?!という感じでした。
空堀などはかなり満足いただける遺構のある城跡だと思います。
おすすめの城跡ですよ。
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2022/01/27 21:25
須崎台場 (2022/01/08 訪問)
【須崎台場】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>宿泊先のホテルから徒歩
<感想>1泊2日国土防衛筑前国の旅4城目。夜に訪城。須崎台場は洲崎台場とも書き福岡藩が1863年に築造した。北の海側に突出した埋め立て地に築造して台場によくある多角形の稜堡式ではなく東面の塁線がカーブしている独特の形状をしていた。現在は北側の石垣の上の方だけ顔を出しているだけで下部は土中に埋まっています。
<満足度>◆◇◇
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2022/01/27 17:36
2022/01/27 17:28
2022/01/27 17:14
搦手より (2022/01/27 訪問)
前回は大手から登城しましたので、今回は搦手から登城しました。駐車場から10分弱で三ケ月井戸経由で城域にいくことができます。よく整備されていて歩きやすい。三の丸からは富士山が見えますが、今回は少し雲が多かったためか霞んで見えていました。南を見ると遠州灘を見ることができます。見どころは西の丸方面に多いと思います。西の丸にある堀切の標柱の先にある地境ヶ谷と鹿ヶ谷の間にある尾根道を行くと、明瞭な堀切とそれに続く竪堀をみることができます。井楼曲輪方面に行くと堀切や横堀を見ることができます。
前に来たのは9年前。もうそんなに経ってしまったのかという思いです。そのころから城址は整備されていました。
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2022/01/27 16:24
【周防・毛利邸】山口県防府市 公爵毛利邸の庭園・本邸 (2011/05/06 訪問)
長府の櫛崎城、勝山御殿、城下町散歩を終えて、本日の宿泊先防府市へ移動し、毛利氏本家旧萩藩主で明治は公爵家の郷里邸宅を目指して訪問、車は表門前の専用駐車場を利用。
現在、毛利氏邸は国指定名勝・毛利氏庭園/毛利博物館にて一般公開されています。料金は庭園、博物館共通で1000円でした。
毛利氏邸は明治25年着工、大正5年に完成。 広さは庭園約84,000㎡、本邸約4,000㎡に及び明治、大正の建築・造園技術の粋を尽くしています、平成8年国からの名勝指定、昭和41年明治百年を記念して財団法人設立し毛利家から本邸・庭園、毛利家伝来の家宝を一括寄贈を受け、一般に公開される様に成った。(パンフレット一部抜粋)
建物、室内内装、掛け軸どれをとっても素晴らしい、庭園は広く回遊式庭園、時期は5月ツツジ咲、藤も咲き、カキツバタ等々目を楽しませてくれます、素晴らしい樹木も植栽され手入れも抜群、大変素晴らしい庭園、邸宅を見させて頂きました。表門も大きく立派で薬医門風、庭園の出は入口には高麗門が備わり、郵便ポストは明治期の木製ポストで現役でした。・・素晴らしい体験をしました。
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2022/01/27 15:12
信玄ミュージアムへ (2022/01/15 訪問)
躑躅ヶ崎館には3回目の登城となりました。今回は信玄ミュージアムと武田神社宝物館を訪れました。
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2022/01/27 13:10
残雪の鹿伏兎城 城びと先人 ヒロケンさんに感謝 (2021/01/22 訪問)
鈴鹿の関から、奈良街道を5kmほど西へ。まず、鹿伏兎氏菩提所の神福禅寺を目指しました。お寺の前に城の説明板があります。2010年や2012年に訪問された先達の写真からだいぶん劣化が進んでいます。説明板の下の方には、「登山道および城跡は未整備のため通行注意」とあります。登山道は寺の裏から伸びているように描いてありますが、墓場の先はひどく藪化。三重の山城ベスト50を歩く(2012)には、寺の前の関西本線の山側(山裾)を西へ行くと登城口があると書いてあるが、そこもひどく藪化。直登あるのみかと思いましたが、城びと投稿を確認すると、ヒロケンさんが、苦労の後に登山道を見つけたと。おかげさまで、蹄がない小動物の足跡がついた残雪の中、順調に登城できました。
雪が残る石垣、よいですなあ。本郭南の掘り残し土塁は大きいです。
神福禅寺と登城口の間の道沿いにベーグル専門店がありました。地元食材にこだわりと。狭い道の奥の自動販売機で買えました。
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2022/01/27 08:23
眺望と倒木 (2022/01/08 訪問)
南北朝期に北朝方の日根野氏が築いたとされ、後に橋本正高らに奪われて南朝方の城となるなど、南北朝攻防の舞台となりました。戦国期には根来衆の拠点となり、その後、一国一城令により廃城となったと考えられます。
粉河街道を見下ろす城ノ山の頂部に曲輪群を配した山城で、東尾根の先の雨山城との間にも城郭遺構が見られることから、一城別郭の城として雨山城と一体的に機能したと考えられ、土丸・雨山城跡として国史跡に指定されています。
雨山城から尾根道を西に進むと、日根荘大木の農村景観を見渡せるあたり(案内板あり)から土丸城を遠望できます。山頂手前の鞍部から登城路をそれて北東の谷部に下りて行くと、階段状に削平地が設けられていますが、これは山麓の土丸集落の住民が戦火や領主の支配を逃れるため「山入り」「山あがり」した際の避難場所とも考えられるようです。
谷部から登城路に戻って急な坂道を登ると主郭東下の曲輪に着きます。曲輪の奥、主郭東辺切岸の下には武者隠しとされる土塁があるにはあるものの、倒木が覆いかぶさっていてほとんど見えません。主郭北辺切岸を眺めながら北の曲輪を経て主郭へ。雨山城と同じく山頂の主郭には龍王社が鎮座し、錆びついた説明板がありました。主郭から西に続く尾根は灌木が密集していて進入路は見当たりませんが、灌木をかき分けて突入し岩盤の斜面の下に曲輪と堀切を発見。枝で目を衝きそうになったり帽子を取られたりしつつも突入した甲斐が(それなりには)ありました。主郭に戻って今度は北西尾根へ。北の曲輪から下って行くと堀切があり、その先にはいくつかの曲輪が連なっています。曲輪のひとつは展望所になっていて180度超の視界が開け、泉南はもとより摂津、淡路までが一望の下です! 南北朝期以降の諸勢力が土丸城(と雨山城)を確保したいと考えた理由(の一端)を実感できました。
土丸城だけでなく、この日訪れた雨山城でも根福寺城でも倒木を多く見掛けましたが、おそらく平成30年9月の台風21号(強風で流されたタンカーが関西空港連絡橋に衝突したあの台風です)によるものと思われます。遮るもののない眺望が土丸城の見どころですが、それだけに台風の風をまともに受けてしまうんでしょうね。ただ、他には眺望と堀切くらいしか見どころのない城なので、せめて武者隠しの倒木だけでも何とかならないものでしょうか…。
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2022/01/27 06:40
薩摩藩仮家跡(喜界島) (2021/12/27 訪問)
泊をとったホテルの近くで見つけました。大河ドラマ「西郷どん」の奄美大島編で描かれていたような薩摩藩による搾取が、喜界島でも行われていたのでしょう。前日に訪れたサトウキビ畑の中をまっすぐに伸びるシュガーロードの写真も投稿させて頂きます。
仮家跡から徒歩で向かったテーバルバンタは、今なお隆起を続けている喜界島の過去の珊瑚礁の跡を俯瞰できる絶景スポットでした。城とは関係ありませんが、これもついでに投稿させて頂きます。
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2022/01/26 22:47
葛山館 静岡県裾野市 (2022/01/15 訪問)
葛山城の近く、方形の館です。
葛山城の帰りに路駐でサッと見の感じでした。
説明板が立っていて高い土塁が残っています。
土塁、登ってみました。
内側は畑で私有地のようです。
館の近くには半田氏、荻田氏の屋敷もあるそうです。
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2022/01/26 21:02
豪快な縄張を堪能できる (2021/10/09 訪問)
かつて藪に覆われていた城域は、訪ねるたびに綺麗になっている。地元の方がこつこつと丁寧に整備を進めて下さっているおかげで、竪堀と横堀を駆使した豪快な縄張と要所に備わる石積みを宝探しのように堪能できる。
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2022/01/26 20:28
2022/01/26 20:21
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