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まーやん

鶴首山城(京都府南丹市八木町八木西山) (2020/09/24 訪問)

丹波守護代内藤氏の八木城の真北に鶴首山城という支城があるが、この度初めて登ってみた。
尾根の先端から東側を鹿の電柵に気を付けながら巻いて登る。
曲輪は主曲輪と、そこから階段上に小さな曲輪があるのかないのか程度。違うかも知れない(^-^;)
ただ、曲輪と大きな切岸が見事に残されており、なかなか見応えがある。八木城の北への備えをしていたのか、北方の見晴らしがいい立地だ。
立て続けの登山が直登でヘロヘロになったがいいものが見られた。

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退会済み
ユーザー

新井城行きました。 (2020/11/08 訪問)

新井城に行きました。駐車場無し
新井城は伊勢そうずい
いまの北条早雲の最大の戦い
三浦道寸との戦い最後の城合戦の地です
一回北条早雲も負けたことのあるので最大の敵なのです
断崖絶壁の崖があるので落ちにくい城です。
だから3年間も落ちなかったのです。
ですがりょうしゅが切腹するまで戦いは終わりませんでした
近くに海有り
そこには三浦道寸の墓がありました。
少し情報がすくないのですがご了承ください。

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退会済み
ユーザー

上田城行きました。 (2019/08/11 訪問)

上田城へ行きました。
そばを食べた後に行った上田城
真田氏の居城で難攻不落の名城。あの徳川撃退の地なのでどんな城かなと思い行ってみました。
ですが目に入ってきた文字は仙石氏が大改修して何も真田の遺構なし!
考えてみてもやっぱり徳川が負けた城を徳川は壊さないわけないかとおもった。
話によると前は本丸跡だけでも7棟あった櫓も今は西櫓、南櫓、北櫓の3棟のみ。
あとはほりと石垣しか復元していない中でないみたいです
ここは真田昌幸築城でその後には仙石氏、(藤井)松平と変わって行きました。
一緒に上田市立博物館も行ってください。

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todo94

鼠多門 (2020/10/17 訪問)

職場に迷惑はかけられないので、直近1週間の新型コロナウイルス新規感染者が極めて少ない県をターゲットにしました。鼠多門を拝むのは初めてです。尾山神社から鼠多門を通って玉泉院丸庭園に抜けるルートは近江町市場や長町武家屋敷からアプローチする観光客の王道ルートになりそうです。私も近江町市場で海鮮丼を頂いてから徒歩にてアプローチしました。その名の通りねずみ色の漆喰が印象的な門でした。また、鶴丸倉庫が公開されていて、初めて中を拝むことができました。有料部には立ち入りませんでしたが、石川門の中にも入ることができて満足度の高い攻城となりました。二の丸御殿の部分で工事が進められています。まだまだ、金沢城から目は離せませんね。

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まーやん

多分大河では取り上げないだろうが… (2020/10/24 訪問)

赤井氏の黒井城や波多野氏の八上城と並び丹波三大山城と称されるが八木城は守護代の居城であり赴きが違う。
市で赤色航空測量をされ詳細な全体像が見えてきたらしい。
今回は石垣と堀切&切岸をリサーチしてみた。
黒井城に見るような落城後、明智の改修による石垣の増強といった状況は、裏込めを見た結果見受けられなかった。石垣を高く積んで切岸のように落とすといった共通点があり、堀切は少なかった印象。
初めて足を伸ばした烏嶽曲輪は鶴翼の陣を取り入れたかのように見える。北辺の敵に対峙したのかも。
曲輪は雛壇状に連続することが多い。専門家の方も謎多き城とのこと。家臣の屋敷群が山の麓に集中し、本丸下に対面所と言われる場所がある。信長か(笑)
本丸からは愛宕山から京都の西山連山が見えるが、光秀が陣取ったと思われる刑部城跡も確認した。
私にしては珍しく観光から調査的な登城となった。同行者が良かった(笑)

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赤い城

神社の周囲に土塁が (2020/11/07 訪問)

菅谷館から近い、大蔵神社の周辺が跡地。
近くの脇道に駐車しました。
大蔵神社前の土塁に石碑があります。
境内に説明板。
神社の周囲を土塁が囲んでいます。
平安末期の源義賢の居城とされています。

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ぴーかる

明石藩舞子台場跡 (2020/10/25 訪問)

【舞子台場】
<駐車場他>駐車場なし。舞子駅前なので有料Pはあり。
<交通手段>山陽電車

<感想>船上城より山陽電車で舞子駅へ。舞子台場は駅から国道2号線を挟んで海沿い歩道橋を渡り、右手に駐輪場、その奥に見えます。
舞子台場は勝海舟の設計・総指揮、施工は明石藩で、竣工は1865年。明石海峡を通過する外国船を挟撃するために淡路島の松帆台場と対になって両岸から攻撃する目的で建造されたが使用されることはなかった。
 一角は明石海峡大橋の撮影スポットにもなっているようで、いいカメラを据えている方々もいらした。フェンスで囲まれた所が天端石の石列が現存している。ちょっと雑草多め。護岸の石垣も現存、砲台の石垣はちょうど隣接するマンションの場所にあったようです。大砲形のミニベンチがかわいい。

<満足度>◆◇◇

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織田晃司

家督を継ぐまで (2020/11/14 訪問)

毛利元就が過ごした城。
出丸と本丸に登城。
物見丸は別物と考えたほうがいい。

本丸からの移動も駐車場からの移動もかなりの時間を要する。

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カルビン

岩井堂砦(市城砦南出丸) [群馬県吾妻郡中之条町市城] (2015/11/21 訪問)

真田昌幸が織田軍から主君・武田勝頼を匿う為に建造始めたものの、未完成に終わった潜龍院を訪問しにいった際、帰りに中ノ条から川沿いに国道353号線を進んだ途中、左側の山中に六文銭の何かを発見。
以前から何かあるな。。。と思ってたのでこの道で帰ったのですが、この時は立ち寄る気満々だったので、六文銭見つけてすぐに車を停められる場所を探して駐車。

ほんと、国道から直で登りの道があり、そこを登って行くと明らかに後世に造られたと解る砦の一部が再現されていました(汗)

隣接した山中にかつて岩井堂砦があったそうで、ここにはその出丸跡が再現されていたんです。
見晴らし台や六文銭の書かれた矢除け盾等がありました。

砦自体には遺構や砦跡を示す物は残っていないらしいですが、登山コースとしてのルートがある様です。
(岩場に鎖が打ち込んであり、それを元にロッククライミングする必要があるらしく、高所恐怖症の自分には本体の攻略は無理かと(泣))

どうやら岩櫃城を拠点として沼田城に至るまでのルート上にあった岩井堂砦は、真田幸隆が攻略開始し、真田昌幸の代にその手によって攻略(ほぼ調略で無傷)された様です。

北に上杉、南の北条の勢力間を上田から西に領地を広げて行った真田氏・・・大勢力の間を攻略すると両方から睨まれそうですが。。。攻略していた当時は南は武田の勢力圏になっていたから、どちらかと言うと当時は謙信が健在だったからこれ以上北に勢力を伸ばせなかったから東へ東へと進んだんでしょうな。

見所はそんなにありませんでしたが、一応解説版もあったので、ゆとりがあれば立ち寄って損は無いかと思います。

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Tiger

日程 (2015/11/21 訪問)

〇8:00千磐神社から登山開始 本丸まで2300m
〇9:00西尾根到着
〇9:30三重堀切到着 本丸まで600m
〇10:00本丸到着 すばらしい景色
〇10:30美作河井駅に向けて下山開始
〇11:30美作河井駅到着
〇12:00千磐神社に向けて車道を歩く。途中、内構(居館跡)に寄る。
〇12:45駐車場所の千磐神社に到着。
※たくさん歩きました。美作河井駅から見あげた矢筈城の姿は感動ものです。

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昌官忠

クラブツーリズム関西2府4県ぐるっと日本100名城完全制覇5日間② (2018/12/02 訪問)

2城目は赤穂城です。100名城スタンプは歴史博物館で押しました。
赤穂城は浅野氏の居城で「忠臣蔵」の舞台となったことでも有名です。
山鹿素行を招聘し甲州流軍学によって築いた実戦的な城だそうです。現在、城址には天守台や石垣が残っており、本丸庭園や大手門、大手隅櫓が再建されています。攻城時間は90分くらいでした。

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昌官忠

クラブツーリズム関西2府4県ぐるっと日本100名城完全制覇5日間① (2018/12/02 訪問)

1城目は明石城です。100名城スタンプは明石公園サービスセンター受付で押しました。
明石城は小笠原忠政が2代将軍。徳川秀忠に命じられて築いた城です。現在は明石公園として整備されています。
自分が訪問した時はお祭り&工事中で、公園の広場には屋台と多くの人手、「坤櫓と巽櫓」間には白いシートが張られ、柵で近づけないようになっていました。(2年前のことなので、現在は工事も終わっていますね。)
伏見城から移築された坤櫓、もっと近くで見たかった。攻城時間は70分くらいでした。

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小城小次郎

遺構は東の山にある (2020/10/17 訪問)

城山公園に引っ張られてそちらに行ってしまったがお城があるのは東隣の山の上。登りにくいが登ればそれなりにいい遺構があるらしい。ここは長宗我部が落とし羽柴が取り返した歴史を有する重要拠点でもあった。

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赤い城

土塁や堀が素敵な続100名城 (2020/11/07 訪問)

続100名城16城目。
スタンプは城内に建つ嵐山史跡の博物館にあります。
畠山重忠が築いた城で土塁と堀が良好に残っています。
この辺りの館や城跡は比企城跡群として国の史跡に指定されている。
個人的にはここより小倉城のほうが続100名城となってほしかったかな。

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旅人ウルトラマン

岡山城 (2020/11/01 訪問)

非常に立派な天守閣です。

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旅人ウルトラマン

広島城 (2020/11/01 訪問)

カープの御城印顛いただきました。

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旅人ウルトラマン

広島城 (2020/11/01 訪問)

やっと行くこととができました。
頑張れカープ!

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姫街道

標高760mの足柄峠に位置する国境の城 (2020/11/15 訪問)

北条方のイメージもあり、山中城を連想させる。山中城同様に城跡公園となっている。雲一つ無い晴天で富士山が綺麗に見えたが、視界を遮る木々が少なく、低木の植栽が植えられている効果も大きいだろう。城全域にほわ遊歩道が整備されており、芝も綺麗に刈りこまれているためら遺構はわかりやすいが、だいぶ風化が進んでからの整備のようで、遺構全体が丸みを帯びている印象を受けた。
本丸から西手の富士山方向と東手の東曲輪方向では、雰囲気が変わる。西手が山城なら、東手は中世鎌倉街道の「古代の足柄の関」としての雰囲気が色濃く残り面白い。

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姫街道

虎口毎の馬出しが特徴的な技巧的山城 (2020/11/15 訪問)

初登城時はワクワク感を優先するため、あまり下調べをせずに行く事にしているが、この城に関してはその作戦が裏目に出た。
抜川と宮沢川の合流部にある。地図で二つの川を見ると、まるで平泳ぎしているみたいな形をしている。縄張りは頭・胴体・下半身の内臓を見てるように技巧的かつ各曲輪間で高低差がかなりある。
歩いて虎口毎にある馬出し一つ一つを確認したかったが、フィーリングで歩くには技巧的過ぎている事と、民地であろう田畑に許可無く入る事が許されないような雰囲気が漂っていたため、断念した。
今振り返ると非常に勿体なく、事前に縄張りと歩くルートを計画し、必ずリベンジをしたい。

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姫街道

詰め城と城下居城のセットが素晴らしい城 (2020/11/15 訪問)

城の保存状態や管理が行き届き、案内板等の整備も完璧だ。北条の畝状横堀、武田の二重堀切が綺麗に整備されている。基本的に東西の尾根を二重堀切で遮断し、本丸背面は畝城横堀、全面は帯曲輪を巻いている。勿論、竪堀や技巧的な虎口もあり楽しめる。さらに、城の南東約400mの場所にある100m四方の土塁に囲まれた葛山氏居館跡は圧巻。その西側一帯には葛山四天王と呼ばれた重臣の屋敷が、今もその祖先が受け継いで広大な敷地に暮らしているのにも驚いた。葛山一族の墓があり城の背後に控える仙年寺の墓地をよくよく見ると、葛山四天王の半田家、萩田家の立派な墓を見つける事が出来た。街全体が今でも城を中心として歴史を重ねていると感じた。

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