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しろちゃん

北条氏の小机衆の拠点 (2020/11/18 訪問)

小机城へは、最初に訪れたのが40年前に来てから、これまで、5回程来城しました。以前は、横浜市の城跡の看板がありましたが、今は無くなっていますが、看板などは、新しくなっています。
場所は、鶴見川の南岸の丘陵の先端部に築かれた城である。
東西に二つの郭を配して、その周りを深い堀を巡らしています。
残念なのが、西側の郭の本丸の西側には、有料道路の第三京浜道路により遺構は姿を消していますが、見方を変えれば、よく本丸、二の丸など周辺が残ってくれたと感じる。
遺構は、土塁と空堀をよく残しています。
駐車場は無く、近隣の有料駐車場は、日産スタジアムの脇にあるつ鶴見川遊水地があります。

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カズサン

吉備真備築城の古代城郭 (2020/11/26 訪問)

 前日南肥後の城々を終えて八女市宿泊2泊へ九州未踏の城廻り遅延対策で九州縦横に動ける様にと決め、当日八女のホテルを8時前に出発、八女ICより九州道福岡高速道西九州道、無料区間から県道56号線へ九州未踏の城廻り22城目怡土城麓の土塁を目指す、怡土城の登城は体力気力的に到底無理なのでせめて山麓の土塁を探訪したいと県道56号線を南に進行、ナビは古城盛衰記さん情報の高祖神社(福岡県糸島市高祖1578)南の「怡土城址」の碑をGoogleMapで微調整し合わせる。
 
 探訪ルートは車を県道56号線ゆっくり南走行、高来寺辺りで第5望楼登城口案内看板発見、バス停に一時路駐し登城口撮影、さらに約200m南下し田圃先の土塁に看板を見つけ道より山手に入り老松神社横に路駐し土塁と堀跡の探訪、案内板撮影、その辺りから山裾に森林が連なってる様子が分かるが停まる所が無い、字「大門」と有りそれらしき案内板、土塁を車窓近く探すが分からず、ナビ目的地の高祖神社、金龍寺道路標識を山側約20m程入り、土塁、案内板、土塁の石碑に到着、駐車場は無いが幅広の道側に停めるトイレ完備。土塁に登り石碑、土塁、石垣、周辺を撮影。結構大きな高土塁、パンフレットによると南北に土塁が山麓に約2km連なってるとの事、怡土城案内解説板、吉備真備の顕彰碑などを撮影。 私は山麓の土塁列で十分満足です約1270年前の吉備真備に思いを耽る。

 歴史は天平勝宝8年(756年)吉備真備に依り築城途中に佐伯今毛人に交代し12年かけ完成、高祖山の西面山頂から山麓に広大な古代山城です。

 この後近くに在る伊都国歴史博物館を訪ねる入館料220円65歳以上無料、怡土城のパンフレット、資料を頼んで頂く、伊都国古墳出土物、大型銅鏡は日本一圧巻です。

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奥池ヶ谷のバス停から (2020/12/12 訪問)

 中河内川が城址を取り囲むように流れていて天然の堀となっています。登城口には看板があり、その右手から回り込むように登って行きます。途中で別れる道がありますが右手を行くと階段となっている所があり主郭の方に行くことができます。間違って真っすぐ行ってしまい、途中から直登することになりましたが、山は手入れされていて容易に登ることができました。堀切は浅くなっていますが見ることができます。主郭と思われる場所を越えて下りて行くと送電線の鉄塔があり、その周囲に曲輪と思われる階段状の削平地を認めています。井戸もあるという情報もありましたが、確認できていません。所々、遺構か否かわかりませんが、石垣かと思えるところもあります。予想以上に曲輪があり楽しむことができる城址です。
 静岡駅から静鉄バスにて奥池ヶ谷バス停へ行きました。1時間10分くらいかかります。30分乗っていると自分以外乗客がいなくなり貸し切り状態となりました。バス停から徒歩1~2分の所に登城口があります。バスの本数が少なく帰りのバスまで1時間くらいしかなかったので速足で見学しました。そのバスを逃すと次は4時間後でした。

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カズサン

綺麗に整備保全中世城館の見本 (2020/11/25 訪問)

 南肥後の愛藤寺城を終えて近くの道の駅通潤橋に寄り、通潤橋と傍の阿蘇氏の城岩尾城を展望所で遠望して来た道国道218号線を西へ宇土古城を目指す、ナビは宇土古城駐車場(熊本県宇土市神馬町665-3GoogleMapより微調整)に合わせ宇土城南に新しく出来てる広い道を通り中腹の駐車場に停める、トイレも完備。 
 今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第21城目初登城、ガイドは古城盛衰記さん余湖図コレクションさんの俯瞰図に依ります、宇土古城は十数年前に宇土城探訪しながら城探訪は建物、石垣、織豊系城郭中心でしたので駐車場の近くまで行って登城はして居ませんでした他の城を優先したのでしょう。

 探訪ルートは、駐車場案内解説板、雛壇曲輪を階段で登り、虎口土橋、左右の空堀、虎口を入り本丸千畳敷をぐるっと一周、遠望、土塁下の空堀を観察、本丸を降り内空堀城塁をぐるっと一周観察、西側の曲輪群、三城曲輪群を観察、千畳敷下の外堀(埋められ地表展示)を観察して繋がってる虎口東の竪堀を階段沿いから観察。
 低い独立丘陵を数段の曲輪で周囲を囲み2峰の高みを本丸千畳敷と三城の1城別格方式か?、空堀、虎口がモルタル状に保護固められてるがこれはこれで崩れ行く城跡遺構を守るため致し方なく綺麗に整備されてる。駐車場より小西行長の宇土城跡が近くに遠望出来ます。

 歴史は古く、平安期、鎌倉期、南北朝、戦国期を菊池氏、菊池一族が相抗争しながら治め、伯耆の名族名和氏(八代古麓城)と相良氏(人吉城)の抗争で古麓城を出た名和氏が文亀4年(1504年)から約80年城主として治めるが秀吉の九州征伐後没落、小西行長の織豊系城郭築城前後に廃城か?
 昭和54年3月12日国史指定で保全整備が行われた。
 

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昌官忠

次男と二人で1泊2日の関西遠征③ (2018/09/22 訪問)

「次男と二人で1泊2日の関西遠征」の3城目は膳所城です。大和郡山城からの転戦です。
近鉄郡山駅から近鉄/JR/京阪専を乗換て膳所本町駅に到着。そこから徒歩で膳所城址公園へ向かいました。

膳所城は天下普請によって築かれた城です。築城の名手と言われた藤堂高虎が最初に造ったあい城で、日本三大湖上のひとつです。
ちなみに残り2つは諏訪湖の高島城、宍道湖の松江城です。湖を堀代わりに、さらに物資輸送などに湖上交通を活用したのが「湖城」だそうです。

現地の案内絵図を見てわかったのですが、大津市内には移築された門がたくさんあるようですね。
「城とら」さんの投稿にもありましたが、事前調査ができていなくて、「膳所城跡公園」にあるのが現存門だと思ってました。なさけないです。
偶然、膳所本町駅への帰り道に見つけた「膳所神社」の表門だけ写真を撮ってましたが、裏にももうひとつ移築門があったのですね。
下調べの重要性を痛感しました。攻城時間は40分くらいでした。
9/22の攻城は膳所城でおわりなので、宿泊先の大阪(阿波座駅)に向かいました。

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カズサン

通潤橋南尾根筋道にひっそりと残る広大な山城 (2020/11/25 訪問)

 堅志田城を終えて国道218号線(国道445号線相乗り)を高千穂方向に道の駅通潤橋を目指して愛藤寺城を目指す。ガイドは何時もの城郭放浪記さん古城盛衰記さん余湖図コレクションさんの俯瞰図を頼りに今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第20城目初登城する。
 
 道案内は古城盛衰記さんの情報でナビを道の駅通潤橋より県道180号線を南に約5km行った所の相藤寺バス停(熊本県上益城郡山都町白藤1045)に合わせる後はGoogleMapで微調整。
 相藤寺バス停が見つかったのでその南直ぐに右折狭い坂道を登り集落中道、切通道を通り尾根の細い道を約300~400m南へ、城門跡の白い標柱が有る、左右堀切、更に細い尾根農道を南に約300~400m、右手に小高い土壇が現れる城郭跡らしいので車を道脇に広い所に駐車して探訪する。
 
 土壇は本丸、天守台の様、頂部に愛藤寺城本丸の標柱、案内板も有る、周りに石垣の残渣が点在、余湖図コレクションさんの俯瞰図を見ると1郭が天守台?2郭が本丸?畑、茶畑、西の堀を越えて3郭は3の丸、ここには行って無い、少し北に小高い丘5郭が2の丸櫓台あり櫓台まで登れず、5郭の周りに帯曲輪、城門から5郭まで林道農道の左右に曲輪が在るらしいが切通、竹藪、草茂り良く分からない、6郭は畑に成って開けてる、開けてる所を探訪するのみ、中々奥に切り込んで行けない、兎に角不安感を持っての走行です、こんな山奥によく築城したものだと思ってしまう。

 歴史は本丸跡に有る案内板に依ると。
 天台宗の古刹で愛藤寺を移して貞応元年(1222年)阿蘇大宮司惟次が城を築き在城約360余年間、全盛期には属城24城を数えた。しかし天正13年(1585年)8月島津軍の侵攻により没落した。その後佐々成政を経て小西行長、加藤清正の領有となったが、慶長17年(1612年)幕命により破却された。今でも本丸、二の丸、三の丸、厩の跡、古井戸、城の石垣、空堀、堀切りなどの遺構がのこってる。町指定文化財史跡愛藤寺城(本丸跡)、指定昭和46年11月25日、矢部町教育委員会、管理者相藤寺集落・・と有ります。
 
 城郭放浪記さん記述によると加藤氏の時代にも大改修され三層の天守が聳えていたという、と有りましたが何処でしょうか?二の丸の櫓台辺りか?案内板に在る遺跡は良く分からない、広大な城郭曲輪群で有るが全探訪は大変難しい。

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赤い城

石垣だけでは無い! (2020/12/05 訪問)

続100名城で関東では珍しい石垣の城である事が有名だが土の部分も凄い!

北城先の二重堀切、南城から降りたところの馬出状の土橋と堀。
千騎口の岩盤にたくさんの竪堀。見どころ満載でした。
この日は竪堀を下って行きましたが麓まで続いていました。
降りたところは栃本公園で土塁が残っています!
家臣の居館だったようです。
これまでなめていました。
上杉氏に対抗して十分すぎる備えをしていた恭子な城でした。

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ぴーかる

椿井城 (2020/11/14 訪問)

【椿井城】
<駐車場他>椿井春日神社の登城口前に駐車できそうです。私は「道の駅大和路へぐり」に駐車して徒歩で行きました。
<交通手段>車

<見所>曲輪・堀切
<感想>椿井城の築城年代は定かではないが、室町時代から戦国時代にかけて築城され、当初は椿井氏の居城であったようです。戦国期には諸説あり椿井氏の居城、島左近の居城、松永久秀の信貴山城の出城等様々な説があるが史料では確認がとれていない。
 登城口は2箇所あり春日神社境内の北側横からと春日神社の50㍍程南手前からとありますが、城跡を1周するので片方側に最後出ます。春日神社境内前が広い土のグランドになっていて、車の轍もあったのでコンパクトカーくらいなら駐車してもよさそうです。
 私は境内横の北側から登城しました。登って行くと右手に竹林奥に連郭の曲輪群らしきのが見えてきますが、ちょっと未整備で入り込めず、山道を登りきったところが南曲輪群の北端の曲輪に出ます。主郭まで170㍍の立看板がありましたが、北曲輪群と主郭方向への道は草刈がしておらず行ける状態ではなかったので断念した。南曲輪群の北端の曲輪と堀切を挟んで南隣の南副郭跡が整備され、巨大で立派な幟が立てています。この2つの曲輪は堀切・土橋があり見応えがあります。そこから南の南曲輪群は細い尾根状にあり南端に堀切があり堀切を西に下って山麓に戻ります。山麓手前に古墳跡の巨石があります。

<満足度>◆◆◇ 

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退会済み
ユーザー

本矢作城 (2020/12/11 訪問)

梨畑の角に香取市指定史跡標あり

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退会済み
ユーザー

前林館 (2020/12/11 訪問)

前林城は湮滅状態、近くの妙見神社が前林館跡

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いんげん丸虫

資料館となってます。 (2020/11/21 訪問)

徳川家光が1634年に築城しました。小堀遠州が深く関わってるようです。現在、高校のグランドとなってますが、角櫓が復元されてます。堀、石垣の一部は現存です。

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こげら

八王子城 (2020/12/11 訪問)

なかなか行く機会のなかった八王子城を訪れました。
駐車場の手前に新しいガイダンス施設があり、八王子城に関する展示、資料があります。
ここで基本的な知識をえて、城に入ると城の面白さがよく分かります。
ガイダンス施設の先にある管理棟から本丸跡までは山道を登り40分余りの道程です。今日は、あまり時間もなかったため本丸攻めは諦め、北条氏照が政務を行っていた御主殿跡を中心にまわりましたが、北条氏の築城技術の素晴らしさが伺える城でした。

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長篠城駅より (2020/12/11 訪問)

 以前も来たことがあるので、さらりと電車の時間まで散策しました。空堀はすばらしいですね。紅葉が見頃です。堀も落ち葉で赤く染まっています。

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武田信実 (2020/12/11 訪問)

 長篠の合戦のときに重要なポイントとなった砦です。遺構はよくわかりませんが、案内板の周辺は削平地と思われます。駐車場と反対側の尾根を下っていくと眺望が開け長篠城が一望に収めることができます。

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満光寺の鶏 (2020/12/11 訪問)

 井伊谷3人衆のひとり鈴木重時の居城です。
城址は整備され、柵が戦国の雰囲気を醸し出しています。出丸が本丸より高い所にあります。縄張り図を見ると三の丸の下に堀とありました。下りて行ってみましたがよくわかりません。登城口は満光寺にあり道も整備されています。西側と新東名高速道路方面からも登城することができます。

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カズサン

発掘調査復元整備された南肥後の山城 (2020/11/25 訪問)

 麦島城を終えて八代ICから九州道導経由、宮原SAでトイレ休憩と昼食熊本ラーメン、松橋ICから国道218号を東行、4年前に城郭放浪記さんの月毎の放浪記で発掘調査復元整備後の写真と掲載が有り何時か行きたいと脳裏に刻み今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第19城へ初登城。
 ガイドは何時もの城郭放浪記さん古城盛衰記さん余湖図コレクションさんの俯瞰図に依り今回の道案内は古城盛衰記さんの案内通り到着、 道順は松橋ICから国道218号線東に約8~10km程の交差点「神国」南入る、県道105号線を南進約1km程の路傍に案内表式有り進行から逆方向に坂を登り梅林神社、横を通り道なりに約1km、舗装され細いがアップダウン有り砂利が散乱枯れ枝が散乱してるが1郭下の帯曲輪駐車エリアに到着する。(ナビは梅林神社に合わせ標識を見つける)

 既に駐車エリアには軽ワゴン1台城跡崩落の測量調査を依頼されてと言ってました。
 探訪は余湖図コレクションさんの俯瞰図で1郭の帯曲輪で東の4曲輪を望む、3郭で連続堀切を望むが草が茂り見えない案内説明板を確認、1郭に登り内部の確認、北奥の1郭土壇、櫓跡か建物の地中表示有り、土壇から2郭曲輪内部を遠謀確認、同堀切も草叢で良く見えない、また4郭の復元柵列を1郭より遠望、4郭、2郭への通路は「ブラタヌシさん」投稿の様に崩落していて行く事が出来ませんテープ等で閉鎖指示。
 1郭本丸だけでしたが4年前から行って見たいと思ってた事が叶い充分に満足です、車で本丸まで行ける事も素晴らしい、早く復旧して他の曲輪が探訪出来る事を願います。

 歴史的には肥後国阿蘇大宮司の阿蘇氏の南肥後の国境城、相良氏、島津氏との抗争で阿蘇氏敗退天正13年(1585年)落城し島津氏の番城と成る、天正15年(1587年)秀吉の九州征伐で島津氏撤退、肥後国人一揆の間に廃城。(ガイド3者の方の抜粋)

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じっぱ

墨俣一夜城(別名) (2020/09/21 訪問)

出世の城に肖り、浜松城に続き攻城。家族は公園が無いので興味なし。望遠鏡はないが、さすがに金華山頂上のお城は見えないか?写真を拡大すると、ぼんやりかすかに確認できますねぇ!

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カズサン

小西行長夢の跡 (2020/11/25 訪問)

 鹿児島市に3連泊し、前日は二十数年馴染み店で飲食喋りを楽しんでお互い元気な顔を確かめ安堵、勿論感染症対策はバッチリ。翌朝食事を済ませ7時半にホテルを出発、鶴丸城御楼門を車窓見学しながら鹿児島北ICより九州道経由八代ICを降りる。
 今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第18城目、ガイドは何時もの城郭放浪記さん古城盛衰記さん等の情報により天守台近くのキリシタン殉教者公園近くが駐車出来そうとの情報でGoogleMap航空写真を微調整して(熊本県八代市古城町2055)に合わせて走行、公園の北に出来立て綺麗な駐車場有り10台弱は可能か?トイレ無し。
 城郭放浪記さんGoogleMap片手に天守台跡、地元TVクルーが撮影中、天守台石垣跡を見て感激(後でパンフレット見てモニュメントと知る)ぐるっと観察し、南、西に約200m程の通り沿いに麦島コミュニティセンター案内板を確認、同センターよりパンフレット、小冊子を頂く、もう一つの案内板が有るシルバー人材センターへ、通りを東に約400m程、通りの善定寺(浄土真宗本願寺派)横道を南に並行してる通りの南通り約100m程でシルバー人材センター、石垣の入口に案内板、当地は二に丸跡地と有る、発掘の石垣が見学出来ると案内に有りセンターを訪ねると玄関ホールの展示がそうだとの事実物石垣は見れず、写真を撮り資料を頂く。
 駐車場への帰り麦島神社に寄り石碑には小西軍に神社を壊され江戸期、明治後の再建の碑が記されてた、切支丹殉教の記録が公に成ってるがキリシタン大名が社寺仏閣を壊した歴史は余り表に出ない、これも歴史。

 歴史的には秀吉の九州征伐後佐々成政に肥後を与えたが肥後の国一揆の鎮圧不手際により肥後は北は加藤清正、南を小西行長を配置、八代には古麓城を廃して球磨川の中州に麦島城を総石垣、天守閣小天守を構え、九州最古の石垣造りの織豊系城郭の城を築く、関ヶ原で西軍の小西行長は刑死、肥後一国は加藤清正の治める所と成り麦島城も加藤氏の城へ、一国一城令でも麦島城は熊本城と共に残るが元和5年(1619年)大地震により崩壊、城主加藤正方は麦島城を離れ現在の八代城を新しく築く、麦島城は土中に埋まれ400年平成の発掘調査で概要が分かるが、発掘調査後は埋め戻され現在土の中。

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麦わら帽子

長野県_上田城 (2020/11/26 訪問)

真田神社の御朱印&御朱印帳を買った。
戸倉上山田温泉♨荻原館にも宿泊した。https://www.ogiwarakan.com/

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麦わら帽子

長野県_松代城 (2020/11/27 訪問)

真田邸・真田宝物館を観覧した。
善光寺も行った。


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