なかおじょう

中尾城

京都府京都市


旧国名 : 山城

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大山出城を経て中尾城に至る登城口。銀閣寺側大文字山登山道に入ってすぐの石垣の切れ目から入る
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モハベ

大山出城から中尾城跡 (2023/09/11 訪問)

かなり急峻な山城。しかし登山道は整備され踏分跡もシッカリついている。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ8日目:中尾城 (2022/07/27 訪問)

船岡山城からの転戦ですが、折角なので銀閣寺を見学した後、銀閣寺から徒歩5分ちょっとで、「嗚呼中尾城」看板前登城口(35.027939、135.799243)に着きました。

1549年(天文18年)足利義晴によって築かれたと云われています。
室町幕府12代将軍足利義晴が、京への復帰を目論んで慈照寺(銀閣寺)の裏山に築いた城が、中尾城と考えられているようです。
築城翌年の1550年(天文19年)に義晴が病死すると、子の足利義輝が細川晴元とともに入城しますが、1550年(天文19年)に三好長慶によって攻められ自焼して落城しました。
その後、三好軍によって破却されたそうです。
この城は二重の壁の間に石を詰めたことが『穴太記』に記されており、これが鉄砲対策と考えられていて、文献でわかる最古の事例とされているそうです。

登城路の目印「嗚呼中尾城」の看板を捜しましたが見つかりません。
あとで確認しましたが、GPS座標はあっていると思います。しかし、自分は見つけることはできず登城を断念しました。
中尾城攻城前に見学した銀閣寺の写真を投稿します。
攻城時間の15分は登城路の目印「嗚呼中尾城」の看板を捜した時間です。次の攻城先=将軍山城へ徒歩で向かいます。

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銀閣寺の裏山 (2022/06/18 訪問)

 銀閣寺の裏山が城址で、三好長慶に追われた足利義晴、義輝親子が京都奪還の足がかかりとして築いたとされています。土塁や浅くなってはいますが、堀切を見ることができます。水の手はどこだろうと思っていましたが、下山したときに大文字送り火の看板をよく見ると「道の途中の名水は中尾城跡の本丸より流れている水です」と書かれていました。どこに流れているのかわかりませんでした。予想していたより急峻な山で、足場も少し悪いところがありますが、登山道は概ね整備されています。大山出城を散策後、中尾城に行きました。城址を過ぎれば大文字山まで行くことができ、この日も多くの方が登山を楽しんでみえました。自分は城址から大文字山には行かず下山しています。

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城と看板 ちと怖い看板 (2018/01/07 訪問)

趣向を変えてもう一つ城と看板にエントリーします。
大文字山登山道口の駐車場から左手の山に取りつくと中尾城に行けます。駐車場の片隅に打ち捨てられたように、この看板がありました。嗚呼 中尾城!! 内容も怖い。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 足利義晴
築城年 天文18年(1549)
主な城主 足利氏
遺構 曲輪、土塁、堀切
再建造物 碑、説明板
住所 京都府京都市左京区浄土寺大山町他