くまべやかた

隈部館

熊本県山鹿市

別名 : 隈部城、隈部氏館、永野城
旧国名 : 肥後

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モト

空堀、石垣と見どころありです。 (2024/06/15 訪問)

館跡まではかなり側まで車で行く事ができます。
側までは道に丁寧に案内があり迷わず館跡に辿り着けますよ。
館跡は入り口などもわかりやすく見学しやすく整備されてます。
さ、馬屋の入り口から館の跡へ。
入ってすぐに出現する馬や跡を確認しながら進むと奥に見事な石垣の虎口が見えてます。
この景色の雰囲気がかなり気に入りました。
実際に虎口を間近で見ると石垣に感動です。
これもまたお気に入りになりました。
虎口を通って建物の跡に行くと庭園跡があり当時の繁栄していた姿を想像します。
この庭園跡がまたなんとも良く、またお気に入りに加わります。
最後に館跡の奥の隈部氏の墓所を見学して帰りました。

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しんちゃん

コンパクトだけど、防御は完璧。枡形虎口に庭園まで備えた館跡。 (2023/01/02 訪問)

隈部館は標高340mほどの平坦地に築かれています。
城主は隈部氏で隈部親永が天正8年(1580)に隈府城に移るまで隈部氏の
居城でした。コンパクトな造りで、それほど大きくは無いのですが
南側の馬場はしっかりと土塁で固め主要部との間に堀切を設けています。
さらに入口には石垣で固めた枡形虎口があり今でもほぼ完ぺきに
その姿をとどめています。これだけでもテンションはあがりますが
主要部内部には建物跡礎石群と庭園跡があり、今でも庭の石を見ることができます。
さらに小高い箇所が神社になっておりますが、これはかつての
物見の場所だったのでしょうか?
神社の背後にもはっきりと形のわかる堀切があり、
背後の守りも完璧なようです。
さらに二つも詰めの城を持っていたようなので
大軍に攻められたら、そこに籠城するつもりだったのでしょう。

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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)6日目:隈部氏館 (2022/06/10 訪問)

葛原城からの転戦です。隈部氏館跡駐車場(33.054801、130.796977)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、隈部氏によって築かれました。
隈部氏は大和源氏宇野氏の末裔で、菊地氏に仕え隈部の名字を与えられたと云われています。
隈部氏は菊池家臣団において城氏や赤星氏らと並び重要な地位にありました。
菊池氏が没落すると大友氏や龍造寺らと結んで勢力を拡大し、1578年(天正6年)には赤星氏を隈府城から追放し、隈府城を本城として移りました。
隈部氏はその後、肥後に入封した佐々成政に従いましたが、隈部親永は成政の検地に反発して挙兵します。
これが肥後国人一揆の発端となりましたが、豊臣秀吉が派遣した援軍に降り、隈部氏は滅亡しました。

隈部館は隈部神社の境内となっています。
主郭は広く庭園跡や礎石建物跡が残っています。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=隈府城に向かいます。

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カズサン

山城の大型館 (2016/10/26 訪問)

 平成28年10月26日鹿児島から北上し竹迫城、菊池城、本城、古代城郭鞠池城と廻り同資料館見学し資料館の方に隈部氏館までの詳しい地図と説明を戴き狭い坂道でしたが登城しました。
 駐車場は登城してすぐ東に大型の駐車場が有ります。
 山城を攻める様な道筋ですが平城の館が山の上に有ると言う様な姿です、人もいなくゆっくりと探訪が出来ましたが雨模様でしたので雲行くが心配で若干不安に成ったりします。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 隈部氏
築城年 戦国時代
主な城主 隈部氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 国史跡(隈部氏館跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 熊本県山鹿市菊鹿町上永野
問い合わせ先 山鹿市教育委員会文化課文化財係
問い合わせ先電話番号 0968-46-5512