みつせじょう

三瀬城

佐賀県佐賀市


旧国名 : 肥前

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本郭を囲む石垣
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モト

縄張りも把握しやすい上に素晴らしい遺構が見れます (2024/07/26 訪問)

元々は在地領主の三瀬氏の居城だったのを神代勝利を招いて譲ったと言われているそうです。
この神代勝利さん、かなりの勇猛果敢な武将だったそうです。
ご当地のキャラにもなっているようです。

登城口から山へ入るとしばらく山道をすすむと堀底道のような所をさらに進みます。
程なくしてニの郭の虎口が見えてきます。
そこまでいきますとちらほら石垣の跡も見る事ができます。
虎口を入った二の郭は土塁に囲まれた空間です。
さらに先に進み見事な竪堀を見ながら本郭の虎口です。
虎口にも石垣が配置され往年の姿を想像します。
本郭はさらに見事な土塁に囲まれた素晴らしい空間です。
その囲んだ土塁に石垣が所々残っています。
城跡はそこそこの角度はあります。
また、蜘蛛の巣や虫なども結構いますが、その嫌な思いも一瞬で忘れるくらいの城跡です。
ま、それは夏に訪れたからですが…。
本郭、二の郭と縄張りも確認しやすく、石垣などの遺構も見る事のできる素晴らしい城跡だと思います。

糸島と佐賀をつなぐ263号の有料の道路に沿うようにある旧道に入ると料金所に近い所に城跡への目印のある林道の入り口があります。
林道をすすんで行くと駐車場があります。
そこから登城です。
ココからがおすすめです。
駐車場を過ぎた所にも登城口はあり、川の横を通る石が敷き詰められたきれいな道もありますが、150メートルほど進むと道が塞がっておりました。
(もしかしたら行く事ができるのかもしれませんが)

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小城小次郎

ぴりっと締まった武芸者の城 (2023/12/09 訪問)

佐賀県北部の山間部(山内)を纏めるべく招聘された神代(くましろ)勝利は武芸に秀でで人望もあり龍造寺氏を大いに苦しめた。高低差のある二つの曲輪を長塁で結び、石積みもふんだんに施されたお城は実にぴりっと締まっている。

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零汰

石積あります (2020/11/28 訪問)

整然としている石積は綺麗で芸術作品の様に思える時もあるが、破損している石積や不揃いの石積、無造作感のある石積は近世の石積に比べると出来損ない感があるが、実はこちらの方が好みだったりする。こちらは城域自体はさほど広く感じなっかたが、その割に多くの石積が点在している様に感じました。

駐車場から二の丸に達するまでには一部急な坂道を登ります。いくつかの自然石の間を抜けると石積で補強している二の丸の虎口にたどり着きます。ほぼ全周に土塁があり石塁も見受けられます。樹木の関係もありますが本丸よりもが眺望が良かったです。

本丸にも大手と搦手以外の全周に渡り土塁が施され、各所に石積が点在しています。搦手から北側に向かうと案内図の位置に横堀などの遺構を見ることが出来ます。

所要時間1時間10分:1.8km:累計高低差216m

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todo94

【城と生き物】 (2015/05/09 訪問)

植物も生き物と云うことで投稿させて頂きます。葉緑素を持たない寄生植物・ギンリョウソウ(銀龍草)です。北海道から九州まで自生しているので別に珍しくも無いのかもしれませんが、私は三瀬城でしか見ていません。別名はユウレイソウ、ユウレイタケ。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 大江氏
築城年 文永元年(1264)
主な城主 三瀬(大江)氏、神代氏
廃城年 天正18年(1590)
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀
再建造物 説明板
住所 佐賀県佐賀市三瀬村大字三瀬字宿